ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ある日のリストランテ2

2008年02月29日 | Weblog


昨日の続き。
話題は、徐々にプライベートなことに。

「私のほうが全然できるのに、彼女の方が認められるっ
ていうか、受けるのよね」(B子)

どうも、ゼミではなく何かのグループ活動をしていて、
実力通りに評価されてないという気持ちがあるようだ。
そして、本人にとってはちょっと気に食わない人間が
不当評価されていると思ってるようだ。

「もう、やめるから良いけどね」(B子)
「そうね」(A子)
「本当、私のほうが仕事は出来るのよね、それは間違
いないの、専門的知識は断然上だし」(B子)
「そうなんだ」(A子)

その通りかもしれないし、嫉妬から来る自分に対する
過大評価かもしれない。
いずれにしろ、よくある話である。

「でね、気付いたんだけど、私、彼女に対して良く思っ
てなかったのかもって、元々嫌いだったからなのかって、
そんな疑惑が生じたの」(B子)
「それをいうなら、疑念が生じたでしょ」(A子)
「ああ、そうか、疑念か」(B子)

どこまでも先生のA子である。
この場合、自分自身に対してという話だから、どちら
の表現も大袈裟。
自分自身に疑惑を持った、と言えば良かったのかな。

「それを考えたら、ちょっといやに気持ちになっちゃっ
て、それって単なる嫉妬みたいなものじゃない」(B子)
「まあ、そうだけど、そうやって自分だけの問題にしな
いほうが良いよ」(A子)
「ええ、どういうこと?」(B子)
「そんなの、だれにもあることだし、B子が悪いと言
うことでもないし、そうやって気付くだけでもすばら
しいことなんじゃないの」(A子)
「そうか、なんだかすっとしたわ、A子と話してると
本当もやもやが無くなって助かる」(B子)
「そんなことより、卒業論文の心配でしょ」(A子)
「そうよね」(B子)

まだまだ、話は続いていくが、他に覚えてるA子の印
象的な言葉。
「江戸時代に封印したから日本は駄目になったんだ」
どうやら、現在の日本の市場経済至上主義を批判して
いるようで、封印の対象は江戸時代の生活を楽しむ文
化のことであろう。

「芸能界はハイパーインフレだから」
これは、次から次と同じような芸能人が出てきて、数
だけは多いがどんどん程度が下がっている状態を表わ
しているようだ。

いやあ、ためになりました。
まだまだ聞きたかったが、全て食べ終わってしまい、
後ろ髪を引かれる思いで店をあとにせざるを得なかっ
た。
でも、卒業したら苦労しそうなのは、間違いなくA子
の方だろうな。
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ある日のリストランテ

2008年02月28日 | Weblog


新しく出来たイタリアン(トラットリアではなくリスト
ランテという感じの)に行ったら、あまりに隣の客の
会話が興味深く、思いっきり聞き耳を立ててしまった。
仕切られたつくりになっているので、たとえ、聞き耳
を立てなくても良く聞こえるのだが。

登場するのは、20歳そこそこの女性二人組み。
どうやら大学生のようだ。
ということは、会話の内容からして信州大学か。
それにしても、学生が普通にこういう店に来るのか。
もう一度言うが、トラットリアではなくリストランテ
だ。
と言うほど値段が高いわけではなかった。
飽くまでも雰囲気が、東京の今風イタリアンであると
いうことで、値段的にはトラットリアで良いかもしれ
ない。
どちらにしろ、同じ頃の自分は、学食の60円の汁が
大分濃いかき揚げうどんがせいぜいだった。
隔世の感というやつか。

さて、その二人だが、一人は理論派で、自分の意見を
自信を持ってずばずば言うタイプ。
もう一人は、「私って優柔不断なタイプだから」とい
かにも言いそうな、標準的な真面目(そうな)タイプ。
関係としては、先生とその生徒と言った感じである。
仮に先生をA子、生徒をB子とする。

店の人に
「グラススプマンテってなんですか?」(A子)
「イタリアのグラスシャンパンです」(店の人)
「じゃあ、それお願いします」(A子)

おいおい、学生が昼間っからグラスシャンパンか、も
とい、グラススプマンテか。
隔世の感である。

「シャンパン地方しかシャンパンて言っちゃあいけな
いのよ」(A子)
「へえ、そうなんだ」(B子)
「だから、他のはみんなスパークリングワインって言
うのよ」(A子)

出来れば、シャンパーニュ地方と言ってほしかった。
それにしても、田舎の学生で良くそんなことまで知っ
ているものだ。
そして話題は、シャンパーニュから何故か冷戦時代の
ドイツ。

