ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

詩.のようなもの2

2008年12月31日 | 芸術


暮れにかけて腰痛が悪化、なんだか締まらない年で今
年も終わりそうだ。
子供のころに輝いていた正月は、一体どこに消えてし
まったのだろう。
あの麦藁帽子と一緒に、空のかなたに消えたのだろう
か。

彼は、永遠を見つけたのか。
あの、飛行機雲を見よ。
蒼ざめた人の軌跡が見えるか。
ひょっとすると、地上に下りてくるかもしれない。
私は当てもなく待ち続ける。
ざわめきは水の粒子となって飛び散る。
粒子の合間をシオカラトンボがすり抜ける。
ぶつかった粒子はウンカに変身。
ウンカは群れとなり、青空に向かっていく。
あの雲との出会い。
彼らは、出会った。
とうとう見つけた。
何を。
永遠を。

どうも「詩.のようなもの」を書くと「地獄の季節」に
なってしまう。
何でこんなことになったかと考えると、この前、BSの1
と2の間の教育番組みたいな正式名称は判らない番組
をふと見ると、「マラルメ」を扱っていて、「マラル
メ」自体は名前しか知らないが、エリック.ロメール
が監督をした「マラルメとの会話」という、全く世に
でたことないような珍しい映画を流したので、ついつ
い見て、結果マラルメの詩に対する考え方などを勉強
してしまったからだ。
「高踏派」がどうのこうのといろいろ言っていたが、す
でに殆ど忘れてしまったから、正確には単に見ただけと
言ったほうが良い。
しかし、久しぶりに「ランボー」以外の詩には接した。

ということで、「詩.のようなもの」となったわけだ
が、相変わらず、詩というものには今一つピンとこな
い。
世に受けている一行詩のようなものは問題外だが、マラ
ルメにしろリルケにしろ、良いのか悪いのか今ひとつ
確信をもてないのだ。
単なる、詩に対する感性の欠如だろうか。


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殺しが静かにやってくる

2008年12月30日 | Weblog


「滝壺ビオトープ」を覗いてみると、すでに中心部
は氷が張っていた。
薄い氷越しに、一匹のヤゴが見える。
寒いのには強いはずだから、もう心配はしない。
しかし、そのヤゴの前方になにやら白い物体が。
それは、「ヒメダカ」の死体であった。
これだけ寒いと彼らにとってはきついか。
この時点で死亡では、マイナス十度の世界では、もう
言わずもがなである。
「ヒメダカ」が自然の環境の中で生き残るには、当地
は厳しすぎるようだ。
ここで、、確かもう一匹くらいいるはずだから、その
ためにも、発泡スチロールでもかぶせて寒さしのぎの
策を講じようかと考え始める。
自然のままというコンセプトを保つのはなかなか大変
である。
こういう時には、「滝壺ビオトープ」自体が、そもそ
も人工物なのだから、人間の手である程度の環境を保
つのはありである、と都合よく解釈することにする。
それにしても予想はしていたが、早くに凍りつくもの
である。
全部凍ったら、流石にヤゴも耐えられないだろう。
ヤゴのためにも発泡スチロールと。

この前のタイヤ交換のとき、腰に負担がきてどうのこ
うのと書いたが、今頃になって本当に痛くなってきた。
何だか十年殺しだ。
結局、来るんだ。
「殺しが静かにやってくる」(注;マカロニウエスタ
ンの異色作、かなり面白い)。
人間にとってこの腰痛と言うのは不可避である。
ただ、来方は年とともに変わってくる。
もうしょうがないね、こればっかりは。





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DVDコレクション2

2008年12月29日 | 映画


いつも行く「セルフ」では、とうとうガソリンは98円
となった。
高い時の、ほぼ半値である。
しかし、ばんばん車に乗ろうという気にならないのが、
この状況一変の今年の暮れである。
同じセルフの洗車コーナーは行列であったが、これは、
今年最後は車をきれいにしようという庶民のささやか
な願いなのだろう。
私は、きれいにしようという気さえ起きない。
尤も、これは今に始まったことではない。
そもそも洗車の頻度は、一年に一回あるかどうかとい
う、何とも車に対する愛のない人間なので仕方ない。

