別所沼だより

詩人で建築家 立原道造の夢・ヒアシンスハウスと別所沼の四季。
     

水引草

2007-10-20 | 別所沼だより
   

 
 水引草に風が立ち…  爽やかな日。 ハウスにつくと すでにお客様があった。

 「雨戸は 私が開けてきましょう」  準備を手伝って下さった山本先生。ありがとうございました。 今朝も12000m、 トリムロードをいったい何周されたのか。 すばらしい! 一気に駆けぬけた とおっしゃっている。 blog拝見しましたよ。

 入場者24名  次々と絶え間なく 楽しいお喋りが続いた。
 秋たけなわ 晴れ、 室内17℃  沼のそよ風が心地いい。 釣り人多く、 にぎやかなハウス周り。 ジョギングする人、  はしゃぐ声、 子供を叱る声、 バッタを追う歓声。 網を持つ手が大きく宙を掻いて、 赤まんまや水引草が揺らいでいる。  

  七五三のお祝いですね、ご一家で立ち寄られた。 どうぞ、 お健やかに。 晴れ着とハウスが よき思い出になりますように。  カブスカウトの少年たちも、 説明を、 きちんと聞いてくれました。

 「ああゆう時代に、 別の方向をみつめていた道造というひと」 「課題設計「小住宅」により辰野賞を受賞して。 それから卒業まで、3年連続で受賞した。 そこにとどまらず…」  「ヒアシンスハウスだけを見ても 驚きです」 「時代を先取り… 」
  よくご存じで、 
いらした方に教わることもいっぱい。

  多才な感性がなし得たと思う。 柔軟な詩心あふれる建築、 ヒアシンスハウスをあらためて見直した。 建築は斬新で夢がある。

  ☆ 奈良のHさま  ノートを拝見しました。 
  <蛙さん> 呼びかけて下さって、うれしかったです。 いつかかなえましょうね。
    9/29 雨の日にいらしたのですね。 ありがとうございました。  昨年は9月30日でしたね。
 

      


  ヒアシンスハウス竣工3周年記念
 ヒアシンスハウス夢まつり Ⅲ 
のご案内 
     2007年11月4日(日) 10:00~19:00

  プログラム1   10:00~12:00  ヒアシンスハウス前庭
     インスタレーション公開制作    美術家:堀部宏二・今井伸治

  プログラム2   13:00~13:20  ヒアシンスハウス前庭
     美術作品展示と即興演奏     サックス:バッキー   たいこ:ジャンベまさ 

  プログラム3   13:40~14:20  別所沼会館
     第2回「沼のほとり文芸賞」 表彰式

    プログラム4   14:30~15:30  別所沼会館
          講演 : 「立原道造とヒアシンスハウス」   飯島正治(詩人・日本現代詩人会)

    プログラム5   15:40~16:00  別所沼会館
     朗読 : 立原道造の「鮎の歌」     吉村明代(飯能市朗読ボランティア) 

    プログラム6   16:10~16:40  別所沼会館
       合唱 : 浦和女性合唱団         指揮:岸  信介/ピアノ:法嶋晶子
      女声合唱とピアノのための「さふらん」 (曲:松下 耕/ 詩:立原道造)他

    プログラム7   17:00~19:00  別所沼会館
     交流・懇親パーティー   どなたも参加自由 楽しい語らいを (会費1000円)
    

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お~い

2007-10-17 | 犬のブロンコ・ダン


       おお~い     お~~い    ムクドリ君… よ~

      そんなに 高いところで    くらくらしないかい  

 
 
 
何か見えるの?     教えてよ

(散歩で会ったワンちゃん  モデルさんありがとう!) 
 
 
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印象派の紅一点

2007-10-13 | アートな時間

コテージの室内  1886

  言葉は いらないのかも知れない。 光りあふれる朝、 温かい陽ざし。 四角い窓と丸いテーブル。 
 ジュリーの白いドレスとテーブルクロスの白、カーテンの白…  港の風景、 
   このころ マネの影響から離れた。



  ダイニングルームで  1886 手を休める若いお手伝いさん (今回は 展示されていません  好きな絵はがきから) 
いつまでも  細部まで    眺めていたい…

 

                     夢見るジュリー  1894


  父(モネの弟)を失ったばかりの娘 ジュリーにむける優しい眼差し。
    描いたのは、 女流画家 ベルト・モリゾ(1841~1895)  