「ベルリンていうのは、壁ができた時に同じ市内なの
に分断されて、東と西になったのよ」(A子)
「へえ、そうなんだ」(B子)
「だから、冷戦時代でも飛び地のベルリンには西から
行けたんだよね」(A子)
「へえ、そうなんだ」(B子)
「ああ、ヨーロッパに行きたいね」(A子)
「行きたいね」(B子)
「やっぱり最低二週間はね」(A子)
「そうね、その位はね、ガウディも見たいし」(B子)
「スペイン、良いわね」(A子)
「ところで、サグラダファミリアのサグラダってどう
いう意味?」(B子)
「英語でいえばSaint、つまり聖家族という意味よ」(A子)
「へえ、そうなんだ、なんかサグラダファミリアってい
うと、日本の会社の名前みたいなんだよね」(B子)
「サクラダ工業で作った車ファミリアって、違うだろ」(A子)

つづく。
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ロブ=グリエ 最後の映画

2008年02月26日 | 映画


ロブ=グリエの最後の映画「グラディーヴァ マラケシュ
の裸婦」は、結局どうしても見たくなり、注文してし
まった。
今のところ、日本では未公開だし買えるときに勝って
かないと後悔する、と自分自身に言い聞かせたのだが(要
するに買う理由を作っただけ)、ひょっとすると、どこ
かで、ロブ=グリエの特集を組み、今までの作品ととも
に追悼上映会のようなものをするかもしれない。
しかし、見たい時が買い時なのである(最近は、一々言
い聞かせないと駄目なようで)。

価格も、この手のもとしては(どう見ても受けそうに
ない映画全般)安く、4千円を切っていた。
しかもその上、2割引とかで売っているところがあった。
即決で買い物ボタンを押した。
気持ちの上では、良い買い物をした、である。
しかし、このDVD、発売は3月でつまりは予約販売とい
うことである。
ということは、品物が来るまでには猶予がある。
それで、一番お世話になっているアマゾンの同じ品物
を検索してみた。
すると、なんと、アマゾンの方が安いではないか。
あるホームセンターで安いと思って買った物が、数日
後他のホームセンターで更に安く売っていたときと同
じ気分の悪さだ。
アマゾンの方は、送料がかからないので、結局は更に
二割分ほど安くなるのだ。
ここで、自分の勇み足的行為を後悔するわけだが、確
かアマゾンも一応見たはずなのだが、と思った。
前にもCDで同じ目にあったが(その時は同じアマゾン
の中での出来事)。
そうなんだ、毎日刻々と変わるのがこの世界の常識な
のだ。
もう、しょうがない。
暫くこの気分を引きずるしかないか。

とそんな時、注文したところからメールが来ていて、
こちらのものはキャンセルになったと書いてあった。
念力が通じたのか。
どうも、カードの不備があったらしく決済できない
ということらしい。
有効期限の打ち間違いなのだが(以前他のところのも
ので訂正したのに)、その間違えたものが今回も登録
されたようなのだ。
やったね楽天、明日はホームラン王だ。
怪我の功名である。
早速渡りに船と、アマゾンに注文を出した。
こちらは問題なし。
久しぶりに、気持ちの良い結末であった。
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円錐の体積

2008年02月25日 | Weblog


先日新聞に、高校入試の問題と解答が載っていた。
高校入試だから中学生の問題ということになる。
それで数学の問題を何気なし見た。
一旦見ると、やってみたくなるのがこの手のものだ。
クイズを解いてみようと思う感覚だ。
中学生の問題だから、出来て当然と思う。
しかし、昔と違って内容が変わってきていて、確立の
問題まで入っている。
一応挑戦するが、この場合どうだったかと、いろいろ
考えた末出した答えが間違っていて、「オーマイガー」
となることも当然ある。
そして、もう一度やり直し、そうかと納得したりするわ
けだが、これがもし本番であったなら、などともうあ
りえない事を想像したりする。
結局楽しんでいることになるのか、これも。

そして図形問題で、円錐の体積を出さないと答えが出
ない問題があり、ここで問題発生だ(この問題は個人
的なという意味)。
円錐の体積の出し方を忘れてしまったのだ。
同底面積の円柱の何分の一だったかと言うことなのだ
が、それが三分の一だったか六分の一だったか。
それにしても、こんなの忘れるか、と思うのだが、思っ
てる以上に数学の公式は忘れるものだ。
しかし、中学の問題なのに、とちょっと情けない気持ち
があるのも事実だ。
そこで、意地になって、その公式を自分で確認しよう
と、Y=aXから導き出そうとした。
記憶を頼りに、パイアール二乗だから、それに当ては
めて積分すれば出るわけだ、と思い出し、どうにか三
分の一というのが出た。
ここまでに30分はかかった。
それに、本当にこれで正解だったかと、今ひとつ自信
が無い。
体積だから三乗に比例で、そうすると三分の一程度で
良いのか、などと感覚的な疑問も生じた。
その後、それで正解ということが確認できたのだが、
そこまで辿り着くのに一苦労だった。
何故、円錐の体積でここまでやるか、と疑問に思わな
いわけでもないが、乗りかかった船みたいなもので、
後には引けなくなる。
とか何とか、これも屈折した楽しみみたいなものかも
知れない。

