ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

休眠期

2008年06月30日 | 音楽


ユーロ2008はスペインの優勝で幕を閉じた。
今回も、一応リアルタイムで見た。
が、殆どは見たというより聞いていたという状態。
フェルナンド.トーレスの得点したところだけは、一段
と解説のトーンが上がったので見ることはできたが、
そんな状態だったので、全体でどういう状況だったの
かは全く判らない。
しかし、これで早朝のテレビからは開放される。
まずは、めでたしめでたし。

話は変わるが、新たにDVDコレクションなどとカテゴ
リーを設けたはいいが、その後全く増えていない。
CDも同じ状況だ。
完全に、休眠期のような状態になっている。
考えてみると、この手のものは、ずっと活動期と休眠
期の繰り返しのようである。
その周期が徐々に長くなり、終焉を迎えるのか、それ
とも同じ調子で延々と続くのか、どちらかは判らない。
時に、終焉と思ったのが、実は長い休眠期で、休火山
が突然爆発するかのように復活することもあるから油
断は出来ない。

DVD(映画)に関しては、ほしいものはあるが自重
している状態。
CD(音楽)に関しても同じような部分はあるが、新
たなものに興味を引くものがないということも事実と
してある。
80年代までが興味の対象のすべてと言ってもいいく
らいなので、特にそういう面が強くなっている。
新しいのが新しく思えないのだからしょうがない。
要するに、過去を越える、或いは、過去にないものと
いうのが見つけられないのだ。

で、久しぶりに聴こうと思って取り出したのが次の三
つ。

KING KRIMSO『ISLANDS』
BRIAN ENO『ANOTHER GREEN WORLD』
PRINCE『DIAMONDS AND PEARLS』

辛うじてプリンスが90年代にかかっているが、それ
でも20年近く前の話だ。
ということは、その辺りから休火山になってしまった
のか。
果たして、こういうのも懐メロというのだろうか。
ちょっと違う、と思う。
懐メロというのは、音楽性ということではなく、その
時代を懐かしむということだから。
私の場合、音楽そのものが良いから聴くのだ。
その時代を懐かしむ気持ちが全くないとは言わないが、
飽くまでも音楽性優先である(と自分では思っている)。
というわけで、過去のものから聴きたいCDを引っ張
り出しては、その時の欲求を満足させるのである。

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歴史

2008年06月29日 | Weblog


小学生の知識調査で、明治の歴史上人物が何をした人
か答えさせるというのをやったが、それによると、「木
戸孝允」「大隈重信」の正答率が悪かったらしい。
確か、20パーセントくらいだったような。
この数字が低いかどうかは、何とも言えないが、同じ
問題を大人に出した時にどうなのかというのが非常に
興味あるところなのだが。

と、いかにも自分は大丈夫であるかのような言い方だ
が、実は、この二人、名前だけは知っているが、一体
何をしたのかは具体的には理解していない。
「大隈重信」は早稲田の創設者としてしか知らない。
「木戸孝允」に至っては、幕末の頃活躍した人程度の
認識である。
例えば、「新撰組」とか「坂本竜馬」などに興味があ
れば、テレビ、映画を通して知識を得られるだろうが、
その手のものに興味がなく、学校で教えられた当時以
後新たに得たということがなく現在に至っているわけ
だ(だから忘れる一方)。
当然、それに関する本など読んだこともなく、心もと
ない知識レベルである。
ひょっとしたら、小学生と同程度かもしれない。

昔から歴史が駄目なのは一貫している。
「日本史」で赤点をもらったこともある(自慢にはな
らないが)。
蝶の名前は覚えられても、人物の名前、年号を覚えら
れないというのは、如何に興味をもてなかったかとい
うことの証左である。
興味のないことを覚えられないというのは、もう、絶
対的な原理であろう。
よく言われる、「歴史は浪漫である」というのも、全
くピンと来なかったし、「歴史大河ドラマ」も好きで
はなかったし、この点に関してはやはり一貫している
(自慢にはならないが)。
今だったら、「歴史は浪漫である」などといわれれば、
「当たり前だ、誰かが作った物語なんだから」などと
厭味の一言も言いそうである。

しかし、今でも「大河ドラマ」を見る気にはならない
が、歴史全体の流れを知るのは重要であると思う。
何か出来事、或いは作品に興味を持った時、その歴史
的背景を知っているかどうかは、そのものに対する理
解の深度を左右する。
知っていたほうが、間違いなく興味は増すのである。
知るに越したことはないということだ。
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落書き2

2008年06月28日 | Weblog


「オーストラリア.日本.バーレーン.ウズベキスタン.
カタール」というのが、Wカップ最終予選の組み合わ
せだ。
実質、オーストラリア、日本、ウズベキスタンの争い
か。
それにしても、アジアの4.5枠というのは、恵まれ
すぎだ。
日本が勝ちぬける保証は全くないが、このグループで
二位までに入ればいいわけだから。
実力的には、アジア全体で3でも多いくらいではない
か。
ユーロ2008の影響で、こんなことも考える今日こ
の頃である。

ところで、あの「落書き問題」だが、大学側の態度に
対して不満に思っている人が多いようだ。
処分が軽いとか、どこか他人事であるとか、発表まで
の時間がかかりすぎだとか。
今は、問題があったときの対応を間違えると、以前で
は考えられない総攻撃を受ける。
ネットの時代の恐さということになるのだろうが(こ
のブログも自ずからその一部となる)、暴走すると
魔女裁判のようになるし、正義の旗の下で徹底糾弾さ
れる事態というのも冷静に判断する必要がある。

今回のような出来事は、たまたま犯人がはっきりして
いて、集中的にやられたわけだが、同じようなことを
している人間は他にも一杯いる。
にも拘らず、「岐阜女子短大」だけが攻撃を受けるの
は、当事者にとっては納得できないかもしれない。
これは、駐車違反のおばさんが、同じように駐車違反
している人間がいるのに自分だけ取り締まられたとき
に感じる納得できない気持ちをもつのと、状況的には
近いかもしれないが、違反は違反なのである。
見せしめ的になるが、違反を違反として処分しないと、
ただでさえ倫理的規範が見えない今の時代、このくら
い大騒ぎしないと実質的な効果が得られないという側
面がある(下手をすると、総監視社会ということにも
なるが)。

そうやって考えると、ネットが今は、嘗ての「地域コミュ
ニティー」の機能を果たしているとも言える。
行動規範を教え、様々な抑制機能を持ち、時に、誹謗
中傷の場となる。
良い面悪い面、どちらも同じように持っている。
ただ、ネットの場合は、小さな悪意が制御不能の大き
さに拡大するという恐さがある。
しかしこれも、規模は違うが、地域の小さな世界でも
起こりうることだ。
後ろからばっさりということはないが、常に顔をあわ
せこそこそやられるのもそれはそれできついものであ
る。
噂だけであれば、むしろ地域社会の方が多いかもしれ
ない。
違いは、その拡大のスピードと規模だけという気もす
る。
結局、人間が集まればどこでも同じような社会現象が
起こりうるということなのか。
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蝶と蛾

2008年06月27日 | 生き物 自然


ユーロ2008、「ロシア対スペイン」はスペインの快
勝であった。
この試合だけ見れば、スペイン強しだが、相手によって
ころっと試合振りが変わるのがサッカーなので、このま
まスペイン優勝か、と簡単にはならないだろう。
それにしても、「シャビ」の一点目はビューティフル
ゴールであった。
ゴール前でもたもたやってたら点は入れられないよ、と
日本代表に言ってやりたいようなお手本的なものだった
が、技術的に日本ではまだ無理かと思ったりもする。
しかし、あの思い切りの良さはお手本にすべきだろう。
早朝試合も後一つ。
いよいよ、こちらの体力も持つかどうかという胸突き
八丁を迎えた。

そんな体力を維持するために、頻繁に山散歩もするわ
けだ。
この前行ったところは、近くの湖(蓼の海という)だっ
たが、ここは人造湖で、今はブラックバスなどを放流
していて、釣り客が来る湖となっている。
まず、基本的に(釣りに全く興味がないということも
あるが)、ブラックバスなどの外来魚はいなくなって
ほしいと思っている。
そして、これが一番の問題だと思うのだが、ブラックバ
スなどが増えると、水の中の生態系が崩れる。
本来いたものがいなくなってしまうのだ。
ここも、山の中の湖というのに、トンボの数があまり
に少ない。
水草が少ないというのもあるが、自然度があまりに低
いので、いつまでたっても人造湖という顔のままであ
る。
行楽客を呼びたいといっても、別にここは業者がいる
わけでもないから、経済的にどうのということを考え
る必要はない。
飽くまでも、バス釣り人間のためのサービスなのであ
る。
そんなことより、ビオトープ的な湖にしたほうが、遥
かに価値が高いと思う。
環境的には、条件が揃っている。
子供用の体験学習施設もあるのだから、そんなレジャー
のための湖ではなく、より自然に近い湖にして、本来
の姿に近い湖を体験させるという方が意味があるので
はないか。
と、バス釣り親父共を見ているとついつい思ってしま
うのである。

それにしても、本日の林間コースは蛾が多い。
調度そういうタイミングだったのか。
それとも、森が鬱蒼としすぎて蛾の生育環境に適して
きたのか。
蛾50に対して蝶1くらいの割合だ。
歩くそばから、10匹ほどの蛾が舞い上がる。
これが蝶だと嬉しいのだが。
完全に蛾に対する差別であるが、蛾も自然の一部と思
えば納得である。
蛾もいない森であったらと想像すると、蛾でも森の賑
わいなのである。
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落書き

2008年06月26日 | Weblog


いつものように書こうとしたら、「メインテナンスの
ため」ということで使えない状態になっていた。
所謂、出鼻をくじかれるという状況だ。
一応、何を書くかをある程度決めておくのがいつもの
やりかたなので、パソコンの画面を見ながら暫く呆然
とするという事態は回避されているのが、今回のよう
なことは想定外だった。

