別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

螺旋をつづる

2007-06-29 | 別所沼だより

 
 久しぶりの別所。 郭公が好んだヒマラヤ杉の頂きも、 すっかり枝を払われて 夏の陽を惜しみなく注ぐ。  いぜんより明るくなったところに、マツムシソウや モントブレチアがそよいでいる。 別所沼会館の前庭、 こんもり高くなった場所にネジバナの群生をみつけた。 
 ご覧になれますか。 こういう写真は、 ピントあわせも難しい。
 後ろに白く、 ツンツンしてるのも、すべてネジバナです。 


  捩花 ネジバナ、文字摺草 モジズリソウ… 歳時記では、 茎の頂きに多数の桃色の小さい花をつづり、 穂状の花が螺旋形にねじれて咲く。 
 小さい花を綴り… なんて文学的だ。  さすがに歳時記!


 ぐるっと 螺旋、 渦巻き…  と言えば ル・コルビュジエ。 彼の建築や絵画にたくさん出てくる。
  ル・コルビュジエ展:建築とアート、その創造の軌跡  展示を10項目に分けて、 魅力を余すところなく伝えている。 たいそう面白かった。 おすすめです。 詳細はこちらから


 彼の代表的建築や、都市計画を、彼があらわした理念とともに図面や大型模型や、映像で紹介する。  門外漢にも、 充分理解できた。 とても楽しい。


  ロンシャンの礼拝堂 や ラ・トゥーレットの修道院など  光りの取り入れに興味が湧く。 大きさも形もさまざまな窓、 ランダムな配置。 彩色され、 マリア像や聖書の言葉などコルビュジエ自らが描いている。 それらを縫うように届く淡きひかり。  解説によれば 
 いずれも、ル・コルビュジエが 「音響的形態」 と呼んだ リズミカルな空間の構成、周囲の環境と響きあう建築的プロムナードを 体現した建築と言えるだろう。 
 
 そうでしょうね。  母はピアノ教師  兄は作曲家ですから。 


                 -☆-


 女性や牡牛の絵。 貝殻やガラス瓶、 石ころ、 骨、 松ぽっくり、 ロープなど。 手のモチーフ。 調和のとれた色彩。  キュビズムに対してピュリズム。 彫刻やタペストリーへ、さまざまに展開する。  直角の詩(ル・コルビュジエによる軽妙な挿絵とテキストの詩画集)。 (下、写真左 ブルターニュのバイオリン 油彩 ・ 写真中および右  直角の詩 リトグラフ。 いずれも絵はがきから)
 これらは すべて建築へと繋がるのである。


           


 パリのアトリエを実寸大で再現、 アパートの最上階で空と緑しか見えない。彼はここで、 午前中は絵を描き、彫刻をした。  愛用品が展示され  お馴染みの丸い眼鏡や、 モチーフの数々。 採光の工夫。 午後から事務所で建築の仕事をした。
  特に!!   コルビュジエの愛犬の毛皮によって装丁された愛読書。 その発想に驚いた。 栗色の短い毛並みを ときどき撫でていたに違いない。 


  10項目めは 1951年 妻のために建てたカップマルタンの休暇小屋、 原寸通り再現され、 靴を脱いで、部屋にあがり実感できる。


  
外壁には松の丸太が張ってある。 広さが 3.66メートル四方、 およそ8畳間。 あるのは、二つのベッドと、小さな仕事机、 最小限のキャビネットにトイレと洗面台である。  小屋はレストラン 「ひとで軒」 に寄り添うように建っている。 キッチンは必要ない。 


 少し暗くないだろうか 3カ所にある窓は小さめだ。 イヴォンヌの肖像画を飾り、 窓の扉や、 壁にも絵が描いてある。 ここで国立西洋美術館の設計もした。 


  ヒアシンスハウスの大きな窓と開放感に慣れているので 暗く、実際より狭く感じてしまう。
 1937~1938年頃詩人が夢みた    風信子荘  
 1951年     コルビュジエの    カップマルタンの小屋  


  
どちらも 主はもう居ない  絵画と建築を愛し、 すばらしい遺産を残してくれたことに感謝しよう。 螺旋はくり返し… 文字摺りの花の粒のように透明な言葉が ソネットを生んだ。   
          過去の 関連日記

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何のはな?

