別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

末期

2011-07-06 | 向き合う

     

  露が…  ゆっくりと落ちる。  

 葬儀の体験は幾たびか、 それでも 湯灌(ユカン)の儀に立ちあうのははじめてだった。 身震いするような静けさと、 気高い尊いじかんが止まったままだ。
 通夜に先立ち 近親者だけがみつめた。 

                    -☆-

 義母は祭壇のまえで タオルを掛けて白い花のように横たわっている。 

 まず 男性が入念に爪を切り、 身内のようなやさしさで手足を洗い、 流した。
 女性はていねいに泡立て洗髪を施し、タオルの下でからだを浄め、 母はとても気持ちよさそうに見える。 

 男性がタオルを幕のように揚げ、 女性が体を拭く。 着物を合わせる。 連携はみごとで、 細やかなしごとを感謝のきもちでじっとみつめた。 顔と手足のほかは、 肌をまったく見せない。 気配りは、 ひととしての尊厳をまもり、 あくまでも丁寧だった。 
 家族はどれだけ安堵したか、 神聖なおくりを、 固唾を呑んで見まもった。

 いっさいが美しい。 心のこもったプロの技はあたたかく、 厳かに手際よく進んでいる。  やがて 母は若やいで皮膚の色も冴えつやつやと光ってきた。 
  そっと 触れてみる。  
    シーンと 冷たかった。

 仄かなピンクに染まる母は、 まるで生きているようだ。
 生前のような薄化粧をして 装束を整える。

  よかったね、 お母さん…  よく生きて…  安らかな末期をむかえ 
 素晴らしい旅立ちをかなえた ことと、 口々に感動していた。

  居合わせた  中学や高校の子も見守った。

      

 人の一生は 胸を打つことばかりだ。 

 あえて 記録しておこう。  陰でアガパンサスが咲いている、 母が好きな花だ。

 

 

 

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わたくしごと

2011-06-29 | 向き合う

 

   6月27日  夫の母が亡くなりました。 106歳です。

  写真は 母の庭からきた スペシオキンギアナム。 ことしも良く咲きました、

 ヒメヒオウギ 濃紫の菫 鈴蘭なども…

 

 

  二人の母を連れて 旅に出たことなど思い出・・

  rugbyもいっしょに    ・・・・。
 

  うちに来ると かならず何日も泊まって 

   私の母と枕を並べて 真夜中まで話していた

     男ばかり5人も育て  気丈で賢い

   真似できないけど  おおきな目標です

   ありがとうございました

          どうぞ見守っていてください 

 

 

 

 

 

 

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見沼自然公園

2011-02-14 | 向き合う

 ふたりで義母を訪ねたあと  冬枯れの公園を歩きたくなった
  寄り道をして 気持ちを整えよう
 冬の雑木林…  多彩な色は使わなくても 枯れ色の濃淡や 色調の微妙なちがいに心を奪われる。  静かにいのちはつづいている。
  

 

  ここで あかね色のマンサクに初めて遇った。 金縷梅マンサクと書くだけあって黄花が多い。  「縷」ルを調べると  麻糸、絹糸など糸の総称。 糸 とある。 
  公園に何本もあるなかのただ一株だけ朱い。  家のは濃いピンクだし。  
  暮れなづむ園内で赤は寂びて辰砂色にみえる。 古雅な趣のあるいろ、 やきものに映えるそのいろにおなじだった。  

     まんさくやかへりみて誰も居らぬ路    春一

   寒い公園に人影はない。   

   金の糸にふさわしい

 

  
  和毛をひからせていた猫柳

    

    仔猫の肌が透けている    きょうは特にいとおしい

   猫好きな義妹と  弟にも見せてあげたい  

 

       手術もうまくゆきますように……

 

 

 

 

 

 

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105歳

2010-10-21 | 向き合う

      ことしの秋薔薇

   明治38年(1905)生まれの義母を見舞った。
 みなさん良くしてくれて ありがたい… と くり返した。 病気はないので痛みもなく、 穏やかである。 かわいらしい といいたいほどの105歳だ。

  たくさんお喋りした。

 10月 第4日曜日は  義母の日という。 ことしは10月24日

 

 

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ケアマネさん

2006-06-27 | 向き合う
 
 先月終わり、主はないが介護保険認定等結果通知書が届いた。 

 4月4日  退院。 自宅介護を始める。
 4月10日 介護認定調査  区の調査員が来ると起きあがって迎えた。ベッドから降り足の痛みを庇うように、つかまり立ちをしてみせた。
 自分で好きなものも食べられる。 認知症は全くないのだから 意識もはっきりしている。 我慢強い彼女は、いいところを見てもらうつもりらしい。 

