暮れにかけて腰痛が悪化、なんだか締まらない年で今
年も終わりそうだ。
子供のころに輝いていた正月は、一体どこに消えてし
まったのだろう。
あの麦藁帽子と一緒に、空のかなたに消えたのだろう
か。
彼は、永遠を見つけたのか。
あの、飛行機雲を見よ。
蒼ざめた人の軌跡が見えるか。
ひょっとすると、地上に下りてくるかもしれない。
私は当てもなく待ち続ける。
ざわめきは水の粒子となって飛び散る。
粒子の合間をシオカラトンボがすり抜ける。
ぶつかった粒子はウンカに変身。
ウンカは群れとなり、青空に向かっていく。
あの雲との出会い。
彼らは、出会った。
とうとう見つけた。
何を。
永遠を。
どうも「詩.のようなもの」を書くと「地獄の季節」に
なってしまう。
何でこんなことになったかと考えると、この前、BSの1
と2の間の教育番組みたいな正式名称は判らない番組
をふと見ると、「マラルメ」を扱っていて、「マラル
メ」自体は名前しか知らないが、エリック.ロメール
が監督をした「マラルメとの会話」という、全く世に
でたことないような珍しい映画を流したので、ついつ
い見て、結果マラルメの詩に対する考え方などを勉強
してしまったからだ。
「高踏派」がどうのこうのといろいろ言っていたが、す
でに殆ど忘れてしまったから、正確には単に見ただけと
言ったほうが良い。
しかし、久しぶりに「ランボー」以外の詩には接した。
ということで、「詩.のようなもの」となったわけだ
が、相変わらず、詩というものには今一つピンとこな
い。
世に受けている一行詩のようなものは問題外だが、マラ
ルメにしろリルケにしろ、良いのか悪いのか今ひとつ
確信をもてないのだ。
単なる、詩に対する感性の欠如だろうか。