退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ブロックチェーンのもたらすものと『最低限』が保障されない『国家』あるいは『好ましい題材』を集めた映画」について

2020-02-20 02:45:39 | Weblog
くもりのち晴れ。だったか。

野口悠紀雄「入門 ビットコインとブロックチェーン」を読む。

以前マル激で紹介されていた内容をあらためて。
改竄不能なブロックチェーンのもたらす影響にふむふむ。

量子コンピューターがそれを打ち破るのかと思っていたのだが
「改良版」があって大丈夫なよう。

「管理者不在」でも「システム」を成立させるブロックチェーンよ。
従来のインターネットでできなかった「信頼の確立」も可能になり。

もっとも「管理者不在」がもたらす「責任の不在」や
「民主主義」ゆえ「ルールの決定」が難しいことなども。

わが国の公文書保存にも是非採り入れていただきたいものではある。
それでようやく「歴史の判断」を待てるから。

藤田孝典「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃」を読む。

要はわが国には「最低限の生活の確保」がない。
その事実を浮き彫りにした本書は5年前の作品で。

年金制度は機能していず。
かりに十分だと思われる貯金があっても重い病気に罹るとそうもいかず。

「住宅制度の不備」も相変わらず。
いたずらに生涯続くローンを組むしかなく。

この「最低限の確保」がなければ誰もが何かあれば「貧困」に沈む。
こんな状態を「普通」にする「国家」は「国家」と呼んでいいのかどうか。

繰り返すがわが国は「バナナ・リパブリック」。
ずっと「発展途上国」である事実を肝に銘じたいもの。

J・J・エイブラムズ「スーパー8」(’11)を観る。

「スタンド・バイ・ミー+少年少女の恋愛+ちょっとハードなE.T」といった内容。
そこに「親子の愛情の復活」も加わって。

「好ましい物語の題材」をこれだけ集めれば誰が撮っても「観られる作品」にはなる。

ジョエル・コートニーとエル・ファニングの「カップル」に
「監督」ライリー・グリフィス、「ゲロ吐き」ガブリエル・バッソ、

「火薬好き」ライアン・リー、「ヘタレ」ザック・ミルズら。
大人の役者たちに魅力がないのがむしろ特徴か。

エンドロールに映される「完成した映画」もなかなか。
物語の冒頭事故で死んでしまう母親の描写がいささか謎。

主人公のカップルが仲を深めるために必要だったということなのか。
「あれは事故だったんだ」という台詞でまとめる父親同士の和解もやや唐突な感じ。

母親と幼い自分の写真を入れたネックレスが持って行かれるのも。
「大人になった」と言いたい描写なのはわかるが「必然性」はないだろう。

というわけで細かい部分にキズは残る。
それでも「楽しめる作品」であることは確か。
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