 ときおり笑顔をみせていた… (ここを書いて鼻の奥がツーンとしてきた。 思い出し、あふれるものがとまらない。 まだ泣く涙がある… 
ほんとうに 母はもういないのだと実感する)


 様態は日に日に悪化。 ケアマネージャーの要請により、申請から1ヶ月後の5月9日再調査が行われた。 酸素吸入をし、食事も摂れなくなっている。 進行は意外にはやく、遅れがちな認定では追いつかないのだ。ケアマネさんの選択は正解、ありがたいと思った。 

 当初、市が指定する居宅介護支援事業所をえらぶ段階で 「ケアマネージャーはお決まりですか?」 と必ず聞かれた。
 「いえ、まだ…」 何度かそう答えた。
 直面するまで、市報や介護保険のパンフレットをきちんと読まないツケがきた。 いざというとき役立たない。 存在は知っていても具体的に 有能なケアマネさんをわかるはずがない。 どうやって知ればいいのか! 

 リストの片っ端から電話して、たまたま見つけたクリニック。 偶然の出会いとしか言いようがない。 担当になったケアマネさんはほれぼれするような仕事ぶりであった。 息子くらいの若さでお子さんが3人もいる。
 医療はもちろん、指導力にも優れ、いろいろ教えてもらった。 納得するまではっきり答えてくれる。

 弟が来るとさらに疑問をぶつける。 科学的根拠を知りたがる、論理的な説明を求める。 申し訳なく思うくらいしつこい。
 すべては母のためだった。
 それでも 「こちらも勉強になります。 調べてみます」 などと、いつも冷静でにこやかだ。 仕事にすこぶる強いが、色白で兎のように愛くるしいひとである。

          -☆-

 訪問看護師は、在宅療養ノートに所見や種々のデータを記録していく。
 おかげで往診の医師や看護師・入浴サービスのスタッフなど、顔ぶれが変わっても患者の情報を共有しケアに活かせるのだ。
 自宅にあっても何ら遜色がないと納得する。  

 日替わりで7,8人の看護師を知ったが、当然ながら皆さんスペシャリスト。 クリニックと看護ステーションのみごとな連携。 徹底した教育がなされているのを感じた。 そのことは家族にとっても心強く、安心に繋がっていった。

 自宅介護、いまやビジネスとしても注目される分野だ。 しかし、そのほとんどが認知症の患者に対応し、ガンなどの深刻な病状に対処できるものではない。 調べるうちによくわかってきた。
 訪問看護を謳っていても、提携した開業医の指示でなされるに過ぎない。その医師も、癌の専門知識を持たないということもある。 医療と看護、必ずしも一体ではないのだ。

 このクリニックに突き当たるのは、宝くじは大げさだが、それほど幸運なことだったとおもえる。 なにより患者への尊敬の眼ざしがある、きちんとした応対に好感をもった。

 ひとから聞かれたら、迷わず彼女を推すつもりでいる。すばらしいケアマネさんに出会ったことを喜んだ。
    
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スライドショー

2006-05-15 | 向き合う

 5月11日に亡くなった母の通夜は、 5月14日。 奇しくも「母の日」になった。 白のトルコキキョウ、白百合のあいだに、紅紫に白い縁取りのカーネーションが目をひく。 感謝をこめ手向けた。
 今年のつるバラを見ることなく逝った母。棺のなかに読みかけの本や写真、ちょうど咲きはじめたウェスターランド、庭の赤や黄、白、紫の花もおさめる。 

 家族それぞれのメッセージも添えた。
「どんなときも 困難にあうたび勇気をあたえつづけてくれました 母は私の太陽でした」 「とても大きな心を持ったつよい人でした」 「いつも笑顔で優しく 学ぶことがたくさんありました」 「いつまでもおばあちゃんのあたたかさを忘れません」 「いろいろとお世話になりました 想い出がいっぱいです」 「どうぞ安らかにお眠りください」
 それらが ひ孫による似顔絵を囲むように並んでいる。

       -☆-

 介護の合間、いきいきとした写真をCDに入れていた。古いものはスキャナーで取りこむ。 病床の母に見せるためだった。 一枚一枚、結構手間をかけて。 旅先や、むかし暮らしたところ、父の写真など。 美容院へ行ったばかりをよく撮っていたから、素材はたくさんあった。

