別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

入念な描写

2008-10-05 | アートな時間

 ジョン・エヴァレット・ミレイ展

  14年まえ、息子たちを訪ねた。 倫敦から北へ地下鉄を利用して、 ウッドサイドパークで降りる。 駅から10分くらい歩き、 道すがら公園を抜け小さな橋を渡った。 細い流れを対岸から見て、 はっとした。 水こそ少ないが、 植物の繁茂する感じは絵の風景によく似ていた。 
 滞在中、 朝夕何度も通ったこの道と、 小川や教会や、 森の緑を鮮やかに思い出せる。  実際のところは、 ホッグズミル川 だという。

  このとき Tate Britain にも寄った。  コンスタブルの「乾草車」を讃歎し、 何室もある入り組んだ廻廊を進みながら、 仕合わせだった。 隣りの11室に グウェン・ジョンとホイッスラーが並んでいた。 17室 シュールレアリスム。 マグリットに出遇った。 20室ジャコメッティの彫塑。 細い人物像が新鮮である。

  10室がミレイの展示、 ひっそりこじんまりしていた。  戯曲をなぞって、 入念な描き込みに心奪われ、 草々の色彩の美しさも惹かれた。 それ以上のものはなかった。 受けとる側の貧しさで、 浅い、曖昧な感想しか浮かばなかった。
  一方、 本歌は俳優や時代背景を変え、 シンプルな舞台になったりしながら劇場で何種類か観ていたけれども。
  後日、子育ての合間に東京で、 名画に再会した。 これもサラッと見ただけ。 忙しかった。

               -☆-

  「草枕」 は、 漱石の美術に対する造詣の深さ、情熱が際だった。 かつて、知らないことばかりで、 難解で、読書は挫折。 年を重ね ようやくきちんと読めた。 画家という職業も身近にいたし、 本は不思議なせかいだった。

  振袖姿のすらりとした女が、 音もせず、 向う二階の縁側を寂然として歩行アルイて行く。 余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた…

  東西問わず、 さまざまな文化や芸術について語られ 心に響く。 こちらが育った分、 美術も古典も理解し、 わずかに深まった。

               -☆-

  先日、 三度目のミレイ。 飽くなき描写、 筆づかい、 美しい色彩、植物の細緻な表現。 物語性のある画面を、 血眼で追った。 見応えがある。 かつて、 テートの作品は静かに、 ひとけなく納まっていた。 遠くのへやから、 児童と引率する先生の声だけが通る。 子どもたちは自由に模写もしていた。

    

 

  文化村の人だかりの中で、 オフィーリアはあえいでいた。 なかば口を開き、 小声で唄ったが。 声はとぎれとぎれで風に紛れ、 緑と青白い顔が浮かんだ。

 

きらきらした瞳 1746年の放免令なくなった銀貨 

  初めての説教、 二度目の説教、 微笑ましい。 「マリアナ」 ベルベットの質感。ポーズの意味。 ステンドグラスのマツユキ草 花言葉なぐさめ。 鼠が走る。
  「きらきらした瞳 1877」 紅いインバネスと宿り木。 「1746年の放免令」 劇的瞬間がリアルに。 犬の喜びも見逃せない。 「なくなった銀貨」(ディエル兄弟による木口木版) 細密な描写。 
 サインのデザインが目を引く。
  モリス、 ロセッティ、 ミレイ等、 ラファエル前派兄弟団を擁護したのはジョン・ラスキン。 その妻エフィ。 後にミレイの妻となった 「エフィー・ラスキン」 鉛筆、水彩、紙。 
  「わすれなぐさ」1883…手には勿忘草、 淡いピンクベージュのドレスに、 帽子飾りやリボン、 サッシュ、 どれも 「みずいろ」で印象的。
  「露にぬれたハリエニシダ1889-90」 ターナー、コンスタブルを思わせる風景画。
  
    スコットランドは 雨が色の輝きを与える濡れた小石のようだ  ミレイ

   最後に ミレイの使ったパレットが展示され、 大きくて、普通の4倍はありそうだった。 21本の絵筆とともに  痕跡もなく払拭されていた。 その絵肌のように徹底している。

  さらに詳しいご紹介は、 boa!さん、 すぴかさん へ。 画像配置など、お手数のおかげで、 楽しく拝見できます。

  80点近く 一気に観て、 交錯しているところもあるけれど。 一枚だけをゆっくり見たなら、 家に掛けたら どのように見えるのだろうか   主な作品

 

コメント (2)
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