ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

フランス映画

2009年03月10日 | 映画


「モンテーニュ通りのカフェ」というレンタルDVDを見
る。
半額セール期間なので何か借りようと思い行ったはい
いが、なかなか借りたいものが見つからず、この際だ
から取りあえず何んでもいいから興味を引いたものを、
と選んだのがこれだったのだ。
何が興味を引いたかというと、パリのカフェが舞台で
あるという点。
その手のものでは過去に、イブ.モンタンの「ギャルソン」
や、誰だか覚えてないが「パリのレストラン」という映
画があった。
レストランなりカフェが舞台の映画は、その舞台裏が
見られるだけで、こちらとしては興味津津。
映画としてどうのではなく、その一点で興味があるの
だ。

で、今回の映画も、はっきり言って映画としては可も
なく不可もなしというところ。
一般的評価からすれば、多分、面白くない部類の映画
となるのだろう。
カフェに出入りする人々の人間模様、というのがその
主題なので。
特別劇的な何かが起こるという話ではないし、人情劇
というほどそういうのを強調するわけでもないし。
ひょっとすると、一般的イメージの「フランス映画」と
いうのはこういう映画なのかもしれない。
全体的には「アメリ」のテイストに近いと思うが、そ
もそも一括りに「フランス映画」という場合、一体そ
れが何を指すのか。
本当はそんなものは無いのだが、。
何故かというと、全ては監督次第だから。
エリック.ロメールとリュック.ベッソンを比べれば
一目瞭然。
唯、指しているのがどういうものかは薄々分かる。
要するに、ハリウッドの馬鹿映画ではない映画のこと。
実体としての映画ではなく、反ハリウッド的映画とし
て、例えば思索的な単純娯楽映画ではないものが「フ
ランス映画」的として、一つのジャンルの如くなって
いるのではないか。

で、「モンテーニュ通りのカフェ」に話は戻る。
結局どうだったかというと、こちらの期待したカフェ
の舞台裏があまり描かれてなくそういう意味では残念
であった。
しかし、映画としての期待はもともと持ってなかった
ので、落胆は無い。
単純に、インテリアのセンスであったり、ブラックや
らブランクーシ、ミロ、あとカンディンスキーか(こ
れは自信ない)、それにレジェっぽいものも、などの
作品も出てきて、そういう映画としては関係ない部分
でそれなりに楽しめた。
最初から映画として期待されずに見られるというのは、
作った側からすれば失礼な話だと思うが。


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