冷気に当たって色濃くなった 風蝶草
まだ まだ 元気です
10月9日 金曜
ホーチミン市は、 ベトナム戦争終結後開放される1975年までサイゴンと呼ばれていた。 ベトナム最大の商業都市です。
かつて プチパリと称えられた美しい街並は、 街路樹が整然と並んでいる。
まっすぐな高い木は何というのでしょう。
郊外にでると、新しい家が目立つ。 ハノイでは雷が多く 殆どの家で(間口4m×奥行25m×高さ25m)4本もの避雷針を立てていた。 ホーチミンではほとんど見えない。
メコンクルーズ
ホーチミン市から国道1号線を南西へ約2時間。 メコンデルタの入口、 ミトーに着いた。 バスからモーター船に乗り換える。
母なる大河 豊かなメコン いくら眺めても見飽きない
水源はチベット高原、 中国雲南省を南流してミャンマーとラオス国境線、 タイとラオスの国境線を流れ、カンボジアを貫きベトナム南部にメコンデルタを形成し 南シナ海に注ぐ。 総延長 4020㎞ 流域面積 約81万k㎡
風が吹いていた。 ただちにカッパが配られ降り出した雨は横殴り、 ひとしきりで止む。 ビニール合羽で蒸されて、また暑くなった。 紅土が流れ出るからか濁った河。 想像を遙かに超える大きさ広さ。 感嘆詞ばかりがついて出る。
中州のトイソン島に上陸。
ココナッツキャンディ工場で 工程の大まかな説明と、 サトウヤシの汁と麦芽を煮つめるのを見学。 地雷で腕を失ったひとも。 枯れ葉剤の影響は三代にも渡っている。 戦争を忘れることはできない。
それにひきかえ安価な椰子飴。 たくさん求めた。 カンボジアの遺跡では、裸足の少年からガイドブックを買った。
蜂蜜の試食や 果樹園でもぎたてのパパイヤ、マンゴー、ザボン…の試食、ベトナム民謡を聴いて。スターフルーツが青い実をつけている。
ここからは手漕ぎの舟で。 みんなベトナム笠を被りメコンの支流へ。 ニッパヤシの低いジャングルを進んだ。
現地ガイドが念を押す 「縁に手をかけない、 舟から手は出さない…」 乗ってみてそれがよく分かる。
水路は狭い。 戻る舟と、船着き場へ向かう舟とが、 勢いよくとても強く何度もぶつかるのだ。 縁に手をかけていたら骨折するところ。
凄いな… 悠久の歴史 その流れ
風と 匂い 音を感じて 今 写真の整理
気がつけば そぞろ寒さを感じるこの頃、 かの暑い国をずっと思っていた。
そろそろ旅日記を終えよう。 書き残した料理のことや、 いきいきと暮らしていた人たちのことは生涯覚えていようと思う。
人類のかけがえのない遺産、 自然や文化、 無形の残したいものがいつまでも守られ、 その国に住む人たちがどうぞ幸せでありますように。 感謝をこめて
パパイヤが実り、バナナが大きな葉をそよがせている。 スターフルーツの青い実や、ラグビーボールくらいのドリアンがたわわだ。
花はブーゲンビリアや、カンナ、カランコエ。 緑はクロトン、竹など。
ハノイの文廟では プルメリアも咲いていた。
ベトナムを代表する花は蓮で、 ベトナム語でセンという。 国花ではない。
蓮は 聖なる花の象徴。 (↑写真) ホテルロビーにさり気なく置かれていた鉢。 あの大きな花弁を、 ひとひらずつ小さな三角に折り畳んで小ぶりにしたのを、水にたくさん浮かべている。 うまい飾り方だ。 手間をかけることを厭わない人たちだ。
ベトナムでは、花を愛でるばかりでなく、 花びらから作るロータスティー(蓮花茶)、 実を砂糖づけしたお菓子など。これは日本でも食べている。 買ってきたロータスティーは茶葉が多すぎたか、 化粧品のような強い匂いがした。 ジャスミンよりきつい香り、 こんどは少ない茶葉で丁寧に煎れてみよう。
パッケージの文字は ベトナム語と英語、それに 「傳説四千多年前、神農氏偶然發現有葉子飄入其……」 延々続く。 偶然發現… 有葉子 飄入… 読みながらひとり愉快だった。 どうやら4千年あまり前から飲んでいたらしい。
茎をサラダにした 「ゴーイ・セン」。 すでに、 口にしたかも知れない。 百合の蕾も食べたから
センのつく料理は、ほかに
ゴイ・ゴーセン
