別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

歌の秘密

2007-03-31 | 別所沼だより

 谷中・多宝院、立原家墓所に全国からファン80余名、親族代表の立原肇裕氏に続いてお参りする。境内の桜が墓地を守るように咲く。ひっそりと静かに。 
  昭和14年3月29日歿 24歳(温恭院紫雲道範清信士)  
 
 その後 水月ホテル鴎外荘(森鴎外の旧居跡。舞姫執筆の部屋も残されている)に移り式典・講演会が行われた。
 
 ・式辞 ・挨拶
 ・ポエムコンサート 詩集「萱草に寄す」 から 
     朗読   佐岐えりぬ(詩人・故中村真一郎夫人)
     演奏   中村恭子 (フルート奏者)

 はじめてのものに またあるときは わかれる昼に のちのおもひに 虹とひとと ほか 
 フルートと詞がひびきあい心地よい詩のせかいが広がった。
     
 ・講演 「勤勉な立原道造」 詩人・大岡 信 
 今から50年前、1958年立原道造について書いた。立原が亡くなったころ16歳。彼の詩は、当時の自分にとって分かりにくい新古今の模倣だと思った。
 やがて雑誌「四季」の復刻版、全83冊を手に入れる。 立原道造追悼號 昭和14年7月を境に「四季」が変化したことは明らか。立原は「四季」の中心であった。
 それまで立原の多面的才能が活き活きと雑誌のなかに生きていることに気づかされた。 彼は四季の全体を支えていたのである。 津村信夫と立原が入り、華やかで明るくなっていた。

 「風信子叢書の第一篇に(萱草に寄す)と名づけて…」にはじまる覚え書きから

「…僕はこの詩集がそれを読んだ人たちに忘れられたころ、不意に何ものともわからないしらべとなつて、たしかめられず心の底でかすかにうたふ奇蹟をねがふ。その時、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであらうとも、僕のあこがれる歌の秘密なのだ」
 
 立原の音楽へのあこがれはソナチネとなり切なく恋を歌う。音楽をとらえようと詩を作ったと思う。
 生と死の狭間、暁と夕べの間、20歳の淡々しい稀薄な
刹那的な中間者のせかい、自分でも分析しがたいような音楽的感情を持っていた。

 ※ 当て字が適当か悩む。 私の貧弱な語彙で、音声を文字に起こすこと。広い会場の後方、音量の問題など。他の方の感想でもあったが、語尾が聞き取れずもどかしかった。
 大岡信先生に失礼がありましたら 心よりお詫び申しあげます 

 勤勉な… タイトルの勤勉を講演のなかに聞くことはなかった。想像力をふくらませ 勝手に 勤勉を多彩、多方面に置き換えてみる。
 詩人・哲学者 串田孫一の文章のままに
「この詩人の内部には開花を待ち侘びる蕾が、いつも群れるようにあって、それが言葉を選んで咲き、色数の多いパステルを望んで絵となる」

・懇親会 献杯 道造の2歳年下の友人。
・会食 

 粟津則夫氏など著名人ほか ファン150名以上か
 道すがら上野の山で爛漫の桜見物、宴のるつぼに眩惑する。 余情もかき消された。 

 「のりこえのりこえ生はいつも壁のような崖に出てしまふ ふりかへると白や紫の花が美しく溢れてゐるのだが僕はすべてを投げ出して辛うじて少しづつ前に進んでゐる 》光を奪へ!《   (後略)」
    生田勉宛 昭和十三年十二月十三日長崎から (絶筆)

 「不意に何ものかともわからない調べとなって… 心の底でかすかにうたう…」 とらえて放さない。
 写真は 上野公園の桜

 

 

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風信子忌

2007-03-31 | 別所沼だより
これから風信子忌 (上野池之端の水月ホテル鴎外荘で開催)に 行ってきます。
 メインプログラムは、詩人・大岡信氏の開館10周年記念講演「勤勉な立原道造」です。 寒いですが、 いそいそと出かけます。
 
