ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

対バーレーン

2009年01月31日 | サッカー


ネットの無料配信で、先日の「日本対バーレーン」を
見た。
きっちり全部見るのは、随分久しぶりな気がする。
解説無しでしかも音声無しで見たので、画面に集中で
きるのだが、反面、選手が誰なのか分からないという
欠点もある。
いずれにしろ、じっくり見られるのは有難い。

試合の方は、0-1の負けで、ひどい試合だったとい
うのが大方の見方のようであった。
岡ちゃんに対する不信が、また盛り上がりつつあるよ
うな情勢でもある。
確かに、試合としては面白いものではなかった。
ゴール前を固められ、手詰まり。
細かいパスをまわすが繋がらない。
つまり、駄目な時の日本代表の典型的な試合でもあっ
たのだ。
全体の動きも、明らかにバーレーンの方が上回ってい
た。
だから、直ぐに詰められ攻撃を組み立てられない。
しかも、その辺をコントロールする「遠藤」もいない
しで(いつのまに欠かせない選手になっていた)、実
況で見たら多分いらいらして見るのを止めたと思う。
そして、セットプレーでいとも簡単に失点。
チャンネルを変えたくなる瞬間だ。
あとはそのままスコアーは変わらずだ。

実況で見たら、怒りがそのまま岡ちゃんに向かうのも
感情的には致し方ないかもしれない。
しかし、試合全体は、岡ちゃんになってからの駄目な
試合の典型で、特別ひどいとも思えない。
スタンダードと言ってしまえば、スタンダードなので
ある。
元々、ダイナミックな動きで崩してというより、細か
いパスをチョコチョコつなぎ、上手い具合に抜け出れ
ばシュートというのが岡ちゃんのサッカーなので、今
回のように手詰まりで選手が動かずパスを待ち取られ
て反撃を食らうというのは、いつものことなのだ。
オシムさんの時のように、全体がダイナミックに動く
というのは期待できない。

監督の技量は、その監督が考えるスタイルで、例えば、
固められた時にどう崩すのか、その為の具体的なイ
メージを共有させることが出来るか、そういうところ
に発揮されるものであると思うが、それが上手く行っ
ているかが問題なのだ。
選手が替わっても、チームとして変わらないイメージ
を共有できるかだ。
そういう点で、最初の頃より進歩しているのかどうか。
果たして、岡ちゃんはどうなのよなのだが、考えてみ
ると最初からずっと同じようなことを言ってる気がす
る。
ということは、今現在あまり進歩を感じていないとい
うことなのか。
何だか、保留状態が長い。
どちらにしろ、全ては「オーストラリア戦」ではっき
りする。
コメント

宇宙の振動

2009年01月30日 | Weblog


元フランス料理シェフ「中ちゃん」は、どう見ても雲
の写真なのだが、それをUFOの写真だといってきかない。
そんな写真ばかり撮っている写真家の作品なのだが、
そのレベルは、写真そのものの出来があまりに悪く、
アマチュア写真家の方が余程上手く撮るのではないか
と思えるもの。
どう考えても展示するほどのものではない。
しかし、それがUFOであれば話は別だ。
というのが、多分「中ちゃん」の理屈なのだろう。
十人いたら十人、唯の雲の写真と言う代物にも関わら
ずだ。
何だか、トンデモ学会の臭いがする。
大丈夫か「中ちゃん」は、と思わずにはいられない
出来事であった。

自然農法の田圃作りだけに専念すれば良いのに、どう
も超自然的な物に惹かれてしまうようだ。
惹かれるのは良いのだが、それをどうしてもある統一
理論で単純化して理解したいようで(新興宗教によく
見られる)、具体的に提示されると直ぐに信じてしま
う。
今回は、全てのものは振動であるというものだった。
素粒子の世界で議論されるようなものを宇宙の出来事
全てに適用させるのは、物理学者の夢であろうが、そ
れをいとも簡単に適用させてしまうから凄い。
その複雑な真ん中を大胆に省いてしまうその力技が、
宗教的なのだが、勿論本人はそんな自覚はない。
信じれば恐いもの無しである。
ある意味羨ましい。
が、同時に、今まで築いた文化的価値も無意味になる。
要するに、信じられない人にとっては、唯唯胡散臭い
だけの世界である。

