粉雪の万座へ

万座の粉雪と雪景色、流れる雲と青空に魅せられ綴っています。

故郷松山へ、『坂の上の雲』を辿って

2007年09月04日 | 坂の上の雲

9月1日、故郷松山へ1年ぶりに帰省しました。
 
「春や昔 十五万石の城下かな」と、松山出身の俳人『正岡 子規』は郷土を俳句で表現。


今年の帰省の楽しみは、作家『司馬 遼太郎』さんの大作であり、私の愛読書である『坂の上の雲』
にちなんだ箇所を辿ることです。


『坂の上の雲』の主人公は、正岡子規と秋山兄弟の三人。
まずは、復元して間もない『秋山兄弟の生家』を訪れました。
 
真新しくはありますが、想像以上にまことに質素で小さな生家でした。
ここで放映されているビデオで、秋山好古の臨終最期に発した言葉が「馬引けー」だったと分かり
ます。小説では「奉天へ」となっています。
「奉天へ」はロマンを感じ、「馬引けー」は明治人の気概を感じます。



 
馬上の人が日本の騎兵隊を創設した兄の『秋山 好古』。
胸像は日本海海戦の作戦を立て、「本日、天気晴朗ナレドモ浪高シ」を起草した弟の『秋山 真之』。


次に、今春完成したばかりの『坂の上の雲ミュージアム』を訪問。
 
建物は、建築家『安藤 忠雄』さんが設計。『坂の上の雲』の雰囲気にふさわしい作りでした。
窓からは、緑に囲まれた、旧松山藩主の明治時代の別邸を見ることができます。
心に残った展示物は、『坂の上の雲』を産経新聞に掲載していたときのコピー全てと、秋山
真之が友人正岡子規に書き送った英文の手紙。司馬さんの渾身の魂と、明治人の気骨を
感じました。


そして、久しぶりに私が卒業した中学跡に立ち寄りました。
松山城の二の丸跡にあった母校は、今は公園に生まれ変わっています。
 
 
中学は、坂を登った石垣の上にありました。
まさに、『坂の上の雲』を見つめながら、毎日登校したものです。


このブログは『万座』をメインテーマに、粉雪・雪景色・温泉・スキー・スキー学校にまつわることを
徒然なるままに記しています。
サブテーマは『青空と雲』としています。愛読書『坂の上の雲』ともう一つの理由から、『青空と雲』を
サブテーマとしています。

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