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夢みたものは

2007-03-17 | 別所沼だより

              夢みたものは ひとつの幸福 
              ねがつたものは ひとつの愛
              山なみのあちらにも しづかな村がある
              明るい日曜日の 青い空がある

                  優しき歌Ⅱ  「夢みたものは…」 立原道造 より   

                -☆-


  午後になると   やわらかな陽射しが  冷たい風に戯れる   
   若者は黒っぽい身なりで  そっと入ってきた

     「道造のファンです…」  そう言うと はにかむように 笑みを崩す 

  なにか しゃべらなくては…   ガイドは説明の用意をし

     「お構いなく……」 などと彼は 椅子にかけ じっと沼の方を見ている

   5分もしないのに  立ち上がる
     もう  お帰り?    せめて記帳を 
      「いえ…   外から見てきます…」

         とうとう戻らなかった  ハウスのなかを  ほとんど見ずに…
       ガイドをうるさいと感じたのかも知れない     関わりを反省する

   ナイーブな感じの華奢なひと…
       あるいは 道造その人だったかも知れない 
                        ( 曇りのち晴れ  来訪 13名)  

           

 BISES(Benesse) ビズNo.46早春号 「夭折の詩人・建築家 立原道造が残した夢の設計図」。 美しい写真とともに紹介されています。

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光の春

2007-03-13 | 自然や花など
 
 
ファンファーレが鳴った   春のおとずれ
 
  
 
 
 気まぐれな雨のあと  明るいひかりをもたらし
水のダンスに興じた

歓喜としぶきがあがる  辛夷が咲く 
 しらさぎ舞うごとく     
 
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もうひとつの真実

2007-03-09 | アートな時間
現実の感覚 ルネ・マグリット


  シュルレアリスム展 謎をめぐる不思議な旅 は問いかける。

 「現実とはいったい何なのか。 私たちが普段接している日常は、本当の現実といえるのか。 現実と夢の境界は果たして存在するか」

  現実をめぐるこういった謎に正面から向き合った芸術運動が、シュルレアリスム(超現実主義)でした。 第1次世界大戦など西洋の近代社会の歪みが露呈し始めた20世紀初頭、パリに集まった若い芸術家によって立ちあげられたこの運動は、1920年代以降、世界各地に拡がり、文学、美術、写真、映画など、広範囲の文化・芸術に深い影響を及ぼしました。 (パンフレットより)

  「見えるもの、形あるものが現実のすべてではない、 見えるものの背景にあるもうひとつの真実に目を向ける」

  今月は自画像である。 それぞれ鏡のまえ。  自身のことは性格や姿かたち、 すべてを知りすぎていて描きにくい。 どんなに誇張しても相手が自分で責任は軽いが、 匙加減で若くなってもこれは詐欺。
  真に迫るかといえばそうはいかない。 現実は見たくない。  それに技量不足、 観たふりしながら見えてはいない。 客観的に見るほうがよほど楽だ。

 タイムリーな展覧だった。   

  
「美は痙攣的なものであろう。さもなければ存在しないであろう」 
 アンドレ・ブルトン

 心にのこることば。  美は心が痙攣しないと存在しない。 
  心が動く。  驚く、 ぞくぞくする、 わくわくする、心地よい、 釘付けになる。 おもしろい。 身震いする。 悲しい。 
  心を飢えさせてはいけない、 童心を持ちつづけ
常識を捨てるところから始まる。

  とても面白く、 シュールな世界は心を解き放した。 これから 力を抜いてキャンバスに向かう。
  自分の特質はなんだろう。 見えないところに本当がある… 隠していても描けば出てしまう。   自画像は 真実を打ち明けるのだろうか。  