そんな話を聞かされても、一々反論することも無く聞
き流すことが出来るようになったのは、こちらも少し
は成長したということか。
それより今年は、「中ちゃん」の作っている田圃の土
を「滝壺ビオトープ」のゲンゴロウの蛹用に貰うとい
うのが、一番の重要課題なのである。
「宇宙の振動」よりは「田圃の土」、こっちの方が私
にとっては重要なのである。
コメント

ストライプハウス

2009年01月29日 | Weblog


「楳図かずお」の景観訴訟は、楳図かずお側の勝訴と
なった。
この手のものは、受け取り様で、それぞれの人の感じ
方によるもなので、なかなか線を引くのは難しい問題
だ。
どこからが景観を損なうのか、その基準は客観的には
決められない。
で、今回の建物は、赤と白のストライプ。
誰が見ても目立つ建物である。
その目立つという点だけを考えれば、確かに周りとの
調和は取れてないということになる。
が、調和は取れてないが、問題は、それ以前にその周
辺の風景が景観的にすばらしいかという前提があるか
どうかである。

これが例えば、古い街並みを残して、しかもそれを保
とうとしている場所であれば、明らかに問題建物であ
ると言える。
しかし、見る限り、ちょっと高額そうな建物が建って
いるが、別にどこでも見られるような統一感のない町
の風景であるように見える(実際見てないのであくま
でも映像に拠る推測だが)。
どうということ無い建物が多いし、共通しているのは
色が全体的に地味であるというだけで、これも全国共
通の没個性的な街並みである。
住民にとっては、この地味さ、よく言えば落ち着いた
雰囲気が重要なのだろう。
しかし、判決のポイントは、結局この周辺の景観その
ものが元々どうだったのか、という点であった。

個人的には、思ったほどひどくは無いと思うが、セン
スが良いとも思えない。
が、見ようによっては可愛らしいかもしれない。
それと、くっきり目立ち、ランドマークとして、周辺
で迷った人には役立つ建物になるのではないだろう
か。
暫くは、見物人も多く来るだろうが(これも、地元民
からすれば気分の悪いことだろうが)。

そんなストライプハウスなど比べ物にならない、凄い
建物を昨日見てしまった。
住居がショッキングピンクで、横の倉庫らしき建物が
ペパーミントグリーン。
昔、清里辺りで見た色合いの建物だ。
しかも、それがあったのは、完全に昔の田舎の集落の
中。
異様な風景に、一瞬目が止まった。
趣味が悪い、センスが無い、周りの風景に溶け込まな
い、これだったら訴訟でも勝てると思えた建物であっ
た。
建物自体は、普通の建売なのだ。
色だけが、そういう色。
一体誰が住んでいるのだろう。
会いたくはないが、つい興味は持ってしまう。



コメント

ジェジエのコンフィ

2009年01月27日 | 食べ物


T君から貰ってあったラードを、遂に使うこととなっ
た。
その前に以前使って、そのまま冷蔵庫に保存しておい
たラードと、サラダオイルの混合油を廃棄しなくては
ならない。
混合油なので、常温では溶け気味なのだが、今の時期
は寒いのでしっかり固まっている。
ということは、すでに固めるテンプルのような状態な
のでそのままゴミ袋に入れられる。
ステンレスのボールに入れてあるので、外側をちょい
と温め、ぬるっとゴミ袋に投入。
これで、晴れてラード100パーセントで「コンフィ」を
作ることが出来るわけだ。

その「コンフィ」の材料だが、前回のように「ホロホ
ロ鳥」も「子牛のすね肉」もあるわけではない。
そのためにインターネットで注文するわけでもなく、今
回は、地元のスーパーで適当なものを選ぼうと思って
いるのだ。
普通の鶏の腿肉で良いと思っていた、その時点では。
で、いざスーパーに行ってみると、今は骨付き腿肉とい
うものをあまり売ってい無いことを初めて知った。
殆ど、骨抜きで、骨付きは手羽だけだった。
手羽では、身が少ないし、ここはやはり骨付き腿肉が良
いのだ。
しかし、ないものはしょうがない。
そこで、何か他のものはないかと物色する。
候補はすでに考えていたので、すんなり決まった。
それは、「砂肝」だ。
フランスではポピュラーなコンフィの食材だ。
実際すでに何回かやっている。
ソテーしてサラダでにすると美味い。
「砂肝」のほかにも何かほしい。
目に付いたのは、牛のすね肉。
適度に筋があったほうが良いので、これも良い材料で
はないか。
安いというのも大きな要素。
というわけで、「砂肝のコンフィ」「すね肉のコンフィ」
が今回作るものに決定。