ところで、「借りたものを返さない常習犯」の捕獲網
は、その後全く進展を見せない。
もう、今年は無理か。
そうやってくうちに、徐々に取り返そうという意識も
薄れ、気が付いてみたらもう十年も経っていた、なん
てことになるのだろう。
これも日常的な出来事の一つだ。
借りたものでも、何年も自分のところにあると、所有
権は自分のものであるという意識を持つようになるの
だが(間違いなくそうなる)、そうなったらもう諦め
るしかない。
かく言う私も、買った覚えのないものが手元にあった
りする。
誰でも、一つはあるだろう(かな?)。

というわけで、AMAZONで「アンダルシアの犬」を探索
だ。
「アマゾンでアンダルシアの犬を探索」、なんか本当
の探検ものみたいだ。
俄然やる気になってくる。
するとDVDが、安く売っていた(千円以下)。
ビデオを貸したのだが、この値段だったらDVDを買って
しまおうとなったのは言うまでもない。
ついでに同じように安い「フリッツ.ラング」「ムルナ
ウ」も買う。
全て白黒映画。
この頃の映画は、結構安く売っている。
結果、久しぶりのDVDコレクションに、新たな三枚が追
加されることとなった。
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東南アジア料理

2008年12月28日 | 食べ物


「グリーンカレー」と言えば、タイのカレーだが、今
までレトルトものでは何回か食べていて、特別美味い
とも不味いとも思わないというのが正直なところで、
そういうレトルトなんかよりちゃんと作ったものは相
当美味いのか、と常々疑問に思ってはいて、未だ食べ
る機会はないというか、あまり食べたいとも思わない
というのが本当のところで、その理由というのは、タ
イ料理の基本的味付け、甘、酸っぱい、辛いというの
がそれ程魅力的でないというもので、さらにそこにコ
コナッツミルクの味などが加わるとなると、特別嫌い
な味でもないが、それが加わることで魅力的な味とな
るとは思われないので、結果、総合的にはやはり魅力
的にはなりえないのであるが、いつからか、タイ料理
というものも、普通に食すことが出来るような環境と
なり、好きな人も多くなっているようだが、カレーに
関しては、圧倒的にインド中心のもののほうが好きで
あるし、今ひとつタイに代表される東南アジア系の料
理に傾倒しないのは、全般的に化学調味料に頼りすぎ
ているのではないかという懸念があり、実はそれが一
番の理由なのだ。

いきなり長い文章の出だしだが、どう見ても適度に短
い方が読みやすい。
というより、これだけ詰まっていると、視覚的に読む
気がしない。
なんだか病的な感じすらする、たとえば隙間恐怖症。

そんなことはどうでも良かった。
タイに始まる東南アジア料理全般なのだが、例えばバ
リ料理なども(タイはあまり知らないので)、それな
りに美味しのだが、それは、インスタントラーメンが
それなりに美味しいという程度の美味しさだ。
それらは、決して素材を生かした味でもなければ、素材
そのものを味わうという類のものでもなく、全体を調味
した味というものである。
要するに、いろいろ混ぜて調味料で味付けすれば、それ
なりに食べられる味になるというわけだ。
更に、辛味をつければ微妙な味に対して適度に鈍感にな
り、美味しく食べられるようになる。
最近のラーメンを、スープさら全部食べられるような人
は、間違いなく、東南アジアの料理はいけるはずだ。
いろいろ混ざった濃い味に対して抵抗がないということ
だから、多分大丈夫だろう。

大分、東南アジア料理に対して偏見を持っているような
本日の内容であるが、何故そんなこを思ったかというと、
この前、T君のところで少々ココナッツを入れすぎた
(本人も自覚している)「グリーンカレー」をご馳走に
なったからだ。
その時は、この際だから、ちょうどあった「スティルト
ン」(青カビチーズ)を足してみるかということになっ
た。
いろいろ混ぜてという、原則に従ったのだ。
ココナッツ多目のグリーンカレーに青カビチーズは、意
外に相性がよく不味くはなかった。
完全に「グリーンカレー」は逸脱したが、所謂創作系と
してはありではないかと思った(店にあっても食べたい
とは思わないが)。
それで、混ぜ混ぜ料理はそれなりにいけるという思いは
強くなった。
しかし、同時に、これらは離乳食にも近いのではと思っ
た。
大くの人に受けいられるのは、案外こういう要素が大き
いからではないだろうか。
しかしこれで、東南アジア料理イコール離乳食と結論付
けることは出来ないが。
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寒い冬には鰊そば