  特に対象にとらわれない、 速写、 未完と思える塗り残しや余白、 画面全体を覆う伸びやかな筆遣い、 勢い。 画家は逸るきもちを抑えたか、 じっとしていない子供の 描きかけの片足、 バックの処理。 それらがとてもバランス良く、 いきいきとしていて、 完成を思わせる。  


  時間的な制約、 男性のように戸外に出かけて描くこともままならなかった時代、 思いをキャンバスにぶつけていった。  上品で優雅な静けさのなかに舞曲が鳴っている。  ゆるやかな線がやがて速くなり、 おなじ色も強く弱く、 長く短く、こころに響いてくる。 モリゾの絵は チャルダッシュ…


 娘ジュリーがマンドリンを弾く絵もある。 白いドレスの少女、 金髪と楽器の色が呼応する、 音色…  室内からの風景や、 家族の絵が目立つ。
 遺されたパレットに、 女性が描かれていた。


  まるで、保守的な伝統に対抗するように。  後半にいくほど、 リズムは烈しく強くなっていた。  このタッチは印象派の先駆け、 むしろリードしていたモリゾだ。
 
  
  絵を見て 心が穏やかになるのは、 やわらかな色調のせいだ。 (描きすぎはいけないと反省する。 面白味もなくなる。 かたちや輪郭にとらわれず 面で捉えることを、 もう一度学んだ)
 
 (右写真) 1874年 
  第一回印象派展  紅一点のモリゾ。
ゆりかご」 ほか出展 

  のちに 印象派 メアリー ・ カサット(米 1845~1926) も参加 (「オペラ座にて」 構図を思い出す)
 (第4回(1879)から連続4回) 女性同士、 影響し合った

            -☆-


  ・ 「猫を抱く少女(ジュリー・マネ)」  モリゾと夫 ウジェーヌが親しく交際していたルノワールに依頼した作品。 モリゾはこの絵がとても気に入っていたのだろう。  銅版やドライポイントで 模写している。 
 少女も猫も じつに愛らしい。

  ・ 「ブーローニュの森の湖の日没」  中央に画面を2分するように黒い木。 浮世絵の影響、 フォービスムの兆し。

  ・ 「ゴーリーの港」 漁村ゴーリー、 手まえに大きな漁船、 つり上げられる赤い網、 奥の埠頭。 人夫や人影。 クレーンなど。 動きのある良い絵。 印象に残った。

  ・ 「バラ色の服の少女」 娘の溌剌とした皮膚感 「ジュリーの肖像」 髪にピンクのリボン  いずれも パステル   ・ 「ジュリーの胸像」 ブロンズ、 ロダンやドガの助言を得て。 モリゾの繊細で細い指先が、 愛し子の頬をなぞった跡をたどる。
  ・ (姉) エドマ・モリゾによる 「描くベルト・モリゾの肖像

     モリゾについて 過去の記事

 美しき女性印象派画家  ベルト・モリゾ展  詳しくは こちら 他の絵に会えます
 

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白い帆船

2007-10-10 | 別所沼だより


  一ヶ月ぶりの別所で 午後4時30分、 めずらしくヨットをみつけた。 


  聞けば ときどきここで走らせている。 操縦しながら 心は舳先に乗っているのでしょう。  先端で風をうけ髪を靡かせている姿も浮かびました。 紳士は実際にヨットをもっていて、 クルージングをされるのだそうだ。 ときどきこうして 次なる大航海を夢みるらしい。 


  盆景の宇宙のごとく、 ヨットは堂々として、 さながら地中海か、 レマン湖辺りを爽快に滑る風情だ。 水面の雲がいい感じで盛り上げる。 メタセコイアの翳も揺らぐ。  幽かなそよぎ、 帆が夕風をはらんで船体を傾けると臨場感もたっぷりで、 大海原を帆走するヨットそのものだった。  白い帆船は 緑の蔭によく似合った。


  甲板に人影が…     ほら  大きく手を振っている
    海に招かれた春の日を、 たのしく思い出した。


              帆おろすヨットの奢り巻き込みつつ                 篠原梵


       


  以前は、新築すると市から 「金木犀」の苗木が贈られた、 そのせいだろうか、町中にいい香りが漂っていた。 ここにも 黄赤がほつほつと。 メタセコイアも色づきはじめている。 


       木犀の香をたしかめんとする息する      篠原梵  

 

            

 
   暑いあついと言ってる間に、 早くも末の秋。 朝晩は、 日の匂いも懐かしく感じられ、 紅葉だよりもきかれる頃だ。  秋の日はみじかい。 写真は16:50 
  早く帰れと せかされた。 

