地球散歩

地球は広いようで狭い。言葉は違うようで似ている。人生は長いようで短い。一度しかない人生面白おかしく歩いてしまおう。

ファーストフード

2010-02-18 00:00:00 | つれづれ帳

 快餐 (クワイツァン)

 ニューヨークの中華街で見かけたマクドナルド。麦当労…って、何て読むの??
 帰国して調べてみたら、「マイタンラオ」
 おもいっきり、アメリカ人になったつもりで「マクダーナー」と言って見ても、イマイチつかみきれません。
 いまさらですが、入ってみればよかった!

 さすが中国のファーストフード!というのを見つけました。 
マクタッキー
 アリですか?アリですか??[a]

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唐辛子

2009-10-24 00:00:00 | つれづれ帳

 고추(コチュ)

 近所のおばさんから紫蘇のキムチを貰った。なんでもキムチにしてしまうんだな~と感心。
 韓国と言えば、唐辛子抜きに考えられず、いつから食べていたのかも気にしていなかった。そんな私の目に、今年驚きの新聞記事が飛び込んできた。
 なんと、韓国に唐辛子を持ち込んだのは日本というのが通説だったというのだ。最新の研究で、その通説を覆す証拠がみつかったという。
 唐辛子の道は、コロンブスが中央アメリカから持ち帰り→ヨーロッパ→日本→朝鮮→中国→インドというのが、今までの通説。今回の説では、韓国固有の唐辛子に、コロンブスが持ち込んだ中央アメリカの遺伝子は入っていないとのこと。
  韓国では画期的な新説。それはそうであろう。なくてはならな唐辛子が、朝鮮半島に民族と共にあったとなれば。
 この研究、続報も楽しみであるがぜひとも、外国人の研修者の話しを聞いてみたい。[a]


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2009-02-01 00:00:00 | つれづれ帳

riba(リバ・クロアチア語)

3年前になる。「アドリア海の真珠」ドゥブロヴニクを訪れた。クロアチア南端のダルマチア海外沿いに位置するこの都市は、この国を代表する海洋都市であり、風光明媚な中世の町並みを抱え、現在日本人の間でも大人気の観光スポットである。

ドゥブロヴニクの持つ独特の存在感は、クロアチアの歴史においてこの都市が辿ってきた道のりをそのままに示すものであり、同様に食文化にもドゥブロヴニク独自の様式が反映しているように思う。

バルカン半島は中世から近代にかけ、その大部分がオスマン帝国の領土であった。バルカン半島の中では比較的アナトリアから遠い場所に位置するクロアチアとて、もちろん例外ではない。クロアチアの一般的な食事を見てみても、「オスマン的」なるものが多く見出され、エジプト・トルコ・イラン・ギリシャの「散歩」を常とする我々にとって、クロアチア料理の多くのメニューは大変に親しみ易いものだ。

となると、当然のように肉食を中心とした繊細なオスマン宮廷料理が現在のクロアチア料理のメインとなっていると思われるが、ドゥブロヴニクを始めダルマチア地方で食される料理に限って言えば、肉ではなく魚介類、これに尽きると感じた。それには、アドリア海に面しているという地理的な要因も勿論否めない。しかし、上に述べたように、この都市が辿ってきた「歴史」そのものも、食事のスタイルに影響していると、私は強く感じた。

そもそもドゥブロヴニクは、バルカン半島と地中海諸国、つまり大雑把に言ってスラヴ語圏とラテン語圏の国々の間の貿易の中継都市として栄えた歴史を持つ。中世に入り、ヴェネチア、ハンガリーと支配者を変えていくが、その都度この都市は、自由貿易の権利を勝ち取ってきた。オスマン帝国が強大化した際にも、巧みな外交努力により、帝国の直接の傘下に入ることを免れたのみならず、バルカン半島における商業活動の自由を勝ち得た歴史を持つ。「自由」という概念は、ドゥブロヴニクという都市をを表す言葉としてふさわしい。この事実は、食文化においてもある程度当てはまると私は思っている。(いささか大袈裟な言い回しではあるが)オスマン料理よりもこの地域独自の料理を、という姿勢。つまり魚介類を多く食す点だ。

