別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

夜景を楽しむ会

2006-09-30 | 別所沼だより


 夜の沼にはじめてやってきた。 上弦の月がハウスを照らし、部屋のあかりが柔らかい影を投げかける。ヒアシンスハウスの夜景を楽しむ会。
 昼間とちがう雰囲気は、気分を落ちつかせる。それぞれ小さなあかりを手に集まった。てづくりの素朴な楽器、竹や、チューブなどによる演奏もあった。別所の自然にとけ込むような音だ。古代へと誘われるような、
と思ったが、むしろ現代的なのかもしれない。 趣のある音色である。
   

4時からフォーラム「さいたまアートばんく構想かわら版 ~集まれ!すき間の達人たち~」がひらかれ、盛会だったと伺う。アートの潜在力を引き出す知恵を自由に語り合ったそうだ。50年ごとに葺き替えられる皇居の瓦をいただいて、楽器にしてコラボレーション、なにやらすてき! 楽しそうだ。ハウスのガラスは丸ビル解体時のもの。 夜景のみ参加した。    

          -☆-  

   ノートに記されたことばに励まされています。

  奈良から夜行バスに乗っていらしたHさま 夕方、おたより拝見しました。 本日は、ヒアシンスハウスをお訪ねくださいまして、ありがとうございました。ラグタイムと別所沼だよりにあこがれて…と書いてくださいました。お会いしたかったですね。 お礼申しあげます。

  いかがでしたか? はるばるいらして、短い滞在時間だったことでしょう。居心地の良い空間とおっしゃられた部屋で、すこしでも道造さんを偲んでいただけましたか。 彼がたいせつにしたものを感じられたでしょうか。

  沼の風も、遠来のお客様をやさしくおもてなししたでしょうか。 窓からの眺めは護岸工事の柵が邪魔をして、アオマツムシだけが高らかに歓迎したことでしょう。

  これから記念館へいらっしゃるとのことでした。 よい思い出となりますように、こころから願っております。 ありがとうございました。

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ビッグスマイル

2006-09-26 | こころ模様

 墓参は、昼ごろから雨になった。 帰りは畑中の近道をぬける。ふいに向日葵が現れた。車を降り、片手に傘を泳がせながら夢中でシャッターを押した。

 どこからともなく声がする。
 「実家はいいねえ…」 母の口癖だ。 ここに来るといつも満足げ。  伯母のかぞく、変わらない自然、跡取りの歓待やお嫁さんの気遣いがある。 遙かむかしの娘のころを彷彿とさせるのであろう。 向かいながらウキウキしていた。 帰り道も彼女を幸せにした。
  
           -☆-

 その話はなんべんも見た紙芝居のように、飽きている。
 「まえにも聴いた いつもおなじ話…」 毎度では気もそぞろ。 それでも彼女はおかまいなしで。 要所に近づけばひとりでに録音テープのスイッチON。 話さずにはいられない。        
 (お前の)おじいちゃんは、自転車で野菜やお米を運んでくれた。 ちょうどこの辺りで検問にあった。 と、県道にさしかかる。
 「夫を亡くしたむすめと、その子がおなかを空かして待っています…」 そう言うと
 「早く行ってあげなさい。 気をつけて」 と声を掛けてきた。 顔見知りだったかも知れない。 見逃してくれた。 「親はほんとにありがたかった…」 と、しみじみとなる。 片道25㎞の道のりである。 祖父は何往復したことだろうか。 感謝し思いを馳せた。

 祖母も、夕方雨戸を閉める時分になると 「こどもが小さくて、ひとりでどうしているだろうか… 病気はしてないか」などと、かならず思ってくれていた。
 「ひとりだから不憫だったんだね。 心配ばかりかけた」 とはじまるのだ。

 むかし語りはところどころ脱線し、さまよいながら続けられ、 女学生の頃に飛んだ。
 用事ができて親戚へ、 親の変わりにひとりで行った。 夕方、川沿いを走って帰る。 お土産の小豆はかなりの量だ。 その重みも手伝って砂利道にタイヤを取られ、自転車ごと勢いよく川につっこんだ。 ちょうど知り合いが通って助けられたそうだ。
 「ちょうた(恩人の名前)がいなければ、命はなかった。 ちょうど、その下よ…」 と名調子。 かくて私も、ふるさとの広やかな慈愛にひたっていった。  