2007-06-27 | 自然や花など
 雨間アマアイ の 梅雨らしくない公園で 先日咲いていた花です。 鳥の嘴みたいな蕾、 やはり デイゴ(梯梧)の花でしょうか 沖縄にたくさんありました。

 こちらは 雨が少ないです。 雨のつく字を集めてみました。 

 雲 霞 雫  曇 霉カビ 濡 漏 霧 雷 露 靄  零れるコボレル  霖雨  霤アマダレ 雩アマゴイ    

冬になれば  雪  霜  霰アラレ 

「雨足」 「雨音」  聞いただけで 情緒を誘う 

 歌舞伎の舞台のすぐそばの席を かぶりつき 「雨落ち」 というのですって。

 「雨皮」アマカワ アマガワ   雨天の際、牛車や輿コシ に かけた覆い。
 「雨宿り」は「雨隠れ」アマガクレ とも。  「雨霧」アマギリ に 濡れそぼちつつ…
  
 「雨注ぎ」は 雨だれ。雨のしずく。 「雨垂れ拍子」 想像できる…  パラ・パラ・パラッと 太鼓の音
 兜の目庇マビサシの表面を 「雨走り」 …むべなるかな
 
  洋服のポケットの上から下がった蓋は  「雨蓋」アマブタ
 「雨夜」の品定め…  「雨霰」。 
 
  雨のつくことば、雨を含むことば、雨でおえる詞、 たくさんある。

  「甘雨」は「慈雨」ね   「黄身時雨」で お後がよろしいようで…
 あなたの好きな 雨のなまえ教えてください。 

 (あめりかデイゴらしいと 教えて頂きました。ありがとうございます)

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極楽

2007-06-25 | アートな時間

 

   雨障り、 雨つつみして…  なんと奥ゆかしくて いい言葉だろう。 
   去年、万葉の友に教えてもらった。 

  雨障アマツツみ常せす君は久かたの昨夜キゾの夜の雨に懲りにけむかも      大伴女郎   巻四・519                          
  久かたの雨も降らぬか雨つつみ君に副タグひてこの日暮らさむ                四・520

  降り籠められる日々、 せめて、 やわらかに発想したい。

               -☆-

  ようやく 大回顧展 モネ 印象派の巨匠、 その遺産 へ。 

 モネというだけで、 これまでよく見てこなかった、 知ったつもりでサラッとみるだけ。 モネがそこに在れば、 ただ、モネの絵ね、 好き、いいね、 とか。 その世界に浸るだけ、 雰囲気に満足して、 うわべしか見えないし分からなかった。 こちらに用意がなく、 伝わらなかったのである。

 今回は どうだろう。 
 まるで、 モネの隣りにいて、 制作するその手元を、 穴のあくほど見詰める、 どん欲な自分が居た。  筆の勢い、 置いてゆく色のハーモニー、 タッチはスタッカートで、 あるいはレガートでリフレインする。 交響曲が鳴り響く。  微妙な階調もちいさな音色だがよく聴こえる。  臨場感をもって情感もたっぷりに味わえる、 そんな気がする。  この線の…  強さ、 はかなさ…  はにかむようなピンク…      薔薇色とブルーのあはひ…  それらを確かめて、 共感していた。

  かつて、 これほどこまやかに鑑賞したことがあるだろうか。 きっと、 久々のスケッチのせいだ。  水面を追ったばかりで、こころも高揚しているのだ。 イメージもはっきりと、 まだ掌の中にある。 
 「睡蓮」 のまえで、 しぜんに腕が動いた。 画家のそばで 息をあわせ筆をとるように、 ゑのぐを弾く、 なぞる。  臆面もなく 夢をみていた。
  ほんの少し 巨匠の気持ちも分かったようだった。