最近流行の脳トレも、同じようなことだろう。
やったことは無いが、兎に角頭を使うということにお
いては入試問題を解くのと変わりないだろう。
そうなると、入試問題のほうは只でできるのだから、
こちらの方が断然お得だ。
ただ、ショックを受ける度合いは、圧倒的に入試の方
だ。
それに、忌まわしい記憶が蘇るというネガティヴな要
素もある。
遊びの部分が余りに少なくなるから、やはり脳トレく
らいが良いのかも。
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日本代表2

2008年02月24日 | サッカー


現時点で「日本代表」の実力を判断するのは時期尚早。
というより、今ひとつ判断しかねるのが本当のところ。
今回の大会で、優勝を逃したことなどは全く問題では
ないが、チームとして方向性は見えてきているのか。
これも保留だ。
それにしても、PA周辺に来ての判断の遅さはなんと
かならないか。
手間をかけすぎだし、止まり過ぎだ。
さっさとシュートを打て、なのだが、この点に関して
はずっと進歩が見えない。
最早、日本の病巣か。
強気で突っかける選手がほしい。
全体でも、ちょっと動きが少ないし、次の動作にうつ
るのが遅い。
判断力の速さを要求するのは、無いものねだりになっ
てしまうのだろうか。
ああ、日本の病巣はかくも深き、か。

その後「アーセナル対バーミンガム」を見る。
これははっきり言って酷なのだが、代表との差が歴然
となり、「こうすりゃあ良いんだよ」と知らず知らず
に呟いてしまう。
個々の能力が違うんだから、これこそ無いものねだり
なのだ。
「アデバヨール」がいればな、とか、ついつい考えて
しまうのも同じこと。
しかし、参考にはなるだろう。
PA内での攻撃の仕方とか、動き。
これも、「アデバヨール」という能力高い選手がいて
の話だから、やはり駄目か。
ならば「ウォルコット」は。
ドリブルで突っかける弱冠18歳のキレの良い動きは、
見てても気持ち良い。
FWはこうでなくっちゃ、と誰しも思うのではないか。
田中達也にはこういうのを期待していたのだが、怪我
以来精彩が。
なかなか上手いこと行きまへん。
ならばパススピードを上げる、これくらいは真似でき
るだろう。
これだけでも(実際は大変なのだろうが)できるよう
になれば、かなり進歩するのではないかと思われる。

以前は、国内の試合だけ見て、そのレベル内での批判
であったが、今や、世界の最高レベルと比較されてし
まうのだから選手も大変だ。
しかし、こういうものは高いレベルと比較しないと、
いつまでも経っても進歩しないものだ。
卑近な例では、人気のある地元のグルメサイト内での
情報のやり取り。
どう見ても似たりよったりのレベルだとこちらからす
ると思えるのだが、その閉じた世界の中では、美味い
不味いとその中限定の価値ある(と思われている)情
報が行き交う。
が、それ以上のレベルになることは決してない。
全てが、その世界内で完結する。
結果、昔と全然変わってない、とこちらからすると思
えるのだが、その中の人はそうは思ってない。
と、こんなことが、いろんな世界でも起こっているの
ではないだろうか。
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ダ.ヴィンチコード

2008年02月23日 | 芸術


先日T君が(このところすっかり准レギュラー)、DVD
見ますかと聞く。
どうしたのと聞くと、貰ったということであった。
何のDVDかであるが、それは映画「ダヴィンチコード」
であった。
もう、旬は大分過ぎているようだが、何故に今頃、とい
う疑問もないことはなかった。
本当は、こんなDVD買う人いるのか、というのが一番
の疑問であった。
おまけ付きで8000円だかしたらしい。
全く見る気も無く今に至っていたのだが、あまり評判も
良くなったように記憶している。
確か、分かりにくいというような感想が多かったよう
な。
しかし、貸してくれるなら見てみるかという気になり、
借りて来た。

基本的に、謎解きが中心になった映画は好きではない。
というのは、大体面白くないから。
宗教がらみのものだと、「薔薇の名前」というのが思
いつくが、あれも大袈裟なわりに面白く無かった。
お金はかかってそうだったが。
娯楽作品は、テンポが良くないと。
同じような「セブン」という映画はその点でましだっ
たか(テレビで見るなら可という程度だが)。
どうせ、中心となる謎は嘘っぽいのだから、せめて展
開の歯切れのよさ、或いは、有無を言わせぬ勢いを感
じさせないと、というのがいつも感じるこであった。

そんななんの期待もなく見た「ダヴィンチコード」で
あったが、期待してなかったその通りというか、予想
通りの面白く無さであった。
思わせぶりな演出、ホラー映画でよく使う、どこから
何かが飛び出すような、或いは、その存在をにおわす
演出、最近の流行である。
しかし、この映画もお金はかかってそうだ。
だから、B級映画のような、しょぼさはない。
取り敢えず、見てて「とほほ」となることあまりない。
それだけでも良しとするべきか。
これも、テレビでだったら可と言えそうだ。

