別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

別所沼 そのⅡ

2006-07-31 | 別所沼だより

   沼の中に大きな鳥居
 
   これはいつ頃だろうか

  こんな時もあった       
 

 

 
   

    読みかけのつづきを…

  

 その窓は大きな湖水に向いて
 ひらいてゐる。 湖水のほとりには
 ポプラがある… (中略)

 僕は室内にゐて、栗の木でつくつた  
 凭モタれのたかい椅子に坐って
 うつらうつらと睡つてゐる
   「鉛筆・ネクタイ・窓」から抜粋


   沼の風が吹きぬける午後 

   仕切られる風景のうつくしさ

   楽しさ かぎりなし
    


  まだ水質浄化の柵が邪魔している 

  建築について いろいろ学んだ    

  理解できなければ 説明も

  スムーズにはいかない
    

 

     あなたも

  ヒアシンスハウスガイドに

      なったなら

   待ち時間は

   さえずりを聞いたり

   釣り人を眺めたり

   道造の息づかいを感じながら

   見学者のひとりになれます
  
 

                                               
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ハウスガイド

2006-07-29 | 別所沼だより


 夕ぐれがもうくらくしはじめた窓のそばでこの手紙を書きはじめます。 あかりはまだともしません。 風が屋根屋根をこえて来て、僕の部屋に吹きいります。それはたいへんに涼しく慰めのように僕の心をいたはります。 僕の心はすこし傷ついてゐるやうなところもあるけれど、それらの傷をそれはやさしく撫でてゆきます。 
    立原道造    昭和13年(1938)7月15日(金)  深澤紅子宛

  長文手紙の書き出し部分です。 ここを読んだだけでも、心が洗われ透き通っていくような気がしました。 

  夏草が繁るヒアシンスハウスに また来ました。  道造をもっと知りたい。


    ハウスガイド・ボランティア養成講座(7月~12月 全5回) 

  「ヒアシンスハウスの建築について」   三浦清史氏 (建築家・JIA埼玉理事) 
 
 残されたスケッチを読み解き 実際の建築にどのように反映したのか。
 仕上概要から、 くみ取れることは何か、 道造の目ざした建築とは、
 細部にわたり 時代考証し、 材質を吟味、 当時の建築技術、 現代の建築など       

 今日の講義は専門的なことをわかりやすく説明されたが、記事は まとまるだろうか   ガイドとして、質問に答えられるだけの知識が必要だと痛感した。 

 来月は 「道造を尋ねて  軽井沢・追分へのウォーキング」   楽しみ!                               

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鬼灯

2006-07-25 | こころ模様

 ホオズキが実ると思いだす。
汗疹の顔とハギの花、 お線香の匂い。 お団子、麦茶。
 母の新盆にあわせ、弟は幼子に見せたいからと神奈川で準備するようだ。
  「こういうことは やっぱり、伝えなきゃいけないね」  「文化だよ…」
 ますます電話の声が弾んでくる。 ふたりとも、 遠いあのころを懐かしんだ。
                       
          -☆-

  祖父の号令で、小学生だった私たちは 年に一度、すすけた仏具をぴかぴかに磨いた。 香炉、 花立て、 蝋燭立て、 りん、 ご飯を盛る器、 お茶用も金属なので輝きが戻った。  仏壇のまえに精霊棚ができあがるのも楽しみだった。
 棚のうえに真菰を敷いて四隅に笹竹を立てる。上のほうを藁で仕切って結界とする。 神聖な場所が生まれた。 藁の間に、ホオズキや花を飾ると、赤いランタンのようにきれいだった。

 いつもやさしい祖父があらたまって、厳しい顔で指図していたのも特別な日。 こどもは従姉妹とお祭り気分。 そのひとつひとつに深い意味があることも知らず、知ろうともせず、真夏の暑さばかり気にしていた。