 ギリシャ神話から、 パリのシャンゼリゼ通りは、日本風に言うと 「極楽浄土通り」または「極楽通り」(Wikipedia) なのだそうだ。

 アルカディアの続きに戻れば
 オランジュリー美術館の「睡蓮」の大画面をみて 
  「パリの極楽浄土」 は モネの「睡蓮」 の世界にこそ存在するのだ といおう。(芳賀 徹) とある。

  まさに、 これほど多くのひとが 睡蓮の絵のまえに佇み、 浄福をうけているとさえ思われた。
  仕合わせである。    (上の画像は カタログから)

               -☆-

     

  国立新美術館  どこを撮っても面白い   
           

 

 ここから 10分程歩くと ル・コルビュジエ に会える   

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もう一枚の絵

2007-06-20 | アートな時間

 1976年の夏、 三越で  第2回 ロシア・ソビエト国宝絵画展 が開催された。 なかでも 
 イヴァン・クラムスコイの絵は印象深く、 以来忘れえぬ画家になっていた。   
  彼の絵が チケットを飾った。

  馬車の座席の背に凭れた、 美しく上品な若い女性は、 高慢にも見えるまなざしをこちらに向けている。  帽子の羽根飾りやパールに呼応する白は、アイボリーか オフホワイト。 
  胸元に幅広の、 紫紺のリボンを結び、 襟やカフスにあしらわれた毛皮は、柔らかくつやがある。 マフに覆われる手の、 その甲だけがほんのり明るく覗いて…      薄い手袋に透けている。
 ジョーゼットの質感が、 極寒をさらに感じさせた。 誇らしげだが、何処か淋しげな女性、 そのことを、 モノトーンに映えるロイヤルブルーがしみじみ伝える。 

  物語りを感じるタイトルにも惹かれた。   忘れえぬ女 (ヒト)
  画家が忘れられぬひとだろうか、 今はもう逢えないひと。 遠く離れた人を思い出しているのか。  背景は、 寒い冬のペテルブルク、 ネフスキー通り。  靄の向こうの街と、 屋根の淡雪、 まるで
映画の回想シーン。  一瞬、 音が消える。
   

   人物を単に写すのではなく、 内面を描写することを教えてくれた。

  当時の図録から引用する
  クラムスコイの肖像画は、心理的肖像画。 人間の複雑な精神的世界、意志と知恵の極限の働きを熱烈に表現した 忘れえぬ女には秘められた愁いの影がうかがえる。 …ドラマチックな人生の葛藤や時代の流れが潜んでいる。  多くのひとが、 アンナ・カレーニナのイメージを見いだしたがったのは偶然ではない… N.M.サハロワ
              
                 
-☆-

  さて、 きのうの  
  サンクトペテルブルク 国立ロシア美術館展 ロシア絵画の神髄 東京都美術館  に 

   この イヴァン・クラムスコイの絵が三点あり、 ドキドキさせた。
  娘を描いたという 「ソフィア・クラムスカヤの肖像」 (写真左) と、
 「ミーナ・モイセーエフの肖像」(写真中央)。 「虐げられたユダヤの少年」。いじめられひとりでいる少年。 どれも、人物の内面まで鮮やかに写している。 
  その深い分析は 小説におけるトルストイやドストエフスキーの人物描写に匹敵すると言われている。 と。  

   ソフィア・クラムスカヤの肖像       ミーナ・モイセーエフの肖像       クラムスコイの肖像

  ニコライ・ヤロシェンコによる  「イヴァン・クラムスコイの肖像」  (写真右)も見られた。 画家本人を初めて見た。 やはり、 目に力がある。  

 

