退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『非常識』は『常識』に拠るものであることあるいは『誰かの死』が自分の生を際立たせること」について

2021-02-10 02:43:34 | Weblog
晴れ。寒さはやや緩む。

高橋源一郎「大人にはわからない日本文学史」を読む。

「インテリ源ちゃん」の柔らかな語り口が説く「リアル」にふむふむ。
石川啄木と赤木智弘を「同じ」だというあたりのセンスよ。

綿矢りさを引用ながら初めて知る。
彼女の「比喩」は「極点」らしい。

スラスラ読めて「ためになる内容」だと思ってよさそう。
樋口一葉の文章に関してはちょいと「呼吸を合わせる」とこれまたスラスラと。

「温故知新」の素敵な例がここに。
もっともそれなりにあれこれ読んでいないと「実感」は難しいかも。

その「実感」を支えるのが実は「文学史」だったりもして。
「非常識は常識に拠ること」をあらためて。

アリスター・グリアソン「サンクタム」(’11)を観る。

パプア・ニューギニアの洞窟を調べる世界的冒険家の父親。
もっとも息子は父親を認めていず。

物語の基本は「親子の和解」か。
そのために結構な数の人々が死ぬことになり。

「限界状況」で敢えて親しい人を「死なせる」描写が繰り返され。
面白いかと言われるとこれまた微妙な作品。

「冒険」をしなければこうした「悲劇」は起こらず。
それでも「自己責任」でそれをする人々はいて。

誰かの死は自分が生き残っていることを際立てる「仕組み」など。
それもまた「偶然のなせる業」だと思っておく。
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