退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「了解すること」について

2012-04-29 04:20:50 | Weblog
快晴。世間は今日からGW。

東浩紀「郵便的不安たちβ」を途中まで読む。

著者の興味のあり方をあらためて確認する。
「読解の抽象的レベルの高さ」がやはり突出していて今でも古びていない。

頭がスッキリする感じが好ましく
ここまで「プレゼン」するのが「当然」だという姿勢はさすが。

さて。

今年の個人的なGWは8連休。

毎年恒例だけれどグダグダして終わりそう。
どこかへ出かける気もなければ予定もないままに。

深夜にTVで「ラウンダーズ」を再見。
監督がジョン・ダールであることを思い出す。

マット・デイモン、エドワード・ノートン、ジョン・タトゥーロ、グレチェン・モル、
ファンケ・ヤンセンにジョン・マルコビッチ、さらにマーティン・ランドーというキャストが「シブい」。

ポ-カーに才能のある優秀な法科の大学生が「ダメな友人」と付き合ううちに
恋人から別れを告げられ「自らの進むべき道」を見出すお話。

「魅力的な女性が男に拒まれる」という意味ではかなり「ホモソーシャル」。
そうした男を「理解しない」はずの女が最後には「理解を示す」あたり視点はかなり「男寄り」でもある。

ある種の「男のロマン」が母親にも許されるあたりをマーティン・ランドーが「説明」したり。
彼から「お墨付き」ばかりか「援助」も与えられるのだから主人公は「自分の道」を歩くよりなく。

「ヤクザな生活」を可能にするのは「おなご」であることを重々承知している身としては
いささか申し訳ないような気になる。

今後ともよろしくと関係各位にはお願いしておく。

もちろんずいぶん「勝手なお願い」ではあるので
ついついひとりであれこれすることになりがちではあり。

「ご縁」にまかせる姿勢はそのあたりがカギなのかもしれない。
いずれ「自業自得」なので甘んじて受け入れることに変わりはない。
コメント
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