別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

写実力

2007-12-27 | アートな時間

 漱石や白秋をうならせた
 平福百穗ヒラフクヒャクスイの
 「七面鳥」 1914(大正3年)

 紙本墨画淡彩 6曲1双  
165.9㎝×358.4㎝ (写真は画集より部分)

 アララギ派の歌人としても名高い百穗の迫力のある描写は 

 輪郭をとらず 墨の濃淡だけで七面鳥そのものに迫った。 子供のころ怖いとおもった大きな鳥が美しくさえ見える。 今にも動き出しそうである。

 滲み、 ぼかし、 たらしこみの技。  頭も足も羽も、 ふわふわした感じも七面鳥そのものである。 自宅で水鳥や七面鳥を飼って観察していた画家。 その庭を訪れた斎藤茂吉も歌にしたことがあるそうだ。  白秋は写真にすると七面鳥らしくない と断言している。 


  自分が描いた拙い画の方が却てそれらしいと人が云ってくれるから不思議である。 墨でブルブルと描いて頭に碧と朱をちょいちょいなすっただけのものである。 

  厳正な写生では案外にその気稟がでない。 よく観て、いったん頭の中に収めて、 それから坐って 両手を張って見て、 ブルブルぶうと唸って見て画くことだ。 


  できあがる絵から 
鳴き声もたたらも聞こえてきそうだ。 ブルブルぶうと唸って… とは いかにも白秋らしい。 よく見て! さらに、もう一度よく見て…  いくら頑張って描いても それらしくはならないのだから。 

 

 

  

   拡大写真  左隻       右隻

       
                 -☆-


  お忙しいのに  毎日覗いて下さいましてありがとうございます  本年は これにて店じまいいたします。 来春も どうぞお元気でお越しくださいませ。

 

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冬の薔薇

2007-12-21 | 自然や花など

 

  色濃く咲いた冬の薔薇、 エミール・ガレの薔薇に似て、 夏の花とは明らかに違う。 花数も少ないが、 木枯らしに耐え、 葉も赤みをさして強さをみせる。 初夏の軽やかさにくらべ、  凝縮された芳香を放つ。  
  静かな風情だが  大いなるものを秘めているようだ。  薔薇の下で… 何かが起きる。 
  …偽善の花よ、 無言の花よ… (グールモン)

   薫りだけ残し… て。 


  旅先で買った薔薇のポプリは、 半分だけ容器にあける。 いつもの習わし。 のこりは何年も飾り棚の 上段に置かれ、いつまでも袋の中。  口をわざと緩くして、扉を開けるたびにふわり、 香りが飛ぶ。 古びた思い出の懐かしい雰囲気までたちのぼらせ、 袋の中で熟成し、 黴びるはずの風景も刺激も、 純度を増している。

  忙しい冬の日に、 なんども開け閉めをして、 風圧に流れ出るカオリをそっと愛でる。 乾燥しても失わない植物の匂い。 褪せた色のトウヒも混じって、 アンの物語りまで運んでくる。  

       

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よき日和

2007-12-18 | 犬のブロンコ・ダン

  
                   八方睨み…


 

     

    

   
    皆さん  お忙しそうです       来年の干支?  知りまへん ネ! 

   写真 別所沼公園で

 

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冬の彩り

2007-12-15 | 別所沼だより

 

            ある人は        立原道造

 
          ある人はうつくしい窓を持ち
          椅子に凭れて眺めるといふが
          僕の窓には黒ずんだ埃ばかり


             高い空を流れる雲の せめてあのあたりの
           青い色をと思ふのだが
           いつかの日にはそれさへ曇天の灰色だった  

           
           いつそ潮風でも吹いて来て
           海がひろがつてくれればいい
           この窓から  ヨツトに乗るんだ


 

   


   葉を落とし 枝ばかりなるメタセコイアの、 鳥の羽か  魚の骨か… 
      いとほそやかに聳え…  寒ざむし。  向こうの空、 奔る雲。

  晴れ 気温10度。 風もなく穏やかな日和。 窓を開け日射しをうけると、 部屋は暖かい。 来訪者18名。  様々な出会いがあった。  

   とくに熱心な方が多い日。  30分以上は滞在された。 切れ目ないお客様、 ガイドはひとりで面白く、 一日中しゃべり通した。  感性の豊かなひとに囲まれ、 響くものがある。


    ニットやジュエリーのデザイナーさん スケッチをしにいらした。 女性と意気投合し、 道造の、 ちょっと甘えたような手紙を、 しゃがれ声で読ませていただく。


  広告デザインの方たち。  ガイドは名ばかり  頂くものが多い。 猫が好き!

  近くの現場に来ているのでと建築家、 「浦和は良いところですね」 なんども褒めて頂く。 うれしきこと。 専門家の眼でこまやかだ。

  これからは 風雅に目を向けたいと 世代もおなじ女性の決意。 はじめて、高橋千劒破チハヤ氏の講演 「花鳥風月の日本」 を聴いたばかり、感動さめやらぬ面持ちだ。   これまでは かなわぬことだったので。  

  歌詞を依頼されて思索中のかたに、 道造の詩集をすすめ、 手紙を読んでさし上げた。 押しつけかも知れないが 黙って聴いてくださった。 詩情を育てる故郷のこと。 5歳のお嬢さんと遊んだ。

 
 窓越しに 声を掛けて下さいました やまもと先生 ありがとうございました。       
  中央図書館へ これから行ってみます。  
                 


 水面を埋め尽くす枯葉の 隙間をブルーが染めている。 思い出したように鴨が過ぎる。  
  厄介者と言われるけれど  この枯色がとても好き。   

  ふと見れば、 目のまえの柵に…  翡翠が2羽もいるじゃない。  カメラをゴソゴソやるうちに見失った。 くやしくて 4時まで粘るも、撮れなくて塞いでいる。 

 

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存在の美

2007-12-12 | アートな時間

  … 君は神秘を感じないか
    それは美だ、在るといふ事の美だ。
    美は神秘の形だ 
            略   …
    

                 -☆-

        

  先日、 うらわ美術館で開催中の「画家 岸田劉生の軌跡」 を見た。

  高橋由一と岸田劉生、  この明治と大正の卓越した写実画家の間には、たしかななにか藝術上の血縁といったようなものが存在したのではなかろうか。  劉生の父、岸田吟香は文明開化の第一線を走り続けた…  蒸気乗合船の経営、新聞の発行、銀座の氷屋 など… 
  
企業精神旺盛の快男児… 由一の生涯の盟友となり、よき理解者となり、パトロンともなった。 親密な関係は由一の晩年まで続いたらしい…         
  

  
これらを だいぶ前に芳賀徹著 「絵画の領分」 のなかでワクワクしながら読んだものだ。 

  父が所有する由一の絵を幼い日から、 身近に感じ見ていたはずの劉生…
  由一のトンネルや、石橋に対して赤土の切通しの絵。 異様なまでに執拗な細部への追求…
 
父の偉大な旧友について、 どこかでつながりをもち、宿されていたのではないかと、私は思いたい…    

 と 熱い。 
 思い出して 関心も高まる。 吟香は和英辞書の編纂や目薬の製造販売、 などに携わる。 … とびきりハイカラな生活だった。 
  ところが 1905年  劉生14歳で 両親とも他界。

 


  岸田劉生、 わずか38年の生涯に、洋画280点ちかく、日本画は1000点近い。 装丁画110余点 をのこした。 今回の展示は 肖像画、 水彩 装丁画など 約120点。 
 
  静物画、 物体の圧倒する存在感、 質感、光りを放つ個体の重量感に見入った。 グロテスクとも思える肖像画、 エッチング。
  初の目薬、  「精水」の実物も展示。 
  硝子の瓶に 岸田目薬 岸田吟香 東京銀座 の文字がみえる。