2008年12月27日 | 食べ物


この前、池のクリーナーを掃除した時確認したのだが、
やはり「コチョウザメ」は鯉に食べられたと考えるの
が妥当なようだ。
悪食の鯉である故の悲劇であろう。
それにしても、骨すら残っていなかった。
絶えず何かを食べようと口をパクパクしている鯉は、
底にあるものは何でも吸い込む。
狙われてなくても、たまたま吸い込まれてついでに食
べられてしまうというのはあり得るのである。
短い命であった。

いよいよ寒くなって、「滝壺ビオトープ」の水も凍る
のではないかという状況だが、よくしたもので、大きな
柿の落ち葉の下には「ヒメダカ」が隠れていた。
落ち葉の下で、厳しい冬が通り過ぎるのを待つのだろ
う。
何故、その落ち葉の下にいるのかがわかったかという
と、あまりに落ち葉が多いので、その柿の葉も取り除
こうと持ち上げたのだが、その時、あわてて「ヒメダ
カ」が一匹でてきて判ったのだ。
直ぐ元に戻したのは言うまでもない。
それからは、落ち葉はそのままにして置こうと決めた。
取り合えず、自然のままに。
一方、「ミナミヌマエビ」は全く姿を確認できない。
ひょっとしたら、全滅かもしれない。
しかし、これからが冬本番である。
生き残った住人は、無事に冬を越せるだろうか。

流石に寒くて、「セイロ」は食べる気が起こらず、今年
初の「鰊そば」。
昨日の夜「更級」での話しだ。
ホット蕎麦は、この前自分で打った出来の悪い蕎麦の
「カケ」と合わせて二回目である。
つまり、ホットを食べる機会は滅多に無いのだが、「鰊
そば」に限っては、年に数回食べることがあるのだ。
「天ぷらそば」より「鰊そば」だ。
「天ぷらそば」だったら「天ぷらうどん」だ。
要するに、蕎麦に天ぷらはあまり好きではない。
駅蕎麦だったら掻き揚げがほしいが、店ではてんぷらは
いらない。
邪魔なだけである。
で、鰊が唯一の例外的ホット蕎麦の具となるのである。
単なる、好みの問題なのだが。
そして、久しぶりの「鰊そば」は、美味うござんした。
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暮れの風物詩

2008年12月26日 | Weblog


この時期テレビは特番だらけになるが、レギュラー番
組が大して面白くないところに持ってきて、名前は特
番で少しは面白いかとなるところだが、実際は、輪を
かけて面白くないのがそれらである。
いつも思うが、どうせ面白くないのだから、レギュラー
の方がまだうるさくないだけマシである。
毎年同じような番組の繰り返しで、完全に飽きてしまっ
ているのと、バラエティーに関しては、見るほうの目
が厳しくなってきているなど、いろいろ原因は考えら
れるが、テレビ局のほうはそういうことを自覚してい
るのだろうか。
地デジにする必要性は、未だにあるとは思えないし。
テレビ局も赤字とは無縁ではない。
しかし、そうなると、益々視聴率のみを追いかけ質の
低下に拍車がかかるかもしれない。
自分で自分の首を絞めるようなことになるのか、いず
れにしろテレビの未来も明るくなさそうだ。

