マンガについて(1)


 さてマンガですが、midiさんのご教示に従って京都マンガミュージアムで勉強するのは少し先のことにさせていただくことにして、このエントリーのy jadeさん、漢江さん、yamafbaさん、tamonnさんたちのご指摘の全体に関してお詫びと感想をかかせていただきます(みなさん、コメントありがとうございました。m(_ _)m )。

 漫画の扱いについて、わたしは自分の周りのワールドミュージックの世界とちょっと重ねすぎて、的をはずしたかなと思います。どうもすみません。m(_ _)m

 だいたい現在マーケットが細分化されているというのは、どこの国のどこの分野でも似たようなものなのだと思います。おたく化、と言って悪ければ専門化が進んでいるわけです。
 ただ、日本のワールドミュージックのマーケットがあんまり小さいので、マンガ(以下ではこの語をフランスのBDも含んだ一般的言葉として使います)もそういうものかな、と想像してしまったのですね。それでワールドのマーケットがなぜ日本で小さいままに押しとどめられているのか、その話をまた始めちゃったわけです。

(ちなみに、わたしがこの間解説を書いたあるCDは初回発売が200部くらいだと聞いています。1億2千万人の中の数百人というレベルでしかこういうものを商品として興味を持つ人はいない、ということでしょうね。
 またエルスールでアルジェリア音楽のあるCDを買おうとしたら店長(兼音楽評論家)の原田さんに「こんなの買う人、粕谷さんとあと2人くらいですよ」とあきれ(?)られたことがあります。エルスールで3人ということは、日本全国で3人というのとほぼ同じのはずです。1億2千万人のなかで3人です。 (^_^;)  )

 それはさておき、どんな分野でもプロ、あるいはそれに近い人たちが世界の同業者の動向に興味をもって交流するというのは自然なことと思います。日本とアメリカの間ではそういうことが活発に行われているわけですね。
 しかし一般の大多数のマンガ・ファンがどれだけ世界のマンガ情勢に目を向けるかということ、および「バランスのとれた」紹介がされているか、というのがわたしには気にかかります。
 たしかにHergeみたいな日本でもよく知られた古典的作家や Moebiusみたいな一定のファンをもつ作家はいますが、フランス語圏マンガのおおまかな全体像みたいなものはやっぱり知られていないのではという気はします(これ、マンガのように巨大な領域ではなかなか難しいことなのですが)。
 たとえばフランス語圏では知らぬ者のないほど有名なSpirouとFantasioのキャラクターはあんまり日本で知られているとは言えないと思うんですが、いかがでしょう。
 何人もの作家によって描き継がれた(こういうことは日本ではやりませんね。たぶん人気キャラクターには使用権みたいなものが設定されているのでしょうね)この二人のキャラクター(スピルーのキャラクター初出は1938年です)についての情報が全く欠落している「フランス(語圏)マンガ」というのは、ちょっと偏頗すぎるもののように思うのです。
 
 (↑)上はこのシリーズで去年出たSpirou et Fantasio a Tokyoです。冒頭ではスピルーとファンタジオが江戸時代の日本を着物着て闊歩しているので、なんちゅうアナクロニスム! と思ったら、これは現代の東京にある江戸時代生活再現のテーマパークだった、という設定であることが分かってなるほど、やるな、と納得しました。画は今はMunueraという人が描いてます。

 しかし困ったことがあります。それはこのマンガ読んでみても、セリフ(テキストはMorvanという人が書いてます)の意味は分かりますが、どこが面白いのかわたしにはさっぱりわからない、ということです。 (T_T;) 現代日本風俗とオリエンタリスムの交錯自体がフランス人には面白い、ってことでしょうかね? どなたか解説してください! これ分からないと、現代フランス文化の一側面が理解できていない、という気がしてしまいます。

 わかるところ、面白いところをつまみ食いするだけ、というのは本当の異文化交流ということとちょっと違うと思うのです。全員ではなくても誰かが、とっつきやすいところを超えた「全体像」把握を試みていてほしいわけです。

 たとえば大学の「フランス文学史」の授業では、教員が面白いと思うところだけおもしろく教えて終わり、というわけにはいきません。たとえ退屈なところが多くなっても、一応の「全体像」が受講生諸君に把握されないといけないでしょう。

 マンガ文化に関しても同じ事が言えると思うのです。
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