(ハスの茎、海老、豚肉などをヌック・チャム(湯で薄めた魚醤に砂糖、ライム汁、ニンニク、唐辛子を浮かべてある付けダレ)で和え、砕いたピーナッツをたっぷりまぶす)。 ソイ・ガー・ラー・セン ハスの葉でくるんだ鳥おこわ
ベトナム航空機も 尾翼に蓮花が描かれている。
ミトーに向かう折、 国道沿いの運河に蓮や睡蓮の花がちらちら見えた。 牛だって寝そべっていた。
まだ こころは熱帯にある。 あと一日分の 絵日記が残っている。
10月8日 午前5時48分
シルエットを 今朝の光がつつんだ
茜雲がたなびき ふさわしい曲と 微風と
固唾をのんで 見守る
6時6分 太陽が顔を出す瞬間 琴の音は高らかに響く
-☆-
プレ・ループ
創建 ラージェンドラヴァルマン二世 961年 信仰・ヒンドゥー教(シヴァ派)
ピラミッド式寺院 死者を荼毘に付したという石槽が置かれ、 火葬の儀式が行われていたことがうかがえる。
3層のラテライト(紅土)造りの基壇状に、 5其の祠堂が並んでいる。
急な階段を登ったり降りたり、 暑いが、連れは元気。 蛙は汗疹だらけ。
バンテアイ・サムレ
環濠と高い塀(6m)に囲まれた寺院。サムレとは「族の砦」の意。 創建 スールヤヴァルマン二世 12世紀初頭 ヒンドゥー教
各塔の破風の彫刻もみごと
スラ・スラン
王が沐浴するための池700×300m 子どもたちが水遊び中。
バンテアイ・スレイ
周囲約400mの小寺院 外壁は赤色砂岩とラテライト(赤色の風化土)
朱色の砂岩にヒンドゥー神話が 彫りも深く彫刻されている。
神々の彫刻がみごと。
アンドレ・マルローが 祠堂のデバターに魅せられて盗掘、 国外に持ち出そうとして逮捕された。 後に 小説「王道」に著す。
とくに ↓中央祠堂のデバター像は 「東洋のモナリザ」 と呼ばれている。
再び ベトナムへ戻る
シェムリアップ発17:20 ホーチミン着18:20
雨あがりの午後、 姿は見えないけれどインコや蝸牛の歌が聞こえている。 聖池に映るアンコール・ワットです。 10月7日 午後
解説はいりませんね。 でも 自分のために
創建者 スールヤヴァルマン二世 創建 12世紀前半 信仰 ヒンドゥー教
南北 約1.3㎞ 東西 約1.5㎞、幅 190m、周囲 5.4㎞の濠で囲まれている。
中央祠堂は世界の中心山で 神々が住むメール山(須弥山シュミセン)を象徴し、周囲の回廊は 雄大なヒマラヤ連邦、 環濠は無限の大洋を、ナーガ(蛇神)は不死の象徴。神と人間界を繋ぐ架け橋に見立る。(地球の歩き方)
長さ600mの参道を進むにつれ、中央祠堂や尖塔は見えなくなった。 スコールに洗われた壮大な遺跡が目の前にある。 アンコールワットの見学が午後に集中するのは、逆光をさけてと実感する。
巨大な寺院群をもつクメール王国はインドシナ半島のほとんどと マレー半島の一部を領土としていたこともある大帝国だった。 ここシェムリアップ地域は王国内で最も豊かな水の都。 平城京の大和盆地になぞらえて、どちらにも数百を超える寺院が建てられ、 そのなかで東大寺に匹敵するのが アンコールワットである。
はるか昔 習ったかも知れない。 比較で わかりやすく身近になった。
クメール人たちは、その宗教的、文化的小宇宙をアンコール遺跡に結集させた (「アジアの至宝 アンコール遺跡」 NDN Books)
回廊の浮き彫り、 わずかに彩色が残っている。 絵巻を見るようなレリーフは インド古代の叙事詩、 スールヤヴァルマン二世の行軍、 死後の世界を表した「天国と地獄」など 描かれている。
↑奇抜な髪型のデバター(女神)は へそ出しルック。 サロンの(一枚の布を、スカート風に腰に巻く)模様も見えている。 第二回廊内側 東壁。
柱の透かし彫りなど、彫りが深い。
次々現れる芸術は、 そのエネルギーに圧倒される。 茫然と立ちつくした。
豪壮さと華麗さで、席巻する。 創建当時に思いを馳せ息を呑んだ。 遺跡は世界の注目を集め今なお進行形だ。 国交も開かれていなかった時代から保存修復にあたる上智大学のアンコール遺跡国際調査団の働きなど。
目覚めつつある世界遺産をまえに、興奮し震えがとまらなかった。 神にちかづく、第三回廊は現在修復中。
-☆-
メモ
