ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

バル気分で

2010年12月31日 | 食べ物

 

 

早速買ってきたカヴァを飲む。注ぐまでそれがロゼだったと気づかなかったのはご愛嬌。酒屋の主人が、酸味が効いたタイプで好き好きがあると言っていたのはこのことか、と今回ははっきり認識した。はるか昔に飲んでいたカヴァとはちょっと違うと感じていた味を、やっと確認できたわけだ。

つまみは、スペインということでちょうど貰ったハモンイベリコと、これも貰いもののあまり見かけたことのない長粒種のグリーンオリーブの実と、同じく貰いもののウォッシュタイプのチーズ(初めてのチーズでウォッシュにしては癖がないもの)、とT君から貰ったパテ・ド・カンパーニュをこれも貰いもののドイツパンと共に。何だか、貰いもののオンパレードだが、まるでタパスのようで、気分は完全にスペインバルであった(行ったことはないが)。メインはないが、これだけで充分だ。それにしてもオリーブが止まらない。「成城石井」で購入したらしいが、オリーブ好きにはたまらないジャストの塩味だった。そして31日の夜飲むワインは、ヴァン・ド・ペイ.ドック。大晦日に飲むにしてはあまりにあまりにしょぼいワインだが、ここ数年続いた70年代ワインが去年で終わったので今年は望むべくもない。過去の遺産は払底したというわけだ。

空けた今朝、最低気温はマイナス7.2度。10時現在マイナス2度。さみー。

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ファミリーレストラン

2010年12月30日 | 食べ物

 

 

いつもの酒屋に、ヴァン.ド.ペイ.ドック(ラングドック地方の安ワイン)とカヴァを買いにいく(最近は、安くてそこそこ飲めるものしか買わない、しかも頻度は少ない)。時間が遅くなり、松本市内に入るには中途半端なので、そのままユーターンし、帰りがけにファミリーレストランに寄ることにした。

ファミリーレストラン状況も時代と共に様変わりして、嘗ての「デニーズ」「すかいらーく」「ロイヤルホスト」という三大勢力も、既に過去のものとなりつつある(すかいらーくはとうに閉店かガストに変更)。今勢いがあるのは、ハンバーグ専門やステーキ専門店であるようだ。これもいつまで続くか分からないが、一般的にファミリーレストランを取り巻く環境が厳しいことは、夜の時間帯に客が殆んどいないことを見るにつけ感じることである。

で、寄ったのはそのステーキ専門の最近出来たファミリーレストランだ。昼の二時近くだったが、結構入っていたのは時期的なものだろうか。メニューは全てサラダバー付きだが、今やこれもスタンダードのようで、最早これなしでは考えられないのかも知れない。こういう店でステーキなどを食べても知れてるので、ハンバーグとカニコロッケを頼む。違う系列の店でも同じような品揃えだったが、食べてみるとやはりそう違いがあるわけではなかった。厳密に言えば、違うのだが、総じて似たり寄ったりなのだ。よく、ファミリーレストランのどこそこよりどこそこのほうがいいなどと言う人間がいるが、大差ないというのが正直なところ。そこに求めるものは、「不味くはない」というものだ。

とは言いつつも、サラダバーのドレッシングの味はどうにかならないか。濃すぎるのと、変な味付けで選択できない。それと、スープの味も嫌に濃いのだ。サッポロ一番塩ラーメンのスープを思い出した。やはり、食べ飲み放題に味を求めるのは見当違いということだろう。

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ベートーヴェン

2010年12月29日 | Weblog

 

 

この時期恒例の、テレビの特番の詰まらなさは、もう末期的だ。暮の風物詩と楽しむことはとっくに出来ないのだが、一体、いつまでこのタレント自身が遊んで喜ぶという安直な番組作りを続けるるつもりなのか。テレビのメルトダウンは、地デジと共に最期を迎える、なんてね。

そんなわけで見るものがなく(単純に見なければいいわけだが)、NHK教育で、スコラ、ベートーヴェンを考える、というようなタイトルがはっきりしないが、そんな番組を見た。坂本龍一、浅田彰、もう一人早稲田の教授が、この7月に京都造形芸術大学で行なった討論形式の講演の模様を番組にしたものだが、これが結構面白く、結果的にはくず番組も役に立った、と思った。