で、仕切りなおしとなったわけだが、書こうとしたこ
とを思い出した。
馬鹿な女子大生の「落書き事件」だった。
「岐阜女子短大」(こんなことでもなければ注目され
なかったから、知名度向上には繋がった、マイナスイ
メージのという注釈は付くが)の六人組が、フィレン
ツェの世界遺産でもある聖堂に落書きしたという事件
なのだが、この女子大生の馬鹿さ加減を表わしている
のが、学校の名前と、多分、自分達の名前も書いたの
だろう、その証拠をきっちり残したという間抜けぶり
の事実だ。
何も判らない小学生ならまだしも、一応短大とは言え
大学生のすることか、と多くの人は思ったことだろう。
幼稚化が進んでいる今の大学生なら、考えられないこ
ともないのだが、落書きはしても普通はここまで証拠
は残さないだろう。
その点は、ある意味悪質ではなく、あまりに幼稚で良
かったのかもしれない。
直ぐに犯人が見つかったのだから。
しかし、日本人の恥さらしめ、という視線を浴びるこ
とになった女子大生は、事の重大さに今頃慄いている
ことだろう。
地元では、間違いなく特定されているはずだから。
しかも、インターネットの時代だから、あとは推して
知るべしである。

それにしても、建築関係を専攻している女子大生とい
う事実は驚きである。
何を勉強しているか知らないが、どうせ物見遊山のフィ
レンツェ旅行なのだろう。
と、85パーセントの人間が思ったのではないか。
こういうことがあれば、そう思われても仕方ない。
一番悔しい思いをしているのは、同じ学校のまともな
生徒(但し、いればの話)。

自分自身の学生時代を思い返すと、馬鹿な生徒であっ
たとは思うが、外国の、しかも世界遺産となれば絶対
そんなことはしなかったと思う。
騒いで、周りに迷惑をかけるなんてことは平気でした
かもしれないが、というか、した。
いずれにしろ、大学の名前はこれでぐっと下がった。
修復費用を払うと申し出たらしいが、それは断られた
ということだ。
ならば、寄付という形でそれ相応以上のことはするべ
きだと思う。
ついでに、現地で、その学生達に奉仕活動をさせるの
も良いのではないか。
なんだか、馬鹿な子供の尻拭いをする親という態であ
る。


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アニス酒

2008年06月24日 | 食べ物


スノッブなM氏が、「RICARD」のピッチャーを
見て、「何これ」という顔をしていたので、これこれ
こういうわけで貰ったものだと説明した。
しかし、どうやらこの「RICARD」そのものを知
らないようなので「PERNOD」から説明した。

「ペルノ」は、嘗ては、フランス料理などで何とかのペ
ルノ風味とか良く登場し、何か判らないが、風味付け
で使う酒なのだろうという認識は得ていた。
M氏もそうだが、当時は誰もがその程度の認識だった
のだ。
後は、せいぜい「アブサン」というお酒の代替品である
ということぐらいだ、それに関する知識は。
しかも、多くの人は(自分を含め)、お酒の種類の名
前だと思っていた。
その後、お酒の種類ではなく、「ペルノ」というのは
メーカーの名前で(創業者の名前)、お酒も「ペルノ」
と名づけていることが判った。
要するに、これはキャタピラー社の「キャタピラー」と
同じで商品名だったのだ。
お酒の種類で言えば薬草酒(ニガヨモギの代わりにス
ターアニスを使った)。

というところまでは判っていたが、M氏はずっと前の
ままの認識で、「ペルノ」そのものの意味を判ってい
なかった。
だから、リカール」など知るよしもなかったのだ。
そこで、「リカール」というのは同じアニス酒で、違う
メーカーの名前であるということを教えたのだった。
となると、「パスティス」はどうなんだということに
なるが、そこは知ったかぶりして、アニス酒を水で割っ
たものが「パスティス」であると説明した。

で、ちょっと気になり調べてみたら、何だか違うこと
になっていたのだ。
まず「ペルノ」と「リカール」だが、元々は違うメーカー
であったのだが、今は合併して「PERNOD-RICARD」
というモエ-ヘネシーグループにも迫るくらいの大きな
会社になっていた。
しかし、お酒は昔のままの名前で出しているのだ。
これじゃあ、フランス人でもない日本人としては混乱す
るわけだ。
そしてもっと大きな勘違いは「パスティス」に対する
もの。
「アブサン」の代替品として生まれたものが「パスティス」
であるというのはいいとして、そもそも「リカール」が
作ったお酒が「パスティス」だったのだ。
てっきり水で割ったカクテルの名前だと思っていたが、
どうやら「リカール」で出している「アニス酒」が「パス
ティス」であるということなのだ。
厳密には「ペルノ」は「ペルノ」で、これを使って水で
割って白濁しても「パスティス」とは呼ばない。
しかし、厳密に言えばという話で、実際には「パスティ
ス」と呼んでいるらしい。
実に紛らわしい。

というのが真相のようだが、ここまで来るとどっちでも
良いという気分になる。
調べて判っても、何だか達成感のない今回の謎であった。

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ユーロ2008

2008年06月23日 | サッカー


流石に、今日の早朝の「スペイン対イタリア」を見る
元気はなかった。
確認してみると、PK戦でスペインの勝利ということ
だ。
これで、スペイン、トルコ、ロシア、ドイツという顔
ぶれになったが、今一つ華がないと思うのは、トルコ
とロシアがいるからに他ならない(特にトルコか)。
これは、イメージの問題だし、差別にも通じることで
はあるが(特にトルコに)、実際、それぞれのチーム
に所謂スター選手がいないので、そういう印象が強く
なるようだ。
しかし、トルコは全く知らないので何とも言えないが、
ロシアは実際のところ良いチームである。
躍動感のあるサッカーをしていて、対オランダ戦でも、
最後に二点も入れるとは思わなかったが、充分勝てる
のでは、と試合中から思わせる内容だった。
それにしても思うのは、監督の手腕である。

またしても「ヒディング」である。
韓国、オーストラリアと結果を出し、今回はロシア。
全てにおいて成功している。
一体、何が違うのだろうか。
翻って岡ちゃん。
昨日のバーレーン戦、最後の最後に相手キーパーのミ
スから一点入って勝ったのだが、この場合、勝てて良
かったと素直に喜ぶべきか。
ユーロの試合を見ているから、どうしても日本のしょ
ぼさに目がいってしまって、なかなか素直に喜べない
現実がある。
この相手にこの程度で良いのかと。
やはり、アジアは、サッカー三流の地なのか。
これは、ヨーロッパの記者の言葉だが、二流か三流か
は分からないが、一流でないことだけは間違いない。

この前、サッカー少年Y改めゲロゲロ少年Yとも話した
のだが、変にヨーロッパのサッカーを見てしまうと、
日本のサッカーの駄目さばかりに目がいってかえって
良くないのではないかと。
確かに、パススピード、トラップ、シュートの正確さ
威力、運動量、全てが見劣りする。
そういう高いレベルと比較して、日本を相対化して、そ
れが日本のレベルアップに繋がればそれはそれで結構
なのだが。
少なくとも、監督はそういう視点を持っているべきだ
が、それ以前に結果だけ求められるという現実があり、
岡ちゃんもそれ優先であるように見える。
その先を見据えているんだろうが、果たしてどうなる
ことやら。

写真は、例の「ハッチョウトンボ」のほぼ原寸大。
この大きさでトンボなんだから。
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イトトンボ

2008年06月22日 | 生き物 自然


昨日の続き。

「ハッチョウトンボ」の池周辺は、駐車場も整備され、
受け入れ態勢は万全だ。
しかし、そこに至る道が狭く、どうせならもっと離れ
たところに駐車場を用意し、後は歩くようにすれば良
いのにと思う。
しかし、そうなったらそうなったで、今度は、お手軽
に来れなくなるということで絶対数が減るということ
になるのだろう。
しかし、商売でやっているわけではなく有志の活動だ
から、そのくらいの歩きで来ないようなら来なくてよ
い、という態度でいいと思う。
あまりにお手軽すぎるのは考え物だ。

さて、整備された木道を歩いて、池および湿原地帯を
ぐるっと回る。
「ハッチョウトンボ」の生息する環境は、その湿原と
言われるくらいの湿地帯と池の中間くらいのところだ。
だから、適した環境も少なくなり数を減らしているわ
けだ。
まだ、時期的には早く、あまり数は多くないが、良く
目を凝らすとぽつぽつと見つかる。
もう見慣れたから驚くことはないが、初めてだと、兎
に角その大きさというか小ささにびっくりする。
これは、写真で見ても実感が湧かない。
小さいと聞くと、どうしても「イトトンボ」のような
ああいうトンボをイメージしてしまうが、はじめて見
た時は、これは本当にトンボか、という印象を受けた。
トンボというより虻だった。
実物を見ない限り、この辺の感覚は分からない。

対象が小さいから、なかなか焦点が合わない。
以前撮ったのは、全てぼけてたが、今回はその辺は大
丈夫だろう(と思っていたが、結果的には半分駄目だっ
た)。
「ハッチョウトンボ」は無事に終え、何か他のはとじっ
くり水草を覗けば、いるはいるは「イトトンボ」が。
何せ細いので、ぱっと見では殆どその存在は判らない。
しかし、数では「ハッチョウトンボ」を圧倒している。
この「イトトンボ」というのも曲者で、何となくどれ
も同じだと思われているが、実は、30種類以上いる。
一見同じものの差異を楽しむというのがマニア心とす
るならば、「イトトンボ」は立派なマニア向けのアイ
テムであると言える。
少なくとも、今回5種類の「イトトンボ」を確認した。
撮ろうとするが、このトンボは「ハッチョウトンボ」以
上にピントを合わせるのが難しい。
兎に角、細い。
しかし、良く見るときれいなトンボである。
まずい、最近トンボにも関心が向きだした。

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ハッチョウトンボ

2008年06月21日 | 生き物 自然


「RICARD」を貰って、気分良く店を後にして、
今度はトンボでも見に行くかという気になり、初めて
のところに向かった。
世界で一番小さいと言われている「ハッチョウトンボ」
を見るためなのだが、同じく近くの「駒ヶ根」の保護
地域は何回か行ったことがあるので、今回は初めての
山の中の発生地に行ってみたかったのだ。
「駒ヶ根」は、「中央高速」脇という平地なのだが、
今回向かったところは、完全に山間のしかもどん詰ま
りの所である。

先に行くほどに道も狭くなってきて、風景は山村その
ものだ。
多分、昔から殆ど変わってないのではと思われる正し
い山村風景。
どん詰まりの地形というのは、他と比べると変化の度
合いが違うようだ。
いろんなものの保存性が良い。
ここの「ハッチョウトンボ」の発生地は、確かこの数
年に発見され整備されたはずだ。
案内の標識もあり、それに従って進んでいく。
いよいよ道は狭くなり、しかも曲がりくねったものが
いくつかあり、最後の最後でどっちの方向か判らなく
なった。
標識によれば、後数百メートル。

そこは五叉路で、候補は二つ。
標識はあるのだが、その二つの両方ともに受け取られ
るような標識の位置なのだ。
取りあえず、両方の道を行ってみる。
ところが、一つは行き止まりで、もう一つはそれらし
きものが見えない。
調度川が流れていたので、その周辺で何かいるかと車
を降り探索してみる。
「シオヤトンボ」(シオカラトンボに似ているが微妙
に違う)が盛んに飛んでいる。
「カワトンボ」(ニホンカワトンボか)もいたので、
それを撮ろうと草むらをかき分ける。
敏感な固体で、近付くと直ぐ飛んでしまう。
18倍ズームの出番だ
よし、何とか撮れた。
いや、目的は「ハッチョウトンボ」であった。

同じ道をもう一回行って戻ると、たまたま近くの家の
(殆どないのだが)人が出てきたので聞くことにした。
おじさんは、この辺一体がトンボの地域であると言う。
確かに、この環境であればいろんなトンボがいそうで
あるが、聞きたいのは「ハッチョウトンボ」。
それで、池はどこにあるのかと聞くと、「ああ、あれ
は栄養失調みたいなもんだよ」、と、あまりに身も蓋
もないような返事。
どうやら、おじさんにとっては「ハッチョウトンボ」な
んてどうでもいいようだ。
盛んに、この辺は「オニヤンマ」が良く通ってと力説
する。
おじさんにとっては、栄養失調のような「ハッチョウトン
ボ」よりは、大きくて立派な「オニヤンマ」の方が価
値が高いし、こちらもそういう情報の方が喜ぶのでは、
と思っているようだ。
あまり、希少生物とかそういう視点では捉えていない。
飽くまでも自分の基準だ。
しかし、親切に場所は説明してくれたので、お礼を言っ
てその池に向かった。
どうやら、もう少し行けばそこに到達できたようなのだ。
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RICARD

2008年06月20日 | 食べ物


「イモリ」の後は、足を伸ばして元フランス料理屋の
中ちゃんの店に行った。
去年の9月以来だろうか。
案の定「随分久しぶり」などと言われる。
元フランス料理屋で、暫くはカフェだけで営業するな
どと当初は言っていたのだが、結局、所謂「オーガニック
カフェアンドレストラン」といった形態で営業してい
る。
メニューには肉は一切ない。
その代わりにグルテンを使う。
盛んにそれを使った「かつ」を勧めていたが、すでに
野菜カレーを食べた後なので、次回にということで話
は進めた。

オーガニックレストランとしてなら、それはそれで客
はいると思うが、現時点では、今ひとつ浸透してない
ようだ。
それと、もう少しお洒落な雰囲気もほしい。
洗練されたセンスが元々中ちゃんには欠けているので、
ここが惜しいところだ。
味は、オーガニック系にありがちな(そんなに食べた
ことは無いが多分という推測で)、素材だけで、味付
けが全く弱いという料理ではないので(フランス料理
が生きている)、もう少し他のセンスが伴えばといつ
も思っているのだ。
例えば、鉢植えの花を飾るのはいいが、その鉢そのも
のが、民芸調あり、普通の素焼きありと全く統一感が
なく、とりあえず何でも飾りましたの世界なのだ。
スナックだか、喫茶店だか、洋食屋だか判らないよう
な店が、特に郊外のファミリーレストランなんかがあ
るようなところにひっそりと佇んでいるが、そんな店
と共通する雰囲気がある。
ちょっと勿体ない。

