別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

お伴

2005-11-30 | 犬のブロンコ・ダン

   つよい日射しが押してくる
 
     ひくい影伸びて  
    そちら向いたり こっちを見たり
     あくびしながら  地面をゆく薄墨のいろ
       
         ☆

   みずみずしい鼻を光らせ  耳は天をつく 
    威厳ある顔つきで  少しまえいく影法師  夜より黒い

  ドン・キホーテのお通りじゃ 従者をつれて誇らしく 
      真昼の夢 … 
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山茶花

2005-11-25 | 自然や花など

 
急にあわただしくなる身辺です。いつものことながら気分だけ。 行きつ戻りつ、あちこちつついては脱線しています。 思い出の渦に巻きこまれ流され、抜け出すひまなく日が暮れる。そのくり返し。  

 いつの間に、庭の山茶花が咲いていました。そっと見られていたのです。凛とした清らな白さが眩しくて、思わず姿勢を正します。

   山茶花のこゝを書斎と定めたり   子規  
   山茶花のこぼれつぐなり夜も見ゆ  楸邨

 夜目にもくっきりと。  下手な家事がつづきます 

この画像はこよみのページ私的歳時記 サザンカ に掲載されました。かわうそさんありがとうございます。

 

 

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北斎の挑戦

2005-11-23 | アートな時間

 北斎展を見た。 二重三重の人垣のなかで、500点近い作品を3時間半、休むことなく細部まで見ると、疲れた!が本音。 70年に及ぶ画業の、最後まで衰えない作品群にあてられ眩暈しそうだ。 
 少ない知識と、ことばで日記もしどろもどろ、昨日のことだが、まだうなされている。

 チラシには、肉筆画・版画・版本など国内はもとより、大英博物館、ベルギー王立美術館、メトロポリタン美術館、ボストン美術館ほか多数の欧米の美術館から出品されている、とあった。 版画の色も摺具合や、摺った時期で大分変わるらしい。そのうちの、どれを見たのか、何点見られたのか。会場の混雑だけでなく、頭の中も大混乱! 整理できていない。

 北斎のエネルギーに対向するにはこちらの受け皿も大きくなくてはならない。 見合うだけの真剣さで応えよう、いつの間にか力が入った。 しかし、我が皿のなんと貧弱なこと、恥ずかしい。

 北斎は母方の親戚、中島家で養育された。軟弱な父親への悪口を聞きながら、父と訣別する。そこで鏡師の叔父や、個性のちがう職人たちの叱責にあう。ひとの心を読む術が身につく。いつも他人との距離を測るようになる。
 
 強い父親像を胸にえがくが、それは常に行く手をはばむことになる。その虚像を乗り越えようと、さらにキャンバスに向かって挑む。永遠に越えられない父親像。父親なしで育った北斎の、止むことのない、攻めの人生になった… と以前読んだ。
 その気持ちが分かる、ほんの少し近づける。
 
          -☆-

 いやはや、何でも挑戦している。すごい人だ。 常に新しい表現をさがす。探求し、努力し、ひとつのことをひたすらつづけた画狂人北斎(1760~1849)

 卓抜なデッサン力、風刺のきいた黄表紙、狂歌絵本に釘づけ。着物や櫛のデザインもある。
「百人一首うばが絵説(エトキ)」は、うたを子供にわかりやすく説いている。 作品により名前も、絵説・絵と起・恵と起・ゑと起・縁説・ゑと幾・恵とき・縁とき・衛登喜 とまことに喜ばしい。

 題名をひらがなでローマ字風に入れた「くだんうしがふち」など、エキゾチックな香りがする。これが「阿蘭陀画鏡(オランダエカガミ)・江戸八景」である。 葉書ぐらいの8点で、細密な風景画を収める袋には顕微鏡の絵。これでご覧下さいとのユーモアなのか。
 摺物の「元禄歌仙貝合」もたのしく繊細な線にひかれる。「馬尽」は様々な馬が絵の中に登場する。海馬(タツノオトシゴ)・駒下駄・相馬焼・初午詣・駒止石・御厩川岸など、馬がつくものならなんでもいい。 血眼で探した。 洒落てる、知力体力の冴えを見るよう。笑いがこみ上げる。 

 北斎漫画は魅力的、気の向くままにあらゆるものを書いた。さらりと描いたようで気迫のある筆遣い。無駄なく本質にせまる絶妙な線、いくら見てもあきない構図。一瞬の動作も、見えない風も、動く光も、天候も、時の移ろいさえ画面に現している。恐れ入りました。

 その生き方、なんども名前を変え、画風も変わる。浮世絵など興味が尽きない。 印象派の画家に影響を与え、ドビュッシーは「神奈川沖浪裏」に想を得て「海」を作曲したと聞く。
 「九十才にして猶其奥意を極め 一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして 生るがごとくならん」 常に前を向いていた。

写真は 絶筆に最も近いといわれる「扇面散図」。 扇面の絵も美しいし、折り目や骨の立体感もすばらしい。 これから、もっと深く北斎を知ろうと思った。
 展示の一覧表はこちらです
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博物館の庭で