 「今日はいいね おしゃれもすてき」  何気ない表情がでるように心がけて撮っていた。 気分が華やいでいるとき、 好い雰囲気のあるときがチャンスである。
 構えた記念写真などいらない。 

       -☆-

 会場に設備がないといわれ諦めモードの蛙。 プロジェクターにノートパソコンさえあれば映せる 「ぜひやろうよ。 よく編集されてるし。 機器がなければレンタルしてでも…」 「お母さんが喜ぶような会にしようよ」 弟はますます乗り気だ。

 結局、家から液晶32型モニターを持ちこみ CDからiポットに蓄えたものを会場で流した。母をかこむ親戚、知人。 故人を偲びながら、若い日の自分たちにも出会うことになる。 あかるく愉しかった後半生が 鮮明に再現された。 

 母にふさわしい。 かならず喜んでもらえると、 技術屋の喪主がこだわったスライドショーはとても好評だった。 112枚の彼女は どれも陽気に輝いていた。

 亡きひとも 愉しんでくれただろうか 

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記録

2006-05-11 | 向き合う

 午前訪問看護あり  IVH 40→50/hへ 抗生剤点滴 痛み止めはいる 坐薬の併用
 血尿あり 導尿チューブ内に血栓 膀胱洗浄
 酸素濃縮器5リットルに変更 下肢・腹部に痛み 向きを変えるのも二人がかりだ

  明日の訪問入浴サービス 断りのtel

 午後、痛み止めが効きすぎている いびきをかいて目を開けたままだ 寝ているのは母じゃない 
 笑顔は写真の中 陽気でやさしい顔をした母 センスの良いおしゃれをし 楽しそうに笑っている パソコンのモニターをながめては ほっとする自分 目をそらすわたし 

18:00  手指が冷たい  爪も白い 足をさする 温湿布をする 夕方から血尿
 心配になり 看護ステーションへtel相談 

18:30 訪問看護 チアノーゼ 心拍150  酸素吸入 鼻よりマスクに変更  体内酸素 測定不可

  
19:00ころ Dr往診あり 苦しそうな深い息をする 荒い呼吸を和らげる静脈注射 
 
  弟の携帯に連絡するが 移動中  mailを打つ 直ぐ連絡ください
20:00ころ 向かっていると電話有り そこから 2時間はかかる

 感情より看護の目  冷静に よく観察する  次第に呼吸が静かになる 息づかいが聞こえない 何度も近づいて腹部の動きを目で確かめる 胸が高くなったり低くなったり… 安堵する 

 息がある…  
  S君 今何処  早く!      

 尿というより鮮血がでている 
  なにがあっても落ち着くこと  きちんと処すこと 交代で蝦蟇も見まもる 小さな息がときどき止まったかに見える 間隔不定 

20:30 脈を取る 胸に手をあてる 鼓動がない 鼻に手をかざす 息を感じない
 看護ステーションへ連絡

 看護師により処置があり 医師も到着 21:38 確認した
ふれればまだ温かい やわらかい 細くなった足 看護師とともに 身を清め 旅仕度に着替える  ありがとう おかあさん   

22:40 弟到着

 いつもの明るい顔にうす化粧をし ほお紅を入れた 穏やかないい顔をしている
  おかあさん お疲れ様でした やっと痛みがなくなったね 
  
 こんなとき 悲しさよりも きちんとできたかだけ考えている 母が恥ずかしくないように… そのことだけ願った  自分が自分でないような 空虚な時間が過ぎる  訪問看護に出会い 自宅での看取りを可能にした 家族の支えにも感謝している 




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だーれ

2006-05-10 | 向き合う

 
 朝、問いかけに目をあける 「これ だぁーれ?」  「a… s… ko…」
 夢うつつなのだろう   なにが 欲しい?
  「美味しいお茶と…」 「…桃と…… 」   昼頃より 応答なし

 きのうは  「いっぱい世話になったね…  よくやってくれた…」 そう言った。 はっきり聞こえた。  それから 
あえぐように かすれる声で 「あのね… …。。。。。」 「。。。。」 よくわからない。

「何か仰ってますね」 看護師が言う。 耳を近づけてみても聞き取れなかった。 聞きとれないが口を動かし、 確かに喋っている。 

 口腔を、 湿ったガーゼで拭いた。 しばらく口から摂っていない。 まえに飲んだ顆粒状の薬が舌にはりついたままだ。
 ごめんね、 おかあさん  あーん して…  口をもぐもぐさせている 
お茶を飲むつもりだ   点滴だけで喉が渇いたのね  