          -☆-

 食事のあとで、 いとこのお嫁さんがはなしていた。
 「おばさんはよく豪快に笑ってましたね、 思い出します。 こうしていると声までしてきそうですよ」

 実家はいいなあ…  部屋にあがると口にした。 母の声が耳に残る。 
 ふるさとで元気をもらっていた母…  
  雨に濡れて泰然としている 大きな笑顔にかさなった。  
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彼岸

2006-09-24 | こころ模様

 そこは大変見晴らしの良いところであった  潮風がつよい陽ざしを和らげてくれる 
はるかな山なみ ブルーの影となり横たわる 
 波もきらきら光っている 
 そこに立つと 烏帽子岩もさかなの尾鰭のように望める 
 幼子をまん中に ふたりなかよく並んで眺めている  …相違ない

 あなたはいつもここにいる 
 私たちを見つめている
 いつまでもこころに生きている

 彼岸と此岸を へだてる 閼伽アカの水
 大いなる海…   母はいつもここにいる 

  9月23日 両親と兄の開眼供養をする 
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神保光太郎の詩

2006-09-20 | 別所沼だより


     牧場にて     神保光太郎 
       
      ひかりと草の香りと若い馬のひとみ
    遠く望む碧アオい山脈ヤマナミ
    ひとすじの白い道
    牧童はとっとっと馳けて行った
 
         群れをはなれた一頭の白馬
    馬は立ちどまって空を見あげている
    馬よ 話したまえ
    あの雲の孤独について

         
考えている馬 いななく馬
    風がでてきた ゆらめくたてがみ
    そのあいまにかがようこの朝の思想よ

    にくしみを大いなる愛へとはぐくみ
    さあ 今日も
    颯爽と生きよう
                    『埼玉詩集』第一集  昭和41年刊

 
 
 「詩を読むサロン」第4回 神保光太郎の詩  講師  詩人 弓削緋紗子氏 

 詩の背後にある時代、作者の境遇、時流、詩壇の状況、政治。 詩の流れ、詩への風当たり… それらを踏まえたうえで読むと、味わいも全く違う。見えなかったものが見える。 作者のこころの叫びに近づく。

 別所沼ちかく、当時存在した牧場の風景。 彼は早くから神童と呼ばれ、常に先端を走ってきた。
 このころ、精魂込めた詩集の読売文学賞を目指すも受け入れられず、詩壇の状況を嘆く。初めての挫折感に気分も沈み勝ちであった。広く知られることなく逝ったが 神保の抒情詩を 味わいたい。 彼の詩を、沼のほとりから世に贈りたい、知って頂きたいと結ばれた。
 立原道造が兄のように慕った神保光太郎、 昭和57年11月、沼のほとりに詩碑も建てられた。

 講師のことばは分かりやすく、 大変吟味された内容だ。 こうして 詩というもの、 ことばを使い感情を表現する。 人間にしかない、文学や 絵画 芸術、 音楽、さまざまを鑑賞できる今の幸せを熱く思った。 いままで字面を追うだけで、読んだ気になっていた。分かったつもりであった。

 
  つよい陽ざしは確実に秋を告げている。 からりと晴れて気持ちのいい日、 長い桜並木を抜けると会場の南区役所会議室についた。詩人や同人誌の方が21名。 追分にご一緒した方たちも揃い、素人もすんなり仲間に入る。 絵を描くもの同士のなれ合い、少々乱暴な付き合いはあるが。 文学者、詩人の仲間のそれは幾分ちがう。 心のひだも細かくて、 柔らかい。 何と表現して良いか分からないが はにかむようなまなざし、温かい。 

 智恵子抄の一節が読めなくて詩集を持ってやってきた。十年の重みにどんより澱んで光りを葆み… このなかの「葆み」がわからない。 それを、講座の合間に、会場を何往復もして、乏しい資料から見つけてくださいました。初対面の登 芳久氏(詩人 次回は絵と重なりますので、後ろ髪ひかれつつ、おやすみいたします。)に、 こころよりお礼申しあげます。…光りを葆み― 葆み 葆は「つつむ」 
 みなさまほんとうにやさしくて、 初めてでもひとりでも全く大丈夫なのでした。 来て良かった。  
  
 
聞き逃したところもたくさんあって、 まちがいも少しあるかもしれませんが これで精いっぱいです。 このままUPします。

    