近所のカフカ君は、忘年会でいそいそお出かけだ。
今年は一体、いくつでたのだろうか。
しかし最近は、そういう宴会費用も、年々値下がり傾
向にある。
皆そういう費用に対して、シビアーになってきている。
元々、あの手の料理には無駄が多い。
その無駄な部分が、最後はパアーっとの演出になって
いたのだろうが、そんなことも言ってられないという
のが現実だ。
その無駄な部分がなくなってきて、値も安くなってき
たのなら、それはそれで結構なことではないか。
今まで捨ててたものを無くすだけで、食料自給率は結
構上がるというデータもある。
一般的に言って、宴会料理は無駄が多すぎるのだ。
見栄を含めての食文化というのはあるが、そんな食文
化は惜しくもない。
質を高めるなら結構なことだが、見かけだけが進化す
るのがそのてのものだから。

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たぶんトビゲラが

2008年12月25日 | 生き物 自然


何とか、タイヤ交換を終える。
しかし、何度やっても、流れる作業というには程遠い。
外したネジはどこに行ったとか、必ず何かが起こる。
毎回毎回のことだが、もう少し楽にいく方法はないか。

今回は同時に、今年最後の池のクリーナーの掃除もし
たので、すっかり腰に負担がきてしまった。
どうなるかと思ったが、今のところ大丈夫そうだ。
クリーナーの掃除は、そんなに力仕事ではないかと思
われがちだが、クリーナーを池から引っ張り出す時と
か、大きな盥に水を張って洗うのだが、その水を盥ご
と持ち上げて捨てる作業は、それなりに力仕事となる
のだ。
しかも、寒い中、水を浴びながらの作業だ。
と、この程度で弱音を吐いてるようじゃ、大間の漁師
には絶対なれない。
普通の漁師にもなれないか。

ところで、クリーナーの中にはフィルターが入ってい
て、それがドロで詰まりそのよごれを洗い流すという
ことなのだが、そのドロの中には必ず何かうごめくも
のがいる。
つまり、常に何らかの虫がいるのだ。
今まで多かったのは「ミズムシ」という、多分殆どの
人は知らない虫。
「ワラジムシ」「フナムシ」の仲間で、大きさは一セ
ンチ弱。
当然外見もそういう風。
そんなのがうじゃうじゃいるのだ。
しかし、見かけは気色悪いが、有機物を分解する、言
わば掃除やさんみたいなもので、それなりの役割を担っ
ている。
ただ、水の汚れ指標になるような、汚いところに大量
にいる虫なのでイメージは悪い。
最初の頃は、自分もそうだったが、今はもう可愛いく
らいだ(そこまではないが)。
それに、ヤゴの餌にもなるので、過去何匹かは「滝壺
ビオトープ」に投入した。

と、そんな「ミズムシ」が嘗てはフィルターのドロに
紛れていたのだが、今回は、「ミズムシ」の姿は全く
見えず、見たことない新顔が登場した。
結構大きく、二センチから四センチの芋虫状の虫が五
匹ほどいたのだ。
何かの幼虫だと思うが、気色悪さからすると、「ミズ
ムシ」よりこっちの方かもしれない。
まあ、それは、正体が判らないことから来る不安がそ
うさせているのだが、正体さえ判れば問題ないわけだ。
と、言いながら、鯉の餌として池に放り込んでしまっ
たが。
その形態からして、多分、「トビゲラ」の幼虫ではな
いかと思う。

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ドキュメンタリー.ギアナ高地

2008年12月23日 | Weblog


見るものがないので、ついついタレントがナビゲータ
の、自然紀行ものを見てしまった。
一応、ドキュメンタリースのタイルだが、未だ嘗てこ
の手の番組で、本当にドキュメンタリーとして質が高
いと思ったものは一つもない。
で、今回は「ギアナ高地」がその<探検>の対象であっ
た。
いつも感じることだが、タレント(今回は俳優)の反
応など邪魔なだけである。
しかも、一番大変なのはスタッフであることは分かっ
ているのだが、ナビゲーター役のタレントの過酷さを
強調する。
それが本当だとは誰も思っていないのに関わらず。
本当だとしても、ああいう作りでは信用されない。

