別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

せめて見れば

2007-11-30 | アートな時間

 
   気合いを入れて いざ日展。  
  広い会場の洋画をさがす。 飛び込んだら23室、 最後の部屋だった。  
  白い壁面と作品群に圧倒され、大作の前で感覚がない。 何も感じない自分に呆れてしまう。 

  ワクワクしながらやってきたが、 なにも響かなくていらだたしくなる。 脳はまだ眠っているらしい。  どの部屋も足早に過ぎた。  どうしたことか… 準備もなくて きょうは何も受け取れない。 

  とにかく 最初から順繰りに観たいと、 何部屋か飛ばした。  

  
  日本画、 岩絵の具の挑戦するものが新鮮。 ここで撮影許可をもらい腕章を着けカメラマンに変身する。  どことなくいい、 気になる…  撮影の基準はこれだけ。  何枚も撮した。

      
               -☆- 

  
  やがて心も目ざめ洋画に戻る。
  脳髄も、 柔らかい顔つきで起きてきた。  先ほど流した箇所も、 いちいち足を止め、 画面を舐めるように見回した。  すると、 一つ一つが詩情も豊かに語りかけてくる。 何も判らなかったのは、 こちらの曖昧さによるのだった。


  せめてみれば…  なんと!
  心を尽くした画家の内面が窺える。 筆致が胸を揺り動かす。  いろどりが誘う。  結局、 4時間もかけて洋画、日本画、工芸まで。  とにかく多い、大きいこと!  
  となりのフェルメールも賑わっている。

 日展HPより 主な作品が見られます   洋画  日本画  工芸美術 ほか

 

  


  おまけの画像は  レストランのお獅子  怖い顔で睨んでる。 2時頃の食事、 行きつ戻りつの鑑賞で。 気楽なひとり旅だ。 そんなに怒るなよ…

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目だたずに

2007-11-28 | 自然や花など

              
                  遠いこえ        村野四郎 

                                                        

             美しい思想が花ひらくかげに
             私は目だたずに實をむすぶ
             遠いこえが
             近い聲々の中に消されるように
             私はたえず
             私をうち消すものの中に生きた
             昨日の花
             おお  遠いこえ


                       -☆-


    きょうも寒かったけれど
     霜が降りたのではありませんよ 
       ヒメツルソバはいつもひっそり咲いている

    傍らの葉っぱが  鼠のように走っていく 
     気ぜわしい   昼下がりです 

 

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紅葉する美術館

2007-11-21 | アートな時間

  

    

 


     モネと画家たちの旅 ―― フランス風景画紀行  


  どちら向いても秋の風…   どちら向いても秋の山…  
  紅葉が彩る箱根の、 自然と一体化した美術館だ。  硝子越しに光があふれる。 暖かい部屋で、 空や緑、 山を望む。 木枯らしが木の葉を散らすのを眺めながら、 お茶を飲んだ。  

  フランス各地に画家の足跡をめぐる。  見覚えのたくさんの絵に逢った。

 

  

 

        


    ゴッホ 「アザミの花」        キスリング 「風景 パリ-ニース間の汽車」 
  花をこのように描きたい。  車輌も煙も  キスリングらしい。  煙がいつまでも垂れ籠めて消えない。  思い出に残る。 

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ゑのぐ箱

2007-11-19 | 別所沼だより
   

  

      ちょっと目を離したすきに だれが染めたか

    
        好きな色ばかり 並べ     (同じ位置から 5月の写真

 
          燦々と

 
         こがね色も  なんとまぶしい   

 

                 

 
              -☆-


   11月18日 日曜日 快晴  室温15℃   見学 34名


  ・道造が友人に贈ったクロス入りの椅子がある。 見せてもらったので実際に計って 同じように作ってみた。  今も愛用している。  麥書房を中心に 詩人や建築家など、ゆかりの人たちが集まる 「立原道造を偲ぶ会」。 はじまりは弥生町の記念館よりはるか昔とうかがう。