 なんて、もったいないことをした、 と思う。   あたらさん! だ。
 まだ明るいうちにお風呂に入ると、 浴衣を着せられた。 天花粉の白い首で走りまわる。 神妙に提灯を持って、近くの墓地へ仏様を迎えに行ったね。

 ①キュウリや茄子に「おがら」の足をつけて供える。 おがらは麻の皮を剥いだもの。 これは先祖の霊が「きゅうりの馬」に乗って一刻も早くこの世に帰り、「なすの牛」に乗ってゆっくりあの世に戻って行くようにとの願いを込めた 
 ② お皿に蓮の葉を敷いて、その上にナスを賽の目に切ってのせる。これを「水の子」という。 ナスの種が百八つの煩悩にたとえられているらしい。
 ③ 別の皿に蓮の葉を敷いて水を入れ、みそ萩の花束に含ませ、 ②の「水の子」茄子にかける。 これを灑水シャスイといって、 煩悩を鎮めるためだった と知った。 

 昔から続けてきたことを次の世代につなぐ。 全てに意味があることを伝えたい。 今になって祖父の想いも分かってくる。  現在も、精霊棚は守られているのだろうか。 ふるさとでは、伯父の代からだんだん消えていった。
 晩には近所のひとが ご先祖に逢いに来て。 お茶菓子を出して 夜更けまで。 三々五々、お参りが絶えなかったね。 私たちも、 おかしを目当てに、 遅くまで起きていたね。 いつも しんがりはあそこのおじさんで…  決まってたね… 
  こんな話が尽きない年頃だ。    

清少納言ではないが、 できるだけ大きいのを選んで種をもみほぐす。 追い羽根のようになった赤い外殻を引くと、根ごと、 まるまる中味が取り出せた。 よく洗って口に含んで鳴らした。 ギュウ、ギュッ…  鬼灯の音、 ほろ苦い味がする。 
  精霊棚の説明は こちらを 引用した
     
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風景を切りとる

2006-07-21 | 別所沼だより

 写真をとる場合、無意識にファインダーのなかで風景を切り取っている。 そのままカメラをターンさせる。 思いがけない景色に出会う。
 のぞき窓からみた空間が新鮮にうつる。 実際よりも美しく感じた。

 日常すべてが「切り取り」の「貼り付け」と言っても過言ではない。 いまから30分ラジオを聴く。 1時から本を読むなど。
 人生の節目からのぞいた時間、これも切り抜きだと思う。 

  ひとの会話さえ切り抜いて聴くこともある。 だらだらと、長話する相手には。 無論、こちらも切り取られ、事によったら捨てられるだろうな。

 絵を描くようになり、ものを切りとる癖がついた。 目の前にかざした指で四角い枠をつくる。片目をつぶり、できたての窓から眺める風景、愉快なことだ。 いつまでも試している。
 庭でカエルの声だけ聴くこともある。 これは 安らかなキリヌキ。   

 視線を足許に落とすなら、シロツメクサやネジバナの群れをバックに、スニーカーの紐が揺れている。 ちかづくと花の蕊のあたり以外、目に入らない。トリミングされた映像は、まるでピンホールからのぞくようで、わくわくと子供のころに戻っている。            

                 -☆-

  散歩中、 タイトルに惹かれ立ち寄った。 
  「風景・窓・絵画-アーティストの視点から:母袋俊也の試み」 
     埼玉県立近代美術館  常設展  詳しくは
こちらへ。

  「住宅は住むための機械である」とは ル・コルビュジエ。 南仏カプ・マルタンの休暇小屋。その窓から望む海辺の風景を愛した。 よく似ている立原道造のヒアシンスハウスも、雨戸のクロスは、切り抜きがすばらしい。