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せなか

2006-09-19 | アートな時間
     グウェン・ジョン 「黒猫を抱いた若い女」  1920年ころ

 黒い毛の質感がみごとである。 反射して鈍いひかりを放っている。小山のようなからだの起伏。なだらかに波打って。 

 横顔と背中は真実を語る。モデルねこの考え、体温も息づかいもみんな伝わるようだ。うつむいて沈思黙考、神妙な顔つきさえも窺える。
 一方、動物のやわらかくあたたかな、安心しきってまかせる重さを受けとめている。彼女は手のひらの感触をよろこび、胸のリズムを聴いている。
 しずかな色あいも好きだ。

 rugbyの天鵞絨のような毛色、その艶、ねこ以上に美しかった。 体温は高め、そばによると熱かった。 描いておけば良かった。 背中や、細い首すじの肉付きを思い出せる。 ソファーの上に、その気配をいまも感じている。 

 部分から全体が想像できる、見えないところを見えるように。いつも目指すことだ。実際は見えないうしろこそが、だ・い・じ・と
 背中は雄弁、そこに目はないけれど、意識をおく。

 見つめると、若いモデルの背中も想像できる。
 実際、口ばかりでうまくいかないけれど。 
        いまは 秋の静物をかいている
  
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道造と俳句

2006-09-17 | 別所沼だより

       季節      立原道造

 …… いつの間にか、秋がそつと卓子の上にのつかつてゐる。そのまはりにのみ夕焼けがしてゐる。 痩せた樹木がゆっくり煙草を吸ってゐる。仔犬がミルクを嘗めてゐる。

 僕は外へ出たがらなゐ。 けれど
 田舎の町へ、森の中の村へ葉書する。
 僕には、秋が九月にはじまる、と。
 さうして夜は六時にはじまる、と。
 だが――。
 この黄昏は暦と時計のいたづらぢゃないかしら。
   
          -☆-

 別所にもしのび寄る秋。 虫の音にまじって、彼岸花が顔を覗かせています。明日にはほころびそうです。 赤も、白花もありました。
 
 第2回 ハウスガイド・ボランティア養成講座「別所沼の四季を詠む」  
     講師 寺澤慶信氏(俳人・『藍生』同人)

 昭和2年14歳 府中第3中学(現両国高校)時代、音楽、絵画、博物学、天文学、文芸に熱中した。口語自由律短歌50首強、俳句は400句近く作ったと橘宗利宛てに書いている。(角川書店立原道造全集 第五卷 書簡)

 昭和11年7月23日 小場晴夫宛 信濃追分 道造21歳
   ボロ靴や ひるがほみちの 真晝かな

 同年 10月29日  小場晴夫宛  京都より
   秋雨や 
    京のやどりは
     墓どなり

 あれ程作った句もほとんど残っていない。 てがみの中から年代を追って紹介された。無季であったり、一行詩のようなもの、 
 詩のなかの季語 わすれ草 水引草 草ひばり(秋の虫) 粉の雪  鳥啼く 小鳥 花(俳句では桜のこと)

 式子内親王 定家 新古今 啄木 白秋 朔太郎 三好達治などの影響を受けながら 三行分かち書きの短歌をたくさん作る。新古今の名歌を現代語訳・四行分かち書きすることをさかんにやっていた。例えば 

 水の上に浮きたる鳥のあともなくおぼつかなさを思ふ頃かな  謙徳公

    水脈ひかず 水鳥一羽 寒い水の上
    私は おもつてゐる
    来ない たよりを…
    たよりは 来ない 今日も昨日も  
 
 やがてソネットへ、その分析過程はとても興味深く、頷くことばかりだった。建築家としての素養もソネットの工法・構築に影響も多大である。仮説は、国文学解釈と鑑賞 別冊「立原道造」 至文堂 にも発見できた。
 講師ご自身もガイドをしながら、ここに立ち、一日中自然を見つめ飽きない… ゆたかな時間を過ごしておられる。 折々の句が紹介されました。
  沼へ開くコーナー窓やちちろ虫  
 
          -☆-
 
 道々、詩文のなかにある数学的要素について面白くおもった。
 そして 会場で迷わず求めた本に 浮き足立っている。
随録「美術家物語」 坂本哲男著 近代文芸社。 著者は、先日の強引に仲間入りさせて頂いた「追分の旅」で、ご一緒であったと、たったいま気づく。 寡黙なその方にご案内されながら、軽口を叩いていた蛙。 知らぬとはかくも恐ろしきこと。いまごろ冷や汗が出てきます。 本著は 文化史の視点で15人の近代美術家を捉えている、特に荻原守衛、中村彝、中原悌二郎。新宿中村屋の黒光のかかわりと、興味は尽きません。 