ああいう作りというのは、例えば今回の場合は、ギアナ
高地にある洞窟に伝説上の謎の怪鳥がいて、その正体を
探るというものだったが、まるで初めて解明するかのよ
うな印象を与えるつくりになっていた。
そんなものは、すでに解明されているにも関わらずだ。
ギアナ高地などは、多くの生物学者の興味の対象であ
ることは誰が考えても直ぐに分かる。
世界の相当に多くの研究者が研究しているのは、当然
と考えるのが普通である。
実際、そこにいるのは「アブラヨタカ」であることは
こちらだって知っていることであった。
これは、NHKのドキュメンタリーでやっていた。
しかも、その時は、今回と違って洞窟に下りる時ヘリ
コプターなんかを使わずロープで下りた。
数百メートルをロープで下りたのだ。
今回は、ヘリコプターにもかかわらず、その困難さを
強調していた。
大変なのは、ヘリコプターの操縦士だけである。

そして、このあとがまた中身がない。
怪鳥の正体が「アブラヨタカ」であることを報じただ
けである。
その詳しい生態を教えてくれるわけでもなく、結果的
にはただの物見遊山程度のちょっと変わったところの
観光という全体の作りであった。
我々が知りたいのは(と言いたいところだが、多分一
般化は出来ないが)、独自の生態系を発展させた、そ
れぞれの生物の生態そのものだ。
特に、個人的には昆虫の。
タレントのどうでもいい反応ではなく、多くの生物の
姿を見たいのだ。

ドキュメンタリーで見ごたえあるのは、結局NHKや
BBCなどで、日本の民放はあまりにレベルが低い。
タレントを使った、表面を軽くなぞっただけのこの手
の番組は、お金の無駄だ。
それとも、ただ紹介するその一点で価値があるとでも
思っているのだろうか。
というより、これをドキュメンタリーと捉えることが
そもそもの間違いか。
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自家製からすみ

2008年12月22日 | 食べ物


ビデオ、本、cd(dvd)と貸すと返って来ないもの
の話は以前書いたが、つい貸してしまった例の「アン
ダルシアの犬」他dvd二枚が現在そういう状態になっ
ている。
貸す時に、「ちゃんと返すように」と念を押したのに
も拘らずだ。
ちょっと、甘かったようだ。
その当人には、T君も本を何冊か貸しているらしく、
勿論のこと返ってきていない。
聞くと、他にも被害者はいるらしい。
となるともう常習犯である。
それを知っていたら、貸さなかったのに。
今現在、捕獲網を張り巡らし、どうにか捕まえようと
皆で画策している。

そんなことを、鮨を食べながら話した。
藤原組長似の主人がいる、甲府の鮨屋「堤」でのこと
だ。
忘年会をかねて、久しぶりの訪問。
資金が潤沢にあれば、ちょくちょく行きたいのだが、
とてもそんな状態ではないので、行く頻度はぐっと
減っている。
前回がいつだったか忘れるくらいで、店に入ったら案
の定「随分久しぶり」と言われてしまった。
これも致し方ない。

T君は初めてで、前々から話だけはしていて、一回行
こうなどということにはなっていた。
話だけで実現しないことは五万とあるが、今回はやっ
とのことで、忘年会にかこつけて実現することとなっ
たのだ。
八時に予約して、どうせ日曜日だからそんなに客もい
ないだろうという読みで、早目に付いても大丈夫だろ
うと行ったところ、完全に席は埋まっていた。
読み違いであった。
それにしてもこのご時世で。
ということで、近くの「ガスト」で時間調整をする。
ついでに「ガレット.デ.ロア」などという、珍しい
季節物があり食べる。
季節物と言っても、フランスの、である。
「ガスト」にこんなものがあるんだ、とちょっとびっ
くりである。
味は、問わない。

改めて入店する。
先ほどの客は、見事に全員いない。
入れ替え制か!と突っ込みの一つもいれたいところだ。
突き出し代わりに出してくれた「白子」と「自家製から
すみ」から食べ始める。
相変わらずいい味付けで、食材の質も良い。
あとは、食べる中心なので、好きなネタを代表して注
文して同じものをある程度食べて、あっという間に仕上
がりである。
その間組長とは、いつものように競輪の話などをする。
しかし、今回は一人ではないので、そんな話もあまり発
展させない。
あまりにディープな話になってしまうので、そこはある
程度セーブしないと。
ということで、久しぶりの鮨は、美味かったということ
である。
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車の未来

