ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ムツアカネ

2010年09月30日 | 生き物 自然


一般的に、信州の山の中の湖、池は自然度が高いと思われているが、残念ながら現実はそうでもない。深山幽谷的雰囲気なところでも、そこにいるのはブラックバス、或いは鯉だけなんていう実に貧相な水環境だったりする。今回行ったところも実はそう思っていた。ところが、沢山のヤンマ系のトンボが産卵していたという情報を得、一気に行く気が出てきたのだ。

以前行ったときは、土手の整備やらで、水辺も土がむき出しで水草もあまり生えておらず、全く環境的には今ひとつであったのだが、今回改めて行ってみると、随分自然度がまして驚いたくらいだ。元々一部は原生林に接していて、そこだけが違う雰囲気だったのだが、徐々にその自然度が岸辺に行き渡ってきて大分神秘的な雰囲気をまとってきた。そして肝心の水だが、どうも余計な魚類はいないようでトンボにとっては良い環境が保たれているようだ。

現地に着き(家から車で35分くらい)早速周辺を見渡すと、季節柄アカネ類(赤とんぼ)が目に付く。ひょっとするとあれもいるかなと水辺を歩き出し、たくさん舞うアカネ類一つ一つに目をやる。すると早速そのトンボを発見。かなり幸運な邂逅ではないか。これで二度目だ。一度目は、数年前霧ケ峰の湿原地帯近くで偶然見つけたとき(昔に比べると減ってるらしい)。その時はそのトンボが何なのかは知らなかった。今回は、逆に、いる可能性を感じての邂逅だった。それは「ムツアカネ」という、赤くならずに黒くなる(♂)赤とんぼの仲間。黒トンボと言いたくなるが、飽くまでもアカネ類なので赤とんぼの仲間(他にもう一種類いる)ということになる。このトンボがいるということは、自然環境的にはかなり良いと思って間違いない。家のビオトープと同じく、ここもいうなればビオトープ(規模は違うがため池なので)。しかし、家のとは違って、その多様性は相当なものだ。これは良いところを見つけたものだ。

写真のムツアカネ、決して死んでいるわけではありません。

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新鮮な「原爆タイプ」

2010年09月28日 | トマソン


小宮祭の合間、あっちこっち移動しているときに発見した物件(常に抜かりはない)。典型的な「原爆タイプ」で、形も一番オーソドックスなもので普通だったら敢えて紹介するほどのものではないのだが、実はこれは出来立てのホヤホヤ。つまり、鮮度が違うのだ。手前の家を(無くなった瞬間どんな家だったのか忘れる)取り壊したばかりで、出現したての物件なのだ。だから、むき出し感もちょっと生々しい。これからその部分にモルタルでも塗って、晴れてオーセンティックな原爆タイプの完成となるのではないかと推測している。
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小宮祭 里曳き

2010年09月27日 | Weblog


昨日は、「御柱小宮祭」の里曳きに珍しくフルエントリーしたお陰で、もうぐったりである。ただ、お祭り男のような、終わると精神的な抜け殻状態となるわけではないので、そういうダメージはない。飽くまでも肉体面での話だ。そして今日は、最後の建て御柱というのをやる。

昼間は天気がよく、絶好の祭日和だったが、夜、最後の境内での引き付けの時は、完全に雨降り。こんな天気では、曳き子もぐっと少なくなり、御柱自体がなかなか動かなくなる。よほどしらばっくれていようかと思ったが、神社が目の前ではそうもいかず、仕方なく、合羽の代わりのパーカーを着て、足元は長靴で出かけた。最終的に終了したのは夜十時半頃だった。冷えた体を即温泉で温め、ビール(本当は発泡酒)を鯖の燻製(貰い物、自然な燻煙香で美味い)をおつまみにぐいっと一杯。いつもよりは、数段美味かった。