 熱心に見ていかれた。 東京にある 偲ぶ会 のことをはじめて知りました。


  ・自転車で1時間半もかけ川口から。 県庁に行き、 市役所を訪ね、 今日で3度目、ようやくたどり着いて感激します。 別所沼公園の事務所の人でさえ 聞いてもわからなかった?  「ヒアシンスハウスはどこですか」 或いは 「立原道造の小屋は」 と訊ねたが、 知らない人の多いこと。  聞かれても、 正式な名称が頭に入っていないらしい。   

 
  街道に標識でもあればわかりやすい。 公園に毎日来ていてもこれが何か知らなかったの意見あり。 案内プレートをまったく読まないらしい。 大きな看板などあればよい。 
 ノートを見ると  山口から、 茨城からと書いてある。 みなさま遠いところからようこそいらっしゃいました。  ありがとうございます。

  

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漱石の装幀

2007-11-16 | アートな時間

                
             「心」 装幀原画    夏目漱石 1914年


  結局のところ特別展だけで、 4時間もかかったことになる。 惹きつけられ丁寧に見たのだ。 10時入場、 6章のデスマスクに逢い 漢詩など読んで、風呂敷にある漱石のデザインにほれぼれ見とれ、 出口の標識のところが午後2時。
 常設はまったく見ず。 お腹もすいた。


   とても面白かった。  心踊りして まとまらないメモ。


  中身、 漱石の文学は他の方にお任せして。 こちらは 装幀の力にうなってしまった。 表紙は布張り。 芸術として、 愛しい宝箱のような函を穴の空くほど見つめた。  色もデザインも実によかった。 牡丹  ひなげし クレマチス?
  橋口五葉のそれも。 漱石自身による装画、 装幀も。


  題字のセンスなど。 思いがけない発想の、 全てが魅了した。


  入り口で肉声を聴く。 小柄な漱石、 約159㎝ 53㎏。 身近に お姿も想像できる。 未着用の着物、 袴。 長襦袢はパッチワーク風の柄。  これほどモダンな配色を見たことがない、 得も言われぬ趣に感歎する。


  基調はあかね色、 代赭色や鳶色が配され、 線書きの植物ともつかず、 幾何学的な模様などはめ込まれていた。 一瞬、 これほど朱いものを男性が? と思ったが、  鉄無地の羽織、 濃藍の着物に…   どきっとするような襲ねの対比は、 なにより自分が楽しいのだ。 裾捌きに粋がただよう。 その心意気、 たまらなく好き。 絵を描いた漱石の美学だ。 ハンサムな文豪に、 さぞかし似合ったことだろう。


  装幀へのこだわりは、 植物を育てるのに似ている。 自分で蒔いて、挿し、 植えて。 削ったり、 ほどいたり、 厳しく見つめ、 花のすべてを知って、 開花させた。 あがる意匠は、 感性が噴出する好もしい出来。 古めかしさも新鮮で、 まぶしいくらいに素敵だった。 


      詳しくは  「文豪 ・ 夏目漱石  ―そのこころとまなざし― 」


  漱石が出題する試験問題、 講義記録など。 几帳面な漱石と門下生の木曜会のこと。 漱石先生の温かいまなざし、 「僕のお父さんになってください」 と訴える学生の手紙 及び返信。
 寺田寅彦にとっても、 
  漱石は 教師であり 父であり 母であり、神であり、 恋人のような存在だったような気がする         
                                   
(漱石先生の手紙  出久根達郎)
  心のやり場がないときに先生を訪ねる。 先生と向き合っただけで慰められる。 先生はいつも、どんな場合にも 決して思いやったようなことや、おためごかしなどは少しも言われない方である。 別に慰めるようなことを言われるでもないが充分にその思いやりを受けることが出来るような気がする。 そうして、 先生の前へ出ると不思議に自分は本当に善い人になった心持ちになる。 少なくとも先生の前に居る間は善い人になっているのである。          (「夏目先生」 寺田寅彦 抜粋)


   共感できる。  


  ・中国最古の刻石 石鼓文のこと 故宮博物館  「心」 馴染みの朱と緑青
  ・ 「入社の辞」
  変わり者の余を変わり者になるような境遇においてくれた朝日新聞の人に 変わり者として出来得る限りをつくすのがうれしき義務である 
 記事より抜粋。 暗がりで新聞コピーがよく見えなかったので誤りがありましたらごめんなさい。 
  ・ホトトギスの表紙  毎号変わる題字のデザイン
  ・獺祭書屋主人 子規にすすめられ絵を描きはじめた