で、その謎なのだが(ここで良く使うネタバレ注意と
いうようなことは私はしない)、要するに、キリスト
の末裔が誰か(キリストに娘がいたという秘密から始
まっている)、ということが一番の謎で、その謎を様
々なヒントから辿っていき、最後にそういうことかと、
見ている人を納得させ、というかさせたいのだと思う。
実際は、終わったと思ったら、まだ謎があるというよ
うな終わり方をしている。
これも、ホラー映画の最後に、やっつけたと思ったら、
実はまだ生きていた、或いは、その仲間が違う形で生
きていたという手法と同じ。

全体の感想としては、もったいぶった映画である、と
いう始めから言ってることしかない。
秘密結社のようなものや、ダヴィンチ、いろんな小道
具を使って、宗教の歴史のような話も絡ませ複雑にし、
結局、それが分かりにくさという結果につながり裏目
に出たという映画である。
身近に黒幕がいるとか、末裔も一緒に行動したオドレイ.
トトゥであったとか、この辺の演出も常道であるが、
一番身近なやつが犯人であるという、一つのパターン
が出来てしまっているので、多分、推理好きにも物足
りないだろうと思われる。
でも、ブログのネタを提供してくれたのだから、その
点は評価できる、と全然映画の評価になっていないが。
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ファラフェル

2008年02月22日 | 食べ物


「ファラフェル」というのは、イスラエルの代表的ファ
ストフードで、謂わばヒヨコ豆でつったコロッケとい
うところだ。
と書いてはみたもの、本物を食べたことは無い。
飽くまでも、情報によるとである。
それでは何故「ファラフェル」かというと、ヒヨコ豆
の使い方が他に無いかと調べていて引っかかったか
らなのだ。
名前だけは、前から知っていた。
しかし、中東のどこかの食べ物で、コロッケみたいな
ものである、程度の知識しかなかった。
それが今回、イスラエルの食べ物で、しかも主原料
がヒヨコ豆であるという事実を知ることとなった。
ヒヨコ豆カレーだけでは、やはり飽きが来る。
人間、たまには変化がほしくなる。

それで、早速レシピを見た。
ふやかしたヒヨコ豆をミキサーにかけ、味付けして
揚げるだけだ。
比較的簡単そうだ。
味付けのポイントは、クミンシードのようである。
ということで、クミンシードなのだが、こういうと
きに田舎のスーパーは(品揃えが)使えない。
わざわざクミンシードだけのためにネットもないし、
松本まで買いに行くのもなんだしと思っていたら、何
とT君が持っていると言う。
喜んで分けて貰う。
これでクミン確保だ。
後は、玉ねぎにニンニク、これもポイントか、レモン
汁も使うようだ。
ヒヨコ豆をおから状になるまでミキサーにかけ、それ
ぞれの材料を混ぜ、味付けし、パセリも入れるように
なっていたが、忘れたので省き、丸めてパン粉をつけ
揚げるだけだ。
揚げ油は、以前買った1リットルのオリーヴオイルが、
今一古っぽくて使ってないのがあった。
揚げ油としてだったら大丈夫だろうという見込みの元、
それを使うことにした。
謂わば、廃物利用みたいなものだ。

あまり揚げ物はやりたくないが、「ファラフェル」のた
めだ我慢我慢。
油の温度が今ひとつ自信が無かったが、勘で調整し、
なんとか見かけは狐色に揚がった。
まさか、生ではないだろうな。
ヒヨコ豆は、生のをすり潰したものを使ってるわけだ
から。
味見をして見る。
火は通っているようだ。
若干不安だったオリーヴオイルも問題なし。
唯、一番肝心の味付けが。
どうも、クミンシードの味が強いぞ。
いくらクミンが決め手とも言え、多ければ良いという
ものではない。
最後に一つまみ余計に入れたのが、良くなかったと推
測される。
これでは、ヒヨコ豆の味が消されてしまう、と思った
が、本物を食べてないので、自信を持って判断が出来
ない。
つまり、この味が、方向としては「ファラフェル」に
なっているのか、単にこれはクミンだけの問題なのか。
この辺のところがはっきりしないのだ。
どうやら、本物の味を知ることから始めないとならに
ようだ。
「ファラフェル」の旅は今始まったばかりだ。
と言っても、イスラエルに行く気は毛頭無いし、いつ
第2話が書けることやら。
コメント

ロブ=グリエ

2008年02月21日 | 芸術


アラン.ロブ=グリエ(こういう表記をするらしい)が
死んだ。
ヌーヴォーロマンの旗手であり、映画監督でもあった。
「nouveau roman」あるいは「anti roman」とも言わ
れる、要するに、普通の小説のような物語の構造を持っ
ていな小説を書いてきた小説家ということになるが、
個人的には好きだった。
日本では、殆ど知られていないと思う。
小説は、「迷路の中で」と「覗くひと」の二冊読んだだ
けだが、どちらも印象的な作品で、今でも映像(作品
から喚起された個人的なイメージ)が浮かぶ。