その統一感のない鉢植えを何気無しに見ると、一つだ
け見慣れないものがあった。
過去には、ここで見たことはない。
それは「RICARD」のピッチャーだった。
アニス酒で有名な「RICARD」だ。
陶器製のこのピッチャーは、確かに花を生けるにもちょ
うどであるが、カフェアイテム或いはフレンチ雑貨と
して人気あるものなのだ。
お洒落なカフェなどで、飾りに使ったりするアイテム
である。
ところが、残念なことに、ここではその他大勢の中で
完全に埋没していた。
勿体ないので、買うから譲ってくれないかと言った。
すると、どうせ貰いもんだからあげますよ、と言うで
はないか。
元々が販促品なので、普通に市販されているものでは
ないが、どうやら、知り合いの他のフランス料理屋が
閉店するとき(東京の有名店)譲り受けたらしいのだ。
他にも一杯あるようなことを言っていた。
それって「お宝の山」ではないか。

というわけで、「RICARD」のピッチャーを一つ貰っ
てきたが、折角色々あるんだったら、今度中ちゃんに
それらを生かすように言わないといけない。
ただ、中ちゃんも何だか知らないが、変に自分のセン
スに自信を持っているから、中々他人のいうことを聞
かない。
ここが一番の問題である。
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イモリ

2008年06月19日 | 生き物 自然


どうも、足の付け根に筋肉痛があるのでおかしいと思っ
ていたが、何のことはない、この間やったソフトの試
合のせいだった。
なかなか抜けないのは、今となってはしょうがない。
大した運動をしてないのだが、確実に筋肉痛は襲って
くる。
今回はショートを守ったのだが、捕球までは完璧だっ
たが、その後の送球が。
全て揃うことは、もう望むべくもないことだ。
因みに打つ方は、ショートゴロ、サードぼてぼてゴロ、
サードライナー(サードがポロ)とヒットは一本もなし。
しょぼすぎである。

そんなソフトの名残をほぐそうかと思い、ちょっと山
の方に。
それに、梅雨の時期にしては、あまりに天気が良すぎ
る。
「もう夏か」という暖かさである。
それで、行ったところはダム湖。
と言っても、有名ではないので、人は滅多にいない。
今回もお昼近くであったが、多分近くのおじさんであ
ろう、「シーズー」の散歩をかねて一人来ただけであ
る。
こちらからは「ホオジロ」、対岸からは「ホトトギス」、
その鳴き声が水面に響くだけの静かな場所である。
周辺を散策していると(本当は、垂直に100メートル
以上、殆ど梯子上の階段を登って頂上に行って足がへ
ろへろだったが)、ダムの脇の側溝に「おたまじゃく
し」が一杯いるところを見つけた。
側溝そのものは、水が流れてなく、僅か3メートルほ
どの水がたまっている部分にその「おたまじゃくし」は
いた。
結構な数である。
こんな場所だと、雨が降ったらひとたまりもなないので
はないか。

更に眺めていると、突然、底の方が動いた。
何事かと思うと、それは「イモリ」だった。
野生のものを見るのは、下手をすると、中学生以来かも
しれない。
なことはない、この十年の間に、どこかで見たはずだ。
どこかは思い出せないが、その時も「下手をすると、中
学生以来かもしれない」などと思ったそのことは覚えて
いる。
まあ、どちらにしろ滅多にあるわけではない「イモリ」
との邂逅だ。

底をのしのし歩くと、「おたまじゃくし」があわててよ
ける姿が微笑ましい(イモリが食べられる大きさを超え
た大きさだ)。
そして、突然水面に、まるで「おたまじゃくし」を口で
がばっと飲み込むような勢いで顔を突き出し、その迫
力ある動きでこれまた「おたまじゃくし」はおののく。
単に、呼吸するために水面に顔を出したに過ぎないのだ
が。
兎に角、その姿と実際やることのギャップが面白い。
「イグアナ」にも共通する微笑ましさか。
しかし、こんなところで生きていけるのだろうか。
そもそも、この側溝にはどうやって辿り着いたのか。
ダム湖は、遥か下方。
近くに、池はないし、考えれば考えるほど不思議であ
るが、兎に角、生き延びてほしいものである。
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帰化作戦

2008年06月17日 | サッカー


さて、そんなゲロゲロ少年Yは、流石に反省、猛省し、
カフェに改めてお詫びに行ってきた。
一応商品券も持って行ったらしい。
普通の感覚だと、絶対に顔を出すことは出来ないのだが、
こういうところは律儀というか、根は真面目なのでま
ともにやる。
盛んに「和解」してきましたよ言うので、この場合は
別に反目しているわけでもなく、一方的に大迷惑をか
けたのだから、単にお詫びだろう、と訂正したのは言
うまでもない。
余計なことはいろいろ知っているのだが、どうも基本
的なものが欠けているのがYである。

今回ももう一つ変なことを言っていた。
話の中で「ギヨウマツヨウ」なことはどうでもいいじゃ
ないですかと言った。
一瞬、何を言ってるのかと思い、文脈から多分「枝葉
末節」を言いたいのかと理解した。
当然、訂正だ。
どうやら彼の中では、「枝葉末葉」となっていたよう
だ。
しかも「枝葉」を「ギヨウ」と発音と、二重の間違い
までしていたわけだ。
おいおいこんなの間違えるか、といったレベルに思え
るのだが、世の中で「枝葉」を「ギヨウ」と発音する
人は思っているより多いのだろうか。
良く分からない。

そんな国語の時間の後は、「日本代表」について。

「どうよ、岡ちゃんは」(私)
「駄目でしょ」(Y)
「何か、方向が見えないよね」(私)
「タイ程度の相手だったらあれで充分とも言えますけ
どね、その上を目指すなら話にならないでしょ」(Y)
「連動性もないしね」(私)
「ショートパスばかりで、しかも、それが自己目的化
してるんですよ」(Y)
「接近何とかとか言っていたけど、あれも核となる大
型FWがいて初めて成り立つことだよね」(私)
「イブラヒモビッチがほしいです」(Y)
「まあ、日本からそういうFWが出るのは現実的では
ないから、根本的に戦術を変えないと、ということじゃ
ないの」(私)
「秘策がありますよ」(Y)
「何?」(私)
「ブラジル帰化作戦ですよ」(Y)
「前、言っていたやつだね」(私)
「日本人の血だけでは、限界がありますからね、世界の
流れは交配ですよ、やはり肉体的な改造は交配からじゃ
ないですか」(Y)
「何だか、遺伝子組み換え的な世界に近くなってくる
ね、しかし、犬なんかでも肉体的に強いのは雑種だし、
生物学的にもいろんな血が混じるのはいいことだよね」(私)
「まずは、日系ブラジル人の帰化から」(Y)
「そうなると、日本代表が全員ブラジル系なんてこと
になるかもね」(私)
「それはそれでいいじゃないですか、強い方が好きで
しょ」(Y)
「確かに、民族主義的反感が予想されるけど、それ以
上に強ければ問題なしだ、それに民族主義というもの
が如何に仮の線引きで成立ってるかということも分か
るし、ここはやはり帰化作戦だね」(私)
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テリブルな一日

2008年06月16日 | Weblog


「本日の内容、食事前食事中要注意」

映画少年Yがやらかした、テリブルな話。
松本のカフェに行ったYは、いつものようにテラスで、
午後のひと時をゆったりしようと思っていた(多分)。
しかし、シードルでも一杯飲んで、のはずが、本来なら
夜メニューの「ムール貝」が食べられることが分かり、
気分が変わった。
急遽、白ワインにムール貝、ということになった。
しかも、フルボトルで。
しかも、「シャブリ」で。
今時、「シャブリ」というのもない気がするが、その辺
の感覚は、未だ十年以上前なのだ。

元々アルコールは好きなYであるが、実は、カフェの前
に蕎麦屋によって日本酒を二合飲んでいる。
蕎麦屋で日本酒、しかも昼から。
何を粋人を気取っているのか、と思うのだが、本人は
気取っているのである。
その二合の後のフルボトルの「シャブリ」だ。
蕎麦屋から今度はカフェのテラス。
気分は「池波正太郎」から「コクトー」だ。
本人はパリにでもいるつもりになって、調子付いてムール
貝を肴にシャブリである。
これだけで、阿呆かと思うが、その気になったYは益々
調子付く。
多分、ペースも速かったのだろう、予想通り具合が悪く
なった。
そこで、トイレに駆け込む。
ここまでだったら、阿呆かで済むが、問題はその後だ。

トイレのドアを開けると洗面台があり、もう一つのドア
を開けて便器というのは一般的だ。
カフェのトイレもそういう造りである。
気持ち悪いわけだから便器にやれば良いのだが、このY
は何を思ったか、そのドア一つ向こうに行けず、洗面台
でゲロゲロしてしまった。
洗面台の配水管は狭い。
つまり、詰まりやすい。
当然そういうことになった。
内容物は、蕎麦とムール貝。
あまりに、正統派な内容物。
想像しただけで...。
それよりたまらないのは、それを何とかしないといけ
ない店の人。
昼間っから、何を好き好んで、詰まった配水管を掃除
しないといけないのか、しかも原因が原因。
最悪とはこういうことではないだろうか。
多分、店の人の記憶からこの日の出来事が消えること
はないだろう。
トラウマにならなければいいが。
Y本人も情けなさで一杯だが、一番のショックを受け
たのは店の人だろう。

ということで、これからは映画少年Y或いはサッカー
少年Yではなく、ゲロゲロ少年Yと名前を変えること
にした。
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サッカーとカフカ

2008年06月15日 | 芸術


ということで、3-0でタイに勝った日本代表は、最
終予選進出を決めたわけだが、どうなんだろう。
セットプレー以外で点を入れそうな気配がない今の日
本代表を見ていると、今ひとつ、これ以上良くなると
いう可能性を感じないのだ。
待ってパスを受けるシーンばかりが目立ち、印象とし
ては兎に角動かない。
ダイナミックな動きは全く見えないのではないか。
唯一、中村憲剛の得点の時がそれらしいシーンだった。
オシムが気に入って使った選手というのが、ちょっと
皮肉である。
タイくらいの相手なら、このままでいいだろうが、こ
の先を考えるとまずいのではないかと、昨日の試合を
見ながら思った。
U23は、初期に比べると大分進歩し、全体が兎に角
連動している。
チームとしての良い方向というものを感じることが出
来るが、果たして岡ちゃんに、確固たる方向性と、そ
れを実現させる方法論があるのかが問題だ。
ジーコの二の舞になるのだけは勘弁して。

