粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

我がルーツ、村上海賊(水軍)を訪ねて

2016年08月21日 | Weblog

8月5日、午前3時過ぎに自宅を出発して四国へ。
東名、名神高速を走り、明石海峡大橋を渡って淡路島へ。

12時過ぎに淡路SAに到着。
ここでの目的は、岩屋港を確認すること。

SAから岩屋港がよく見えました。

和田竜作の『村上海賊の娘』によると、木津川合戦前に村上海賊は
岩屋港に集結したとのこと。霞んでいて、残念ながら大阪は見えませ
んでした。

両親の出身は瀬戸内海の島、それも村上海賊(水軍)の本拠地だっ
た能島の近く。そのため確証はありませんが、ルーツは村上海賊だ
と思っています。

5日は高松の後輩宅に泊まり、翌6日に松山へ。
6日~8日は実家でいろいろと用がありましたが、毎日道後温泉は
楽しみました。




9日、しまなみ海道を走って大島へ。


目指したところは『村上水軍博物館』

中央の石像は『村上海賊の娘』父、村上武吉。

『村上海賊の娘』のモニュメントもありました。

これは『村上海賊の娘』の弟、村上景親。

館内に入ると、こんな可愛い人形が出迎えてくれました。

『ここは海賊、能島の海』の看板がありました。

能島周辺の海流が早いことがよくわかる映像です。

空から見るとこんな感じです。

村上海賊にお金を払うと、この『過所旗』がもらえたようです。


村上海賊の年表です。


村上海賊の歴史を見ると、戦国時代の末期には村上海賊といえども、
現代風に表現すると、大企業に翻弄される中小企業の悲哀を感じて
しまいました。
私の先祖は、中小企業『村上海賊』に勤務する『サラリーマン海賊』?
だったのかも?

博物館を出てから次に目指したところは、村上海賊の本拠地であり
海城の能島。

潮流体験ができる船に乗船します。

猛暑でも、船に乗ると海風が爽やかでした。
能島の海岸で最も潮流が速い箇所は、激流が川のようでした。

渦が巻いているところも。

潮流に守られた能島。

海城の雰囲気が十分に伝わってきました。

能島に桟橋がありましたが、普段は上陸できません。
この日も、船から眺めるだけです。

船は能島周辺を走り、瀬戸大橋の真下へ。


船を降りた後、車ですくに行けるカレイ山展望公園へ。

標高232mの頂上近くまで車で行け、少し歩いて登ると展望台が
ありました。

展望台からの眺めは絶景。

能島が丸見えです。


カレイ山展望公園は、絶対にお勧めの観光スポットです。

村上水軍博物館もよく見えます。

松山への帰りの途中、今治城へ立ち寄りました。

私が子供の頃は、今治には天守閣がありませんでした。


つい最近までそう認識していましたが、、職場の人が今治に天守閣
があると言うのでネットで調べると、私が四国を離れてから復元され
たことが分かり、機会があれば見に行こうと思っていました。

なかなか立派というか、立派過ぎるような気がしました。

天守閣の最上階から、大島方面の眺めです。


11日、ずっと行ってみたいと思っていた別子銅山へ。

『東洋のマチュピチュ』と言わる風景。
遠方には新居浜市内が望め、ここ一番の絶景でした。

珍しく貴重な眺めとは言え、『東洋のマチュピチュ』は言い過ぎで、
『四国のマチュピチュ』が適切と思える規模でした。


12日の午前3時過ぎに松山を出発して、東京へUターン。

5日からの走行距離は『2108Km』でした。

東京に戻ってから女房が最初に喋ったことは、「東京は涼しいね。」
でした。

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