・参道は7つのテラスをもち、 両側に聖池が広がる。 聖池は沐浴のため、同時に 灌漑のため。・メコン流域に肥沃な土地をもたらした紅土(テール・ルージュ)。玄武岩が風化して出来た。 濃い緑と赤い土に惹かれた。
・ アンコールワットに残された日本人の墨書、14箇所。 森本右近太夫一房のこと。
・プノン・バケンの丘を登ってサンセット観賞。
アンコール遺跡群の中で最も高所にあるピラミッド式寺院プノン・バケン。 創建は9世紀末。 ぬかるんだ急勾配の参道をのぼり詰めると広場にでた。 さらに遺跡の急な石段を極めると 360°見わたせる。 はるかジャングルの中にアンコールワットの祠堂が かすかにみえる。
1時間前から待機したが、 雲隠れに終わった。
明朝、 アンコールワットのサンライズ観賞。 4時起きする。
カンボジア… 南瓜……
10月7日・水曜 アンコール・トム遺跡観光 バイヨン寺院
この微笑みに 出会ったことはないでしょうか (10月7日 水曜)
アンコール・ワットの造営から遅れること半世紀、 周囲約12㎞の城壁に囲まれた王都が造られた。 これがアンコール・トム(大きな町という意味)。 その中核が 「バイヨン寺院」です。 創建者 ジャヤヴァルマン七世 12世紀末 信仰 仏教
↑ 南大門前で下車。 道の両側にナーガに先導されて 神々と阿修羅像が続いている。 (写真左側) コブラが頭をもたげるように見えるのが ナーガ゛(蛇神)である。 遺跡や欄干にもたくさん見られる。 鱗もついて。 舟でもある。 拡大
四面仏塔が囲んでいる寺院。 観世音菩薩は 中央祠堂と尖塔の頂部にあわせて54面あり、 少しずつ表情をかえて、 優しく見つめているようなのだ。
民族衣装の娘さんたちと 写真はいかがですか (有料)
↑中央テラスを囲んで16の尖塔を配置、 二重の回廊が囲む。上から見ると迷路のよう。 第一回廊、第二回廊とも東西南北それぞれ4面にレリーフ。 漁、狩り、炊事、闘鶏の模様など日常生活の浮き彫り。 将棋や相撲の場面。 見なかったけど、出産シーンもあるそうです。
↑ バイヨン第一回廊の壁面彫刻。 この物語を読み解くには歴史を知らないと。 どれも精緻だ。 綺麗だ だけで終わってしまう。 チャンバ(ベトナム中部にあった国)との戦いの行軍。 短く刈り込んだ髪はクメール人。 (ガイドブックから)
風化意外にも、 略奪されたり、 内戦など戦争による被害で破壊されてきた。 それでも、 はっきりと みごとなレリーフを観賞できた。
無数の穴 盗掘の跡や弾痕など 残っている。 この像は未完成だろうか
美しいデバター像 彫りの深い装飾が囲む (第二層テラス)
-☆-
バプーオン ↓ 隠し子という意味をもつ遺跡。 … カンボジアの王妃が息子をタイ軍に殺されるのを怖れこの寺院に隠したという伝説… 3層からなるピラミッド型寺院。かつてはバイヨン寺院より高かった。 両側の池の水が溢れると200mの参道が浮かぶように見えるそうだ。
創建者 ウダヤーディティヤヴァルマン二世 11世紀中頃 ヒンドゥー教(シヴァ派)
バイヨンから北へ向かう。 道に沿って1800mの周壁に囲まれる中にアンコール期王宮があった。 男池、女池、ピミアナカス(天上の宮殿。空中楼閣) 象のテラスなど。 創建 11世紀初頭 ヒンドゥー教
↑王宮跡(ナーガやシンハ(獅子)の像も見える。狛犬似。テラスを支えるガルーダやガジャシンハの像
王宮前の王のテラス。 長くつづく道の奥が勝利の門。 戦いから戻って凱旋する軍が王と謁見した場所である ↓ 王宮正面に面したテラスの外壁に象の彫刻。
カンカン照りだ。 暑いなあ… 汗だくで見て回る。
-☆-
タ・プロームに着く頃、 雨が降り出す。 椎茸ぐらいの大きさの蝸牛が鳴いている。 カラカラ… カンカン 細い竹筒が触れあうような だったかな。 かなり大きな音、鳴き声は 鬱蒼とした寺院の森に響いた。
創建時は仏教僧院 後にヒンドゥー教に改宗されたか。
僧侶5000人余
踊子615人が住んでいた
創建者 ジャヤヴァルマン七世
1186年創建 仏教
ガジュマルに押さえつけられる回廊 手をかけなければ 遺跡はどうなるか。
自然の脅威をみせているのだという。 ここでは樹木の除去や 修復などあえてしない。 (資料 地球の歩き方)