  彼女に会えるか期待したが、 今回は来ていなかったので、 イヴァン・クラムスコイの もう一枚の絵 「忘れえぬ女」を 図録よりお目にかけます。  

忘れえぬ女

   他、 ヴァシーリー・ポレノフ の 「モスクワの庭」 は二度目の来日。 
             レーピンの 「何という広がりだ!」 勇気と未来への期待、浪が視線を誘導する。   

 「セリの草むら」  シーシキンが好き
  何気ない日常や、 見落としそうな風景、 弱者へのまなざしなど、 柔らかな筆づかいで、ありのままに細密に描いてある。
  意図されたように、 絵画や彫刻、工芸を通じ 千年にわたるロシアの文化、芸術、社会、歴史がわかる展覧会。  ほかの作品はこちらへ。    NEXTをクリックして、 ほとんどの作品が見られます。

 

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おとぎりそう科?

2007-06-20 | 自然や花など

金糸梅 
金糸梅 うめに似た五弁の花びらが壺型に咲く 
  
ヒドコート 
② 金糸梅の園芸種 ヒドコート 花はひとまわり大きく開いている。よく見かける。     

 美女柳、未央柳
美女柳、未央柳  長い雄蕊が立ち上がる 
     

 巴草
巴草 トモエソウは ささ舟さんが教えて下さいました。 
    この画像は Botanical    Gardenさんから。

 ヒペリカム・アンドロサエマム 
ヒペリカム・アンドロサエマム  赤い実がなる(写真:季節の花300さんから)

 ぜんぶ おとぎりそう科   
  でも…    「おとぎりそう」 って? 
 調べてみると 花図鑑さんにありました。 「弟切草」 名前の由来を知って驚きます。 蕾に縦縞。 やはり 蕊が目立ちますね。

               オトギリソウ

 

 

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こんがらかっちゃった

2007-06-18 | 自然や花など

 写真は 今まで金糸梅だと思っていた花。 
 マンションや舗道の植え込みで見事に咲き誇る。
 あでやかさが目立つし、 印象もつよい。

 睡蓮の公園で見たのは 明らかに小さくて壺型、 風情も愛らしく、どことなく素朴(下写真)。 これまで金糸梅だと理解した花(上写真)とは 全体の雰囲気の違いも明白です。 
 それで お尋ねしましたが…

 調べていくと 上掲の 花が大きな種類は 園芸用の改良種 ヒペリカム・ヒドコートじゃないかしら。
 そして、 睡蓮の水辺近くにあった下の写真が 元来の金糸梅でしょうか。 boa!さんのコメントで何となく分かったつもりですが いかがでしょうか
 どちらも 金糸梅と呼ぶのでしょう。 仲間ですね。 でも、はっきりさせたい性格です。
 
 ヒペリカム・ヒドコート と  金糸梅 
 
こちらが金糸梅?
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モネに逢う

2007-06-18 | 自然や花など

  次回の風景 何処にしよう。 それぞれ候補をあげる。

  いいね、 水辺、 睡蓮、 さざ波、 映る翳も

     

   この花なあに? 調べたけれど分かりません。  口をすぼめて3㎝くらいの黄色  
   ふっくら丸い  刺のない薔薇のような~  薫りが全くしない 

  モネの絵のようなグラデーション…   素敵な和紙をありがとうございます。    

  これから モネを見に行きます。  コルビュジエにもあえるかな

                    

 

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ル・コルビュジエ

2007-06-17 | 別所沼だより


     新日曜美術館  今日の放送は
  むしろ『画家』と呼ばれたかった  ~近代建築の父 ル・コルビュジエの真実~

  番組では、サヴォア邸、ロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレットの修道院など建築史に残る数々の傑作と絵画の関係を探りながら、20世紀最大の建築家の知られざる素顔と創造の秘密に迫る。 

   
  建築家 立原道造の風信子荘に 寄せて
      サヴォア邸について 以前UPしましたのでご覧ください

   「レア」 1931 油彩 ル・コルビュジエ 
         画像は   さんからお借りしました。

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むらさき露草

2007-06-13 | アートな時間
 
         
         二番目に言いたいことしか
         人には言えない       
         一番言いたいことが  
         言えないもどかしさに
         耐えられないから
         絵を書くのかも知れない
         うたをうたうのかも知れない
        