以前は鬱陶しいと思った、きっちり構築していくートーヴェンの作品も、今となるとやはり良いという参加者の話には思わず頷いてしまった、と言いたいところだが、ベートーヴェンのCDなど一枚もなく、殆ど知らないといったほうがいい位の我がベートーヴェン体験では、そこは想像して頷いたというわけだ。しかし、表題「田園」は、元々は「牧歌的な」という程度の題で、多くは後から他の人がタイトルをつけたなど、いろいろ興味深い内容で、ベートーヴェンを大して知らなくても非常に楽しめた。笑ったのは、嘗て鬱陶しいと思っていた世代(ポストモダン世代)、サティー、ブライアン・イーノ好きが敬遠していたベートーヴェンを、今になって良いと思うようになるなんて、という部分だった。サティー、ブライアン・イーノ好きの自分も、ポストモダンの波をもろにかぶってたのか、と苦笑するしかなかった。

ベートーヴェンは聴かないが、交響曲だとマーラーは好きで唯一いろいろ持っているので、次回はマーラーでやって欲しい、などと思った困ったときのNHK教育テレビであった。

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12月28日

2010年12月28日 | Weblog

 

 

今朝はマイナス5.3度。寝てても背中あたりが寒いのは、この辺りが境目か。そう言えば、そろそろスタッドレスに替えなくてはと思いつつも、未だそのままだった。この調子だと、本格的に降ったその時に慌ててといういつものパターンに、今回もなりそうだ。

ここに来て、日本人選手のドイツ移籍が一気に加速している。浦和の細貝もレーバークーゼンに決まった。長谷部から始まり、香川、内田と戦力になるのが分かって、一気に注目され出した。何と言ってもお安く買い取れるのが魅力であると思う。ちょっとした日本人選手バブル状態だが、こうやって、サッカー界もグローバル化していくのだろう。日本のレベルアップのためには必要なことである。

スノッブなM氏は、個人的な忘年会を先日の日曜日、知り合いの寿司屋で行なった。刺身盛り合わせを食べて、寿司は食わずに(ココがポイント)、最後はラーメンで締めた。そもそも寿司屋に何故ラーメンが、と誰しも疑問に思うところだが、田舎の寿司屋に本格派を期待してはいけない。寿司屋ではなく、寿司も出す食堂と思えばいいのである。

 

 

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地味なモンドリアン

2010年12月27日 | トマソン

 

何気なしに載せた昨日の画像(同じ物)だが、よく見ると結構味わいある物件であった。例えばこの部分。

 

 

 

しっかりコンテンポラリーアートしている。しかも全体では二色ハウスでもる。それがコンポジション的で、地味なモンドリアンのようにも見える。実は、なかなかの重層的物件だったのである。そして、それとは対照的な、分かりやすい二色ハウスがこれ。

 

 

近所の物件だが、ほっとする分りやすさである。

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Yお薦め映画

2010年12月26日 | 映画

 

 

昨日は日中も寒いと思ったら、結局真冬日だったようだ。道理で。そんな中、ゲロゲロ少年Y登場。午後三時過ぎであったが、既に良いご機嫌。聞くと、午前に松本の蕎麦屋に行き一杯引っ掛け、帰りがけにTくんの「cafe tac」に寄りガレットを食べ(聞かなかったがそこでビールも飲んでるはずだ)、此処に来たようだ。まあいつものことなので、こちらにとってはこれも日常的風景。今回は、松本で買ったという、Yお気に入りのおやき屋のあんこ入りのおやきをお土産に持ってきたのが珍しかった。

そしてYは、盛んに、東京で観てきたゴダールの「ゴダール.ソシアリスム」が如何に良かったかを力説する。「出てくる黒人の女性が魅力的なんですよ、大体ゴダールに出てくる女性は良いっすよねえ」と今回は嫌にその辺をしつこく繰り返す。そう言えば、アンナ・カリーナがYのお気に入りであったのを思い出した。「それは良かったね、ゴダールと好みが一緒で」と軽くかわす。「これはゴダールの集大成じゃあないんですかね」と兎に角Yが今回の映画をいたくお気に入りなのはよく分かった。 ただ、こちらとしては、ぐたぐた色色説明するYの言ってることはあまり覚えてないのだ。大体が、断片を脈絡なく並べ立てる傾向にあり、アルコールが入ると更に拍車がかかるから。