  出品作家  ジャン・アルプ  ハンス・ベルメール  ヴィクトル・ブローネル  アンドレ・ブルトン  サルバドール・ダリ  ジョルジオ・デ・キリコ  ポール・デルヴォー  マルセル・デュシャン  マックス・エルンスト  レオノール・フィニ  パウル・クレー  マン・レイ  ジョアン・ミロ  パブロ・ピカソ  イヴ・タンギー  他     

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翡翠

2007-03-07 | 別所沼だより

        

  
  午後4時の樹下をいく。  
  フェンスの向こうを、 青の鋭い線が走ったことだけは覚えている。 ほんとに、 あっという間の出来事。 気づいたときには 小魚を銜えていた。


  初めて会った。 
 それはそれは鮮やかな低空飛翔、 急降下したと思うや何か捕まえる。 


  体長17㎝くらい。 嘴が目立って大きい  瑠璃にコバルトがアクセント。 栗色が胸から腹へグラデーションして。  足は赤く、 喉と首の横が白い。 こんなおしゃれ 誰から習ったの。   ところで  君のごちそうは? 
   カエル!!!  魚  昆虫     


 翡翠 カワセミ うつくしいヒスイだ  雨乞鳥  水恋鳥とも  (夏・季)
               くわしい画像はこちら フィールドガイド日本の野鳥 (高野伸二著)


     はっきりと かわせみ色にとびにけり         中村草田男
     翡翠カワセミ の掠カス めし水のみだれのみ      中村 汀女


                     -☆- 


 今日の別所沼公園、 春なかば。 風が冷たい 
   

 
             日々のなかでは
          あはれに 目立たなかつた
          あの言葉 いま それは
          大きくなつた!

          おまへの裡に
          僕のなかに 育つたのだ
          ……外に光が充ち溢れてゐるが
          それにもまして かがやいてゐる
                  「樹木の影に」 抜粋     立原道造

                    -☆-

 
             

     ヒアシンスの花が痛んでいる   運動場になってしまったらしい  残念だ           

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魂の塊

2007-03-06 | アートな時間

  
    「―青磁を極める― 岡部嶺男展」  東京国立近代美術館工芸館
 ことし故宮より学びはじめの青磁は、 出光の「志野と織部」に繋がりました。 沼暮らしには不似合いの織部も求めた。

  初心者の知る楽しみを応援とばかり、招待券が届いたのです。 ありがたきこと、 降って湧いた幸運に驚喜しました。 お身内の愛蔵品も出品されるとか、興味津々、春の嵐もものかは 勇んで出かける。 美術の内覧会は初めて。

  岡部嶺男は 陶芸家・加藤唐九郎の長男です。織部・志野・黄瀬戸・灰釉・鉄釉など地元の伝統技法をもとに作域を広げ、なかでも全面に縄文を施した織部や志野の作品は極めて独自性が強く高い評価を受けた。(パンフレットより)

              -☆-

 「青織部縄文塊」(上写真) 高さ41.5 幅35.6 奥行き36.2㎝ 圧倒するつよさ、重量感で迫ってきます。 陶芸、彫刻、絵画、音楽、そのいづれでもない、すべてを抱えた芸術、 魂が塊となった作家の激しさに目を見張ります。 
 (縄文は 羽子板のような形の叩き棒に、荒縄を巻き付けた道具で、土の表面を叩いて作り出された) 

 大いなる力に取り込まれました。 思い出すことがあります。
  「現代を代表する陶芸家として高い評価を受けている岡部嶺男。
 しかし一方で彼は「孤高の陶芸家」とも称されている。
  戦後最大の美術界の偽作騒動として有名な 「永仁の壺」事件、 父親である加藤唐九郎と絶縁し、その後一切唐九郎との同時掲載を拒否した。 故に、 作品集と呼ばれるものは1冊しかない…」 
           (小学館 「岡部嶺男作品集~陶愁~」 近刊より)