2005-11-22 | アートな時間
 
 北斎展を見たあとはユリノキにご挨拶。500点近い作品を息もつかずに見た、といいたいほど熱中。
 大きな樹は、疲れた目や心にやさしく、あたたかな華麗さで包んでくれた。

 庭園も開放され、初めて博物館の奥に入る。酔芙蓉が出迎え、珍しい樹もたくさんある。 樹木探検だけでも面白そうだ。 六窓庵、九条館、応挙館、転合庵、春草廬など五棟の茶室も見られた。
 傾きかけた初冬の陽が、茅葺や石灯籠を照らすと、あはれがしみじみと身に沁みる。
 浮世絵師北斎の熱気に当てられて、すばらしい一日だった。

 かえりがけ本館・国宝室で
「元暦校本万葉集(ゲンリャクコウホンマンヨウシュウ)」巻第一、六、十二、十八を見る。
  
  ほかの ユリノキはこちら
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たねを取る

2005-11-19 | 自然や花など


  冷たい風があたる西側で、 まだクレオメ(西洋風蝶草)が咲いていた。 花のつきかたも面白いし、細いひげが舞うようで印象的。 ピンクの小さな花がところどころ白んで縮れ、花の終わりを告げている。
  いまだ強い西日に守られてきたのだろう、 よそでは見かけない。 花の下に、八方にひろがる細い刀のような実。 そのふくらんだ莢に触れると、待ってましたとばかりに弾けた。

  夏の終わりにたくさん集めたナガミノヒナゲシの種は、 砂粒よりもさらに小さく、さらさらと地面に落ちた。 クレオメは少し大きく、菜種くらいか。

  ルーペでよく見れば一粒ずつ、「の」の字にくるっと巻いている。 虫みたいだが、種のじっと待つ姿だと思えばほほえましい。  しかも大きさ1.5㎜。 なんといとしい。 莢の長さ35㎜   みつめながら白秋の詩を思い出していた。

                        
 人知れず袖に涙のかかるとき、
 かかるとき、 
 つひぞ見馴れぬよその子が 
 あらせいとうのたねを取る。
 ちやうど誰かの為スるやうに
 ひとり泣いてはたねを取る。 
 あかあかと空に夕日の消ゆるとき、
 植物園に消ゆるとき。  
    「雪と花火」より 「あらせいとう」 

  どこか哀しくなる。
  あらせいとうのたねを取る のフレーズがとくに好き。
  「あらせいとう」 竹久夢二の絵のように、なつかしく響く。 これがストックだと知ったときの驚き。

  季節の花300さんによれば、 ストック 別名 紫羅欄花(あらせいとう)  葉が、ラセイタ (毛織物の一種(raxa))。ポルトガル語 ではラセイタと呼ぶ) に似ており、 そこから「葉ラセイタ」 →「アラセイタ」 →「アラセイトウ」に変化した。

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あうんの呼吸

2005-11-15 | 犬のブロンコ・ダン
 いつも上着は自前、ツヤのある黒い天鵞絨だ。真冬でもこれ以上着ない。寒がりだけど窮屈なセーターは格好わるい。ビロードが誇らしい。
 散歩に出ると仲間が親しげに近づいてくる。それでも貴公子然として、愛想がない。脇目もふらず大まじめであるく。性分は曲げられない。 by rugby 

         -☆-

 散歩は綱を着ける。鵜飼いのように、引き綱をとおして気持ちが伝わる。微妙な綱の張りぐあいで、いらいらも、せかせかもわかるようだ。こうなると犬まで落ち着かない。うきうきを届けよう。
 反対に、犬のきもちも綱の調子で理解できる。少し疲れただとか、気乗りしないとか。
 しっかり結ばれた、これぞ本当の「きづな」である。

 犬の目線で低い位置に気をくばる。白内障の彼のために、ぼーっと行くようでも、車をよけ、マンホールの穴に細い足が入らぬかなど考えている。 突如、犬は躯を斜めにして首に力をいれた。
「こっち、こっち」と言っている。 犬の用事に付き合わされた。 

         -☆-

 グリーンを見ながら歩いた。
 あざやかな黄色いハートの連なりが、まるで万国旗のように風に吹かれ、柿や梅の木に絡みつき、フェンスをかけあがる。生け垣のてっぺんでも、貝塚いぶきの上にもぐるぐるとできた冠。
 零余子の蔓である。
 今頃いくらでも見つけられた。赤味がかった茶、インディアンレッド。陽が透けるベージュ、
山吹いろ、レモンイエローが惹きつける。

 立ち止まると、今度は犬が付き合っている。黙ってこちらを見上げている。蔓の行方を飽かず眺めた。そのうち飽きて「クゥーン」と一声かけてくる。 「もう、帰ろう」ということだ。

 人と犬、歩きながら無言で話す。ハートとハートをロープでつなぎ、零余子のように心を通わせる。「あ」「うん」で、いつでもそろう。 今日の会話を教えてあげる
 「そっちじゃない」 「止まれ」 「ゆっくり」 「だめ!」 「かえりたい」 だよ。