 
    (余談)  篠原梵の 他の句もすき

    葉桜の中の無数の空さわぐ  
         吾子立てり夕顔ひらくときのごと揺れ

 

 

 

 

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ヒアシンス通信

2007-10-06 | 別所沼だより

タウン情報誌 07,10 月刊「武州路」 NO.410 
   「北原恵子の 別所沼 ヒアシンス通信」 連載中です。

 見かけましたら どうぞ お手にとってご覧ください。
 楽しいエッセイに いつも 蛙の写真を添えてくださいます。 10月号は 鴨と噴水(2007.7.26 14:43)
 独特な語り口が 心を和ませて魅力です。
 もう 33回も続いているのです。 

   
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絵は詩 は絵

2007-10-02 | アートな時間
 
   写真:タヒチの女たち (図録より) ティアレの花を耳に挟んで

 ポール・ゴーギャン(1848-1903)は二度タヒチを訪れている。 初めは(1891)43歳で。シャルル・モリスやステファン・マルラメの推薦状、フィガロの記事、エコー・ド・パリ紙の紹介などで絵を売る。 夢の実現のため、資金を集めた。
 タヒチで13歳のテハアマナを娶り、楽園のくらしは80点の作品になった。

 二度目(1895 48歳) パリで批判され、アル中、病身、見送りを拒んでタヒチへ。 貧困、孤独、失意のうちに自殺を考えるが、畢生の大作が生まれる。
   「我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?」

 

              
 モンフレーへの手紙によれば

   一見、まったく粗削りで… ぞんざいで未完成だと思われるかも知れない。 誰も自分のことは 正確に判断できないものだが、それでもなお、 私はこのタブローが これまでのどの作品よりも高度であるだけでなく、これ以上のものも、あるいはこれに匹敵するものも 二度とつくることはできまいと思う。私は死を前にして、持てるすべてのエネルギーをこの絵に注ぎ込んだ
                                     
   右下に眠る赤ん坊、しゃがんだ3人の女。緋色の衣を着た2人の人物は 思索にふけり…(略)
 中央の人物は果物を摘もうとしている。2匹の猫とかたわらの子供、白い山羊。 両の腕を神秘的に、リズミカルにさし上げる偶像は、彼岸を指しているかのようだ。その手前の人物は 偶像の声に耳を傾けるかのように座り、死を前にもの想う老女がこの物語を完結させる。足下の蜥蜴を捕らえた白い鳥は 軽薄な言葉の空しさを表している。これらのすべてが森かげの小川のほとりで展開される


 ひとの一生をパノラマでみせている。
 ブルー、グリーンと赤。オレンジ、黄金色の肌。線や色彩による交響曲。 苦難の生涯は つよい色彩の中に隠れている。子煩悩にもかかわらず妻子と別れ、敢えて安定や文明を捨てた。本物を得るため。

 心にのこる言葉
 あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とは一つの抽象なのだ。  自然の前で夢見つつ そこから抽象を引き出したまえ。

  絵は詩…

 タイトルの意味を もういちど考えてみよう。

  我々はどこから来たのか? 我々は何者なのか? 我々はどこへ行くのか?


 
    カーソルを画像にのせると ストップします。 


ゴーギャン博物館
<


入り口の大きな絵 (1888年 レ・ミゼラブル)
ヘラクレスのような頑強さ ごま塩縮れ毛 精悍な顔
右奥にエミール・ベルナールの横顔
自らをジャンバルジャンに重ねていた



最後のアトリエを縮小し復元 
 薄暗くて内部がよく見えなかった



 出生からピサロの影響で絵を始めるまで
 ゴッホとの出会いなど
 その生涯をたどることができる



絵は世界中に散らばり ここに本物はない
国別・美術館ごとにまとめ、写真展示



 静物 向日葵とマンゴー 右に花器のモデル 拡大 



浮世絵の影響 他に 絵とモデルの写真
彫刻 陶芸 版画 手紙 蒐集品など

<
<<
 
 ゴーギャンが残した膨大な量の文章は、彼の豊かな文学的才能の証し。 ゆっくり読み返したい。  

参考・引用資料:
 「ゴーギャン 私の中の野生」 フランソワーズ・カシャン著 高階秀爾 監修 創元社
 「ゴーギャン 芸術・楽園・イヴ」 湯原かの子 講談社選書メチエ 
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