退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「軽さ」について

2012-04-23 05:07:44 | Weblog
というわけでyoutube。

以前にも採り上げたego wrappin'「色彩のブルース」について少々。

あらためて聴くといかにも楽器の音が軽い。
いわゆる「タメ」の取り方が全くちがう。

ブルースであれジャズであれもっと「腰が定まった音」なのが「常識」。
だとすると敢えて「軽さ」を狙ったということなのか。

ヴォーカルの声も「ライヴ」だと苦しそう。
いずれ「編集」によって出来上がったものだと知る次第。

中森明菜がカバーしていたのは今回初めて知ったけれど
それがいいかどうかというと微妙なところ。

出来れば「重さ」を重々知った上での「軽さ」であってほしいところ。
ある種の「魅力」を感じるからこその「発言」だと思っていただきたい。

「ポップなジャズ」などというものがあるのかどうかは不明だとして
どうやらそうとでも言うより他ない存在。

おそらく「マニア」は「ニセモノ」扱いすると思われる。
そこでいたずらに「自分の耳の確かさ」を言うなかれ。

まるで「さわり」を集めたようなメロディーだけが突出していて
歌も演奏もそこに追いついていない印象。

望ましいと言えばそうでもないようなあるような
「ジャンル」が錯綜した「結果」。

いかにも「鎖国」を続けた国の「産物」だと思えば
「不思議な魅力」があることだけは確か。
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「人であることの複雑さ」について

2012-04-23 02:58:37 | Weblog
雨。一日中降る。

一昨日は飲み疲れ、昨日は普通の疲れでサボる。
いろいろ事情があったということで。

安田浩一「ルポ 差別と貧困の外国人労働者」を読む。

わが国では「外国人労働者」を正式に受け入れない手前
「研修生」という名目で「奴隷」のように働かされる外国人(主に内陸部の中国人)がいる。

彼ら彼女らは「月1万5千円の現金」と「残業手当300円」で一日中働き外へ出て遊ぶ余裕もなく
そうした「ひどい条件」について訴えると「強制帰国」させられる模様。

「仲介業者」と「雇い主」にいいように「搾取」されセクハラやパワハラは「日常茶飯事」で
双方ともにそれを「当然」だとしているらしい。

要は「安い労働力」を基本とする「国際競争力」を失ったわが国の産業分野にとって
「貧しい外国人労働者」は「都合がいい」とみなされてのこと。

自動車産業の派遣労働者として「出稼ぎ」にやってきた日系ブラジル人たちも
「景気」が悪くなった途端に首切りに。

再就職もままならず帰国するにも微妙な状況で
それでも仲間内で助け合ってなんとかしのいでいるのだと。

この21世紀に「女工哀史」のような「現実」があるとは。
それも自分が「普通に暮らしている国」にあるとは。

なるほどこれが「貧困ビジネス」だとすると
どうやら世界各地にあれこれ存在することが察せられて暗然とした気持ちになる。

「健全な競争」でなく「相手の足下」を見なければ「自分の利益」が手に入らないのか。
そういえばそもそも「商売」はそうした「あやしさ」を常に持つものだったりすることをあらためて思い出す。

一番の問題はそうして苦しんでいる外国人の存在がわが国では「ないもの」になっていることだろう。
「負の連鎖」が「日常」である「ドームの外」についても知っておいて悪くはない。

引き続き「阿佐田哲也の怪しい交遊録」を読む。

著者は「筋金入りの不良」だけれど
「博奕打ち」を「本業」にしていた頃には上のような「現実」が「日常」だったのだろう。

もちろん動物の世界では「弱肉強食」が「当然」であり
そのことにあれこれ思いがちなのは「人間の勝手」だという考え方もある。

とはいえその著者にして「『マイナー』芸人の行く末」に「敏感」になったりするのだから
「人間であること」は相当に「やっかいなこと」だったりする。

そしてそうした「あり方」についつい「共感」してしまうつもりの自分も同様。

いずれどこかで「エゴイスト」にならざるをえないのは「事実」。
そこに「不正義」を見つけて騒ぐのはいくぶん「近親憎悪」だと思っているくらいがいいのか。

いやはや。

誰も「身ぎれい」でいることはできないのは「常識」だとして
だからこそ「身ぎれい」を求めることにもなるわけで。

「控え目な美学」をそれぞれ生きるよりない、ということにしておく。
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