魚の話からすっかり外れてしまってしまったところで、本題に戻ろう。
この地域で、アドリア海から上がった新鮮な魚介類は、シンプルに調理され食卓に並ぶ。海辺の強烈な陽光の下、グリルしたての魚にハーブやニンニクを混ぜ込んだ熱々のオリーブオイルをさっとかけて頂く。付け合せとしてレモンも添えられていて、もちろんレモンをぎゅっと搾ってから食べてもいい。素材が良ければ手の込んだ料理でなくともご馳走となる、その典型だ。主に食される魚はスズキや鯖、それから小魚類。蛸や烏賊、海老、貝類など魚介類も充実している。ギリシャの島で頂く魚料理にも通ずるものがある。

ドゥブロヴニクのレストランでは、真夏の太陽のように輝く笑顔にたくさん出逢えたことも印象的だった。給仕係の優しい笑顔は、旅人にとって最高のご馳走。海の幸と、碧い海に青い空が織り成す美しい風景、それに見目麗しい人々。ドゥブロヴニクは人生の幸がぎゅっと詰まった宝箱だ。(m)

*エジプトの魚はナイルの賜物 フィッシュ&チップスのイギリス エーゲ海の幸ギリシャ マグロはスペインから 日本の魚はやっぱり寿司! ポルトガルと言えば干し鱈料理 イランは当然キャビアかな?

なんだかクロアチアの観光案内文のようになってしまいました・・・
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2008-11-25 00:07:22 | つれづれ帳

oiţe(オイツェ・ルーマニア語)


伝説が息づくルーマニア。「森の彼方の国」トランシルヴァニア地方から、樅の木が鬱蒼と茂るカルパチア山脈を越え、さらに列車は北へと向かう。車窓からは春の花に覆われた小高い丘が次々に流れ込んでくる。ところどころに高く積まれた干草の匂い。木々の淡い萌黄色。そして、春を迎え放牧を始めたばかりの羊たちの群れ。牧羊犬の咆哮が、遥か遠くから耳に届く。目にする全てが淡い匂いと光を伴って届いてくる。

ルーマニア北部に残る秘境、マラムレシュ地方。童話の世界の衣装を着た人々が、木造の教会から顔を覗かせる。ここでは人々の暮らしは羊と共にある。雪に固く閉ざされた冬を越え、北の大地が若草色に芽吹く頃、人々は放牧の始まりを祝い、男たちは羊を連れ森へ向かう。野は祝祭と羊で溢れ返る。この地では、人が自然との親和性を実感し大地と溶け合う瞬間、辺りは喜びの歌に包まれる。春から冬へ。生から死へ。ルーマニアの人々の暮らしは、豊かなフォークロール(民謡)やバラーダ(即興叙事詩)と共にある。

「バラーダ」の中でも、ルーマニア国民に最も愛され馴染みのあるのが「ミオリッツァ」だという。「ミオリッツァ」とは、ルーマニア語で雌羊のこと。異国の牧童の裏切りを受け、自らが殺められる運命にあることを千里眼のミオリッツァから知らされた羊飼いが、「死」を自然との「婚礼」に喩え、来たるべき死と運命を静かに受け入れる。美しく静謐なその詩篇からは、ルーマニアの丘や谷、木々や花々、澄んだ星空、そしてルーマニアの人々の精神性が自ずと浮かび上がってくる。

ルーマニアの国民的作曲家キプリアン・ポルンベスクの「望郷のバラード」を横糸に、激動のルーマニア革命を情緒豊かに、情熱的に、壮大なスケールで描いた高樹のぶ子氏の作品『百年の預言』の中で、この詩は物語の大きな鍵となっている。
ある登場人物が死の直前にミオリッツァの一節を口ずさむシーンがある。作中、歴史に翻弄され死へと導かれた女が呟いたミオリッツァの詩篇の底流には、崇高な魂が奏でる旋律が流れていた。