  別所には、かつて多くの画家が住んでいた。 常設展のなかに「別所沼をめぐる画家たち-鬼才たちの青春譜」のコーナーがある。 やはり ここでだいぶ時間を取った。
 沼のあたりで活動した 林倭衛シズエ<別所沼風景>a  須田剋太<東大寺正面>b 

      a          b            c

      四方田草炎<竹>c など 異色の画家たちの作品がならぶ。 

 パネルには、須田剋太と親交のあった神保光太郎の詩。 剋太をモデルに創作された。  

             「湖畔の人」      

          あの沼の畔
 
         ひとりの画家が棲んでいる

          蜥蜴のやうに
          いつも黙りこんで
          暗の画ばかり描いている

           あのひとが
          なにか神聖なもののやうに
          愛しい憶ひ出のやうに
          もちゐてゐるわづかなグリーン
          この色が
          あの暗さの救ひなのだらうか

          過ぎ去ったかなしみを深く沈めて
          ひっそりと灯る
          伝説のやうなグリーン
          あのひとは
          今宵もひとり
          この色と語り合つてゐたらしい

           どうだ南の海に行つてみないか
          僕のこの問ひに
          あの画家は
          やはり蜥蜴のやうに黙つてゐた
                              神保光太郎 幼年絵帖 1939年 

  情熱が狂気を生み、本人は大まじめなのに、奇行と思われたこともある。個性的で強いタッチ、その頃の、パレットの色はすくないのか。 ただひとつあざやかなグリーン。
 
 
 司馬遼太郎の「街道を行く」の挿絵は20年間続いた。
   
ほかの作品はこちら

  切り取りの善し悪しが 人を感動へとさそう。
   人生を変える、 そんな気がした。 

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袋の中

2006-07-19 | こころ模様

 それはTVのよこにメガネといっしょに置いてあった。 何が入っているか、そっと開けてみる。
 爪切り、ハンカチ、 メモ、 ボールペン。 ヘアーブラシ、 口紅、コンパクト、鎌倉彫の手鏡など。 入院のとき、こまごましたものを詰めて枕辺に届けた袋であった。 退院後もずっとかたわらにあった。

 中味のことなど きょうまですっかり忘れていた。

 小さなブラシにまつわる白い髪。 その時まで生きていたと、目のまえに現れたような気がしてうろたえた。 ああ、 おかあさんだ…  
  母そのもの。 胸が熱くなった。

  一条の髪の毛が、切ない日々を思い出させた。 

           -☆-

 姪が祖母に贈ったふくろ。 流水文にはなの刺繍。 
  桜を愛した宇野千代の創作品。

     私はさくらが大好き  私にとって さくらは幸福の花 
       咲く姿も散る姿も  さくらが一番      (千代)
  
 あざやかな色味に、母の愁いも染めている。 その懐をのぞくように飽かずながめた。
  昨日も今日も 一日中雨である。

 袋 おふくろ。 主に男性が母親を呼ぶ。 古くは、男女ともに自他の母親の敬称として用いていたらしい。
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綱わたり

2006-07-10 | こころ模様

 むかしから 群れが苦手  たくさん居ると引いてしまう
 どちらかといえば  ひとりが好き  そのくせ寂しがりで 
  留守番なんかしたくない  矛盾だらけ

    ちょっと背伸びし過ぎたかなあ…   このごろ思う 
     毎日が つな渡り  どきどきしながら


   二階にあがると 満月がひとり   綱渡りしてた
    まえの眼鏡屋のライトを浴びて 泰然としてた

   rugは 虹の橋をわたったが  こっちは石の橋さえ 渡れない    


 

みなさまの大切なコメントを、 Wordに残していましたので ここに再現させて頂きます。                                

   コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )

Unknown (sora)2006-07-10 23:36:10 
 ず~っと読者として立ち寄らせていただいています。
誠実でひたむきな気持ちが伝わってきますので、ついお近付きになりたくてコメントさせていただいています。 
 
すみません! (sora)2006-07-10 23:55:49 
 今私のパソコンの調子がいまいち動きが悪くて投稿するところではなく、エンターキーで「変換OK」とするつもりでしたのに「UP」してしまいました。
不備な最初のは削除してください。すみません。
年齢が多分似通っているところや、趣味志向が共鳴するところなど、静かに読者ばかりでは申し訳ないとコメントさせていただいてます。
なんだか今日のラグタイムさんはバイオリズムが沈んでいるみたい。
「石橋」を渡って居られますよ。そのところが出来ない私は、ラグタイムさんを尊敬し応援する気持ちなんです。方向違いのコメントで御免なさい!
 