皆さん楽しそうでんな(写真)
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サイタマノラッパー

2010年09月26日 | 映画


ゲロゲロ少年Yが、超インディーズの映画(DVD)を持ってきた。なにやら制作費100万円という映画らしい。タイトルは「サイタマノラッパー」。しかし、グーグル検索をすると30万件もあるから、思ってるほど超インディーズでは無いのかも知れない。しかも「19回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭オフシアター・コンペティション部門でグランプリを獲得」などとある。単に私だけが知らなかったのか。超はいらないかも知れない。尤も、「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」の存在を知ってる人がどれほどいるかということを考えると、取り敢えずその存在を知っている私が、例えこの映画を知らなかったとしても恥ずかしく思うこともないだろうという気はする。

Yは東京に行ったついでに、観てきたらしい。どうせ、早朝の高速バスで行き、取り敢えず築地の場外へ行き朝食を食べ、朝からビールをラッパ飲みだろう。本人が、ラッパーのようなものである。

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忘れられた原爆タイプ 

2010年09月25日 | トマソン


祭りの格好をした人間がいやに通ると思ったら、きょうもどこかの小宮祭であった。天気はいいがちょっと肌寒い、しかし、絶好の祭日和である。

とこの前見つけた「原爆タイプ」を一つ。数から言うと圧倒的に多いこのタイプ、普通のものではもう面白くない。直球ではなくひねくれ球でないと魅力がない。で今回の物件だが、手前は普通の「原爆タイプ」。普通にしては、ちょっとボケ味があるが、まあ典型である。面白いのは、奥の建物の突き出した部分に残ってるもの。生成過程を考えると、まず先に奥の建物があり、手前にあった建物がなくなり原爆タイプが出現した。そして手前の建物の跡地に新しく建物を作った。多分、奥の建物の所有者が買ったのだろう、だから奥と同じような様式の(と言う程ではないが)建物を奥と一体化するようにくっつけて建てた。くっつけた時点でその部分の原爆タイプは消失したが、道路寄の部分は建物をくっつけられずに残ってしまった。普通だったら、そこまでするのなら建てたときに残された原爆タイプも修復して消すと思うが、そうはしなかった。そして現在の姿。これも、「建物に歴史あり」の世界である。
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不易 イチロー

2010年09月24日 | Weblog


何だか真夏からいきなり晩秋といった昨日今日の寒さである。今朝など炬燵が欲しくなってしまった。こうなるとあの夏が恋しくなるから、人間というのは何て勝手なものかと毎年のように思うのだ。

今朝のBSニュースで、「不易」とは、といきなり難しい漢字を出して何を説明するかと思ったら、イチローのことであった。何年連続かの200本安打の快挙を取り上げての解説なのだが、個人的には、殆ど興味のない出来事である。確かに、イチローというのは優れた野球選手であるのだろうが、それ程持て囃すことなのか、といつも思う。ちょっと称揚し過ぎ、更には神格化し過ぎであるのだ。

イチローを見てると、どこか利己的で、自分の記録のためにやってるとさえ見える。本来はチームが勝つために如何にに活躍するかが選手の価値かと思うが、彼の場合、弱小チームで、自分だけはこつこつ安打を稼いでいるといった風にしか見えないのだ。弱小故、ホームランではなく安打を稼ぐのにはより有利。職人的安打といっても言い換えればしょぼい安打、見せるといった視点で捉えた場合、日本ならいざしらず、アメリカではイマイチ評価もされないのではないだろうか。この部分をとって日本一の職人と持て囃し本まで書いた人間もいる(山本益博だが)。はっきり言ってイチローがいなくても惜しいとは思わないが(必ず夢を与えてくれるなどと言う人間はいるが)、たとえば優れた「蒔絵師」「指物師」「刷り師」「木地師」がいなくなったとしたらそれは相当な損失だと思う。取り上げるべきは、名もなき本当の優れた職人であろう。まあ、山本益博はどうでもいい。

オリックスに入団した頃は、若いのに自分の意見を持っている選手だと感心した覚えがあるが、見てると、その時と大して変わらない。簡単な内容を、難しくさも深遠な言葉のように言う癖は相変わらずだし、それを有り難がるマスコミという図式も相変わらずだ。両方無くなってもいいと思う瞬間である。実際今日の「不易」でもあるし。

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今時の女子

2010年09月23日 | Weblog


Tくんのカフェで寛いでいると、目の前を学生のグループが、最近はやりのゴロゴロ付きの旅行鞄を引いて歩いていった。何でも、和歌山大学の学生らしく、街づくりの現場を見て歩くという実習の一環で来たらしい。社会学かなんかのフィールドワークといったところだろう。

それは良いのだが、目を惹いたのは、女子学生のおしゃれっぷりだ。今時の女の子といった感じで、とても和歌山辺りの学生には見えない(飽くまでもイメージ)。最近感じるのは、何処の地方でも女の子は結構おしゃれであるということ。雑誌そのままのメイク格好で、今や地方も都会も格好に関してはあまり差がない(似合ってる似合ってないは別問題)。皆同じような格好なので、結果的には個性的でもなくなってるわけだが、嘗てのような地方の女の子イコール野暮というのはなくなりつつある。代わりに、四五年前の中国人観光客には感じたものだが、それも経済の勢いと共に一気に変わってしまった。

そんな、美容専門学校の生徒かと見間違えるような女子学生も、実習に来るのにそんな一生懸命お洒落する必要があるのかと考えると、つい田舎出身の悲しさを感じてしまう。田舎から田舎に実習に来ているのに、目一杯お洒落してしまう女子学生、ここは暖かく見守ったほうが良さそうだ。

写真は小宮祭シリーズ第4弾、神社の飾り付け。
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日本人選手

2010年09月21日 | サッカー


ドルトムントの香川、絶好調だ。元々飛び出しの良い選手だったが、ここまで結果を出すとは思ってなかった。当時(セレッソ大阪時代)と比べると、シュートに持っていくまでの無駄な動きがなくなり、しかもトラップも上手くなっている。こういうのを、ブレークスルーというのだろう。岡ちゃんもびっくりしているらしいが、当時(WC時)ここまでではないにしろ、玉田より香川というのは、真っ当な選択肢であったはず。ゲロゲロ少年Yともそのことに関してはよく話していた。心配なのは、これからマークがきつくなり、フィジカル的に大丈夫かということである。

後は、チェゼーナの長友。こちらもチームにフィットして活躍している。相変わらずの運動量で、チームメートの信頼も得ているようだ。ディフェンダーがヨーロッパで活躍するなんてことは、ちょっと前の日本では考えられなかったことである。

逆にどうかなと思うのは、同じSBのウッチー。シャルケのチーム状態は最悪のようで、まだ一勝もしていない。どうも、守備が崩壊気味である。となると、もともと攻撃のセンスを買われてのウッチーは、ますます厳しくなるのではないか。今より、二回りくらい大きくなれば良い選手になるのだが、現時点では厳しいと言わざるをえない。

その他ロシアに移籍の松井は、WCが頂点であったということになりそうな気配。もうちょっと前から、WCのようなパフォーマンスをしてれば事態は変わっていたのに、かなり勿体無いことをした。一番注目された本田は、腐ることなく地道にやってれば、また浮かび上がると思うが、今が踏ん張りどころだろう。

写真は小宮祭シリーズ第三弾。昨日の写真は御柱のうしろだが、今日のはその先端。こんなことになってます。
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小宮祭2

2010年09月20日 | Weblog



昨日はとうとう祭りに参加してきた。ただ柱を引っ張るだけの単純なお祭りだが(写真)、単純故原初的な姿を残しているとも言える。一説には、縄文の時代に始まったとも言われていて、本来は、神の再生など信仰的な意味あいがあったのだろうが、今はそういう部分は少なくなり、興奮する装置として他の祭りと同じように受け継がれている。勿論、地域の住民を結びつけるイベントとしても、重要な意味を持つ。いずれにしろ、参加する人間は、この手の祭りに意味を求めてはいけない。情動に理屈は無用なのだ。ただ、昔の(30年ほど前)の御柱を懐かしむ人間は、最近の御柱は危険な匂いがしなくてつまならないと漏らしている。そう言えば、以前は殺気立った雰囲気が充満していて、喧嘩もよく勃発した。それに比べると、今はすっかりおとなしく且つ健全である。反面、健全故面白く無いというのは確かにあるのだ。これはこのお祭りに限らず、日本全国どこでも見られる現象だろう。平準化されイベント化するのは時代の流れである。それにしても、ちょっと真面目に引っ張りすぎた。体の節々に疲労が溜まっている。

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灯籠の灯り

2010年09月19日 | Weblog


昨日予告したものだから、さっそく、「闇に浮かび上がる灯籠の連なり」の風景を撮ろうとカメラを用意した。が、夜を撮るために必要なものがなかった。それは、三脚。これでは路上は無理だな、ということでどうしようかと考えて、家の二階から見下ろす感じで撮れば、手摺を三脚替わりにつかえるのではないかと考え試してみると、充分に行けそうであった。そして、今まで使ったことのない夜景モードで撮ろうとした。ところが、ろうそくモードなどというものがあり、こっちの方が適してるのではと考え、急遽それで撮ってみた(今日の写真)。ところがこのろうそくモードは、シャッタースピードが夜景モードより更に遅くできてるようで、この灯籠写真には露出オーヴァー気味になってしまう。あとで、これだったらシャッタースピードをいろいろ変えて撮れば良かったと後悔したが、祭りだけに後の祭りであった。これもやってみて初めて分かったことである、何事も経験経験。

その後、神社の飾り付け(これも灯で浮かび上がるお手製)を見に行くと、近所のおじさんも出てきていたので、その飾り付けの前で記念撮影などをした。考えてみると、このカメラで記念撮影をしたのは初めてのことだった。この灯籠は、来月の10日まで灯される。
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小宮祭

2010年09月18日 | Weblog


地元では、そろそろ御柱祭の小宮祭というのが始まる。全国的に有名な春に行われる諏訪大社の御柱祭とは別に、それぞれの地区にある神社の、それぞれの御柱祭というのが大体今の時期に行われるのだ。実際に大変なのはこっちの方で(春に綱の準備とか)、飾り付けとかいろいろな作業がある。各小路は家々に灯籠が飾られ、夜になると一斉にそれらが灯され、実に幻想的な(って言うほどではないが)風景が出現する。それなりに祭りの情緒が出てくるから不思議なものである。まあ、六年に一度くらいこんなこともあっていいか、の世界である。

ということで、その幻想的な(って言うほどでもないが)夜の風景を今度撮ってみて、果たしてこれは幻想的かどうか、情緒はあるか、見た人の判断を仰ぎたいと思っている。
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冷血 アメリカの影

2010年09月17日 | 映画


深夜目が覚める。やることは一つ、取り敢えずテレビを点ける。サッカーでもやってればと期待する。すると、この前長友が出た「チェゼーナ対ミラン」が始まるところであった。調度いい、以前は後半だけだったので前半だけ見ることにする。そして前半を見終わり、BS2にすると何かの映画の途中であった。「カポーティ」である。特徴的なカポーティ役の役者が写っていたのですぐ分かった。そう言えば番組表に載っていた。この映画、そこそこ評判になったので一応名前は記憶されているが、自ら見ようという気はなく、今までずっと未見なままであった。いい機会だからとそのまま見ることになった。

映画は、カポーティが小説「冷血」を創るまでの過程を描く。実際の殺人事件を題材にした小説を創ることになったカポーティが、今で言えば犯罪心理学的なアプローチをその取材相手の死刑囚にかけ、その上での感情的な交流、同性愛的な感情の生成、カポーティ本人が死刑囚に投影する自分自身など、さまざまな微妙な変化を淡々と描写する。それなりに見せるので、結局最後まで見てしまった。ただ、これを見てカポーティの作品を読もうという気にはならなかった。昔から、何故か読むべき作家の中には入っていない。

それより気になったのは、数日前この時間帯で放映していた映画だ。白黒映画で、見たことない若い役者が出てくる、どこかウェストサイドストーリーの時代のような服装センスの若者たちの、ちょっと馬鹿っぽい生態を追っただけといった映画だった。これを見て、アメリカの「勝手にしやがれ」かと思った。というのも、ただ追っただけなのだが映画としてはいやに魅力的で、一体だれの映画なのかというのがもの凄く気になったのだ。が、途中で眠ってしまい、結局その映画の正体は分からず仕舞いだったのだ。で、ネットでNHKの過去の番組表を調べてみてやっと分かった。カサベテスの「アメリカの影」だった。なるほど、インディーズの父だけのことはある。「勝手にしやがれ」とほぼ同時期に、アメリカでシンクロするかのように同じようなテイストの「アメリカの影」が作られた。これもやはり時代の必然ということなのだろうか。
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ヤマトシジミ