というわけで、ゴダールの「ゴダール.ソシアリスム」が、現時点でのYいち薦し映画であるということだけは理解した。

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駅 周縁

2010年12月25日 | Weblog

 

 

やうやう寒くなりにけり。今年もオオワシの「グル」(グルッと鳴いてグルと命名、らしい)が諏訪湖に飛来したらしい。これで12年連続ということだ。オオワシの恩返しというわけでもないが、毎年シベリア?からの遠路はるばるの一人旅、確認するとほっと一安心である。毎年、今年こそはその姿を目撃したいと思っているのだが、未だに実現せず。改めて今年こそは(正確には来年か)。

そう言えば、駅前にあった唯一のデパートが本格的に閉店となる。田舎のデパートらしく、あまりにパッとしないしょぼいデパートだったが、食料品売り場も当然無くなるわけだから、周辺の、特に年寄りにとっては生命線とも言えるものがなくなり、その影響は大きい。近くのスーパーは、すでに廃業もしくは郊外に移転してるので尚更だ。多分、地方ではどこでも同じような状況だろうが、今や、地方にとっては駅前というのは賑やかな中心地ではなく、寂れた街を象徴するところとなっている。中心がいつしか周縁になってしまった。

今でも、新しい駅が出来ればバラ色の世界がまっている、なんて幻想を抱き、例えばリニアの駅を誘致したがるが、潤うのは建築関係だけだ。その土地の文化の裏付けでもあればそれなりの形が望めるかも知れないが、現状では、何処にもあるような魅力のない街が出現するのは目に見えている。もっとも、リニアの駅に関しては論理的にありえないので問題はないが。

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宴会料理

2010年12月24日 | 食べ物

 

 

今年初の忘年会(後にも先にも)。今回はちょっと珍しく鰻屋で。昔はかなり好きなものだったが、いつからかそれ程食べなくなり、今では年に一回食べるか食べないかのものとなってしまった鰻だが、一体どんなものが出るのかと、少々興味があった。

実際出てきたものは、天ぷら(エビとキス、キスは鮮度悪し)、刺身(ホタテ、サーモン、マグロでマグロは臭みあり、サーモンは食べず)、鱈ちりと、所謂宴会メニューで、その後にうなぎ白焼、肝すい、うな重と如何にも鰻屋らしい料理が続いた。この手の宴会料理でいつも感じるのは、色々出るのはいいが、大体どれも美味くないということだ。総じて、素材が良くない。

食料自給率がどうのと言ってる割には、無駄に出して結果的に無駄に廃棄する食べ物が多いのは確かな事実だと思うが、こんな美味くもないものでも出さないと、宴会料理としての要求は満たされないのだろうか、といつも疑問に感じる。食べる側は、相変わらず、品数の多さを絶対的な条件としているということなのだろうか。状況が変わらないところを見ると、そういうことなのだろうが、個人的には、品数は三四品で充分だ。数を減らして質を上げてくれというのが偽ざるところである。

で、専門である鰻はどうだったかというと、白焼きは、焼きが甘く皮がちょっと固い。うな重の鰻も同じく焼きが甘く、元々この辺は蒸さないので柔らかい鰻ではないが、その分焼きをきっちりというのが条件になるのだが、その点が弱い。タレは、田舎にしては甘口ではなく良かった。と、久しぶりの鰻は、何だかんだと言われながら胃の中に消えて行った。

 

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マクロビオティックに対する懸念

2010年12月23日 | 食べ物

 

 

久しぶりに、「中ちゃん」の店に行く。春先以来で、今年の五穀米の出来なども聞こうと思ったのだ。店に着いたのはちょうど開店時間の頃。フレンチの店だったときははこの時期だといつも相当賑やかだったが、今のマクロビオティックに転換してからは本当に静かなものである。新しいメニューで、パスタがいくつかあった。有機のデュラム小麦を使ったスパゲティがうりのようで、それではとオーソドックスにトマトスパゲティを頼む。

