退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「現実にある女子の貧困の酷さとかつて『ポップ』だった監督の映画」について

2021-01-25 02:02:15 | Weblog
雨のちくもり。夕方に止む。

中村淳彦「東京貧困女子。」を読む。

どうしようもないクソ男子のせいで貧困に陥る女子たちよ。
すでに現実が「ジャングル」であることをあらためて確認する。

「介護」の仕事に就くのは止めたほうがいいこと。
「介護離職」も同様に。

要はいったん「普通」から零れ落ちた途端に「貧困」が待っている。
大学生たちが「水商売」に頼らざるを得ない現実もあり。

「ブラックな仕事場」によって肉体と精神が蝕まれる「現実」がここに。
政治家たちはこの種のことを知っているのかどうか。

あまりに「酷い現実」に驚くのみ。
「負の連鎖」がかくも「普通のこと」になっているのか。

どうやら「自分がよければ他人などどうでもいい」という姿勢が各地に。
「本当に困っている人々に対する援助」を現実にしないとどうにも。

「TVが描く現実」はとてもじゃないがこの「世界」とは程遠く。
「自分が経験した過去」でのみ彼女たちを判断する愚を知っておきたいもの。

中平康「牛乳屋フランキー」(’56)を観る。

冒頭に荊軻「壮士一たび去りて復た還らず」の台詞が出て来る。
当時この漢籍は理解されたのかどうか気になるところ。

「ブーチャン」市村俊幸の姿を確認するのには本作がうってつけか。
それにしても小沢昭一は相変わらず「配達」をしていて。

「狂った果実」(’56)の「太陽族」を皮肉っていたりして。
若き日のフランキー堺の「体技」が素敵。

豊頬手術をする前の宍戸錠の姿も忘れずに。
フランキーと中原早苗のデュエットは楽しく。

思えば「牛乳屋」というものもすでに失われて久しく。
そういう時代があったことを覚えておこう。
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