東西約1㎞ 南北約700m。 壁は ラテライト(紅土。 赤色の風化土)造り
怪物の足のようで 恐ろしくなった。
重い…
早く退いて…
そんな声が聞こえる。
人類の遺産を 後世に伝える…
濡れた榕樹(ガジュマル)の濃緑が 静かにそよいだ。
昼食後 ホテルに戻って休憩一時間、地球の歩き方・カンボジアの地図を広げる。
渺々たる大河 いさな捕る小舟 聞こえるのは櫓をこぐ音だけ…
いいえ ここは海。 加えて 朝から蒸している。
朝食前に ホテルそばのハロン湾を散歩 (10月6日・火曜)
-☆-
ツアー旅行のお膳立てどおり、人力車と自転車を合わせたようなシクロに乗せられた。 旧市街をのんびり観光…と聞いたけれど、 車の間を冷や冷やしながら排気ガスを浴びて進む。 おかげで涼しく、 インフルエンザ予防のマスクもはじめて役に立つ。
視線は低く、 風になって街角を過ぎる。 雑貨屋、 ブティック、 銀行、 小学校。 アオザイを売る店、 絵画の店。 フランス風の建物など撮った。
↓ 学校は午前・午後の二部制。 時刻は12:40 午前の生徒が下校するところらしい。 午後は自宅学習やレッスンなど。 農村部では家の手伝い。
アオザイ姿をほとんど見かけない。 国営百貨店の店員さんは着ていた。 スリットのあるタイトな上着と長いパンツ、 エレガントでスタイルを良くみせる。 いまは 高校生の制服になり、 一般ではハレの日に着るとか。
↑ ハノイ大教会(セント・ジョセフ教会)
二つの尖塔があり ネオゴシック様式。 白と黒の石材をつかって建てられたそうだが、 黒ずんでいる。 学生のシャツのほうがまぶしい。
いよいよ カンボジアへ ハノイ発16:55 シェムリアップ到着18:50
クメール中華の夕食、 ホテルまでそぞろ歩き。 「立待月…」 のつぶやきがきこえる。 星降る夜に 故郷にもおなじ月。 台風が近づいているらしい。
(10月5日・月曜)
幻想的な風景は 世界遺産のハロン湾。 バイチャイとホンガイの二つの町を合わせたエリアで、 バイチャイから船に乗った。 船上でシーフード料理の昼食。
ハロン… ハは降りる、ロンは龍の意。 その昔、外敵の侵入に悩まされていたこの地に、 龍の親子が降りたち敵を破り宝玉を吹き出したのが奇岩となった。 その後は海から外敵を防いだという。 (ガイドブックから) 地図をどうぞ
石灰岩質の島々が大小約2000。 霞む島影、エメラルドグリーンの海、 神秘のせかいに誘われる。 水上生活のくらしも見える。
奇岩はだいたい名前がついている。 闘鶏岩。 猿や象に見える岩など。 水墨画のような中国の桂林に行ったことはないけれど想像できる。 漢詩をひもといてみよう。
途中 養魚場に寄る。
フルーツを売る船など横付けされ、 ランブータンを買った。 外皮は赤いもじゃもじゃ、 半透明の実はライチに似た味。
ダウゴー島で下船、 ライトアップされた鍾乳洞を見物。
再び乗船し 黄昏のハロン湾を帰港。
金砂を撒いたような水面を見て、 元気になった。 やはり水辺が好き
-☆-
前後しますが 午前は 陶磁器のバチャン村へ
バチャン焼は、16世紀 日本にも輸出され茶人達に愛用された。
蜻蛉や梅の絵柄もみえた。今も約100軒の工房がある。村の人口の9割が
陶器作りに従事。 若者が目立つ。
レストランを出ると十六夜の月が待っていた。 明日はカンボジア
気温35度、 湿度が高いからなおさら暑い。 外出すれば絞るほど汗をかいた。 スコールはざーっと降って5分くらい。 あとはムシムシ、 まだ雨季なのだ。
世界遺産ご紹介のまえに、 車窓からみる暮らしを少し。 独断と偏見かなあ
10月5日 ハノイの月曜日 出勤の車でごった返す。 信号もなく右からも左からも車が押し寄せ、 細い隙間を縫うようにしてバイクや自転車がすり抜ける。 ぶつからないのが不思議だ。
巨大なうねりが近づいてくる。 信号のないところで横断するには覚悟がいる。 バイクは渋滞をみて歩道にあがった。 幾台もが歩道を突っ走っている。 何のための歩道、 歩行者は壁にはりついてやり過ごし、 バイクが堂々と走り去る。 信号や標識が少ないけれど、 あれば、 もっと混乱する?