もしかして私のこと? (boa !)2006-07-11 05:20:12
 そっくりそのままの私です。
こう書くことができたラグタイムさんはすでに「石の橋」を渡られました。
あなたのお書きになるものに惹かれる原点でしょうね。

橋のない水たまりや、かずらの吊り橋は、ひょいと跳んでみたり、遥か下を流れる急流を目に入れても平気で渡る私ですに。・・・・

多分、渡る気になったときは、叩きもせずさっさと行きそうな気がしています。

いつも一人が好きです。それでいいと思っています。
 
 
好きなればこそ (鳩ねず)2006-07-11 09:52:06
 昨夜の満月をご覧になられましたか。
本当に綱渡りをしていますね。
いつかお話した(今思うとそんな話をしてと申し訳なかったのですが・・)エルンスト・バルラハ展に行った時いつものように噴水の前で主婦弁を食べていると少し離れた人だかりの中心は関西訛りを飛ばしながら綱渡りする大道芸人さんでした。下に防護ネットなど無いので落下すると・・・人垣が増えていきました。その人は一つ芸をする前に木戸銭無料の客を笑わせて声援を求めその勢いで怖さをふっきっていました。後ろ向きに歩く時はもう何回も何回も。わたり終えた時こちらの手にも汗。なんか有難うって口をついて出ました。この若い大道芸人さんは満足げでした。
この方も大道芸が好きでしかたがないのでしょう。
ラグタイムさん、昨日の月は海も照らしてチラチラ揺れていたでしょうね。海はお母さんですから。
 
応援ありがとう (ラグタイム)2006-07-11 10:16:52
 soraさん そのまま受けいれられて幸せです。 blogは面白い! NETに記事?を張り連ね、あたかも蜘蛛のように なにか掛からないかなあ… 不謹慎です、ごめんなさい。 じーっと待つような時もあるのです。 どこか似たような人が集まるのも良いし、ちがう感性も良しです。 
 
敲かず推して (ラグタイム)2006-07-11 22:06:22
 boa!さん、意外です。 けれど、 ひとは想像もつかない資質もかさねて、すばらしい魅力になるのでしょうね。 毎日拝見しています。

 こちらは支離滅裂、blogも石橋も叩かず突拍子もなく奔ってしまう、いい加減さも持ち合わせます。
 ひとりの楽しみたくさんあり、とても時間が足りません。  
   

共時性の不思議 (ラグタイム)2006-07-11 22:42:46
 
この月を撮したのは鳩ねずさんがご覧になったちょうどそれくらいの8時28分です。 雲が小さな傘を差し掛けたようでおもしろい。
 母はどのあたり… そう思っていました。波を銀色に染めていたでしょうね。 久々のお月見でした。

 好きなればこそ醍醐味もある。 あれこれぼやきながら続けてきたのか、考えました。

 月のおかげでやっとできた日記が、 鳩ねずさんや皆様の深くてあたたかなコメントですこし広がりをみせ、 別のいいものになっていく。
 ショート・ショート・ストーリーを連ねて一編になるような、蛙も楽しんでいます。さしづめ連歌のような。 つづきを、掛け合いを傍観する気分で。

