退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『現代の女性犯罪者』を描いていた古典と『信者』の微妙さあるいは『ダメな映画』から思うこと」について

2022-04-03 02:09:28 | Weblog
晴れ。夜にちょいと降る。

サッカレー「虚栄の市(四)」読了。

ようやくベッキーがメインに。
ドビンとアミーリアを結ぶ彼女はジェスを殺し。

「自分の魅力」に「騙される男」はすべて「客」。
この在り様は現代の「男たちを手玉に取った女性犯罪者」の姿に似て。

おそらく当時の読者たちはその「新しさ」を理解できなかっただろう。
このキャラクターを描いただけで著者は素敵。

要は。
たいていの男は「ウンコ」だということでよろしく。

もっともそうした男たちを好む女たちもいたり。
繰り返すが「お好きにどうぞ」。

マル激を観る。

ゲストはイスラム学者の中田考。
神保哲生や宮台真司が彼を評価する意味がよくわからない。

彼はかつての「オウム真理教」に似て。
言っていることは「まとも」だとして「宗教の信者=狂信者」のはず。

「欧米のダメさ」はわかるとはいえ。
だからといって「正反対」が「正しい」わけでもなく。

宮台真司は「キリスト教」を信じていて。
神保哲生は「民主主義」を信じていたり。

「何も信じられないことが『倫理』」だと思うので余計に「違和感」が募る次第。
賛同できることには応じるけれど今回は何とも微妙。

ピエール・モレル「ライリー・ノース 復讐の女神」(’18)を観る。

「アキラ映画」を休憩したのだけれど。
冒頭から「こりゃダメだ」といいうことがわかる内容。

残念ながら俳優陣には魅力が感じられず。
おまけに「物語の展開」が微妙なのだからいやはや。

本作の出来を思えば「かつてのわが国のプログラムピクチャー」は余程マシで。
「事実」を言っているだけで「ナショナリズム」ではないということを了解していただきたい。

というわけで。
明日はまた「アキラ映画」を追いかけることになりそう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする