退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「盛衰」について

2012-04-19 05:23:09 | Weblog
ついついyoutube。

久方ぶりにkokia「調和」を聴く。

かつて友人に教えられた曲で当時は思いっきりハマったのだが
さてその後の行方はいかに。

前者」は活力に満ちて最高の出来。
後者」は3年前のヨーロッパでのライブ。

「栄華」を尽くすとその途方もない素晴らしさゆえに
その後の「瑕瑾」が否応なくクローズアップされてしまう。

もっとも体調その他の理由はあるのだろう。
ただし後者は「乾いている」。

表情もやや虚ろで肌にツヤもなく。
映像のせいだけであればいいのだけれど。

むしろ苦しそうでややツライ。
何故そうなったのかは知るよしもないけれど。

ある時期以降の吉田美和にも同じことを感じてしまう。

あれほど爽快だったはずの声が
「再現」を目指し「維持」を図ろうとして崩れる。

いずれも「素晴らしい才能の持ち主」であることは間違いなく
それらを享受できることはうれしい限りなのに。

うーむ。

もう少し「なだらかな変化」だったらいいのに。
あくまで限られた映像・音声を元にした判断なので詳細は不確か。

「選ばれてしまった者の恍惚と不安」を垣間見たような気になったことにしておく。
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「縁」について

2012-04-19 03:20:04 | Weblog
快晴。今日も汗ばむ陽気。

島田裕巳「人はひとりで死ぬ 『無縁社会』を生きるために」を読む。

かつてオウム真理教を「擁護」したとされ
大学を追われもした宗教学者による「無縁社会」を考え直すための本。

「社会的な死」と「肉体的な死」をくぐり抜けた著者は
かつて「無縁」が求められた時代があったことをあらためて指摘する。

「個人」を縛る「有縁社会=農村」から切り離された長男以外の男たちは
「都会」で「サラリーマン」となって「無縁」であることをむしろ楽しめるようになった。

一方「経済力」を身に付けた女たちは「結婚圧力」から解放され
敢えて「おひとりさま」を選択するようにもなったのだと。

また「都会=無縁」とは限らず
彼ら彼女らは「かつての縁」とは異なる「新しい縁」を求め築き暮しているのだとも。

感情を煽られて「孤独死」を怖れる前に
結局「人はひとりで死ぬ」という「事実」を見据えて「覚悟」を決めればいい。

著者の見解は至極真っ当だけれど
「腹の据わってない人々」には「厳しい」と受け止められるのだろうか。

「誰にも看取られないこと」が自動的に「哀しいこと」ではないのは
たとえば死を前にした象が姿を隠すことを思えばいいだけのこと。

そこまで「ひとりで生きた」という事実について
それぞれが考えた上で「自分はどうするのか」決めればいいはず。

ある種の「個人の尊厳」を
いたずらに「悲劇」だと解釈してしまう「貧しさ」も知っておいていいだろう。

要は「あなたにとっての悲劇」は必ずしも「他人にとっての悲劇」ではないという「事実」に尽きる。

誰にとっても「平等」なのは「いずれ死ぬこと」だけ。
その単純さを押さえておくことがむしろ「きちんと生きること」につながったり。

「縁なき衆生は度しがたし」とか。

その言葉における「縁」の意味について考え直してみるのはいかが。
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