     其処に、 在るてふ事の不思議さよ 
    実に ひれふして、 祈らんか、 されど彼は答へはすまじ
    実に、只描け在るてふ事を 解き得る迄    
                   「詩句ある静物」   岸田劉生

 すぐにあきらめたり、 妥協しない。 きもちの強さを思わずには居られない。 徹底的に探求し、 リアリズムを越え 「内なる美」 に迫った。 
 林檎だけでも 20日間…  試行する日々

      
 
  上 静物(赤林檎三個、茶碗、ブリキ鑵、匙) 要二十余日  
  下 静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)  要十日間程 と日記などに。
  (目録がないのでうろ覚えですが どちらも今回なかったような…)

  「かきはじめて見ると乗気」 「大分はかどり」 「更に深くはなった」 「サジの光れる細き線や茶碗と机の不思議なる感じ中々むづかし」 …… 「早く仕上げんと思へど描けば描くだけ描く処がふえて中々仕上がらず」 永くかかって… つらい…

  額に入れてみると鑵が弱い… 

 見ては いじる、 拭いたり消したり 加筆する。 おなじだなあ…   悩み抜いている。 比較にならないが。
 
                 -☆-
 
  蛙も片瀬川や鵠沼へはときどきでかけ、むかしの風景を探している。  友人夫妻はともに劉生の熱心なファンで、 お子さんに「麗子」 と命名。 
 蛙にとっても五歳の麗子像は特別だ。 今回はなかったが「麗子微笑」も。 毛糸の肩掛けをしている。 モデルの内面をも写すと、 そのとき学んだ。

 

 

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いい尽くされず

2007-12-08 | 自然や花など

  クヌギ、ケヤキ、コナラ、ムク、シデ、シラカシ、スギ、ホオ、ヒノキ、エゴ…・・・ 
 義姉を誘って 雑木林を歩く。  武蔵野の風情をとどめる平林寺(新座市)は、 禅の厳しい修行道場である。  樹齢五百年の高野槙が出迎える。
  紹介のページ (季節を変えて沢山の写真が見られます)

 

  


  なかば黄いろくなかば緑な林の中… 澄みわたった大空が梢々コズエコズエの隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさいいつくされず… (國木田独歩 武蔵野)



  

 
 下草は、 青々とした竜の鬚、蛇の鬚とも。   晩秋から冬の間、 碧黒い珠実をつける。  根元を分けるとひっそりと光って。 弾むこの実を、 鞠つきのようにして遊んだ思い出がある。


      日当りの土うきうきと竜の玉       みづえ
      鵯ヒヨドリや手にして淡き竜の玉      瓶子

 

 

  

  青い耀きは 瑪瑙やラピスラズリ、  黒真珠か翡翠もある。 ふたりとも  夢中になって集めた。    万葉集にある 山菅ヤマスゲ は 竜の鬚とも言われるらしい。

    
   ぬばたまの黒髪山の山菅に小雨降りしきしくしく思ほゆ    柿本人麻呂

 

  紅葉の種類により、 かたちや彩りに微妙な違いがあること。 散り敷いた絨毯の模様に目を奪われる。 木の実を拾ったり 囀りを聴いた。 
 折しも 木の葉時雨に遇う。 金の蝶がくるくると舞い、 裏返り、 陽に照らされかがやく。 向かいの翳を横切り、 降りしきる。
  ああ なんて美しい光景、 しっかり心に焼きつけておくんだ。

  足裏の落ち葉もカサコソ快く、 枝付きを踏むと幽かな響きを伝える。 ドングリが砕ける乾いた震動や感触など小さな喜びとなってゆく。 落ち葉はベンチも隠していた。


      足音を迎へさわだつ落葉かな      汀女
      
静さに耐えずして降る落葉かな     虚子


  雑木林に遊ぶ楽しみ、  まさに いいつくされず… 

      

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粋な意匠

2007-12-07 | アートな時間

 乾山の芸術と光琳 を見にいったが 深いことは判らず。 ただ、 色が美しいとか、 カタチの好みだとか、 デザインに惹かれたなど。  絵をそのまま立体化するように、 描くように造られた器は、 料理を盛りつけてこそ完成である。  高級什器を、 奥行きのある一幅の絵として拝見する。 それぞれの器を取り巻く、 宇宙を感じた。

 

 これは はじめて会ったかも知れない


  尾形乾山作 
  色絵能絵皿  十枚     

 各2.8×11.0×19.2 拡大

 タタラによる型打成形。 全体に白化粧を掛け、表面には大和絵風或いは琳派風の筆づかいで、 能の演目の一場面が描かれている。 側面は菊藤文を型紙摺して。

  一枚の裏に十の演目を記し、 九枚には謡の一節が書かれている。 

 

  分かったのは杜若だけ、 そう言えば、 芍薬が見られるのは通小町、 会場では気づかなかった。


     哥人の家の 
    このみには人
    丸のかきほの柿
    山のへのさゝくり
    窓の梅薗の
    桃


 
 延宝三年(1675) 十二・三歳のころ、乾山は「寛三郎」と名乗る能の演技者であったことが近年明らかにされた。   (写真及び引用はカタログから)


                
-☆-

      
  何をするにも、何を見るのも素養がなければ鑑賞も浅い。 情けないものでした。  造形に嵌められる文学的なものなど、 教養にあふれている。 外国の陶磁をモデルにした色絵の皿や向付など、 旺盛な創造の世界は、 職人であり芸術家。 兄光琳をときにリードしていた。 遊び心いっぱいの 楽しい造形が器になったようだ。 見応えあり。

 

  メモ

  銹絵独釣図角皿  
  山水画、 漢詩、 書のハーモニー。 
  銹絵掻落雲唐草文大鉢 
  口径31.6の大鉢。 釘彫りによる掻落も軽快で 創るのも楽しんだに違いない。 銹絵牡丹唐草文鉢、 銹絵牡丹唐草文角向付など

 
 
  
銹絵染付絵替土器皿(上写真)  絵柄も配置も面白い。 斬新なデザインが とても気に入り。 

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どちらを見ても

2007-12-04 | 別所沼だより

          



   また、 紅葉  もう飽きたなんておっしゃらず 別所のも見てくださいね

   視界が開け こんな装いに出遇うと   心に羽が生えたようになる

    空を舞うような心地    足どりで  

 

  

 


  午後になると 釣り人もなく静かな沼   水鳥だけが騒がしい
    なかに 雁擬まで混ざっているらしい     鴨と雁の 違いは?  
     すーと寄って  雁首揃え   餌をねだるようになってしまった 

 

   
           鳴き合ふ時 鴨の青頸瑠璃含む          知世子
           鳰鳴くや落葉踏みくる茶の帽子           鷹女 

  午後3時を過ぎた別所沼です   冷たい風が時折吹いてさざ波がたつ
  鴨たちは 小刻みに羽をふるわせ 水面を滑走した 

  

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公園のアート

2007-12-02 | アートな時間

 

  埼玉県立近代美術館 一般展示室 2007CAF.ネビュラ展 12月9日まで
  現代美術を鑑賞した。 抽象を目の当たりにして かえって心安まる気がした。 作者の都合に反して、 イメージも朧なれど。 全部をゆっくり見ることが出来なかったのが残念だ。  
  解説があれば なおさら良い。

 

 


 
  野外インスタレーションもある(2日のみ)。  「踊子は」 立原道造。
   先日のおふたりが、 綾錦をまとった楓や公孫樹のもとに、 無限の想いを創造していた。  自然と一体になる。 風に揺れ 身をまかす踊子。 枯葉が舞い翻る。 それらを聴き、 耳で見ながら いつまでも童心を持ちつづけたい。  難しいことだけれど、 純粋なこころこそ芸術… と気づく。

    

                        
              インスタレーションは もう一点 「HAGOROMO] in Japan 
いずれも 創作途中でした。

 

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