         それが言えるような気がして
         人が恋しいのかも知れない

                   「むらさきつゆくさ」   星野富弘
 
 

 絵は見たようにではなく 心で描くのだなあ と改めて思います こころに感じたように… 
同時に 自身の胸の内をのぞく作業、ありのままの自分を映し出すもの
    
 Iさんからの絵はがきをようやくみつけました。 消印もうすれて読めないのですが、貼ってある二枚貝の切手は41円。 どの絵を見て下さったのだろう。 

「 県展へのお誘いありがとうございました。
  早速、初夏の陽差しと新緑にさそわれ、一七日に行ってまいりました。
 まっすぐ 貴女の絵のまえに…
 力強さと自信とが今回の絵には加わったように感じました。
 たびたびの入選 本当におめでとうございます     …後略 」

 うれしい言葉を沢山戴いていた。 ありがとうございます。
 ご無沙汰しています。

             -☆-
  
 星野さんのつゆくさの絵を見たのは この時が初めてでした。
 なにより 添えられたことばにふるえました。 

   二番目に言いたいこと… 一番言いたいことが言えないもどかしさ…

 その頃の気持ちをズバリ代弁していると 感じたから。 絵はがきはだいじに仕舞いました。

             -☆-

 散歩がてら今年の県展、久々です。 顔ぶれもだいぶ替わって。新しい波が起こっている。 その中に 古くから馴染みの何人か。 変わらず挑戦している、難しくても続けて力をつけている。
 全く幽霊会員となった蛙は恥ずかしく大いに反省。けれども楽しく… が モットーだから 今はこれでいいと思っている。

  以前の日記はこちら
 
   
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今日の友だち

2007-06-11 | 夢見鳥

 
  コースをはずれてみたら、 奥は畑になっていた。 
   季節には一面シャガが咲いていたり、 桜の花びらが舞った。
  ほとんど人が来ない  とっておきの場所     

   アニマル模様が行ったり来たり  ことしの花を見て回る

     そっと近づく…   もしもし 
               ツマグロヒョウモンさんですか? 
          黙っているけど そうらしいですね。

   
                           -☆-

    わっ!   姿勢いいね  ムクドリ

     
   口笛吹いて  さっそうと

  
    大股歩きで キュル キュル  

          リャーリャー 

  空が広くなっている。 ヒマラヤスギの枝がすっかり
整理されて。
 あの、 とてつもなく大きな傘が好きだったのに。   
 「むくどりのゆめ」 も 身に沁みた。  

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雨の風景画

2007-06-09 | 別所沼だより

 昼頃から降り出した。ハウスを雨音が優しく包む。 窓は全開、 湿った風が心地いい。 きょうの先輩ガイドさんも素敵だ。 若手歌舞伎の後援をしていらっしゃる。詩も書く。 意気投合し話が尽きない。 

  お子さん連れの若いお父さんたちがつづいた。 建築家や やまもと・たくのゼミ日記の先生、 他に団体さん。
 若い女性はメキシコ在住、 1ヶ月の出張中、 日本語を現地日本人学校で学ぶ。 暮らしの手帖を読んでこられた。 記念館にも。 別所は懐かしいところ。大学時代この辺りに住んで居た。  
   来週には帰国される由。 

  もっと知っていただきたい、 詩集を薦め、 長文の手紙を読んで差し上げた。

  「夕ぐれがもうくらくしはじめた窓のそばでこの手紙を書きはじめます。 あかりはまだともしません。 風が屋根屋根をこえて来て、僕の部屋に吹きいります。それはたいへんに涼しく慰めのように僕の心をいたはります。 僕の心はすこし傷ついてゐるやうなところもあるけれど、それらの傷をそれはやさしく撫でてゆきます。
 花のお招きにたうとう伺ひませんでした…
  あんなに紅い夕雲。 そしてもっと淡く青い空の色…  」
   立原道造    昭和13年(1938)7月15日(金)  深澤紅子宛 より抜粋