映画監督としては、寡作であるので、そもそも見る機
会が少ない。
これも2本(と言っても全部で5本くらいだから)し
か見てない。
そのうちの1本、「囚われの美女」は保存用としてビデ
オを所有している。
この作品はデビッド.リンチの「マルホランドドライブ」
にかなり似ている。
現実の出来事なのか、幻想なのか、そういう映像が繰り
返し繰り返し出てくるのだが、この手のものはともすれ
ばわざとらしく感じ、いい加減にしろという気にさせら
れるものが多い。
多分、それは製作者の意図が見えすぎているのからだと
思う。
要するに、計算があからさまに露呈するのだ。
そういうところが「囚われの美女」にはない。
心地の良い分かり難さ。
現実だろうが、現実じゃなかろうが、どちらでも良いし、
そんなことは重要ではない、と思わせる。
好きなように見れば良いのではないだろうか。
解釈するな、体験せよ。
「マルホランドドライブ」は、この作品に大分刺激され
ているのではないかと密かに推測しているのだが。

他の作品も確認してみると、去年の作品があった。
「グラディーヴァ マラケシュの裸婦」という作品らし
いが、全く知らないのだが(日本では公開されてない)、
DVDではでているようだ。
こういうのを見ると、またほしくなってしまう。
非常にまずい。
あと「快楽の漸進的横滑り」という、変な(非情に気に
なっていた)タイトルの映画もあったはずなのだが、
それが見当たらない。
どうなっているのか。
ひょっとして、この「快楽の漸進的横滑り」という映画
そのものが幻想だったのか。
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グラミー賞

2008年02月19日 | 音楽


昨日の最高気温は1.9度、大分暖かくなってきた。
な、わけもなく、今朝もマイナス9.9度。
最近は、すっかり日記らしく、日々の記録という部分
でその条件を満たしている。

昨日、スノッブなM氏が新しいCDを持ってきてくれた。
どうやら今は、個人的音楽週間ということのようだ。
持ってきたのはハービー.ハンコックの「River」という
アルバム。
これを見たとき、ブルース.スプリングスティーンか!
と言ったのは、事の成り行き上当然のことだった。。
全然知らなかったのだが、★『第50回 2008 グラミー賞』
年間最優秀アルバム賞 受賞、ということらしい。
基本的に、グラミー賞には関心がないので、今どうい
うアルバムが人気なのかという知識は殆ど無い。
M氏に聞いたところによると、下馬評では、違うアルバ
ムが候補となっていて、これは意外な結果であったとい
うこと、らしいのだ。
ジャズアルバムというのも珍しい、らしい。

見ると、ジョニー.ミッチェルに捧げるアルバム、オマー
ジュということで、彼女の曲を、例えばノラ.ジョーン
ズなどが歌っている。
レーナード.コーエンなんていう名前もある。
一曲だけ、ジョニー.ミッチェル本人が歌ってもいる(こ
れが一番良かった)。
通して聴いてみたが、皆それぞれ本当に上手いが、正直
それほど良いとは思わなかった。
しかし、兎に角これが受賞作品ということなのだ。
結局、ジョニー.ミッチェル本人のが一番良かったでは、
始めから彼女のアルバムを聴けば済むということになり
そう。

ところで、「セーブル」は(更級の主人にピンポイント)、
「黒貂」で正解でした。
「貂」はテンです。

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日本代表

2008年02月18日 | サッカー


昨日の最高気温はマイナス1度、そして今朝の最低気
温はマイナス11.7度、とどまることを知らない冬
の寒さだ。
全く、寒いどすえ。

寒いと言えば、昨日の日本代表も寒かった。
結果は1-1の引き分け。
北朝鮮は、フォワード(フロンターレの)以外大した
こと無かったが、引いた相手にいつものように手詰ま
りと、「またか」という嘆息一つであった。
枠に飛ばないミドルとかは今に始まったことではない
ので言ってもしょうがないが、意味の無い横パスとか、
「どうにかせい」と何度か心の中で叫んだ。
ダイナミックな動きが無いので、相手の守備は崩れず、
なかなかシュートコースもできない。
しょぼい試合は、ジーコのときに何度も体験し免疫は
出来たつもりだったが、まだまだこちらも修行が足り
ないようだ。
まあ、一試合で性急に結論付けることではないし、重
要なのは、進歩してるかという方向性だ。
その点は大丈夫かい、岡ちゃん。
オシムには信頼感を持てたが、まだ岡ちゃんには、と
いう段階なので、ついつい不安がよぎる。
頼みまっせ。