 なにもあげられなくて ごめんね 
       とても とても 悲しかった

 

 

 

 

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病室

2006-05-06 | 向き合う

 訪問看護有り ゆうべ咳き込んだ 痰が絡む  
 往診も有り 熱37度7分 肺炎を起こしかけている  あわただしく酸素濃縮器が運ばれる 毎分2リットル 後部フィルターを週1回洗うこと。 乾燥予防のため装置のカップに、精製水を上の水位まで入れておく。 酸素ボンベ…停電時切替 手動にて 簡単な説明をうける。

 ついで 吸引器使用の指導。 吸引圧をかけた状態で鼻孔よりカテーテルを挿入…… 圧をかけゆっくり回しながら吸引する。 看護師のまえでは出来たのだが、ひとりになるとうまくいかなかった。 粘膜に吸いつくこともあり出血しかねない。 やはりあわててしまう。

IVH 40/h 抗生剤も加わる
誤嚥下肺炎もあるので 口から飲ませないこと 
 にわか看護師蛙は、 緊張の連続。 消毒など怠りなく。 痛むときはオプソ10mlを飲ませる

 午後、エアーマットに交換 褥そう予防
 今日一日 家族以外で病室に入った人 業者を含め 延べ8名 

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露天風呂

2006-05-05 | 向き合う

 先週につづいて 2度目の訪問入浴。 元気のいいトリオはユーモアをかかさない。 看護師と介助のふたり うちひとりは男性。 
 スタッフのきびきびした連携で 苦痛もなく安心して入浴を愉しめる。

 「いつかこうなる… 見ておきなさい…」 母は帰ろうとする孫を、ひきとめた。
 おばあちゃんが恥ずかしいんじゃない と遠慮するが それは杞憂だと気づく。

 部屋には防水シートが敷かれ 2つになった深いボートのような浴槽を組み立てる。 車には大型の瞬間湯沸かし器があり 湯は玄関からホースを伝い、 部屋のボートに勢いよく流れこんだ。 と同時に 太い管を通して風呂場へ排水され、 あたらしい湯が追加される。 

 看護師が健康チェックをし、 点滴など付けたまま、 2枚のバスタオルでサンドイッチになった患者は、 3人がかりで湯船に仕掛けてあるネット上に運ばれ、 そのまま横たわる。 ネットは温水面すれすれに上下でき、 頭部や足許を傾けたり、 ジャッキを使って角度の微調整をする。

 「ああ、気持ちがいい…」 シャワーにない心地よさ。 お風呂の習慣は どんなときも無くせない。 「よかった よかった!」と唱和がつづく。 明るい声掛け、ジョークをなんども聞いた。 
 「喜んでいただけて良かったです。 そう言っていただくのが一番うれしいですよ  きょうは、お庭の花を眺めながら 露天風呂ですね…」   プロは手際がいい。 
 聞けば 起業は26年前、 県下初の認可をうけたらしい。 よりよいケア、無駄のない動き、研究され尽くしている。 家族も 納得して安心する。

 お湯につかるのは洗髪をふくめ正味10分あまり。 入浴前後に血圧や体温をはかり 着替えや爪切り 髪の手入れ、 かたづけまで入れると滞在は1時間ほどになる。

 男性から「お試しに いかがですか?」 と誘われ困惑気味の甥も、すっきりした祖母のようすをとても喜んでいる。 帰ったらみんなに報告してね

 家で介護する意義は大きい。 第一 病人が安心する。 子や孫にも人の終末を、介護を実感させたい。 そこから命の重さや尊さを感じとって欲しい。
 蛙と弟、 蝦蟇のせつなるねがいだ。

 

 

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リズム

2006-05-03 | 向き合う

 介護は間断なくつづく。
 連休の前後はもちろん、休診日も限りを尽くし対応してくれている。ありがたいことに。
 結果として、毎日往診や訪問看護がある。消毒や洗浄、加えて抗生剤の点滴。 術後の状況観察など。 彼女の部屋は、まさに最高の病室となっている。そのうえ家族が常にみつめているのだ。