幻想小説を数多く残したルーマニアの偉大な宗教学者ミルチャ・エリアーデ。彼の長編小説『妖精たちの夜』の中でもやはり、主人公が死の間際にミオリッツァを朗誦していたように記憶する。
ルーマニアの大地が抱える自然を目の当たりにすると、「俗」の中に顕現する「聖」をとらえたエリアーデの作品群が、より鮮明な「色」を伴って響いてくる。そして、生と死は円環しているものだと実感する。

ルーマニアの人々はキリスト教世界にありながら、「死」を自然との交歓と捉えているのだろうか。あたかも死は、一種の情熱を持って向かっていくべき魂の故郷であるかのように。

マラムレシュの田舎の暮らし、羊たちの歌、雪が残る深緑色の森。そして、その森を彷徨う哀調の旋律。その素朴で優しげな生は、時に情熱を秘めた死の香を伴って立ち上ってくる。(m)


アラビア語英語ギリシャ語スペイン語 、ペルシャ語日本語 の羊。最後まで読んでくださった皆さんに、mulţumesc!(ムルツメスク!:ありがとう!)写真はマラムレシュ、初春の田舎の風景。望郷のバラード。ヴァイオリンの旋律に乗せて・・・漂うようにクリックをお願い!人気blogランキングへ 


2008-11-17 00:06:39 | つれづれ帳

meso(メソ・ボスニア語)

前回・前々回、スペインの羊祭、イランの羊料理と、連続で「羊」が登場した。羊繋がりということで今回も羊の丸焼きの写真を登場させるが、「散歩」先は『地球散歩』初、ボスニア・ヘルツェゴヴィナに飛ぶ。写真は、クロアチアの景勝地ドゥブロヴニクからボスニアの首都サラエヴォへ向かう道中、山間のレストランで撮影したもの。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナと聞いて、この国のイメージを即座に思い浮かべることが出来る人は殆どいないだろうと思う。
しかし、彼の地が「かつてはオスマントルコの領土であった
と言ったらどうだろうか。トルコが如何なる文化を持つ国か想像できる人は、決して少なくはないだろう。

バルカン半島に位置し、古くから様々な民族が行き交い人種の坩堝であったボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、人々の顔立ちや宗教と同様に、食べ物にも混淆の痕がくっきりと刻まれている。中でもオスマントルコが残した痕跡は多大なものだ。以前、トルコ語の「
コーヒー」の記事でも書いたが、巨大帝国がかつての支配地に残した文化の跡は、口にするものに多く残されている。この地に住む人々の多くがムスリムだということも理由のひとつであろうが、ボスニア料理の中にはトルコ的要素が多く見られる・・・どころか、トルコ料理そのものだと言っても過言ではない気がする。彼の地を「散歩」中、トルコ料理、中でもオスマン朝の宮廷料理の名残を、私の舌はしっかりと記憶した。

さて、今回は「肉」がお題なので、ボスニアの代表的な肉料理をふたつご紹介しよう。そのひとつは「チェバブチッチ」だ。チェバブチッチは、「小さなケバブ」のことであろう。しかし、トルコのシシケバブに代表される串焼き肉とは形状が違い、どちらかというとキョフテに近く、棒状の肉団子という感じである。これをナーンのような薄めのパンに挟んで食べるわけだが、その時にヨーグルトドリンクと一緒に食すのが習慣であるところも、いかにもトルコ的だ。
もうひとつは「ブーレク」という料理。ボスニアではパイ生地で挽肉や玉ねぎを包み、それを鉄板で焼いたものを指すが、この料理に似たものが、これまたかつてオスマン朝の領土であったチュニジアに「ブリック」という名称で存在する。チュニジアでは、薄い春巻きの皮のようなもので、肉ではなくツナやジャガイモなどを包んで揚げたもののことだが、これらふたつの料理が元々同根であることは、「ブーレク」「ブリック」という名称からも明らかだ。

以前、『見ることの塩』(四方田犬彦氏のパレスチナ・セルビア紀行)という本を読んだが、その中に「ブーレカを食べる人々」という章があった。氏は、かつてオスマントルコが支配したふたつの地に「ブーレカ」という料理として残る、同王朝の文化的痕跡について述べている。「ブーレカ」は勿論ボスニアの「ブーレク」と同じものである。

