深夜にゴソゴソ。
youtubeに「祇園囃子」(’53)があるのを見つけたのが運の尽き。
ついつい最後まで観てしまう。
まだ二十歳の若尾文子は顔が出来上がっていない。
三十五歳の小暮実千代はいかにもな「女盛り」。
物語は「祇園の姉妹」(’36)よりむしろ「後退」している印象で
「金と身寄りのなさ」が「犠牲」を生む仕組みのみが描かれる。
「憲法」が持ち出されるあたりが当時の「限界」。
「祇園」という「制度」に「アプレ=戦後世代」を持ち込んだものの。
結局「泣き寝入り」ではどうしようもなく。
「現代の目」からすると「物語の設定」にあまり魅力が感じられない。
ただし1953年(昭和28年)ということを考えると
まだまだ巷にその種の「貧困」は当たり前のようにあったのだろう。
敢えて現代と比較すれば
「何もできない女子」が「必死に頑張る姿」にどこか応援したくなる気持ちを呼ぶようなものか。
「女の身体」が「客である男の仕事」を何とかするための「ワイロ」になるあたり
かつてあった「経済学」は今でもあるのだろう。
とはいえ正直それらはどうでもよく
小暮実千代の「姐さんぶり」をあらためて確認できるだけで十分。
彼女の顔は「浮世絵の美人画」を「モダン」にした感じ。
繰り返すが個人的には好ましい。
時代ごとの風俗があって
現代も含めていずれも「二度と戻らない」という意味では「同じ」。
youtubeに「祇園囃子」(’53)があるのを見つけたのが運の尽き。
ついつい最後まで観てしまう。
まだ二十歳の若尾文子は顔が出来上がっていない。
三十五歳の小暮実千代はいかにもな「女盛り」。
物語は「祇園の姉妹」(’36)よりむしろ「後退」している印象で
「金と身寄りのなさ」が「犠牲」を生む仕組みのみが描かれる。
「憲法」が持ち出されるあたりが当時の「限界」。
「祇園」という「制度」に「アプレ=戦後世代」を持ち込んだものの。
結局「泣き寝入り」ではどうしようもなく。
「現代の目」からすると「物語の設定」にあまり魅力が感じられない。
ただし1953年(昭和28年)ということを考えると
まだまだ巷にその種の「貧困」は当たり前のようにあったのだろう。
敢えて現代と比較すれば
「何もできない女子」が「必死に頑張る姿」にどこか応援したくなる気持ちを呼ぶようなものか。
「女の身体」が「客である男の仕事」を何とかするための「ワイロ」になるあたり
かつてあった「経済学」は今でもあるのだろう。
とはいえ正直それらはどうでもよく
小暮実千代の「姐さんぶり」をあらためて確認できるだけで十分。
彼女の顔は「浮世絵の美人画」を「モダン」にした感じ。
繰り返すが個人的には好ましい。
時代ごとの風俗があって
現代も含めていずれも「二度と戻らない」という意味では「同じ」。