2008年12月21日 | Weblog


今年の暮れは、やはり例年に比べると静かである。
というのが本当かどうかは、判らない。
田舎の場合、賑やかな時がないので、例え静かであっ
ても、普段通りということでそのことに気付くことも
ない。
全ては、何となくそういう気がする程度のことである。
結果は、デパートの売り上げの変動で確認することと
なるわけだ。
ひとつ、5000円以上のおもちゃが売れないというのは、
事実だろうか。

そろそろスタッドレスに履き替えないといけないが、
なかなかやろうという気にならない。
ガソリンは随分安くなり、いよいよ100円を切るかと
いうレベルになってきた。
しかし、あまり乗る気になれない。
一番の理由は、寒いと億劫であるというものだが、こ
れも気分が大きいが、遠くに出かけようという気持ち
になれないのは、全体を覆おう停滞感の影響であろう。

車はいよいよ売れなくなってきたらしいが、今年の場
合は極端だったが、その流れは、すでにここ数年で始
まっていた。
若者の車離れは、すでに前から始まっていたのだ。
嘗てのように、ステイタスとか憧れのものという捉え
方をしなくなってきて、堅実というか、所有しても無駄
が多いと考えるようになったらしい。
それと、単純に、他のものに使って、とても車に回る
資金がないという理由もありそうだ。
環境的にも、大きなゴミになるだけだしと、車を取り
巻く環境は徐々に悪くなっている。

ということは、今のような車作りには限界があるとい
うことで、車社会は今回の不況でそれが駄目押しとな
るのかという瀬戸際に立たされているということなの
か。
大量消費大量廃棄で経済は活性化というのが、決して
良いことではないと薄々気付いていたが、とうとう決
断を迫られる時期に来たのか。
という面はあるとは思うが、とりあえず、先進国以外
に売りこむことに注力するのが企業の現実的な方針で
あろう。
しかし、産業構造の変換は、時代の要請という大きな
流れのなかのこのなで、もう止められないのではない
だろうか。
と、この先どうなるか判らないことを考えても仕方な
いので、取り敢えずはスタッドレスに履き替える算段
をすることが、今私のなすべきことである。
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クラブワールドカップ

2008年12月20日 | サッカー


ガンバ対マンチェスター、結果的には面白い試合でま
ずは良かった。
一時は、6-1くらいになるかと思って見る気もなく
したが(実際チャンネルをちょっと変えてしまった、
こういうところがまだまだ修行が足らないところであ
る)、その後二点返して結果3-5。
マンチェスターUの本気度がどの程度かという問題は
あるが、三点入れたということに関しては意味がある。
去年の「浦和対ACミラン」はスコアー状0-1であっ
たが、全く点が入る気はしなかった。
スコアー以上に、実力差を感じたものだ。
今後のことを考えると、攻撃的な姿勢を出さないと、
特に日本のような体の小さい選手の場合(ディフェン
スでは限界がある)進歩しないと思う。
という意味で、ガンバの戦い方は良かった思うのだ。

それにしても、世界の一流チームとの差はやはり大き
い。
気の抜いた相手に、万が一ガンバが勝ってでもしたら、
大会の価値も一気に下がるというものだったが、「ルー
ニー」が一人入って本気になっただけでがらっと変わ
って、やはりモノが違うなとなった。
実は、大会関係者が一番ほっとしたことであろう。
何が違うかというと、スピード、判断力、技術という
ことになるか。
勿論フィジカルも(結局全部や)。
あと、同じようなチームを二つ作れるというその層の
厚さ(今回、パク.チソンはお休みだった)。
資金力が違うのだから当たり前という気もするが、結
局、日本のチームは地道にレベルアップしていくしか
ないということであろう。