一斗缶に入ったラードを適量鍋に入れる。
温度を80度から90度に保ち、前日塩漬けしたそれぞれ
の材料を投入して、あとはひたすらその状態で温める。
4時間ほどで完成。
小分けにして冷凍すれば、いつでも使える。
ちょっと気の利いた料理にもなるし、作っておくと何
かと重宝な「コンフィ」である。
それと、店で食べるのと殆ど差がないのも嬉しい。
コメント

南アフリカ

2009年01月26日 | Weblog


NHKスペシャルで南アフリカを取り上げていた。
嘗ては白人による差別だったのが、今は黒人による黒
へ人の差別が問題になっているのは以前より知ってい
たが、番組はその辺の事情がよく分かる内容となって
いた。
貧困層の拡大というのはどこでも問題であるが、アフ
リカの場合はレベルが違う。
スラムが至る所にある風景は当たり前だし、そこから
這い上がる道が閉ざされている絶望的な状況も今や普
通だ。

南アフリカの場合、資源は豊富で、しかも白人が社会
基盤を作ってきたので他と比べるとポテンシャルの高
い国と言える。
アパルトヘイトが無くなり、白人の代わりに、一部の
出来る黒人がのし上って来るのも当然と言えば当然だ。
そして、成功した彼らはその身分を享受し贅沢に走る。
これも当然というか普通に見られる展開だ。
ハリウッドなどその良いモデルだろう。
そうなると、一部の成功者以外の多くの貧困層は彼ら
に対して嫉妬する。
その嫉妬はいつしか不満怒りに変わる。
嘗ては、それらの負の感情はアパルトヘイトという制
度が回収していたが、今は同じ黒人に向かう。
ここが多分、今までとは違う厄介なところだろう。
同じ嫉妬でも今回のものは、近親憎悪的要素が加わり
、より強力になるのではないかと思うからだ。

そして、追い討ちをかける金融危機。
貧しい人はが更に増える。
唯でさえ悪い治安が更に悪化。
臨界点を越えるのは時間の問題だ、とどうしても思え
てしまう。
WCが果たしてそれらの問題を解決する起爆剤になり
得るのか。
予想としては、開催できない確立50パーセント。
五分五分ではないだろうか。
代替地としてオーストラリア。
となると、開催地枠でオーストラリアは出場。
となるとますます日本は有利。
なんてことも想像するが、本当はそんな状況で有利に
なっても日本にとっては良いことではないと思ってい
る。
それより、南アフリカの今後の展開がどうなるかに関
してはWCに関係なく気になるところ。
それと最後に、番組のナレーションが宮迫博之だった
のにはびっくりだ。
コメント

ピザ談義

2009年01月25日 | 食べ物


ゲロゲロ少年Yが、ストローブ=ユイレの「和解せず」
と、ムルナウの「サンライズ」のDVDを持ってきた。
「紀伊国屋」のセールで買ったもので、私に貸すため
に持ってきてくれたのだ。
こちらには、スノッブなM氏から返ってきた「キッスで
殺せ」があったので、早速それをYに貸した。
以前観たそうだがまた観たいということであったので。
最近、DVDの貸し借りが大流行である。
この二人に関しては無くなることはないので、安心し
て貸すことが出来る。

とここでYが、全然関係ないことを言い出した。
「今年はピザの年にしようと思ってます」(Y)
「なんだ、唐突に」(私)
「いや、今年はちょっとピザを本格的に食べようと思っ
てるんです」(Y)
「別に改めてピザの時代でもないだろう?」(私)
「良いんです、個人的な問題なんで、兎に角一年一年
テーマを決めるのが僕のやり方なんで」(Y)
「なんだかどうでも良いテーマという気がするが、ま
あ好きにすれば」(私)
「ところで、この辺でお薦めのピザはどこですか?」(Y)
「お薦めって、フォルマッジョがなくなったから特
別思いつかないし、大体改めていろんなピザを食べよ
うなんて思ってもないし、どう考えても今の時代に
あまりにお気楽なテーマじゃないの」(私)
「こういう時代だからこそ、お気楽が必要なんです」(Y)