 訪問時刻は 目安に過ぎない。 道路事情や外来とのかねあいなどある、大幅にずれこむ。 一日中待つことのみ、という日もある。 業者がマットレスの交換にと、それぞれが、いつ見えるか分からないので、他のことが手に付かない。
 おわれば医師を追いかけるようにしてクリニックへ。処方箋を取り6時30分閉店の指定薬局に間に合うように奔る。これは蝦蟇におねがいする。

 輸液のみ1週間ずつまとめて届けられる。 液体が 1・1リットルはいった袋はB4判くらいの大きさ。それが7個である。かならず冷蔵する。この大事な命のもとは、冷蔵庫の野菜室をかなり占領している。

 1日は こうしてはじまる
 6:00 輸液パックを冷蔵庫より出しておく 常温に戻すため
 8:00 水分のバランス 飲み物+点滴=排泄量 記録し 毎日測る 
 8:30 吸い飲みでお茶を飲ませ 栄養剤をすすめるが、この甘い味には飽きて受け付けない。以前は400mlも飲んでくれた。 ゼリーにしてブルベリージャムを添えると、やっと60g食べた。
 10:00~11:00 輸液パック交換 手指を消毒して慎重にやる。手順も慣れてきた
 12:00 好きなものを食べられるだけ 
 15:00 痛み止めを飲ませる
 
 9種類のクスリと鎮痛剤 オブラートに包み飲みやすくしてみた 
  エトセトラ… 寝るまでつづく 小さなしごと 

  10:00~11:00 毎週 火・金曜 訪問看護 
  15:00~18:00 往診 水曜 外来終了後 15:00~18:00の間
  16:00~17:00 毎週 金曜 訪問入浴サービス
 
 食事介助 水分補給 排泄処理 洗濯など。買い物はおおかた蝦蟇に頼むことにして。
昨日は管に気泡がたまってアラームが鳴った。 こうして蛙はまったく家のなかだ。

 たまたま庭へでると 雲の行進や、陽の翳りを追う。 すると心にうかぶ音楽が伴奏をつける。ガーシュインのサマータイムだ。見上げる一角が いつのまにパノラマとなる。 空想映画はつきない、いつまでも飽きずに見入る。 
 それすら眺めることができないひとに、つぶさに報告してみせている。

        -☆-

 5月3日 快晴、なんとすばらしい日射し。 ベッドを少し上げ、ヒンヤリした室内から初夏の陽当たりを見つめている。かつて、そこに立って感じた 暑いくらいの陽の匂いを想像している。薔薇の蕾をかぞえてた。 「紅ばかりだね…」 小さな声がぽつんと言う。
 花の満開を ぜひ一緒に眺めようね。 たくさん花瓶に挿して 目のまえのテーブルで見せてあげるからね。

 閑かだ。何も聞こえない、真空地帯に住むようだ。緑だけが照り返す部屋。まどろみながら、なにを想うのか。 とても知りたい、なにかしゃべってよ。
 自宅介護で一喜一憂した。じぶんの心のなかしか見てなかった。 黙してなお大きな存在が立ちはだかる、人生を教える。

 自分のリズムをつかみたい。取り戻したい。 こんなときにも考える  
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共有する時間

2006-04-27 | 向き合う
 
雨戸を開けると、冷気が室内をうかがうように入ってきた。 晩春の湿った空気も、なぜか心地いい。 

 「雨なの?」 背後で母の声がした。 強いくすりで朦朧かと思うがそうでもない、意識はしっかりしている。ベッドの中で雨の匂いに気づいている。 そのことがうれしい。

 きのうストレッチャーに乗せられクリニックに入ったのは11時30分、IVHの手術、鎖骨のすぐ下から細い管を入れ先端を上大静脈にとどめてある。これで通常よりも高濃度の点滴ができるらしい。術後レントゲンにてその位置も確認された。シリコンの細い管には安全弁まで附いている。血液の逆流を防ぐという。 医学の進歩におどろくばかり

 帰宅は3時近く、休む間もなく訪問看護がくる。輸液バックの交換や、アラームの対処法など、今夜から家族が困らぬだけの指導をうける。一度に覚えることばかりで心底つかれた。 昼食もとれなかった。

 点滴設備一式、2週間分の薬剤、栄養剤など大荷物になった。弟がいてほんとに助かった。忙しいのに片道2時間もかけ毎週来てくれる。わたしにはできないことだ。

「姉の手伝いとちがう。こうしてかかわっていたいだけ… こういう時間がだいじなんだよ。 気にしなくていい、 いつも任せたままなんだから 」と頼もしい。

 いつもながらエンドレステープの話がつきない。 面白くて弱った。待ち時間も愉しく過ぎた。なんとおしゃべりな子だろう。ビジネスで鍛えたか。
 姉弟とはいいものだ、それは大人になって分かるもの。 結婚しそれぞれの家庭でちがうものを見てきた。 方向は少しずつ変わってくるが、いざと言えばすぐ力になれる。
 母を真んなかにして 昔に戻った。 
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西瓜