ところで、サッカー少年Y(本名ゲロゲロ少年Y)が
予想していた入れ替え戦の勝者「仙台」は、残念なが
ら敗退したが、なるべく地方のチームがJIに参加する
のが望ましい形だと思う。
しかし、来年にかけて景気は更に悪化し、企業スポー
ツの廃部という流れは加速されそうだ。
特定の企業に依存しないサッカーも、スポンサーがい
なくなれば例外ではなくなる。
こういう厳しい状況を潜り抜けたら、本物のスポーツ
文化ということになるのだろうが、果たしてどうなる
ことやら。
そういえば来年はWBCだ。
しかし、名ばかりの世界大会に全く興味は湧かない。
野球だしね。


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ハンバーガー

2008年12月19日 | 食べ物


松本に用があり行く。
そんな場合、いつもなら昼飯に「クリヨー.ド.ヴァ
ン」ということになるのだが、テラスの季節でもない
し、店内もちょっと寒いので違うところに寄ることに
した。
ゆったり過ごすには「クリヨー.ド.ヴァン」が間違
いなく最適なのだが、この時期は如何せん寒さが。

代替になるような同じタイプの店はないので、今回は
初めてのところに行こうかと思った。
そこも、カフェではある。
しかし、「クリヨー.ド.ヴァン」のような本格フレ
ンチカフェではなく、より一般的というか、所謂カフェ
である。
ところが、その店の場所が、これまた辺鄙というか、
要するに市街地ではなく、ちょっとはずれの住宅街に
あるのだ。
駅から歩いていくというロケーションではなく、車で、
しかも、土地に明るくないとなかなか発見できにくい
という場所にある。
ロケーション的には、「穴場の店」というやつだ。

「ajari cafe」という変わった名前のカフェ。
千日回峰のあの「アジャリ」ということなのだろうか、
兎に角ユニークな名前ではある。
実際、この名前にちょっと惹かれたというか、気になっ
たという事実はある。
しかし、店は、別にストイック雰囲気でもなく、密教
的でもなく、普通にお洒落な外観の一軒家カフェであ
る。
モダンセンスだが、まったりカフェの類ではない。

で、何を食べに来たかというと「ハンバーガー」であ
る。
わざわざ食べに来るほどのものかといわれれば、その
通り。
しかし、ちょっと道すがら寄って、他に何か食べたい
ものがあるわけではない状態の時に軽く食べるには、
「ハンバーガー」なんて良いのではないか。
とかなんとか理屈をつけてるが、ようするにたまに食
べたくなるのだ。
そんな時には嘗て「モス」であったが、最近全体的に
味がおかしくなってきているしで、ここのところずっ
とご無沙汰であったのだ。

この店のハンバーガーは、和牛100パーセントでパン
は自家製ということである。
ボリュームがあるとは聞いていたが、確かに、アボカ
ド半個のスライスが乗っていたりで、食べ応えがある。
パンも、自家製ではあっても美味い(自家製だと余計
に不味いということが多々ある)。
フライドポテトも付いて850円。
ファストフードに比べれば高いが、材料も安心だし、
味は勿論それらより上だし、ボリュームもたっぷりで、
これだったら充分ではないか。
近くだったら、多分利用するだろう。
コメント

スルメとマヨネーズ

2008年12月18日 | 食べ物


先日、スルメを食べていたら、前歯の先端が欠けてし
まった。
あまりに情けない前歯だが、どうも虫歯になってたよ
うなのだ。
以前も、何かを食べて突然歯が欠けるなんてケースが
あった。
歯そのものが脆くなって、ある日突然欠けるのである。
耐震構造のないビルみたいなもので、見かけは良くて
も実は内部は脆いということなのだ。
しかし、スルメでなるか?
固いから、なってもおかしくないか(自問自答)。

というわけでスルメだが、昔から好きで、食べだすと
止まらない。
しかし、一つだけ許せないことがある。
マヨネーズを付けるあの食べ方が。
炙っただけのスルメで充分美味いのに。
そこにマヨネーズは全く必要ない。
何ゆえにマヨネーズなのか。
油分のこくは、スルメに必要ない。