「じゃあ、ピザの話をすすめるか、その前にどういう
タイプが好きなんだ?個人的には絶対ナポリタイプだ
けど」(私)
「僕は、結構クリスピータイプが好きなんです」(Y)
「えっ、本当か?あれって唯ぱりぱりした感触だけだ
ろう、粉の旨味を味わうものじゃないだろう」(私)
「そうですかあ?」(Y)
「ピザをパスタの位置付けで考えた場合、粉物として
の旨味が重要になるわけだから、誰が考えたって唯ぱ
りぱりの生地よりはもっちりのナポリだろう、但し本
物のね、デリバリーのは駄目だよ」(私)
「単に好みの問題じゃないですか?」(Y)
「好み以前に味の深みの問題だよ」(私)
「そうですかあ?」(Y)
と、あくまでも不満そうなYである。

「クリスピータイプは、女子供の味だよ」(私)
「そこまで言いますか」(Y)
「確かに極端だけど」(私)
「クリスピータイプだって、粉そのものを厳選すれば
更に美味しくなるはずです」(Y)
「理論的にはそうなるかもしれないけど、粉の味より
ぱりぱり感優先というある種の限界があるんじゃない
の」(私)
「でも、分からないじゃないですか」(Y)
「まあ、ここでいろいろ言ってても始まらないんで、自
分でそのクリスピータイプを食べて分類相対化して、そ
れから改めて言ってちょうだいよ」(私)
「分かりました」(Y)

兎に角、ちょっと想像部分が多すぎるのがYなので、実
践そして実証という手順を踏んでもらわないと話が進ま
ない。
その上で好みの問題となったら納得である。
それにしても、しょうもない話で白熱してしまったもの
である。

コメント

H2A

2009年01月24日 | Weblog


H2Aの打ち上げ成功は、いつも嬉しいしほっとする。
こういう時、やはり自分も日本人だったかと思う。
オリンピックには、なかなか素直に喜べないものがあ
るが(実情を考えると)、ことH2Aに関してはそういこ
とはない。

それにしても「朝青龍」は負けない。
結局、人気さえあれば良しという相撲協会は、視聴率
さえあれば良しのテレビ業界と同じ構造を抱えている。
そうやって、どんどん質は落ちていくのである。
「朝青龍」を見てると、祭りの時に活躍して人気者に
なる、所謂、町の「乱暴者」を思い出す。
こういうタイプは、何故か人気がある。
分かり易い単純さが良いのだろうが、個人的には全く
興味をもてない。

スノッブなM氏が「キッスで殺せ」を返しに来た。
そこで一言「これ観たことあった」である。
少々ボケが入っているM氏のことだから、全く意外で
も何でもないのだが、これはM氏に限らずよくあるこ
とである。
大体途中で思い出すのだが、下手をすると最後の最後
まで思い出せないこともある。
その場合、また同じことを繰り返す可能性があるとい
うことだが、その度に初めて観ると思えば常に新鮮で
良い。
ということはなく、それだけ印象に残らないというこ
となのだから、そもそも映画としての価値が低いと考
えざる得ない。
今回の「キッスで殺せ」に関してはどうだったのか。

M氏は殆ど覚えてなかったらしいから、新鮮さはあっ
た。
それにしては、何故観たことがあると言えたのか、と
疑問に思うところだが、ここがM氏のまめなところ。
観たものを全部記録しているのである。
まあ、自分でも忘れるのを分かっているので、その為
の予防策みたいなものでもあるのだ。
だから、これに関しては六年前に観たということまで
判明した。
多分、記録した映画の数が増えていくことに喜びも感
じているのだろうが、それに関しては本人が好きでやっ
ているのだから何も言うまい。
しかし、「アルドリッチ」でもう少し頭に入れてほし
かったとは思う。


コメント

コラージュ

2009年01月23日 | 芸術


以前仕上げた、と思った「コラージュ」を眺めていた
ら、どうも違う。
これで完成であったはずなのだが、徐々にそんな気持
ちも薄れ、再び手をかけたくなるというのはよくある
ことで、その後よくなれば良かった良かったというこ
とになるが、その結果、どうしようもなくなって廃棄
なんてことも多く(あくまでも自分の基準での話し)、
実際に手をかけるかどうかはちょっとしたギャンブル
的なところがある。

で、今回はやることにした。
そもそもその作品のベースになっているのは、もう20年
近く前に実際描いた水彩だ。
その上に、いろいろ切り貼りしたのである。
その切り貼りの元は、二三年前に作った写真を元にし
たコラージュをプリントしたものである。
コラージュを切って、再びコラージュにする。
どこまで行ってもコラージュ。
コラージュは手法だから当たり前の話だが、製作日数に
関しては大層なこととなる。
何せ20年だから(実労は大したことないが)。