2006-04-23 | 向き合う
 
 微熱 心拍の異常 安全に不安があった。 きのう、はじめての訪問入浴かなわず。 
 本人に自覚はないがだいじを取った。 蒸しタオルで拭くことはしても これまでシャワーを一度したきりだったから残念だ。 喜んで欲しかった 

 ☆ 「西瓜が食べたい…」  
  一口サイズをフォークにさし いつかあなたにしてもらったように 口元に運ぶ 
  おちょぼ口をゆっくり開くすがた ひな鳥のよう 母がとても愛しく思えた

 ☆ ほの明かりのもと瞳をこらし 「わたし… 命のかぎり 生きたいと思う…」
「お父さんの分もね」 胸が熱くなるのを 必死で隠した 

 ☆ 「もうすこし 元気になったら 来てもらう…」 そう言って お見舞いをことわっている。  ほんとうに 願っています

 ☆ 肖像画に寄せられたコメントについて
  「わたしに似てて よかったの?」「もちろん! 当たり前よ」
   「そう…… 」 弱々しい微笑  その心根も継げればいいけれど…

           -☆-

  「西瓜図」絹本着色(部分)  北斎 
 あふれる水分を吸って 張りつく半紙  金気を帯びた汁の滲み  鎮まる種も蠢くよう 果肉の赤味 仕切る繊維 堅い皮と縁側のいろ みごとな質感 冷たい刃物 包丁の重さ  
 画狂老人卍筆 80才  克明な写実 気迫に圧倒される     参考 西瓜図(全体) 
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花の繪を

2006-04-20 | 向き合う
 本日、看護も往診もなく少しのんびりできる。俄にひとの出入りが多くなり、落ち着かない2週間余を過ごしてきた。

 穀雨と言うけれど、南側のガラス戸にふきつけている牡丹は雨に弱い、花には気の毒な降りだ。いつもは傘をさしかけ養生したが、今年は蝦蟇さんも諦めムード。
 
 これが咲くとマネの絵を思う。白いシャクヤクの花など卓上に置き描いていた。さりげなくてのびやかで好きな絵。 牡丹は日本画風だが、いつか、いつかと思いばかりで実現しない。そのうち花が終わる。きょうこそマネを真似るチャンスだ。 花を並べ1時間ほどキャンバスに向かう。

 このところ絵も休んでいる。しばらく描かないとかきかたを忘れる。絵も文章もおなじ。何をどうするか、すっかり初心になって戸惑う。さて、どこからはじめたらいいか、迷う。 誠に不思議である、何十年続けていても。
 継続こそ力、次なる意欲も生まれる。 
    
            -☆-

 きょうは余り痛まない。 描きかけを枕元に見せれば「牡丹らしくなったね」とうれしそうだ。こちらもしあわせになる。 けれど完成にはほど遠い。 

 新聞で特集が組まれ、おなじクスリ、看護、診断、心的ケア。経過。患者に寄り添う家族。その思いに共感する。まるで我が現状かと思うほどの掲載ぶり。

 「おっ! 油臭い」という蝦蟇にも見せる。「花のボリュームが足りない!」 いまや磨きのかかった門前の小僧は痛烈だ。 穏やかじゃない蛙。 下手でも褒められたい! 
 blogでくせがついたのだ。

 一枚の絵で いつになくゆるやかな時間になった。 
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さがしもの

2006-04-17 | 向き合う

          緑を見てさえ  哀しくなった
         生気にみちて 妬ましくなる
            おびただしい葉の つないだ力
                  生命力が かなしく映る

         赤児のような仕草で まかせるひとの
           ちいさな声が追いかけてくる
          ゴメンネ…  アリガトウ…  ごめんね…
            こんなことまでさせて…

 
         影をみても悲しくなった  目をそむけるんじゃない
          ひとは死ぬために  生きるのだから

        壁に寄ると こころが痛む
         先のことは考えまい
          直視するのは   今という時    目のまえのこと

        青天に佇み 何かをしても     ときめかない
           あなたの笑顔だけ   さがしています         

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