 いつもよどみないペンの走りを見れば、blogなさいませんかとお勧めしたくなりますね。
  

ほっとひとあんしん (鳩ねず)2006-07-12 05:12:04
 お元気なられたようですね。 励ましと受け留めて頂き実は胸を撫で下ろしています。すぐアンデルセンのお話を思い浮かべたのですが、今のご気分にそぐわないのではないかと大道芸人さんの話題に変えました。
>共時性・・人のつながりは不思議です。生意気な言い方でちと早すぎますが人生の妙味とも言えますか。
>好きなればこその醍醐味
私は、何を言いたいのか分らないまま書き始め100文字以上使ってやっとタイトルが付けられます。よどみないどころかこのモタモタをラグタイムさんがすきっと短く言ってのけさらに膨らませて下さったので、殆ど快感を覚えます。なるほど「連歌」の味わいですか。そう考えるとブログも面白いですね。
其れも念頭においてもう少し遊ばせて頂いていいですか?
 
有難うございました。 (鳩ねず)2006-07-12 15:25:36
  前々から一杯書き込みたい内容の記事を読ませていただいたのですが、如何してもラグタイムさんの生活、ラグタイムさんのシルエットが分らなくて残念な時間を過ごしてしまいました。ゴッホ、ロダン、クローデル、コメントしたくなりました。今日は沢山書き込みました。
あの枇杷の絵はもう完成しましたか? 
 
Unknown (鳩ねずみ)2006-07-12 16:36:13
 
明日から違う生活です。ラグタイムさん、お元気で。違う解決の方策を選ばなくてはいけなくなりました。この次を生きるために私の残された時間は少ないのです。しかたない.


 

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蝶のささやき

2006-07-06 | 別所沼だより


 別所まで歩く。 
 片道30分、買ったばかりのトレッキングシューズを履いて。
 遊歩道に モントブレチア、牡丹臭木、 萱草ワスレグサ、カンナ、アガパンサス、三時草、凌霄花など。 そうそう 松虫草も…

 きょうの一枚

  毎年夏に見られる花 メランポジュウム この名前 始めて知った
   蝶が来て そっと耳打ちしてる  大きい写真で確かめて! 

   ☆見てきたこと ぜーんぶ教えてあげる…  
      ★ここよりほかに知らないね  

   ☆シジュウカラが 巣作りはじめたみたい 
     蛙に家をこわされたって! 
        シュロの髭 が伸びてたよ

      ★お礼に 蜜を… ♪ 
         
                -☆-

 <お中元がわりに>
    きょうの 別所沼   大きくしてご覧ください 
     去年の別所 こちらから どうぞ 










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ビバ・ラ・ビダ

2006-07-05 | アートな時間


 一度見たらぜったい忘れない顔、 とびきり個性的な自画像にくぎづけになる。強い意志の現れは一文字の眉だ。 いかなる困難も直視する、おそれを知らぬ大きな瞳。  Frida Kahlo フリーダ・カーロ。 メキシコが生んだ情熱的、伝説的女性画家。

 おどろくようなユニークさと豊かであかるい色彩。 その烈しさについていけない絵もあるが、 数ある彼女の自画像の中でも リベーラに見せる最初のこの絵は好きだ。 

  光沢のある黒い上着、 衿の刺繍は赤で繊細、 彼女の息づかいがする。 痛々しいつよさばかりが目立っていたけれど、 ちがう一面が見えてほっとする。  暗いバックの波のような雲のようなうねり、これも効果的、 個性が際だってくる。
  浮かび上がる肌色、その分量、 手の位置も。 バランスがいい。

  彼女の視線を感じ、 緊張しながら見ていたが、 いつしかファンになってしまった。  ただこの一枚だけで… 
 これは 1926年に描いた初の自画像だろうか。

        -☆-

  溌剌とした少女が、18歳のときバスの事故で、瀕死の重傷を負う。 鎖骨、肋骨、脊椎、骨盤がくだけ、右足は潰れ、人生が一変する。  30数回におよぶ手術をくり返しながら、革命に揺れる当時のメキシコ社交界にあでやかに輝き、イサム・ノグチやトロツキーなどと親交を結ぶ。 