さて、カフカの「アメリカ」だが、どうやら興味の方
が上回ったらしく、読み返している状態だ。
角川文庫の本で、表紙は池田満寿夫の「エッチング」の
ようである。
多分初期から中期という時期のものだと思うが、この
辺りの作品は割りに好きなものが多い。
この表紙も、中々良い。
「エッチング」で有名なのは、今は「山本容子」あた
りだと思うが、例えば本の表紙としては彼女のものの
ほうが合うというか、実際多くあるのではないか。
トルーマン.カポーティの何かの本がふっと浮かんだ
り(見かけただけで読んだことはない)、と彼女の作
品は本屋でよく見かけるというイメージである。
しかし、カフカに合うとは思わない。
今回の池田満寿夫の作品は、彼女の作品にぐっと芸術
性を加味したという感じで、カフカにも合っている。
と、久しぶりに手に取ったらそう感じた。
印刷を確認すると、15年ほど前のものだ。
もっと、昔の話かと思っていたが、それほどでもなかっ
たわけだ。

ストローブ=ユイレの映像と比較しながら読み返すの
も、なかなか興味深い。
改めて映画のほうは、原作と違うところがあるのは当
然として、原作の世界が自然に映像になって表現され
ていると、素直に感じられるものである。
ありがちな、類型的な迷宮の世界になっていないのは
流石である。
しかし、原作は原作である。
文字から喚起されるイメージは限定されるののではな
い。
映画を観て、初めてカフカのこの小説を読んだとした
ら、ストローブ=ユイレの映像が強くて、自由に読め
ない可能性がある。
それは、ストロ-ブ=ユイレ、カフカ両者にとって本望
ではないだろう。
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イタリア対ルーマニア

2008年06月14日 | サッカー


今日のユーロ2008「イタリア対ルーマニア」は、夜
中の一時頃だったので見る気満々で見始めたが、その
後の「フランス対オランダ」まで見てしまうというの
は想定外だった。
尤も、後の試合は、殆ど夢うつつであったが。

「イタリア対ルーマニア」は、結果1-1というドロー。
しかし、目の離せない展開で、思わず力が入るシーン
も多く、寝ながらであったが体力を使ってしまった。
それにしてもイタリアは勝てない。
伝統の守備にほころびが見える。
キーパーの「ブッフォン」は相変わらずの安定だが、ディ
フェンダーの安定度が問題だ。
イタリアイケメン軍団代表の「ネスタ」や、ビスコンティ
の映画の主役の幼馴染役的「マルディーニ」と、常連の役
者がいなくなって、ちょうど世代交代の時期を迎えたの
かもしれない。
そういえば、悪役「マテラッティ」も今一のようだし、
ブレッソンの「湖のランスロ」の王を裏切る「モルドバ
ン」(見ているときに思っていたのだが、この映画知ら
れてないから肯く人もいない)似「ガットゥーゾ」も衰
えたようだしと、いい役悪役どちらも足らないのが今の
イタリアである。

ポストプレー「トニ」を中心に、ゴール前ではかなりの
チャンスがあることはあったが、フィニッシュが決まら
ない。
逆にルーマニは、素早いカウンターでチャンスをつかむ。
こっちは、70年代主役顔の「ムトゥー」中心だ。
嘗て「パルマ」で中田の同僚だったあの「ムトゥー」。
ルーマニアというお国柄か、顔的には古っぽい。
ちょっと農民顔である。
しかし、良いFWだ。
日本にこんなFWがいれば、間違いなく大エースである。
あの「もみ上げ」は、如何なものと思うが、何度も言う
が良いFWである。
今回の得点も「ムトゥー」だったし、顔が古くても決め
るときには決めるのだ。
ただ、勝ち越しとなるはずだったPKは「ブッフォン」
に止められてしまった。
相当落ち込んでいたが、あれが決まっていれば予選突
破であったなどということになれば、もう一度落ち込
むことになるかもしれない、PK失敗だった。
次の試合が、絶好調の「オランダ」相手だから、なの
だが、ここが微妙なところだ。

オランダはフランス相手にまたまた快勝で、早々に一
位勝ち抜けを決めた。
となると、ルーマニア戦は決勝リーグ用の調整試合の
ような位置付けであるとも言える。
少なくとも必死でやる必要はなくなった。
こうなると、100パーセント総力戦の「フランス対
イタリア」のような状況ではなく、普通に考えればルー
マニア有利、ということになる。
しかし、終わってみないと分からないのがこの手の世
界の常識。
まあ、気楽に見られるし、楽しみは楽しみというとこ
ろである。
ところで、気楽に見られない「日本対タイ」戦の方は、
大丈夫なのか?
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