歴史を振り返る時、強国の支配という事実からしばし目を離し、複雑に交じり合った文化の根底に多様性を発見した時の喜びは大きい。中でも文化の混淆の跡を色濃く見ることができるもののひとつは、料理。舌や鼻腔に残る記憶は強烈である。更にそれが美味しければ言うことはない!料理を巡るあれこれの旅は今後も続いていきそうだ。(m)

長い文章を読んでくださってhvala vam!(Thank you!)
『地球散歩』の食べ物を巡る旅はまだまだ続きます。
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パン

2007-11-29 11:41:08 | つれづれ帳

 Brot(ブロート・ドイツ語)

 ペルシャ語「本」にてゲーテが出てきたところで、『地球散歩』初めてのドイツ語が登場、テーマは詩の世界から食へ。ドイツはビールとソーセージだけではない、パンの国でもある。大型パン300種、小型1000種以上というのは、原材料の小麦に配合するライ麦の微妙な割合によって、また地域の特色あるレシピによって数多くのパンが生まれるそうだ。そして消費量もヨーロッパ一番。「塩とパンはほっぺを赤くする」ということわざがあり、健康的な食生活の基本となっている。そのようなパン文化の担い手であるパン職人は、厳しい修行と国家試験によって認定された称号「マイスター」にふさわしい仕事をする仕組みになっている。

 世界の味を貪欲に輸入する日本には、近頃ドイツからマイスターを招いていろいろなパンを焼く本格的な店も増えているようだが、よく知られるのは数種類。酸味が特徴で、どっしりとしたライ麦パン、コーヒーショップのサンドイッチに用いられるカイザーゼンメル、スナックのプレッツエルくらいだろうか。

 ライ麦パンは主にドイツ北部が主流。カイザーゼンメルは表面に星形の切れ目があり、ゴマやケシの実がついている。オーストリアから入ってきたもので、今はドイツ西部の代表的なテーブルロールだ。外観が王家の冠に似ていることを皇帝に褒められ、カイザー(皇帝)という名になったというエピソードがある。プレッツエルはハートのような形に編んで焼き上げたパン。かつては大きく焼いてパン屋の看板としても使われた。プレッツエルを小さく固く焼いて塩をまぶしたものはスナックの代表。ビールのおつまみとしてドイツ人に愛されているもので、ルフトハンザ航空に乗った時の軽食がやはり、袋入りのプレッツェルだった。

 ドイツへの私のこれまでの旅はほんの数日。最も印象に残っているパンは、ソーセージを焼く香ばしい匂いに誘われて食べた屋台のホットドックである。素朴な白パンに焼きたてのソーセージをはさんだだけなのに、とびきりの美味しさであった。プリッとして肉汁がジュワッの魅力は言うまでもなく、それを包み込むパンのレベルが高い。屋台とはいえソーセージとのハーモニーはまさにパンの国の御馳走だった。(さ)

 (参照 ドイツ大使館HP,製粉振興会HP)

 いつもありがとう! Danke(ダンケ)!

そろそろクリスマスの記事が始まります。各地のクリスマスをご一緒に散歩しましょう。お帰りの際には、キラキラクリックをお忘れなく!。  人気blogランキングへ


インドネシア語

2005-07-29 01:24:39 | つれづれ帳
ジャラン・ジャラン  散歩する
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 インドネシアのカブミ国立舞踊団がきたので見に行った。海に囲まれた国を思わせる、竹の楽器の音色は水の中。

 その中で日本人が覚えやすいインドネシア語を紹介してくれた。ジャラン・ジャランのほかには「サマサマ」これはお互い様という意味だそうだ。『じゃらん』という旅雑誌があったことを思い出した。

 竹の音色に耳をすませる。気分は日の光が差し込む海の中。海は地球の全てに繋がっている。言葉も繋がっている気がする。ジャラン・ジャラン、何処までも歩いていこう。