 1939年のパリ個展で、カンディンスキーは心打たれ涙を流したとか、 ピカソが掌の形をしたイヤリングをフリーダに贈ったこともある。  ファッション・デザイナーのスキャバレリもフリーダに会い、作品や色彩に魅了され、やがてショッキング・ピンクと名付けた色を生みだしたと言われる。

  安静を命じられていたが、最後の個展は、会場までベッドに横たわったまま運ばれた。 その一枚には 「ビバ・ラ・ビダ  生命万歳!」 と記されていた。 

  2003年8月、 彼女の生家を映画でみた。 忠実に再現されているらしい。  壁の色や、 家具やテーブルの花、 民族衣装のセンス、 いきいきと魅力的。 メキシコの風が心地いい。
  
彼女はベッドのうえで描きつづけた。
 
  最近、世界遺産の番組で メキシコ国立宮殿の大壁画を映していた。 作者はディエゴ ・ リベーラ。 象と鳩の結婚のようだといわれたフリーダの夫である。
 彼がフリーダの個展について知人に宛てた手紙の、 印象的な一節が胸を打つ。   

 「夫としてではなく、 彼女の作品を心から崇拝する者として あなたにフリーダを推薦します。 その作品は辛辣にして優美、  鋼のごとく硬直で蝶の羽のように繊細かつ気高く、 輝く笑顔のように愛らしく生きることの苦しみを映して 奥深く冷酷です」
     フリーダ・カーロ   引き裂かれた自画像    堀尾真紀子著   中公文庫 

   写真:
映画パンフレットより
 

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天の海

2006-07-02 | こころ模様
 
 降ったり晴れたり。
 義母を訪ねた。 101歳、 何でも自分でこなす。
 長い手紙が届いた。 励ましのなかに毅然と生きるひとの心情があふれだす。

 アガパンサスを育て、掃除、洗濯、炊事。 暑いときだけ頼むよし。
買い物はリュックを背負うんだって。 途中、急な坂だってある。
 家族に気遣われながらゆっくり歩む。 いのち万歳!

          -☆-

 帰るとき 行く手に大海原だ。 車窓から夢中で撮した。
 この大きさ。 深さ。 広がり。 神々しい美しさに息をのむ。
  運転手も黙ったままだ。

   波間をただよふ塵のような存在が、瞬時をつないでかけぬける 
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夜の音

2006-07-01 | こころ模様

 夜気にふれると わずかに昼の暑さをわすれる。 目を閉じれば闇のなかにさまざまな音が聞こえた。 車が走り去る音、エンジンを吹かす音。 近くで雨戸をたてるおと。

 ハイヒールが近づいてくる。 やがて向きを変えコツ、コツ、コツ。 階段をあがる、リズムが変わる…  遠のいていく…
 
 なおも耳を澄ますと かそけき河鹿の声がする。  しーっ! 
 ケロ ゲロ ゴリ ゴリ ゴリ  糸尻をすりあわすような響きだが、より明快なトーン。 この擬声語を正確に文字にはできない。

 犬が去って、にわかに生い繁る猫の額だ。 いままで遠慮していた生き物がもどってきたに違いない。こんな所にと耳を疑うが たしかにこれは河鹿蛙の美声だと思う。 ルル、ゴリ、ルルル、ゴリ ・・☆・!…

 風知草のかげか、増え続ける杜鵑草ホトトギスの下かも知れない。 梅雨の夜、歌声が雫にぬれている。 河鹿は渓流に住むという。 あまり楽しげとは言えない、かよわき声がとぎれとぎれに聞こえる。 こんな環境にとまどっている。
 遠吠えがして ピタリと止む不思議な声の主。 毎年毎年おなじドラマを繰りかえしてきた庭の、新たな主役は河鹿だろうか。 夢なのか、今宵も聞き耳をたててみよう

 晴れると夏の陽をツンツン跳ね返していたテラスに、守宮ヤモリも見つけた。
  あっ!と 声がでない…  ただ、ただ、動悸の音がする。 
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