試合が行われているのは、重慶。
ジーコの時、アジアカップで優勝したあの場所だ。
じゅうたん爆撃の恨みが(かどうかは分からないが)
未だに息づいているあの重慶である。
前回の、反日的行為は凄かったが、今回はそれに比べ
れば、単なるブーイング程度で、テレビで見る限りそ
れほどでも無さそう。
五輪を控え、中国も大分配慮しているようだ。
餃子問題もあるし、日本との関係は常に不安定要素を
抱え、どっちにとっても難しそうだ。
次の相手はその中国だが、観客の態度がどうなるか、
それも要注目である。

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帽子が笑う

2008年02月17日 | 音楽


NHKで、「坂崎幸之助の一夜限りの何とか何とか」と
いう番組をやっていた。
坂崎幸之助がその時のゲストとセッションするという
もので、今回のゲストは加藤和彦であった。
ご存知「フォークル」の中心的メンバーだ。
と言ってピンと来る人は、それなりにお年である。
その加藤和彦の足跡に沿って、尾崎亜美や泉谷しげる
なども加わり、いろんな形のセッションを繰り広げる
わけだが、「童年往事」では無いが、懐かしい音楽満
載で、ついつい引き込まれる。
しかし、ここが肝要なのだが、懐かしいと言ってもそ
れらは単なる懐メロではなく、今の数多ある曲より、
遥かに良いのだ。
現代風にアレンジしてあるというのもあるが、ビート
ルズがスタンダードであるのと同じように、日本のスタ
ンダードになるものを、加藤和彦はやってきたのだな、
と改めて認識した。
ということが、番組の中でも触れられていたが、実は
あまりその辺のところは良く知らないのだ。
はっきり言って「悲しくてやりきれない」から後は停
止状態だ。
未だに、カラオケで歌えるのはその辺しかない。
その程度だから、日本のポップス音楽史など語れるわ
けがないのだ。
ボロが出る前に止めたほうが良さそうだ。

で、今年初めてのCDを購入。
シド.バレットの「帽子が笑う...不気味に」(それ
にしてもこの邦題は、ホラーか)とジャクソン.ブラウン
の「孤独のランナー」。
タイトルを見ると、まるでオタクの引きこもりかとい
う世界だが、これはひとえに邦題のせいである。
ああ、シドバレットに関しては、本人がそういう傾向
が無きにしも非ずだから、間違いとは言えないかもし
れない。
原題は「THE MADCAP LAUGHS」と「RUNNING 0N 
EMPTY」。
「帽子が笑う」だけで良さそうなものだが、madのニュ
アンスを入れたく「不気味に」を足したのだろうが、
そのお陰でシュールがホラーになってしまった。

どちらも古いアルバムで、何を今更であるが、個人的
にお気に入りで手元に無いものだったから今回購入と
あいなった。
それより、シド.バレットとジャクソン.ブラウンでは
全く傾向が違うから、そちらの方が不思議に思われそう
だ。
方やプログレ系、方やカントリーロック系。
解り易く、変な曲とオーソドックスな曲と言った方が良
いかもしれない。
しかし、両方好きだからこれは致し方ない。
好きなものは好き、ということである。
と、マーラーの交響曲2番小沢征二指揮をかけながら
今書いている。
ちょっと格好つけたが、これも昔買ったCDで、久し
く聴いてなかったので、すっかりどんな曲だったか忘
れていた。
キリ.テ.カナワのボーカル、じゃなくて声楽も入っ
てるんだった。





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童年往事2

2008年02月16日 | 映画


コーヒー豆を袋からキャニスター(茶筒のこと、ちょっ
と格好つけてみました)に移そうとしたとき、豆が床
にこぼれた。
そんな、ゴキブリが一斉に散ったような光景を目の当
たりにしたとき、間違いなく襲う気分は「トホホ」であ
る。
全く。

ところで、また映画に続きになるが、「童年往事」と
「三丁目の夕日」を比較して、映画としてみた場合、
「童年往事」の方が遥かに上のようなことを書いたが、
昨日「日本アカデミー賞」をやっていて(見る気はな
かったが、最後の五分ばかり見てしまった)「三丁目
の夕日」の続などが話題になっていたので、もう少し
突っ込みたくなってしまった。
何故かというと、一見(本当は全然違うのだが)時代
に共通性があるかのように感じるからだ。
どちらも、昭和の懐かしい時代(主に団塊世代からす
るとなのだが、何故か、懐かしい時代という時代はこ
の頃を指すようになっている)が背景である。
日本と台湾の違いはあるが、見かけは殆ど同じ国に見
える。
「三丁目」は都会で、「童年往事」は田舎の風景。
どちらも郷愁を誘う。
これが問題なのだ。
同じ郷愁でも、映画の中に占める位置が大きく違う。
「三丁目」は、郷愁そのものを中心にすえているのだ
が、「童年往事」は結果的に郷愁を感じるというもの
で、郷愁を描いているわけではない。
強いて言えば、郷愁の向こうの世界である。
だから、いつ見ても新鮮さは損なわれないし、場所は
関係なくなる。