 このあいだ 「筋肉もしっかりしてます」 と獣医にほめられた。それで最近げんきになった。まだまだ歩ける。 静かな住宅街で、アスファルトをひっかくような爪の音だけ聞こえる。 
 シャカ シャカ、シャと軽快なリズムが どうぞ、いつまでも続きますように  by kawazu
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もみぢして

2005-11-14 | 別所沼だより

 
 近くの公園です。午後のやわらか
な陽をうけて、池に映る銀杏はナルシスト。  美しさに息をのみました。

 はらはらと舞う銀杏、 まさに
金色の小さき鳥のかたちしていちょう散るなり夕日の丘に 与謝野晶子 です。 おなじ敷地に 埼玉県立近代美術館があり、 入口でエミール・グレコの「ゆあみ」の像が迎えます

   

 
 6月、チューリップのような花を咲かせた ユリノキも、 赤や黄色に染まっています。 いまは縮んで、落下の時を待っています。

  半纏を脱いでおもいっきり伸びをす
  る樹。 これから寒いよ~。
 葉っぱが半纏の形に似ているそう
 です。奴凧とも、軍配とも

 別所の黄葉もなかなかです。描き始めにパレットに置く 「ゑのぐ」のようにきちんと並んでいます。 
やがて溶かされ、
すてきに混じり合うのです。 わくわくします。


  ふかふか絨毯、 鶺鴒がとおります。おくは小さな流れです。

黄葉モミヂして 日に日に山が明るく
なる  谿川は それだけ緑りを押

し流す 白いひと組 黄色いひと組 
鶺鴒セキレイが  私に告げる
 「この川の石がみんなまるいのは
   私の尻尾で敲タタいたからよ」
       
           
鶺鴒 三好達治

紅葉葉楓

 
 時雨のあと、逆光のなかに納まる
 「もみぢ」が とくに好き。
  ハッとします。
 
しぐれ  しぐれ  もし あの里を
 とほるなら つげておくれ 
 あのひとに  
 わたしは 今夜もねむらないでゐた
  と
 あのひとに つげておくれ

 
しぐれに寄する抒情   佐藤春夫

                                        写真:2005.11.13
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碁石から

2005-11-06 | アートな時間

  日曜美術館 「天平人動物とあそぶ・第57回正倉院展」 をみる。 
 美しい碁石を辿った日のことが思い出された。     

 2004年2月10日は
 春霞流るるなへに青柳の枝くひ持ちて鶯鳴くも 巻十・1821 
を学んだ。    
 春霞が流れるようにたなびく。 ちょうどその折、 青柳の枝を口にくわえて鶯が鳴いている。 (清川妙の万葉集)
正倉院御物の、紅や紺の碁石に彫られた花喰鳥の模様が思い出されます、と結ばれた。   

 以前目にしたかも知れないが、さっそく正倉院宝物写真のなかに花喰鳥を探した。 北倉25より 合子(ごうす・碁石の容器)に納められていたという、色鮮やかな愛らしい碁石を見たのだった。 
  花喰鳥のモデルは八頭(ヤツガシラ)。 冠をつけた鳥のすがたも、やわらかな線でふっくら浮き上がっている。 紅・紺・黒・白の碁子(きし)、合わせて516枚が伝わる。 小さなものにこめられる遊びごころ。 精緻なしごと。 配置も表情も少しずつちがう、手しごとの温かさ。   

  我が背子と二人見ませばいくばくかこの降る雪の嬉しからまし 巻八・1658

  あなたとふたりで見たとしたなら、この降る雪も…  と詠んだ光明皇后。 聖武天皇とむつまじく遊ぶところも浮かんでくる。 わくわく学びながら、 こちらまでうれしくなる。 
  その日、コピーの一部をノートに貼り、のこりの碁石は丸くきりぬいて、手紙の封緘シールとして使った。  枝くひ持ちて…   受けとる方の微笑みも想像して。
  色もデザインもそっくり釦やイヤリングにしたいと思った。 いつまでも天平の色や風を感じていたい。

 

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黒と赤と黄の

2005-11-02 | 別所沼だより

 このあひだ信濃の油屋に行きましたときに、あのスコットランド風の肩掛をいちばんにおもひ出しました。カッコーやホトトギスの啼いてゐる叢(クサムラ)に寝てゐるとスズランの花が咲いてゐて、ぼんやりと青い空の淡い色をながめてゐると、あの黒と赤と黄の縞の首巻のことがずゐぶんなつかしいのでした。油屋の焼跡でおもひ出したよりもずっとなつかしかったといひたゐくらゐに。  深澤紅子宛   立原道造   抜粋
 

  
         
                            

  ツワブキの あかるいのうえで 
 蜆蝶がひとやすみ  ここがすき
   ゆっくり  流れるじかん

 花屋さんの店先は ポインセチアや  
シクラメンの
 気が早い はやい

 年賀状の売り出しに
   い犬をつれてきた  
  こよみが 助走しはじめて

  別所も少しずつ色を変え 肩掛けが恋しい季節です

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