どんなものが出てくるかと、一応は期待したが、出てきたものは、本当にトマトスパゲティで、どちらかというと「ナポリタン」という外観だった。肉類は一切使わないので、玉ねぎとトマトのみだ。食べてみると、味はこれまたナポリタンで、トマトケチャップを使ったような味だった。自家製ケチャップでも作ってるのかもしれない(聞くのを忘れた)。有機スパゲティも、何だかママースパゲティと変わらないような、特別コシがあるわけでもなく決してうまいという代物ではなく、全体の印象としてもちょっとこれは、というものだった。こういう自然食を売りにする店にありがちな、有機を使ってるという情報をありがたがらないと価値が増さないという、味だけ取り出せばいまいち、という典型になりつつあるのではないかと感じた。

おまけに、苺のタルトまでサービスしてもらったが、そのタルトまでもが随分自然食系に引きずられてるようで、アーモンドクリームの部分が、アーモンド以外の何か味気ないものを使ってるような味で、バターンの香りもなく以前は普通に美味かったが、はっきり言って美味いタルトとは言えなかった。マクロビオティックはこんなことになるのか、と当初の懸念が徐々に現実化してきている事実を確認したのだが、返す返すも残念なことである。

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名もなき通りをⅣ

2010年12月21日 | トマソン

 

名もなき通りを歩いていると、真っ先に目に飛び込んでくるのはどうしても「原爆タイプ」。これはどの路上においても不変。しかし、習慣とは恐ろしい、そこには慣れというものがあり、それなりの美品であるとか迫力があるとか、要するに個性がないと発見の喜びも以前ほどはない、という事態に陥る。そんな状態の中見つけたのがこれ。くっきりと美品である。しかも細長い。こういう細長いものは珍しい、充分個性的と言えるのではないか。

 

 

そして、次に発見したのがこれ。これもくっきりと、しかも前のとは違ってなんら手を加えてない素のままである。だが、ここまではそれほど珍しくない。特筆すべきはそのてっぺん。十字架があるではないか。しかも煙まで。まるで暖炉付きの教会だ。ということで、これも充分個性的なものと言える。こうやって、「原爆タイプ」も色んな変化球を投げかけてくるのである。

 

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名もなき通りをⅢ

2010年12月21日 | トマソン

 

名もなき通りを歩いていると、と言うには大きな通りを歩いていると、しょっちゅう目にしていたのに今までは見過ごしていた味のある物件に気がついた。染みの具合、補修具合が良い。黒化した階段が相当怪しくて、これまた良い。これが無用階段だったら、もう言うこと無いところだが、それらしい匂いはあるのだが、残念ながらちゃんとした階段であった。

 

 

更に歩いて行くと、いい感じの洋館が。ここの二階に「カフェ.ラボラトリオ」(12月16日)はある。外観と内観があまりにマッチしている。

 

 

そして、おまけはこれ。壁に浮かぶ謎の模様。龍の足跡か。

 

 

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名もなき通りをⅡ

2010年12月20日 | トマソン

 

ある名もなき通りを歩いていると、なにやらおかしな看板が目に入った。「チェンソー」、ん?戦争が訛ったか、いや日立の文字があるからチェーンソーのことか、と思ったら、日立は目立、何だ何だとしばし考え、刃の目立てのことかとやっと理解した。チェンソーというのも何だか愛嬌がある。

 

 

そして更に歩いて行くと、富士山が。ん?これを富士山と見立てるのはちょっと無理があったか。しかし、前景のススキ野原(黒澤の用心棒に出てくるあそこ)を通してみる富士山の風情がなきにしもあらず。儚さは、むしろ風呂屋の富士山に近いかもしれない。いずれにしろ、原爆タイプも周りの環境によって思わぬ力を発揮する。

 

 

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12月18日

2010年12月19日 | Weblog

 

 

