退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「こども」について

2012-04-11 03:20:49 | Weblog
晴れのちくもり。深夜に雨。

コートを着ると汗ばむので手に持って出かける。
案外寒くなかったので結局「手荷物」になる。

桜はまだ散っていない模様。
帰りにちょいと見た夜桜はいくぶん妖しい魅力あり。

安心して子こどもを産めず育てることもめんどくさい時代になったという本を途中まで読むものの
いたずらに「硬い内容と文章」にやや疲れる。

著者は「お茶ノ水」出身らしいのだけれど
「チャラチャラ流れるお茶の水」という台詞をご存じだろうかとふと思う。

個人的にはある時期以降の日本人は全員「こども」だと思っていいだろうと勝手に判断している。
要は誰もが経験するものとしての「通過儀礼」がなくなったから。

もっともマッカーサーが「日本人は12歳」と言った頃にすでに「大人」だった人々を思えば
その「はじまり」はもっと古いのか。

「こどもが『希望』」だと思えるのは「『大人』への絶望」と「まだ未来のある身」というふたつ。
いずれも「思い込み」にすぎずむしろ「未来」は必ずしも明るくなかったり。

さて。

以前にも書いたように福田恆在は「消費は人を孤独にする」と言った。
今ではそれがあらゆる分野に及んでいる。

自分の「好き嫌い」を優先させるのはまさに「こども」でもあり
ある種の「偏屈な大人」でもある。

「こども」ってなに。

年齢という数字だけでそれがわからないのが「複雑」なところではある。
コメント
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