再び、元となるプリントを探す。
わざわざプリントして、全くよくこんなものをプリント
したものであると今は思うものがまだまだあり、素材
には事欠かない。
これも一種の廃物利用である。
リサイクルだ。
適当な色合いの部分を鋏で切り、作品の上に置き位置
を決める。
ここで、ああでもないこうでもないとなるわけだが、微
妙な位置関係というものが発生して、なかなか決まら
なくなる瞬間である。
そうこうしていく内に、自分の基準が揺れてくる。
どういうのが良いのか判らなくなってくるのだ。
感覚が鈍ってくる状態というのだろうか。
それで、もうあるところで決めて実際に貼り付ける。
で、また暫く置いて、違うとなったらまたその時はそ
の時であると思うのだ。

というわけで、一応完成はしたのだが、改めて見てみ
てどうなのかと、またまた自分自身に問うこととなる
のである。
コメント (2)

松本散策

2009年01月22日 | Weblog


散歩でもしようかと思い松本に。
ちょっと外れのスーパーに車を止める。
外れと言っても、駅まで歩いて20分ほどで、位置的に
は充分市内である。
駐車代は浮くし、誠に都合の良いスーパーである(一
応少しは買って、スーパーの客であるという事実は押
さえた)。

松本は、古い家も結構残っていて、思わぬ発見がある
ところだ。
ねらい目は、古い家が取り壊されて、その痕跡が隣の
家に残されているようなその壁である。
引き剥がされた家、とも言えそうな壁に残された痕跡
でその家を想像するのだが、これが楽しいのである。
散歩の醍醐味は、勝手にいろいろ想像することにある
のではないだろうか。
普段見過ごしてるような風景の中にそれを発見すると、
ある種のお宝発見のような感動を覚えるものだ(ちょっ
と大袈裟だが)。
今回も、いくつかお宝発見があった。

そして、毎度のことであるが「クリヨードヴァン」で
ランチタイム。
今回は、いつもより奮発して「ハラミステーキ」を頼
む。
でてきたものは想像通りの、ただ焼いただけのステーキ
と、付け合せのフライドポテトを盛ったもの。
ソースも一切ない。
しかし、これが如何にもフランスらしくて良い。
ビストロ料理には、ただ焼いただけというのが結構多
い。
但し、付け合せのフライドポテトなどはこれでもかと
いうくらいたっぷりでなくてはいけない。
ここのフライドポテトも、ファストフードのポテトのL
の倍くらいの量である。
肉も、赤身中心で(ハラミでも部位によって違うよう
だ)、適度な歯応えがあり良い。
以前は固すぎてうーんだったが、ハラミになってそれ
は改善された。
元々ある程度の歯応えのある赤身肉が好きなので、こ
ういうステーキの方が嬉しい。
脂50パーセント以上の高級霜降りよりは、断然こっち
だ。
量も200グラムはあり、それにポテトを食べれば充分お
腹一杯。
コーヒーも飲み、暫くまったりして店を出る。
そう言えば、この時期の大敵、ガラスの下からじわじ
わ襲ってくる冷気も、それよう対策で腰板くらいの高
さに布を張って遮っていた。
これで大分改善された。
コメント

女優の名前

2009年01月20日 | 映画


ギャオで「ザ.ヤクザ」という映画をやっているが、
主演のロバート.ミッチャムが、どうも、ちょっと若
い時のオシムさんに見えてしょうがない。
それと、岸恵子の娘役の日本語が、相当怪しいのも気
にかかる。
日本語が得意ではない日系人であるのは見え見えだ。
日本が舞台の向こう製の映画には、必ず変な日本人が
登場する。
これは「逆もまた真なり」ということなのだろうか。
ステレオタイプというのがなくならない限り、それは
不可避と考えた方が良さそうだ。

スノッブなM氏が「柔らかい手」のDVDを持ってき
てくれた。
その代りというわけではないが、手元にあった、アル
ドリッチの「キッスで殺せ」とラングの「死神の谷」
を貸す。
M氏が持ってきた「柔らかい手」というのは、最近の
作品で、監督はよく知らないが主演がマリアンヌ.フェ
イスフルということで記憶に引っかかっていた。
マンディアルグ原作の「オートバイ」、映画のタイト
ルは「あの胸にもう一度」の女優として遥か昔に記憶
されていた名前がマリアンヌ.フェイスフルだったの
だ。
真理アンヌではない。