  図録(ガイドブック)は 書店、 朝日新聞販売所にもあります。


     

    チラシ   拡大           おみやげ  メモ用紙など

追記: 「心」表紙意匠について (題字 「心」… 周の宣王の時代の古体漢字・大篆書による木版。  背景 「石鼓文」の拓本より復刻、石版刷り)
  

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コミカルな動画

2007-11-12 | アートな時間

    


  11月9日に見てきたことを ほんの少し。 単語だけ並べるとこうなる。

  楽し おもしろおかし  痛快!  風刺的  滑稽  ジョーク  
  掛け合い  だまし   諧謔  おとぎ草紙  悦楽…


  当然のことに  茶目っ気たっぷりの蛙を贔屓目に。 大きさは度外視して、 蛙も猿も兎も、 鹿、 狐、 猫もそれほど変わらない。 あんなに小さな蛙が、 大活躍する様を 秋草も 小気味よく眺める。 
  蛙と兎の相撲。  兎の耳を噛み 羽交い締めにした蛙  投げたり!  息も荒く大見得をきる  やんやの喝采。  

  一連の動作を一画面のなかに収める…異時同図法  
  軽妙な線の動き  よどまず  流れるよう   息継ぎもせず  勢いがあり ためらいもなし。  達者な筆遣いを味わった。

   詳細は こちら

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アルバムから

2007-11-04 | 別所沼だより

 

      踊子はなぜ踊るのか知らなかった。
      それはサアカスのなかの踊子だった。
      動物のかはりに。  積木のかはりに。
      人たちは慰むことが出来た。 束の間は笑ふことが出来た。
      踊子は靴を鳴らした。
      月曜日に日曜日の着物を着てゐた。      立原道造

                   -☆-


  4日 快晴。  モンシロチョウが 朱いボックスのうえに  影を創っていた。

  ヒアシンスハウス夢まつり Ⅲ
  インスタレーションの公開制作を3時間近く見守った。  初めて体感する。

  
  テーマ「踊子は」  制作過程、 作家のパフォーマンスも、  取り巻く全てに、 物体も余白も含めて。 現代アートの呈示…  巨大な活け花の如く。 刻刻と変化する、 完成までの経過も作品。 角度を変えると見え方も、 感じも変わる。 

  
   詩人も 楽しんでいたにちがいない。

  
  午後、 作品に合わせ即興演奏、 イメージを膨らませた。 さらに、 演奏に併せ段ボールにデッサンをとる。 道具はカッター。  サックスやたいこの音色もこめて。 切り込みの部分を剥がして肉付けされる。  

 
  創造に決まりはないこと。 発想も 表現も自由なこと。  青空のもと、 キャンバスは無限大、 風を、公園のざわめきを、 ヒアシンスハウスを、 蝶や水引草も、 作家も、 観客も、 翳も光りも、 音や空間、 すっかり取りこむアートだった。 

 
  夕方ここを通ると 全てが消えていた。  あれは 幻想?   きょう見たものは いつまでも心に残るはずだ。  写真から 想像してみて  これが踊子  そちらが サーカスの仲間  
  美術家:今井伸治 堀部宏二  サックス;バッキー たいこ:ジャンベまさ

    


  


 

 
 講演(飯島正治 詩人) メモ

  自分は中間者だと言っていた立原道造。  生命力のたぎる夏と、 寂寥の冬との中間、 秋がすき。 暁と夕べの あはひ。

 
  別所沼のヒアシンスハウスは 芸術家コロニーの一つ、 ここに文化が育つのを道造は願っていた。 きっと喜んでいる。  そうなりつつあると。


 「鮎の歌」の朗読 (吉村明代)
 スーッと なじむ快い声と リズムで読んでくださった。 一言ひと言がしみいるようだ。  ご紹介にもあったが 言葉は音符のように…   目を瞑って やさしい調べを聴いた。  (敬称略)


 当日のプログラムは こちら です。 まだまだ、 盛りだくさん 

  

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