「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

ミレイ展 

2008年07月25日 | 絵とやきもの
 北九州美術館で6月からミレイ展(Sir John Everett Millais)が開催中です。(8月17日まで)
 夏目漱石が、「草枕」の中で、繰り返し登場させている「オフェリア」が、ミレイの代表作として広く知られています。今は、ポスターはじめ、市中のそこここで目につきます。
 フランスの画家、ジャン・フランソワ・ミレーは、多くの作品がわが国にも紹介され、ファンも多いのですが、このイギリスが誇るヴィクトリア朝絵画の巨匠、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)は、その作品が紹介されることは少なく、今回のような、10代から晩年に至る絵画の全貌を紹介する本格的回顧展は初めてのことのようです。

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この2枚目の画像は、<オフィーリア>のための習作。プリマス市立博物館所蔵 インクでのペン描きで、上部アーチ型 

 テート・ブリテンの所蔵品を中心に約80点の作品が展示されていました。
 私は「草枕」で興味を持っていた「オフィーリア」の作品が目当てで、かの漱石に衝撃な印象を与えた絵を自分の目で見てみたいというのが最大の関心事でした。
 ラファエル前派の何たるかも解せず、滅多にない国際的回顧展というだけの興味から出かけていったものでした。

 展示は、制作年代順に並べられ、画風の変化も解りやすく、また、完成した油彩の横に、小さなインクによるペン描きの習作が並べて展示してあるものが多くて、完成に至るまでの、さまざまな試みのあとを辿ることができ、変化する画家の息遣いが窺えるような気がします。

 コローが好きな連れ合いは大満足で、珍しくほぼ同じ時間で会場を回り終えました。絵にこめられた詩情と、物語性が見終わった後の余韻を豊かなものにさせます。
 私はどうしても、漱石の草枕が浮かんで離れず、”那美さん”を重ねて、代表作と持て囃される絵に素直に入ってゆけませんでした。胸の上で左右に開いた腕、かすかに歌を口ずさむ唇、そして、丁寧な解説は、一つ一つの花の意味する寓意を花言葉を添えて関連付けていました。

 史上最年少でのロイヤル・アカデミー入学(11歳)も、後にその王立美術学校会長にまで上り詰め、「サー」の称号を得た経歴とは別に、好きな絵の制作年代は1850年代から60年代にかけてのころの作品でした。
 勝手な選択で、好みの作品を少しあげます。

 いつもと違って、夏休みの平日は若い人たちが多く、活気がありました。日本での展覧会は、この後、東京展があるのみで、2箇所だけです。

「初めての説教」1863年  92,7×74,2㎝  モデルは5歳のミレイの長女。教会の礼拝に始めて参加する少女の緊張感が、表情にも、体全体にも感じられて可愛らしい。
「二度目の説教」1865年  97×74㎝  長い説教に飽きて居眠りをする少女。前の絵の続編。すこしかしいだ頭、開いた足、全身から漂う軽い疲労感が、愛情をこめてとらえています。
「マリアナ」1851年  59,7×49,5㎝ テニスンの同名の詩にインスピレーションを得て描いたものだそうです。。鮮やかな色彩が特徴のミレイの作品の中でも特に美しい色使いです。床に描かれた鼠や落ち葉。婚約者を待ち続けるマリアナに気持ちが、身に纏った濃いブルーのドレスとそのポーズに象徴されて、不思議な空間をかもしはし出していました。ラファエル前派の特色のようです。
「1746年の放免令」 1853年 102,9×73,7㎝ 戦いに傷つき捕らえられた男が家族との再会する場面。昂然と突きつける右手、腕の中に眠る幼子を抱えた右手は夫の手を握り、、その上にじゃれつく犬。飛び出してきた足ははだしのまま。妻の表情が語るこの場の喜びの複雑さを余すところなく物語っています。
「露にぬれたハリエニシダ」1890年 170,2×121,9㎝ 晩年の作品のなかでは、この作品に惹かれました。何の物語も描かれてはいないのに、豊かな詩情があふれているのを感じます。映像では解りませんが、左手前には巣篭もりする雉が描かれていました。

詳しくは朝日新聞asahi.comをご覧ください。

夏目漱石 草枕より
不思議な事には衣装も髪も馬も櫻もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけはどうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレイのかいたオフェリアの面影が忽然と出て来て、高島田のしたへすぽりとはまった・・・

すやすやと寝入る。夢に。
 長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。


宮崎監督もこの「オフェーリア」に強い衝撃をうけ、「崖の上のポニョ」発想の原点になったとか。そういえば、主人公の名前も宗介、崖の下に住んだ門の主人公は宗助でした。

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2 コメント

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文学と絵画 ()
2008-07-27 11:22:14
 むかし、 テート・ブリテンに行って、ターナーやグウェン・ジョンの「バスケットの桃」などを見、この絵にも遇いました。
 シェークスピアと、オフィーリアの表情や細部の花などに目を奪われましたが、それ以上深い鑑賞が出来ませんでした。 
 boa!さんのお陰で、読みさしの本を開くように、多くの画像と、奥深い解説でゆたかにたのしめます。自ら絵を描いた夏目文学への拡がりも、崖の上の宗助も面白く繋がります。
 東京展では、知的にすべての感覚で鑑賞したいと思います。ありがとうございました。
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本場で見る絵 (boa !)
2008-07-28 20:35:57
イギリスでご覧になったのですね。シェークスピアとこの物語を生んだ国での鑑賞は、印象も強く、豊かな鑑賞になったことでしょう。とにかく色が美しいですね。この夏、テート・ブリテンにこの絵を目当てに出かける人があったらお気の毒ですね。

八月の東京展で再会する絵が、蛙さんにどう語りかけてくるのか、私も楽しみです。
読書と同じで、年を重ねて読み返すと、かなり違った捉え方をするものです。ある部分は、以前と同じ感銘を受け、昔を懐かしんだり、自分で自らの成長の跡を確かめることも出来ます。きっと、新しい発見と懐かしい出会いが齎されることでしょう。
珍しく北九州が先でしたね。こんなこともあるのです。勝手な選択でしたが、インパクトのあったものを上げてみました。「オフェーリア」は、一度目にしたら誰も忘れない魔性の絵です。多くの画家が絵にしていますが、物語性という意味ではミレイが一番でしょう。
漱石の草枕はこの絵が重要な舞台回しになっているようです。最後の別れの場面まで。

暑さに負けず、熱中症対策をして、ご活躍くださいますように。マーク・ロスコーの絵、いいですね。

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