立原道造が青春の日々を過ごした文京区弥生にある 立原道造記念館
向かい側は 東大弥生門です。
「立原道造が遺したものたち 愛蔵品を中心として」
2010年9月26日まで 立原道造記念館
開館日 木・金・土 日曜・祝日
午前10時から午後5時(入館は4時30分まで)
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・少年期に蒐集した多数の 「東京市電乗換切符」(初公開) 切符の意匠もたのしい
・三年連続受賞の辰野賞銅牌
・懐中時計 ・マリアの厨子(立原没後 母トメの依頼で水戸部アサイが遺品を整理、 最晩年の南方への旅から持ち帰ったまま置かれていたバスケットの中に入っていた) ・旅に携えた二種類のカバンやバスケット 病をおしても出かけていた強靱な精神におどろく。 駆りたてていたものは…
・立原の逝去を知らせるハガキ
わかっているはずなのに、 中にハガキが現れると俄に胸が熱くなる。 哀しいセピア色だ。
ながいことなんのおとづれもなくもう五月になつてしまふ。 風が僕の膚ハダに吹くときに、 それは何とこころよいこと! プラターヌも芽がのび、 ポプラの緑も濃くなつた。 あたらしい紺の背広のことなど夢みながら、 毎日毎日はたらいてゐる。 外光の強くなつた硝子張のアトリエで――。 立原道造
新しい背広のことなど夢みながら ネクタイにもこだわった
道造はおしゃれなひと。 背広は自からデザインして特注した。 リボンのような ボヘミアンネクタイなど展示。
大学に入った頃から 今までの狭い三畳の二階の自室から 自宅三階の屋根裏部屋に移った。 「バー コペンハーゲン」 と名づけ隅々まで屋根裏の美学によって設計されていた さながら詩的空間。 狭い場所のイメージだが、 実際はかなり広いらしい。 北欧へのあこがれ…
「床に古びたテエブルや椅子を置き、 針金を渡して黒い布を下げた仕切りの向こうに本箱や寝台が置いてある… 」 「表に面した窓の擦りガラスに 堀さんの 『硝子の破ワれてゐる窓 僕の蝕歯よ…』 の詩が 楽書きのやうに斜めに鉛筆で書いてあったり…」 (出典 宇佐見 斉 「立原道造」) と 「若さが装飾されていた(室生犀星)」。
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弁護士としての仕事のかたわら、記念館の設立、 運営をなさった故鹿野琢見さんのことばも響きます
日本一小さな記念館ではあるが、 ダイヤモンドのように輝きを放つ建築であると自負する…
24歳8か月で夭折した立原道造の世界が、 小空間にちりばめられて 今なお輝やきを失わずにある。
日記帳をうめる几帳面で それはそれは細かな文字に、あらためて立原道造の息づかいを感じます。 透明な魅力の、弱々しげな鋭い感性の 詩のことばや パステル画、 建築設計図、 書簡などに会える。
画像は 「学園ノ小春日」 絵葉書から 一七歳の頃の水彩画
一部にパステル。
(調べたり 見てきた蛙のメモです。
まちがいがありましたらごめんなさい)