マルレーヌ.ジョベールといいマリアンヌ.フェイス
フルといい、何故こんな長ったらしい名前が記憶され
るのか不思議でしょうがない。
フランス的な名前がいいのだろうか。
いずれにしろ、あの一作だけで名前はインプットされ
たのだから余程作品の印象が強かったのか、と思われ
るのだが、映画そのものは全然良いとも思ってないの
がこれまた不思議だ。
実際、今見ても大した作品ではないだろうと思う。
すんなり頭に入る名前と、何度聞いても覚えない名前、
違いはどこにあるのだろうか。
二人の名前は、リズムが心地いいように感じるが、多
分これは個人的な感性に拠るものだろう。
どう見ても個人な問題という気がする。

で、その「柔らかい手」を見ようとしたら、またまた
DVDが認識されないという、M氏絡みでは四度目の
問題が発生。
ったく、何度言ったらファイナライズを完璧にしてく
れるのか。
また文句を言わないといけない。
コメント

揚げ物

2009年01月19日 | 食べ物


T君より大量のラード(十八キロ)を貰ったはいいが、
その後「コンフィ」を作る機会がなく、未だ手付かず
のままだ。
それにしてもこれだけのラードとなると、ちょっと使
うといった家庭使用ではなかなか減らないだろう。
それこそ大量に「とんかつ」でも揚げ無い限りという
話だが、そんな機会は、例えば地区の「とんかつ会」
(そういうのがあればの話)以外考えられない。
いずれにしろ揚げ物関係しか思いつかないのが、ラー
ドの使用法だが、コロッケにしろラードを使うとより
美味しくなると思うが、如何せんヘルシー志向からす
るとどうも旗色は悪く、今ひとつ人気面では、といった
ところではないだろうか。

そんな揚げ物つながりで、久しぶりの「ファラフェル」
である。
どうも、定期的に食べたくなる味となってしまったよ
うだ。
これは揚げ物でも、完全ベジタリアン食なので、ラード
ではなく植物性オイルを使う。
従って、ラードの出番は無い。

ということで、いつものようにストックしてある「ヒヨ
コ豆」を用意し、香味野菜の「パセリ」を取り出した。
実は、結構前に買ってあったこの「パセリ」を使わなけ
ればというのも、今回「ファラフェル」を作ろうとした
理由の一つでもある。
それで取り出した「パセリ」だが、確か二週間くらい経っ
ていた。
見た目はちょっと変色したかなという程度だったので、
大丈夫かなと思っていたのだが、現物はそれどころで
はなかった。
明らかに臭うのだ。
しかもアンモニア臭が。
こんなにアンモニア臭がするものなのか、と改めて思
うくらいの臭いだ。
当然廃棄。
となると「パセリ」はない。
すでに他の材料はready状態。

ここで、レシピに忠実な人だとパセリを買ってくるか
ということになるが、私の場合そうはならなかった。
まあいいか、ということでパセリなしでやることにし
た(買いに行くのが面倒なだけだが)。
ここは臨機応変に。
あとはいつものように丸めて揚げるだけ。
オイルが少ないのも予想外だったが、これも少ないな
りに行くしかない。
で、出来た「ファラフェル」の味は、ということだが、
これが結構普通にいける味だった。
「パセリ」がない分、色的には緑が無く「ファラフェ
ル」っぽさが乏しいが、味的にはそれなりに行けるの
だ。
ポイントはパセリの味より、他の香辛料(コリアンダー
、クミン)の使い方であると思った。
いろいろやってみるものである。
コメント

キッスで殺せ

2009年01月17日 | 映画


この前「紀伊国屋」で買ってきた、ロバート.アルド
リッチ(オルドリッチ)のDVD「キッスで殺せ」を観る。
白黒映画だからというわけではないが、アルドリッチ
の作品の中でもこの時期のものは(これは1955年製)、
アメリカのフィルムノワールというような言い方をさ
れているらしい。
個人的には、他の作品、例えば「特攻大作戦」「北国
の帝王」などを観ているが、娯楽作としてよく出来て
いるという印象はあったが、正直それ以上でもなかっ
た。
では何故今回これを買ったかというと、結局はフィルム
ノワールという言葉に惹かれたのと、特にこの「キッ
スで殺せ」が1部の間でいやに評価が高かったからだ。
興行的には駄目だったらしいが、作品としては評価さ
れているのだ。
一般的に言って、こういうタイプの映画のほうに(興行
的には駄目、要するに売れなかった映画)良いものが
多い、というのは紛れも無い事実である(と言い切れ
るわけでもないが)。