市場で生肉はフルーツ同様、 屋台でそのまま売っている。 塊はむき出しで、 冷蔵はしてないようだった。 ビックリ仰天 バイタリティーに度肝を抜かれる。
積めぬものは何もない、 一辺が15㎝くらいの長い角材を二本、 肩に載せて自転車で運んでいた。
林檎 特大の煎餅 竹だろうか
街なかでも平気、 金属の大きな立看板を片手に、 片方にハンドル。 車が溢れかえるさなかを悠々といく。 バランスを崩したら… 考えるだけでゾ~ッとなった。 現地ガイドさんによれば やはり違反らしい。
荷台に子豚が十頭ほど。 プチプチした足が竹篭の目をつき抜けてぶらりぶらり、 明日の定めを知るや知らずや。 西瓜やドラゴンフルーツ、 笹で包んだ米粉のチマキ(バイン・ゾー)など一纏めにしたのを、 さげられるだけ提げて通る。
懐かしい風景に、 背の高いココナッツやバナナの木。 刈り取った稲は、 庭から公道も占領して乾かす。 米作は年2~3回、 作業のほとんどが人の手で行われる。
道路でフルーツやフランスパンなど売っている、 包装もなく排気ガスを浴びて。 橋の下は憩いの場所、 何はともあれ日蔭が恋しい。 食事をしたりお茶を飲んだり。 朱い道に濃緑の植物。 山が見えない。
(10月4日・日) 成田から5時間余りでベトナムの首都ハノイに着く。 南北に細長い国の北部、 政治・文化の中心地ハノイ。
日曜の午後3時をまわって 街はこれでも幾分静かなのだろう。 熱帯季節風気候特有の湿った熱気がまとわりつく。 バスに冷房が入ってホッとしながら 紅河の橋を渡ってあわただしい初日の見学です。 秋の日は短い!
(説明は 地球の歩き方より引用します) ベトナム地図
文廟 1070年 孔子を祀るため建立 孔子廟とも呼ぶ。 1076年には境内にベトナムで最初の大学を開設。 700年間 数多くの学者、政治指導者を輩出。
中央奥に 奎文閣。 ここからは見えないがその間に池、 右手は 亀に載せられた石碑が並んでいる。
石碑には
科挙試験の(15世紀以降約300年間続いた)合格者名が刻んである。
なぜ 亀?
ベトナムで鶴や亀は、 長寿、 不滅という意味にとれる。
永久につづく名声… でしょうか
さらに奥へ進むと 柑子色の屋根、 小判状の瓦が目を惹く。
ここに孔子が祀られている。
敷地内はさまざまな時代の建物が混在し、中でも奎文閣ケイブンカクはハノイの象徴のひとつ。 十万ドン札(約800円)にも登場している。
↓ 柱を茎にみたて、そのうえに蓮の花を置いたような仏堂の一柱寺に参り、 偉大な英雄が眠るホーチミン廟(四角い建物)へ。 外観のみ。 衛兵が微動だにしない。 蒸し暑い夕暮れの広場を、 散歩するひとたちが絶えない。
夕食後 水上人形劇を観る。 コミカル、繊細な動きは幕の陰で腰まで水につかって操られる、水面が舞台でたいへんな仕事。 千年前から伝わっている。
伝統楽器の一弦琴と歌にあわせ、 民話や伝説など17話。九時頃まで続いた。
この方のページに詳しい