最近ビストロという名前をつけたレストラン或いは居酒屋を多くみかける。それだけビストロという名前が浸透したからなのだろうが、はっきり言ってその殆どはこれってビストロ?と思うような店である。今は温めるだけの業務用の調理済みのパックがいくらでもあり、誰でもそれっぽい、この場合ビストロっぽい料理を出すことができる。調理経験がなくても全く問題ないのだ。唯ここは日本、ビストロの基準などは元々ない。漠然としたイメージしかないのだから、こういう状況(本当にビストロか?)なのは当たり前だ。コンビニにはビストロに限らず、それっぽいもの(唯、美味くはない)ものが溢れている。
しかし、個人的にはビストロと言ったら、伝統的なフランスにあるビストロがやはり基準となる。当然のこと、そんな本場志向の店が良い店かそうじゃないかの基準となるのだ。本場志向でも美味くなかったら問題外だが、味についても、向こうで美味いとされている味が基準である。日本人向けの味付けではなく、飽くまでも向こう基準の味付けが個人的には望むものだ。しかしこれをやると、一般受けせずに店としては苦しくなるという問題がある。この現実に直面して、いつのまに本場志向ではなく、よくある普通の店となってしまった例など、全く珍しくない。
写真はビストロ料理の定番(日本では滅多にないが)自家製アンドゥイエット「ビストロバガブー」。
庭の、ある種類のツツジだけ、毎年いやに小さな虫たちに人気で常々不思議に思っていた。そんなところで、今年発見した新顔(一枚目の写真)を調べたらやっとその理由が分かった。去年の新顔が二枚目の写真だが、これもその理由につながるものだった。一枚目はモチツツジカスミカメ(4ミリほど)、二枚目はツツジトゲムネサルゾウムシ(3ミリほど、名前は覚えられない)という。どちらも特定のツツジに発生するムシだ。ということでこのツツジがモチツツジというのを何十年と親しんできて今初めて知った。前々から葉っぱがべたべたするのが不思議だったが、名前のモチの由来にもなってるのがこのべたべただったとは。因みに三枚目と四枚目の写真は、イトカメムシ(8ミリほど、毎年多く発生する)とツツジコブハムシ(5ミリほど、数は少ないが毎年発生)だ。
ブニュエルの「皆殺しの天使」(1962)を見る。予備知識なしで見たのだが、想像してたのは全く違っていた。メキシコ時代の映画なので「昇天峠」的テイストのちょっと長閑な且つ残虐な映画を想像してたのだが、むしろ「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」に近い映画であった。
舞台は貴族の館。そこで催されたパーティーに招待された客、主人、執事が何故か部屋から出られなくなり(閉じ込められたわけではない)、食べ物がなくなり水がなくなりと、まるでサバイバルのような様相を呈してくるという、完全な不条理劇である。徐々にそれぞれの人間が醜悪な部分をさらけ出すところなど、正にジャングルや山で遭難したグループが極限状態に置かれ人間性をなくし崩壊していくのと同じパターン。但し、こちらは普通に部屋の中。ドアも開くし仕切りもないのに何故か部屋から出られないのだ。
結局最終的には出られるのだが、更にまた落ちのような場面で終わる。スペイン内戦の暗喩のような思い付きの発想のようなちょっと分かり難い映画ではあるが、間違いなくブニュエルの映画である。いろんな解釈が出来そうだが、そういう部分は、ブニュエルが一番してやったりと思うところではないのかと他のブニュエル映画を見ても思うところである。
てっきり三連敗だと思っていた日本代表、まさかのコロンビア戦勝利でイブラヒモビッチの予想二位通過(予想ではコロンビア一位だが)が一気に現実味を帯びてきた。ポーランド戦を見てみるとセネガル強しだからコロンビアをセネガルに変えれば良い感じ、かもしれない。ということでこれからの予想。日本は対セネガル0-2で負け。コロンビア対ポーランドは1-0でコロンビア。三戦目日本対ポーランド3-3のバカ試合で引き分け。ちょっと解説。後がないポーランドは超攻撃態勢で攻め、それまで不発のレヴァンドフスキが意地の三発。ゆるゆるデュフェンスの隙を突き日本も3点という内容。そしてコロンビア対セネガルは0-1でセネガル。結果二位は日本、という妄想。
このところアマゾンプライムで「深夜食堂」という番組を見ている。新宿の片隅(荒木町とかそんな感じ)で深夜だけ営業している食堂兼居酒屋が舞台の人情劇。寡黙ではあるが頼れる主人。そこに集まる個性的な常連達。そんな居酒屋で繰り広げられる所謂ちょっと良い話の予定調和的であるがほっこりさせるドラマ。演出が松岡錠司とあったが、道理で上手くできてるわけだ。
で、ここで使われてる主題歌が印象的で、一回聞くと耳に残るメロディーと歌声。何かと思ったら昔のアメリカの曲で、ジュディーガーランドなんかも歌ってるものだった。良いものは残るということなのだが、それで思い出すのが今の連ドラ「半分青い」の主題歌。星野源の曲と歌だが、これがまあ乗りの悪いメロディー(彼の特徴)で、最近はやっと慣れたがどこが良いのか全く分からない。星野源は結構人気らしいが、どう考えても後世に残るような曲ではない。
ウエス.アンダーソン(グランドブダペストホテルやムーンライズキングダムの監督)の「犬ヶ島」を見る。元々結構好きな監督なので作品は殆ど見てる。どれもオタク的な映画愛に満ちた作品で面白い、が、一般受けはしなさそうというのが特徴でもある。今回はストップモーションアニメ(人形などを少しづつ動かし撮影したアニメ)、しかも舞台は日本。映画はいきなり小太りの少年の太鼓から始まる。かなり変な感じを受けるが、これは彼のどの作品にも共通すること。
日本のある街で狂犬病のような病原菌による犬の病気が蔓延し、隔離するためにすべての犬をゴミ島(犬ヶ島)に隔離する。そんな中ある少年(アタリという名前)が自分の愛犬を救出するために一人飛行機で島に乗り込む。そこで出会った犬たちと一緒に愛犬を探しそして犬たちを解放する、というお話しだが、まずおかしいのはこのアタリの顔。全く格好いいという類の少年ではない。初めに思い出したのは石田徹也の絵画に出てくる飛行機と合体した人物の顔。幸薄そうなどこか物悲しさを感じさせるあの顔だ。喋り方もぼそぼそ。全体もそんなトーンで、ディズニーの対極にあるアニメと言うしかない。間違いなくこの映画も一般受けはしないしヒットもしない。しかし魅力的。子供と犬が主人公だけど子供向きではないという珍しいアニメである。