2010年09月16日 | 生き物 自然


遂に、季節は完全な秋となる。この時期には、蝶の種類もぐっと少なくなるが、ある限られた種類のものは、逆にこの時期が一番多く、活発に活動する。代表格は、「ヤマトシジミ」(写真)に「イチモンジセセリ」。川沿いの花には、この二種類しかいないのではないかと思うくらいのその多さである。こんなありふれた蝶で、しかも殆どの人には関心の範疇外であるが、個人的にはしっかり秋の風物詩として記憶されている。多様性という観点からは、対象外となるが、こんなありふれた光景がもしなくなったとすなら、それは環境的には致命的な状態を意味しているのだろう。希少性のあるもの珍しいものは発見する喜びがあるが、こんな当たり前のものが普通にいる状態というものもそれなりに評価しないといけない。

同じ川面をアカネ類以外のトンボが行ったり来たりしている。サナエトンボの仲間の「メガネサナエ」である。去年あたりから存在は確認していたが、それが「メガネサナエ」であるというのは最近知ったこと。こちらは、ヤマトシジミと違ってありふれたものではない。こんなトンボがいる川であるが、周辺に住んでいる人の何割がこのトンボの存在を知っているだろうか。多分、限りなくゼロに近いのではないか。地元の人間ほど、自然環境に関心がないというのは、日々感じることである。
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フォアグラの缶詰

2010年09月14日 | 食べ物



この前、「特製シェーブル」(ただいま熟成中)と一緒にローヌ土産として「フォアグラの缶詰」も貰った。尤も、フォアグラに関しては、ローヌは産地でもなく地元ならではというものではないが、一応フランス直というところで有難みがある。缶詰はレバーパテのフォアグラ版というものだが、一般的に言って(というほどいろんなメーカーのものを食べてるわけではないが)、缶詰のフォアグラで美味いものはあまりない。代表的なメーカーである「Rouge」のものは、特に美味いと思ったことはない。大体が、脂肪分の多いレバーとしか感じられないのだ。良質なフォアグラに見られる、いい香り(香ばしいような)がなく、肌理も今ひとつであるものが多い。結局は使う素材の問題だと思うが、値段などを考えると仕方ないのかも知れない。

で、今回のものだが、Rougeのものよりは間違いなく美味い。バゲットに乗せて食べれば、ワインのいい友である。赤の「Cote du Rhone」も持ってきてくれたので(これは流石に向こうから持ってくるほどのものではないので東京で買ったもの)、それと一緒に食べたが、何だか物凄い贅沢をしている気分になった。「Cote du Rhone」は日常ワインの部類だと思うが、こういう組み合わせで食すと、間違いなくそんな気分にはなる。ただ、昔ほどフォアグラの脂分を欲していないというのは、今や揺ぎ無い事実のようで、その分だけ感激度も減っている。そこはちょっと残念な部分である。
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FAUST 2010 in Chino

2010年09月13日 | 芸術


9月18、19、20日、茅野市民館で、串田和美さんの(直接串田さんを知ってる人間からいつも聞かされてるので、こちらもさんをつけるのが自然となっている)公演「FAUST 2010 in Chino」が開かれる。ワークショップとして2週間以上前から取り掛かり、フランスのサーカス団やら、カンボジアの演劇人を交えての、意欲的な作品に仕上がったようだ。こんな田舎で(と、どうしてもこういう修飾を使ってしまうが)見る機会はそうあるものでもないので、是非足を運びたいものである。ついでにこの茅野市民館の建物もなかなか良いもので、こんな田舎にはもったいないくらいのもの。しかし考えて見れば、藤森照信にしろ伊東豊雄にしろ、一線で活躍している地元出身の建築関係者は結構いるので、ひょっとしたらそんな土壌はあるのかも知れない。ただ眠っているだけなのだ、と考えることにしよう。
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