  厳しさ、つよさの根源ともみえる。
 その力は荒々しく怖ろしいものでなく、 何度も観るうちに安堵感に変わっていました。 作家の息づかいが感じられる、人の手になる造形は やはりあたたかいものだなと思います。 
  つよいもの、 絵画的なものに惹かれます。  

           -☆- 

  粉青瓷茶盌   古青瓷双耳砧

  やがて秘色へと昇華され、貫入(カンニュウ 釉薬をかけた面にできたひび割れのこと)による宝石のようなのも。 作品をたどるうち、 ものをつくる…  ゼロから立ちあげることのすばらしさに感動します。 作家が探求し情熱を注いだ作品は、それぞれ荘厳な楽曲とともに語りかけてくるようで、ゆっくり鑑賞しました。

  形の美しさ。 香炉水指志野のやわらかさ。 織部にひそむ耀き、深々とした濃い緑。 ぬくもり。 逸品に目を奪われ興奮気味… メモをとるのももどかしく 眼も心も忙しい2時間でした。

 玉ギョクのような青磁の色、面のなめらかさ、 光、 鋭い固さ。 粉青瓷(しっとりした艶がある。不透明)、透明感のある翠青瓷、はじめて為し得た窯変米色青瓷など。

  印象は図録とともに 鮮烈に残りました。 芸術家は 常にあたらしいものに挑戦し 楽しかったに違いないと、こちらまで幸せ。 つよさのなかに 温和な微笑みも感じました。  (展示176点)  

     ご案内は こちらへ。  写真は 絵はがき・図録よりお借りしました。

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雛の間

2007-03-01 | アートな時間


    春風に誘われお雛さまを見にいった。 遠山家の雛段飾り(家庭画報 2007年3月号に掲載)は、 大広間に江戸の段飾りと、 京阪地方の御殿飾りを展示している。 

  美術館ではコレクションの大きな享保雛(上写真 江戸中期~後期、 高さ 男雛31.5㎝ 女雛 25.0㎝)が好き、面長、能面のような顔も気品がある。    

  そのほか象牙雛 (男雛の高さ8.3㎝ 頭の材は象牙、 衣裳は上質の金襴と非常に贅沢なものである。 江戸中期、雛人形は豪華で大型化、華美に走る傾向を禁止した)、高さ2~3㎝の芥子雛、 現代の雛人形の元となった古今雛、 丸顔に引目鉤鼻の愛らしい次郎左衛門雛(立雛)、 雛道具、 犬筥イヌハコ(雌雄一対 中に安産守りや紙などを入れ産室に飾る。産後はこどもの枕元に置きお守りとした) など。 

  こちらで 雛人形ほか日本人形の数々が御覧になれます。

    ねらいは もう一つ。

  記念館の邸宅は埼玉県比企郡川島町出身である日興證券の創立者・遠山元一(明治23年~昭和47年)が幼少時に没落した生家を再興し、苦労した母・美以の住まいとするために建てられた。

  伝統的な日本建築にふれ、 心が落ちつく。  部屋の細部はもちろんのこと、 灯籠、 濡れ縁の遊び、 飛び石の配置、 蓮子窓のあかり、 枝折り戸など。 松籟を聴き、 壁や障子に揺れる翳を追った。     

  

  懐かしさに  胸が苦しくなる。  当然、 これほど立派な家ではなかったが、 暗がりから、 ひょいと祖母や父が出てきそうなのだ。 

     

  遠山記念美術館は 30年以上まえ、ワイエスの絵に始めて出会ったところ。 中南米の染織をみたり、 義母や母をつれ幾度も訪ねた。 

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かぎろひの

2007-03-01 | 自然や花など

    
    春は萌え  夏は緑に…  萌える   燃える

     風が揺すると   若い芽がのびをした 

     陽光が  鮮やかに映しだす  

  葡萄色  楝色  蘇芳  檜皮色  代赭   鈍色 
  鳶色  脂燭色  朱華  二藍 ……   秘色…
      

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