   いい手紙でしょう?  読みながら こちらが酔ってしまっている。 

  それ以上なにも言わない。  充分だった。 彼女も共感していた。  詩人の純粋な感情。 胸の奥深くに響くような言葉。  優しいふくよかな日本の「ことのは」、 このような湿り気のある風土に生まれるのかも知れない、などと思わず口走った。

 それでも理解して下さって 「メキシコは標高2000M以上、乾燥しています。」  
  「日本に来るとどうしても亡き母を思い出します…  日本が好きでしたから…」 
  初対面なのに、 両親のことを話し、 手を取り 熱いものがこみあげた。
  潤んだ風景、 水彩画のような今日の別所。  彼女は 「メキシコにいらしてください」  そう言った。  
  
    雨はほどなく止んだが  いつまでも心に囁いている。  
  
   なんと フリーダ・カーロの家の近くにお住まい。 お父様にハウスの絵はがきを買われた。 
 きっと又 いらしてください。  懐かしくなったら 詩人と別所のblogを覗いてみてください。

    

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薔薇の下で

2007-06-03 | 自然や花など

毎朝 散り敷く花弁を掃き寄せる  向かいの家やお隣りにも くるくる舞いながら薫りをまき散らす。 遊びにいった花びらを少しだけまとめ。 全部は追いきれない。  アブラムシの退治…

 やれやれ さっぱりしたと振り向けば すでに高い枝の花が はらはらこぼれ、ばっさり落ちるのさえある。 またも掃き寄せる… いつになっても埒があかない。 鼬ごっこにほとほと飽いて苦笑いする。
 薔薇が揺れる…

 家中の瓶に活け、器に浮かべる。 それぞれの水を替え、 内も外も 崩れる花を摘んだ。 薔薇狂騒曲もどうにか終わる。

 たった1本の蔓薔薇でさえこれだから 薔薇園ではどれほどになるだろう…
 薔薇の下で さまざまの会話をした。 通りすがりの方と、友人と、お向かいさんと。
 剪った花は切り口の養生をして。 ①ペーパータオルに水を含ませ巻き付けて。②銀紙で覆いラップで包む。③短い手紙を添えて大きなビニール袋に入れる。④お宅の雨戸が開かないうちに、門扉に下げて。 待つ間も愉し…   気づくかな…
    
     夕風や白薔薇の花皆動く         子規
     薔薇剪キって短き詩をぞ作りける    虚子
     壺に薔薇フランス詩集翻訳す      占魚?
  
 どれも実感する。いい芳香と貴婦人の装い。 誰しも心に詩や歌が生まれる 
   …さて 
      ⑤粋なお礼状が舞い込んだ!! 薔薇の歌も添えてある。
 薔薇の下に、かならず微笑みがある。

     雷すぎしことばしづかに薔薇を撰エる   波郷 

 大雨や突風に痛んだ薔薇を摘む 棘が近くの葉を傷つける まるで緑に書いた狂おしきラブレター。 支柱を立て直す。
 花が教える人のドラマ。  うれしいことも 哀しいことも。
   
     薔薇崩る激しきことの起る如        多佳子

 こころに深くきざむ想い…

              -☆-

 英国の諺「薔薇の下で」、ラテン語の“sub rosa”を英訳したもので「内密に」と言う意味。由来はローマ神話まで遡る 恋の神キューピッドが母である愛の女神ヴィーナスの情事を口外しないように沈黙の神に頼んで、お礼に贈ったのが薔薇だったそう。(新編 人はなぜ薔薇を愛するか 熊井明子 千早書房) 

 いつも覗いてくださってありがとうございます。 お礼に薔薇のお茶をどうぞ!
薔薇が終わると、らっきょう漬けをする。 新しい薫りに出遭う。
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