しつこく主張するが、今の日本の食べ物は、マヨネー
ズに頼りすぎだ。
あの味に慣れると、素材の味には鈍感になる。
以前、自分でもよくマヨネーズを使った時期があった
が、確かにその頃は、素材の味というよりマヨネーズ
の味で食べていた。
どんなものでも、そこそこ美味いと思えるのだ。
セロリにマヨネーズ、キャベツにマヨネーズ、食パン
にマヨネーズ、安いものでもそれなりに食べられると
いう意味では、貧乏学生の大きな味方ではあるが、そ
ういうのはある時期で卒業してもらいたい。
今や、家庭の味と言えばマヨネーズなのではないだろ
うか。
そのくらい、基本的な味覚の部分で浸透していると思
う。
はっきり言って、安っぽい味である。
それに、味覚の幅を作るためにも邪魔である。

しかし、ここで考える。
変に味覚を鍛えるよりは、どんな素材でもマヨネーズ
さえあれば美味しく感じられる味覚の持ち主の方が、
美味しいものが一杯あるという意味では遥かに幸せで
はないかと。


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easy going

2008年12月16日 | Weblog


近所のカフカ君は、仕事は暇なのに雑事にだけは追わ
れる。
そんな自分をしきりに嘆く。
「年末だというのに」と呟いても、その言葉は宙に空
しく舞うばかりである。
ということで、今年の年末は、あわただしさも殆どな
く、深く静かに潜行していく。
「滝壺ビオトープ」のヤゴは、厳しい環境でもじっと
こらえて春を待っている、ようだ。
しかしこれも、春が来るという前提があって成り立つ
ことだ。
春は、来るのだろうか。

なんてところが、全体の空気のように感じる今日この
頃だ。
こういう時こそ、お気楽になりたいもの。
ゲロゲロ少年は、日頃から世の中の動きには関係なく、
映画と殉教出来さえすればいいと思っている。
ところが、時に、もう観るものがないですよという状
態に陥る。
なかなか、どんなものでも持続するのは難しい。

T君は、わざわざ忘年会だけのために東京に行ったら
しい。
これを聞いたスノッブなM氏は、一言、「お気楽でい
いね」であった。
easy going。
確かに、深刻になったところで、状況が良くなること
はない。
むしろ、精神的にはどんどんきつくなる。
同じことなら、お気楽に構えた方が良いのは間違いな
い。
そう出来ればの話だが。
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湯たんぽ

2008年12月15日 | Weblog


昨日の「ガンバ大阪対アデレード」、ニュースでしか
見てないのだが、結構ひやひやものだったように見え
た。
ともあれ、勝ったわけだがから、次はマンチェスターU
だ。
勝てることはまずないのだから、思い切りのいいプレー
は見せてほしい。
それにしても、パク.チソンは相変わらず中心選手で
活躍している。
間違いなく、アジアナンバーワンであると思うが、ど
うも印象が地味なので(未だに浪人生みたいな雰囲気
だ)、韓国国内はいざ知らず、他のアジア地区では今
ひとつ浸透してないように思える。
実際は、そうでもないのか。
中田なんかと比べても、選手としては上だ。
ただ、スター性(派手さ)においては、なんだかんだ
言っても中田ということになるのだろう。

最低気温が零下であってもなくても、寝てると寒く感
じる今の季節、暖を取るのに、今年は遂に「湯たんぽ」
にすることにした。
今までは電気敷布などであったのだが、とうとう原点
回帰というか、一番原始的な方法に回帰したのだ。
今や、全国的にも復活して、ホームセンターに普通に
売られている。
昔はブリキ製だったが、今はプラスチック製。
電気代節約とか、いろんな理由もあるだろうが、電気ア
ンカと比べると、コードがない、適度な重さがあるな
どの理由で布団の中での収まりがいい。
温度も、充分だし、徐々に冷えるその変化も体に優し
いのかもしれない。

電気敷布の場合は、間違いなく暖かいのだが、不自然
に暖か過ぎて、体の調整能力も殺がれる感じがする。
結果、あまり体にはよくないのでは、と思われる。
ただ、「湯たんぽ」だと、肩周りがカバーできない。
ここが弱点だ。
マイナス10度以下の時に果たしてどうなるかだ。
あと、これはこの辺の特典であるが、お湯は温泉のお
湯を入れられる。
つまり、燃料代は只である。
結局、これも時代の要請か。

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