一方「三丁目」は、郷愁にどっぷり浸かって懐かしめと
いう映画だ。
そして、笑い、涙しろ、そうすれば感動を味わうこと
が出来るであろう、なのだ。
「テーマパーク」とどこが違うという話なのだが、実
は同じだ(あえて断言)。
全てが仕組まれた装置。
その、手順にそって動けば楽しめますよ、なのである。
しかも、そこにあるのは、まるで過去に存在したかの
ようなユートピアのような世界。
そうやって考えると、テーマパーク全盛(と言っても
ディズニー一人勝ちだが)の時代にぴったりの映画で
あると言えそうだ。
或いは、マーケティングの勝利。

娯楽作品として成功しているのだからそれだけで価値
がある、というのはある意味間違いないのだが、まる
で名画(人それぞれの基準であるが)のような扱いで
本当に良いのか、とついつい思ってしまう。
絶対的少数派であることも分かっているが、こんなん
で良いのだろうかというのは、常々感じていることだ。
はっきり言えば、団塊世代の懐かし親父共が駄目なん
じゃないか、ということなのだ。
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カウリスマキ

2008年02月15日 | 映画


昨日のホウ.シャオシェンの映画だが、「童年往時」と
ばかり思っていたが、正解は「童年往事」であった。
思いっきり間違えて覚えていた。
密かに訂正したが、ああ恥ずかしい。
ついでと言ってはなんだが、ホウ.シャオシェンには、
もう一作間違えやすいのがある。
「悲情城市」という作品だ。
ついつい「非情城市」と書きたくなる。
今でも、良く見かける。
「ああ間違えてる」と余裕で眺めてるが、いつ立場が
逆にになるか分からないので、あまり突っ込まない方
が良さそうだ。
それにしても、他人の間違いは、どういうわけか良く
気が付くから困ったものである。

今回、何故気がついたかと言うと、ふと、あのタイトル
は正しかったかと気になり調べてみたからだ。
正確に言うと、気になったのは「往事」に関してでは
なく、「童年往事」だったか「往年童子」だったかと
いうことであった。
こういうのも「怪我の功名」というのだろうか。
別件で調べたら、他の犯罪が見つかった、という方が
近いか。
いずれにしろ、うろ覚えの時は良く確認をしないとい
けないということである。

で、その「童年往事」を見た後に、同じテープに録画
してあった次の映画を引き続き見た。
一体何を録画したのか、自分でも分からなかった。
というのは、「童年往事」(テープには「童年往時」と
書いてある)しか書いてなかったから。
確か、このテープはホウ.シャオシェン特集にしよう
と思ったはずだが。
だから「恋恋風塵」(これは録画した記憶はある)か
なと思ったら、明らかにアジアではない映画が始まっ
た。
しかも、トーンが大分暗い。
タイトルは「罪と罰」。
全く記憶に無い。
何となく、北欧な感じである。
ということはカウリスマキかなと思ったら、やはりそ
うだった。
こんな映画あったっけ、というのが正直なところだ。
正体が分かったところで、観賞。

ドストエフスキーの「罪と罰」が原作らしい。
しかし、読んでないので、内容の違いとか一切分から
ない。
後で調べたら、カウリスマキのデビュー作品というこ
とであった。
無表情な登場人物が淡々と事を進める、確かにカウリス
マキらしい世界だが、彼の作品では初めて途中下車した。
あまり、面白いとは思えなかった。
無機質な世界での殺人、ブレッソンの「ラルジャン」を
思い出したが、ブレッソンのような張り詰めた緊張感
は無い。
無表情な人物だが、どこかユーモアがあるというのが
カウリスマキの魅力だと思うが、そういう部分が見受
けられないのだ。
不意に脱力する瞬間、それが魅力なのだが。
デビュー作ということで、肩の力が入りすぎたという
ことかもしれない。
まあ、これでカウリスマキのデビュー作を知ったとい
うことだから良しとしよう。

その後、「更級」の主人からの頂き物の蕎麦を食す。
しかし、家でゆでた蕎麦と店での蕎麦では微妙に出来
が違う。
釜の大きさ火力の違いによって、家でのものは湯でむ
らが出来るように思う。
キレが今ひとつなのだ。
でも、美味いことは美味い。
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童年往事

2008年02月14日 | 映画


昨日の最高気温はマイナス2度。
この期に及んで「真冬日か」、の世界である。
山の方はどうかなと、ちょっとした好奇心もあり蓼科
に行ってみると、やはり真っ白であった(当たり前だ)。
昼でも、マイナス四五度といった感じで、当然道路は
雪で踏み固められスタッドレス無しでは無理な状態。
車の通らない脇の道は、雪に埋もれて、それこそスノー
シューでもないと歩けない。
長靴で歩いてみようと思ったこちらの思惑はもろくも
崩れた。
「Trace Hunting」(今考えた造語、獣の足跡を見つ
けて収集すること)でもしようと思ったのに(嘘です)。