映画の冒頭から、正にフィルムノワール全開である。
女が裸足で道路を走るシーンから始まるのだが、はっ
きり言ってこのシーンはかなり印象的である。
サスペンスの原型か。
シャープでスタイリッシュという言い方は陳腐だが、
ついそんな形容をしたくなってしまうのだ。
スタイリッシュというと思わせぶりな演出を想像して
しまうが(例えばウォン.カーウァイ)、これは1955年
の映画である。
勿論思わせぶりでもなく、小気味良い演出で(大胆な
省略)最後まで疾走する。

主人公は「マイク.ハマー」。
「濱マイク」でもない
どうも「フィリップ.マーロウ」とかぶるのだが、全
然違う人物像のようだ。
ゆすりまがいが得意な、浮気専門の探偵である。
そんな彼が、冒頭の女に関わったことによって、政府が
らみの事件に巻き込まれていくというのが全体の筋で
ある。
最後に「ロスアラモス」「マンハッタン計画」までで
てきて相当大げさなことになるのは、ちょっと行き過
ぎではと思うが、「太陽を盗んだ男」の頃と違い、ま
だまだ知識が広まってないと考えれば致し方ないとい
うより、一つの象徴として考えた方がいいかもしれな
い。
何のことかというと、「原子爆弾」である。

まあ、そんな具体的な秘密はこのさい関係ない。
無名な俳優を主役にした、典型的なB級サスペンス、ア
クション映画の部類になると思うが、質の高い映画で
あることは間違いない。
しつこいが1955年である。
映画史に刻まれるだけのことはある(一部では)「キッ
スで殺せ」であった。
コメント

耐寒の世界

2009年01月16日 | Weblog


今朝もマイナス10度を下回った。
となると心配になるのは「滝壺ビオトープ」の様子だ
が、発泡スチロールの効果で、全面結氷は免れている。
発泡スチロールに覆われた部分だけは凍らずに済んで
いるのだ。
そこで試しにそれを持ち上げてみると、「ヒメダカ」が
一匹驚いて隠れようとした。
よくこの寒さにも耐えられるものだ。
「ヒメダカ」ってもともとそんなに丈夫なのだろうか。
しかし、考えてみれば10匹いて、今のところ確認でき
るのは1匹なので、殆どは死に絶え、その中の丈夫な個
体だけが生き残っているわけだ。
と考えれば、生存率十分の一だから、平均すればそん
なに丈夫ではないのかもしれない。
いずれにしろ、このまま生き残れば、ここの主の称号
を与えられるに充分な資格があると言える。

一方、人間にとっての暖であるが、基本的には「湯たん
ぽ」一個でマイナス十度も大丈夫そうである。
但し、布団の隙間が無ければという条件付だ。
上にかけた毛布がずり落ちたりすると、途端にに効果
が薄れる。
静かに冷気がやってくるのだ。
これも「殺しが静かにやってくる」の世界だ。
何となく冷えると感じると、大体毛布がずり落ちてる
かずれてるかしているのだ。
そんな時、こんなんで寒いと言っているようじゃ、到
底満蒙開拓民にはなれない、などと遥か昔の日本人の
過酷な状況を無意味に想像する。
それより、自分の子供時代の今よりもっと寒かった時
のことを想像してみれば良い。
羽毛布団もない時代、綿の布団で全然問題なく寝てい
たのだ。
それを考えると、本当、柔になったものである。
少しは「ヒメダカ」を見習えという話である
コメント

不整脈

2009年01月15日 | Weblog


この一ヶ月ほど、不整脈が頻発していたので、とうと
う医者に行ってきた。
まずは開業医で、次に精密検査で大きな病院という手
順になるのだろうなと思っていた。
そしてその第一段階の開業医で、手始めに心電図をとっ
た。