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ひろがる世界

2006-09-12 | こころ模様
 万葉の歌を読んで 思いをはせる。
 別の詩を読んで、そこから広がるものがあればしめたもの… こう仰った。

君が行き日ケ長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ  巻2・85

  にはじまる 磐姫皇后イワノヒメノオホキサキ、仁徳天皇を思シノひて作りませる御歌四首

 磐姫皇后は、万葉集の作者のなかでもっとも年代的に古い人である。そこで古事記が紹介された。8月「古典に読む恋の心理学」(清川 妙著 清流出版)のなかで女鳥王を、また「隼別王子の叛乱」田辺聖子著など読んでいたのでお話はとてもよく理解できた。 響くものがあれば勉強はますます楽しい。
 たっぷり二時間、お疲れも見せず、よどみなく講義は続いた。  

 さいごに 「智惠子抄も万葉集とおなじですね」と結ばれた。
まさに読んだばかりであったから、頭がカーッツと熱くなった。 自分の記憶と符合する楽しさに、どきどきする。 たとえようもなく嬉しいことであった。

 少女の頃より ひとり燈火のもとに文をひろげて、みぬ世の人を… 友として、古典に親しんで来られた。蓄えられた深い知識を、毎回、このように惜しみなく見せて頂けるとはなんと幸せなことか。 宝のような時間を大切にしたい。 きょうも、きらきらした時間をありがとうございました。

             -☆- 

  秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも 
                       大伴家持  巻3・464

   高村光太郎  智惠子抄 「梅酒」より抜粋 

    死んだ智惠子が造っておいた瓶の梅酒は
    十年の重みにどんより澱んで光りを葆み、
    いま琥珀の杯に凝って玉のやうだ。
    ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、  
    これをあがってくださいと、
    おのれの死後に遺していつた人を思ふ。
    おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、
    もうぢき駄目になると思ふ悲に
    智惠子は身のまはりの始末をした。
   
      -中略-
  
    厨に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを
    わたしはしづかにしづかに味はふ。
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窓からの眺め

2006-09-09 | 別所沼だより
 
 僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に坐つてうつらうつらと睡つてゐる。夕ぐれが来るまで、一日、なにもしないで。

 僕は、窓が欲しい。たつたひとつ……  『鉛筆・ネクタイ・窓』より抜粋

    道造がこだわった窓   設計図 と その位置、 横長のガラス、 開けかた、 ガラス戸の具合で変わる風景、切りとりを楽しむ。 輪郭がはっきりした風景画が現れてくる。 きょうは 視点を変え取り込まれる空間で こころを遊ばせた。  

  英訳 立原道造詩集  表紙は浅黄色

  写真 
   “OF DAWN, OF DUSK” 

  translated  by Iida Gakuji
   and
      Robert Epp   より

     水戸部アサイ
           20歳

             

  
ボランティアも2回目 
風もなく蒸し暑い1日  きょうも先輩について教えて頂く。

 鍵を開け、中にはいると意外に涼しい。 
ガラス戸、 雨戸を開け、 机、床など清掃、 旗を掲揚し、玄関マットを敷く。
   イーゼルを表に出す。
     ヒアシンスハウス OPEN
    
 ご自由にお入りください
 

 多くの方が お出かけくださいますように
 
 

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藪の瓜坊

2006-09-01 | 自然や花など

 旺盛な繁殖力をもって自然界を席巻するカラスウリ すでに瓜坊のような可愛い実をつけていた。
 こちらは眺めるだけで、いまは気楽。 しかしこれが庭で芽を出そうものなら、あれよあれよという間に高野槙に這いのぼり、金木犀もツバキも虜にして、所かまわず絡みつき、カアカアさわぐに違いない。

 やがてカラスウリ御殿となり、 瓜坊さえいづれ「アホー アホウ」とはやし立てるに決まってる。
 種まき… どうしよう 
                
               -☆-

はや9月 長月・菊咲月・紅葉月・寝覚月・彩る月・小田刈月・梢の秋 などの異名もある テンプレートをかえた 秋の七草も 探しに行こう  


  霧の中おのが身細き吾亦紅               橋本多佳子

  長月や豆のまきひげ黄に枯るゝ             上村 占魚

萩の花 尾花 葛花 なでしこが花 女郎花また藤袴 朝貌の花
                           山上憶良
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