ところで、例のギル.エヴァンスの「ラスベガスタンゴ」
であるが、やっとT君が惹かれた理由が分かった。
ロバート.ワイアットがそれをフィーチャーしていたの
だ。
ロバート.ワイアットは元々T君の好きなミュージシャン
であるから、これで納得である。
そんなT君に「ローリー.アンダーソン」の聴いてない
のを貸し、また新たなCDを借りてきた。
最近は、すっかりパーソナルレンタルCD屋状態である。

その後、ビデオの残りを見る。
見かけのビデオがあったのだ。
ホウ.シャオシェンの「童年往事」。
この前久しぶりに見ようと思い、半分くらいのところで
眠くなり、その状態で放置してあったのだ。
十何年ぶりかに見たのだが、確かに眠気を誘う映画では
ある。
というのは、そのゆったりしたテンポ。
そして、劇的なストーリー展開とは無縁な、日常的風景。
最近ご贔屓の「ジャ.ジャンクー」と、やはり共通な世
界である。
見る人によっては、あまりに平板と感じるであろう。
しかし、その一見平板な世界の構造に目を向けると、そ
こには全く違う世界が現出する、ということではないか?
つまり、一見平板な世界にこそ真実が隠されている、と
いうことでもないか?
まあ、要するに魅力的なのであるのだ。
ホウ.シャオシェンは台湾の監督であるから、当然舞台
は台湾のある町である。
しかし、昭和30年代の日本そのものといった世界が、
そこにはある。
例えは悪いが、「三丁目の夕日」などよりは遥かに「童
年往時」の方が日本である。
というより、世界である。
つまり、真の映画であるということだ。
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レッドキドニー

2008年02月12日 | 食べ物


それにしても、ここに来て良く雪が降る。
しかし今日の雪は、所謂、この地方で「カミユキ」(上
雪なのか紙雪なのか諸説ある)という、気温が高い時
特有の、大粒の、紙をちぎったような湿っぽい雪で、
あまり積もることは無い。
その降ってくる雪を見ると、まるで歌舞伎の舞台で降っ
てくる雪のようで、見慣れた風景も、どこか浮世絵の
世界に見えてくるから不思議だ(大分装飾してるが)。

ところで、「豆同好会」(今作った)の活動である。
「レッドキドニー」という初めての食材をどう使うか
ということであったが、当初は「カスレ」で行こうだっ
たのだが、「カスレ」に使おうと思った「子牛のコンフィ」
は、サラダで食べてしまっていた。
ということは、「コンフィ」から作らないといけない。
しかい、それだけで2日は必要だ。
そこまでの準備が整わない。
それに、次回「コンフィ」を作る時には「ほろほろ鳥」
を使おうという計画もあった。
もろもろ鑑み、取り敢えず、「カレー」にしようとい
うことになった。
「結局、それか!」の世界だが、一番無難と言えば無
難だ。

いつものように、トマトと玉ねぎだけを使い、後は「レッ
ドキドニー」。
ここで一応説明すると、「レッドキドニー」というの
は、「赤インゲン豆」のことで、形が腎臓にに似てい
るのでそういう名前になった。
メキシコとか、ブラジルの豆料理によく使われるよう
だ。
で、カレーなのだが、今回トマトは生ではなく缶詰を
使った。
ところが、缶詰のトマトというのは、封を切ると全部
使いたくなる。
というより、残すことが憚れるのだ。
次に使う予定でもあれば、いくらでも残せるのだが、
そういう予定がない場合、ひっそりと冷蔵庫の中でい
つまでも存在し続けることになる。
気が付いた時には黴だらけ、なんて運命が待っていた
りする。
だから、一旦封を切るとどうしても使い切りたくなる。
今回もそういうことになった。
ちょっと多いかなという懸念は勿論あった。
というのは、酸味が強くなりすぎると思ったからだ。
予想的中。
その通りになった。
物によっては、酸味が強い方が美味いというのはある
が、豆の場合は、酸味が強いと豆の個性を邪魔するこ
とになる。
決して不味くは無いが(美味いレベルではあると思う)、
こちらの想定したものとはちょっと違う。
ということで、トマトは缶の半分で良いということが
判った。
こうやって、レシピの完成度は増してくるわけだ。

今回、もう一つ特筆すべきことがあった。
「レッドキドニー」特有の色だ。
赤というより赤紫なのだが、その色がカレーに移り、
カレーが物凄く濃い色になるのだ。
黄色味は一切無く、全体が赤紫系だ。
系つながりで、昔の木の床の、最後は五日市線辺りを
走っていた国鉄時代の電車の色を思い出した。
床の油の臭いが何ともいえない、あの電車の色だ。
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