クラブ・ワールドカップはインテルの優勝、と言ってもこの大会、いまいち価値が低い印象。世界大会より、ヨーロッパチャンピオンズリーグの方がはるかに盛り上がるのがそれをよく表している。トヨタカップの時はそれでも見ていたが、今はあまり見る気も起こらない。これも致し方ないことである。

師走の街は、相変わらず静かである。今は、昔のような師走らしさを街中で見つけるのは難しい。そういう風景は、郊外のインター周辺の外食レストランや大型スーパー、ホームセンターなどに取って変わられた。全国の地方都市では、今はどこでも同じようなことが郊外で展開されている。風景の均質化。それにしても、新しく出来た通りは全く魅力がない。

クスクス用のミートソースは、結構クスクスに合うことが分かったが、クスクスはどうしてああ臭いがすぐに付いてしまうのだろうか。封切ったらなるべく早く消費ということなのか、どうも他の乾燥パスタのようには持たない。古くなったピーナッツのような風味がどうしても気になる。

 

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小津映画「一人息子」

2010年12月18日 | 映画

 

 

このまえ買ったDVDの最後の一枚、小津安二郎の「一人息子」を見る。この映画、やはり未見であった。初トーキー作品ということで、聞き取りにくいところがあるのは、状況を考えればやむを得ない。映画の主人公は、信州の田舎で暮らす、貧しい母子家庭の母親とその一人息子。内容は、貧乏暮らしから脱出するため、立身出世を息子に託し、苦労して東京の学校に行かせるが思い通りにことは運ばないという、ちょっと暗い話である。テレビの馬鹿ドラマに麻痺した目には、あまりに地味な内容かもしれない。

しかし、この映画、戦前の話ではあるが、結構今の気分にも通じるものがある。立身出世の先にある世界を見通している、小津監督の透徹とした視線を感じないわけにはいかない。それは「東京物語」にも見られるものだ。この辺りが、小津映画が古びない理由でもあるわけだ。しかし、何と言ってもその魅力は、ショットの力強さなのではないか。なんでもない風景の中に浮かぶ二人の姿、無心に働く製糸工場の女工の姿、工場の煙突、それらが何故これほどまでに魅力的なのか。それこそが小津映画の真骨頂であるのだが、この辺りは、物語の展開(要するに筋書き)しか目に行かない人には、おそらく理解出来ないところだと思う。

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スパゲッティミートソースがクスクスように

2010年12月17日 | 食べ物

 

 

昔ながらのスパゲッティミートソースが食べたくなり(ボロネーゼではなく)、牛のひき肉を肉専門店(最近スーパーは合いびきばかり)で購入し、早速作ることにした。が、トマトの缶詰を買うのを忘れてしまい、どうしようかと思ったとき、以前T君に貰った、チューブのアンチョビ入りトマトペーストがあることを思い出した。あれを代用すればいいと思ったのだ。ついでに買った高い方のベーコンも一緒に入れようと思いつつも、すっかりそれは忘れて(最近こんなことがいやに多い)、玉ねぎ、セロリ、ひき肉を炒め暫く煮込み、いよいよ例のトマトペーストを投入する段となった。どうせ使わないからと、半分以上あったものを全て搾り出した。と言ってもトマトの量はそこはチューブ、大した量ではない。あとで、トマトは足さなくては、とその搾り出した瞬間は思った。しかし、事はその直後に起こった、というより既に起こった後であった。

何気なくチューブの文字を読むと、「Harissa」とある。何!アリッサ。オーマイガッ。クスクス用の唐辛子のペーストじゃああーりませんか。しかも大量に。二本並んでいて、何気に赤い色のチューブを取ってしまったのだ。味見するとその辛いこと。どう考えても昔ながらのミートソースになりそうな味ではない。仕方ないので、急遽、クスクス用のミートソースに方向転換(あまり聞いたことはないが)。後は、あまりに辛いのでトマトの缶詰は予定通りに入れ、エスニック味にするためカレー粉やコリアンダーをちょっと足したりいろいろ調整。その結果、何とかそれらしい味となって一安心。それにしてもまあ、いろいろなプチミスが多い今日この頃である。ぼけてきたのか?

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