一般的に、不整脈というのは誰にもあることらしい。
そして、殆どの人は気付かないらしいのだ。
ところが私の場合、実によく分かる。
リズムが狂うのが手に取るように分かるのだ。
だからこれが頻発すると、いよいよ心臓も終わりかと
いう気分にもなる。
いきなり止まるか、と思ったりもする。
こうやって、心臓発作で人は死ぬのかと考えたりする
と、この不整脈は益々気になってくるのだ。
気になると、意識はそこに集中するので、不整脈の度
合いも強くなってくるような気がする。
意識との兼ね合いで、症状も変わる。
人間の体は何故にこうも微妙なのか。

で、検査の結果は。
「期外収縮でよくあるやつですよ」の一言。
これで更に検査の第二段階は無くなった。
それにしても、こんなに頻発するものなのだろうか。
原因は、寝不足ストレスなど。
確かに、ここ数年熟睡というものには縁が無い。
自分でも、これはよくないとは思っていたが、こんな
ところに影響がでてきたか、と半ば納得の症状でもあ
った。

「気にしないことが一番です」と言われても、はっき
り分かるものを気にしないのも難しい。
ついつい脈を診て、今飛んだなどとやってしまうのだ。
はっきり分かるのと分からないのと二種類あり、それ
らが交互にというか、ランダムにやってくる。
気分としては、これも「殺しが静かにやってくる」な
のだが。
結局は、飼いならすということなのだろう。
コメント

新宿

2009年01月13日 | Weblog


昨日の続き。

新宿に着く。
ここも渋谷に負けず劣らず人が多い。
これだけ人が多いと、人あたりしそうだ。
と、久しぶりにこういう場所に来ると改めて感じる。
帰りの電車の時間までには、まだ二時間ほどある。
ちょっと腹ごしらえだ。
しかし、ここでどこへ行こうかと迷うのが新宿。
飲食店の数は多いが、いざ具体的にどことなると思い
浮かばないのだ。
あまりこちらの興味を引くような店が無いというのと、
それによく知らないというのもある。

どこに入ろうか迷って、最終的にしょぼいところに落
ち着くという経験はいやというほどしているので、そ
の轍を踏まないために、こういう場合を想定して考え
てきたのだ。
始めから「駅蕎麦」で済ますか、或いは他の選択をと
いうことになるのだが、今回は後者。
今の状態だと「ガレット」くらいがちょうど良い。
「島屋」にガレットを食べさせる店がある。
それは「ル.ブルターニュ」の系列の店。
ということで、その店に向かう。

「島屋」に入るのも初めて。
駅から非効率な道順を辿り、人を掻き分けデパートに
到着。
さてその店はどこだったか。
店名は「ル.ブルターニュ」ではない。
上の階であることは記憶している。
多分、いろんな飲食店が集まってる階だろうというこ
とでエスカレーターに乗る。
結局それは十何階(具体的な階は忘れた)であった。
思ったよりこじんまりした店で、行った時(5時過ぎ)
はほぼ満席(あとで確認したら13階で、店名は<ブ
レッツカフェ>)。
ちょうど一席空いていたので、そこに座り、メニュー
の内容はほぼ判っているので「コンプレット」(一番
オーソドックスなハム、チーズ、玉子の)と「シード
ル」のボール(小振りの茶碗くらいの、ブルターニュ
独特の陶器製の容器で、それに入れる)を頼む。

落ち着いて、店内を見渡すと、テラス席もあった。
こんな寒い時まさかいないと思ったが、なんと家族連
れが一組いるではないか。
店内が一杯で仕方なく回ったのか。
いずれにしろ、チャレンジャーだ。
暫くして「コンプレット」が来た。
「ル.ブルターニュ」のものより心持小振りである。
しかし、皮はぱりっとしていて充分美味い。
ハムも、スーパーにある「ボンレスハム」より二段階
くらい良い物を使ってるし。
やはり「ガレット」は好きである。
小腹が空いた時にもいいし、この店は新宿であったら
また利用したい。

「シードル」でちょっと温まり、店を出る。
が、電車にはまだ小一時間程ある。
そこで、「ゲロゲロ少年」が「紀ノ国屋書店」でDVD
セールをやっていると言ったことを思い出し、寄ってみる
ことにした。
そこには確かに、「ストローブ=ユイレ」や「エリック.
ロメール」といった魅力的なものが並んでいた。
そこで、ロメールのまだ見てない「飛行士の妻」を買お
うか、或いはロバート.アルドリッチの「キッスで殺せ」
を買おうか迷う。
結局、よく知らない方のアルドリッチを選択。
ということで、「キッスで殺せ」を抱え新宿の雑踏の中
に消えていった。
コメント