ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

選挙

2009年08月31日 | Weblog


比例代表は康夫ちゃんの党に入れようと思ったが、間
違えて「国民新党」に入れてしまった(まあそれもよ
しだが)。
それにしても、自民党の負けっぷりというか、民主党
の勢いは凄かった。
戦前の300以上というのは、殆どの人は半信半疑ではな
かっただろうか。
その通りになる時はなるんだね。
しかし、本当に大変なのはこれからだ。
小泉旋風と違い、幻想はそんなにもってないと思うが
(より厳しく見ているのでは)、だからこそ民主党は
実績を残さなくてはならない。
もし自民党と同じように、お手盛り政治をしたら即次
回は落とされる。
これも、駄目なら落とすという民主主義のダイナミズ
ムが機能してのことならば、結構なことだ。
これからは、マニフェストが初めて本当の意味を持つ
こととなる。
何もしなくても当選してたのが今までなのだから。

今回残念なのは、駄目総理の代表格の(ナショナリスト
なのだが実は特定の業界団体の利益しか考えない人)、
森、安陪の二人が当選したことだ。
自民党の悪い部分を象徴している人たちが中枢にいる
としたら、自民党はこの先も見込みはない(もし彼ら
を一掃したら、大いに評価する)。

後、今回の選挙特番で気になったのは、相変わらずゲス
トに東国原知事を呼んでいること。
もう完全に過去の人だろう。
今更彼の意見などを聞きたい人はいないのではないだろ
うか。
それに、ここぞとばかりジャーナリストを気取るテレビ
関係者にもうんざりする。
民主党嫌いの御用評論家の三宅...も出ていたが、こ
れもいらない代表格だ。
違う局には、竹中平蔵も出ていた。
どうもこの人の評価は定まらない。
悪の元凶のように言われているが、超リアリストなだけ
という気もする。
問題は、金はあってもその先に希望も見えないというそ
の浪漫(文化)のなさか。



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燻製

2009年08月30日 | 食べ物


唇の内側を噛んだと思ったら、今度は舌を噛んでしまっ
た。
結果、口内二箇所の傷を抱える今日この頃である。
骨格が、微妙にずれてしまったのだろうか。

この前「デリカテッセン.マルク」で買ってきた鶏の
胸肉の燻製は、余計な味付け(旨味調味料など)がな
く薫煙の香りのみのワイルドな味付けだが、本来の燻
製の味がしてなかなかいける。
一般的に、市販の燻製製品はどれも同じような味で、
あまりに画一的で不自然な味に思える。
旨味調味料に、甘味も足してマイルドにしてあるのは
万人に受けるためのものだと思うが、個性がないので
何を食べても大差がないし、どこかジャンクの臭いが
する。
燻製なのだから、煙臭くて当たり前だ。
焚き火をしたときに服に移る臭いと同じで当たり前な
のだが、多分そういう臭いは嫌われるのだろう。
手作りを売りにしているようなメーカーのものも、恐
ろしく同じような味だ。
桜のチップを使ったところで、味の調整をすれば結局
同じような無難な味に落ち着くので意味がないのでは、
とどうしても思える。

で、マルクの燻製だが、こういうのを食べる時には普
通の食パンが合わないことに気付いた。
普通の食パンに合うのは、これまた普通にスーパーな
どに売っている燻製製品(ハムやソーセージなど)。
よくしたもので、普通のハムには普通の食パンが合う
ようになっているのだ(合うからといって食べたいと
は思わないが)。
素材そのものの味で勝負のものは、これまた素材の味
が生きているバゲットなどでないと合わない。
と、今回この燻製を食べて感じた。
勿論、バゲットは絶対条件として美味いものでないと
いけない。
クリームチーズを伸ばし塗って、この燻製をはさめば
美味しいバゲットサンドが完成する(多分)。
但し、決してマヨネーズは塗ってはいけない。
マヨネーズを塗ると、一気に安っぽい味となってしま
うし、素材を生かす味とならないので、原則バゲット
にはマヨネーズはいらない。


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小津映画.浮き草

2009年08月29日 | 映画


BS2で小津の「浮き草」をやっていたので見る。
見始めたのは、すでに始まってから30分は過ぎた頃。
しかし、結局最後まで見ることになった。
すでに見たものだが、小津映画は大体いつもこのパター
ンで、テレビでやってるとついつい見ることとなる。
細かいところはまず覚えてないので、その都度新鮮で
あるというのは、単に忘れるほど印象に薄いというこ
とではなく、小津映画が物語の筋だけに依存してはい
ないということによる結果なのである。
見たときの感受性というのは常に違うので、その都度
引き付けられる部分が変わる。
結果、常に新鮮であるということになるのだ。
それだけ映画の強度を備えたのが、小津映画というこ
とになる。

日常のつまらないことを描いた映画のどこが面白いの
か、というのは小津映画が面白くないと感じる人たち
の言い分だが、確かに大した展開はないし感動する話
でもないし筋だけ見たら面白くないというのは事実だ。
ここで、そういう部分にこそ真実がある、などという
のも陳腐。
いずれにしろ、物語にのみ面白さを見つけようとする
見方では小津映画は永遠に面白くないということだけ
ははっきりしている。

純文学的な映画という言い方をすれば、小津映画なん
かはその代表といえるかもしれない。
それは、娯楽作に対しての藝術映画というような言い
方と同じだ。
しかしこれは分かりやすく分類するための方便で、元
々ジャンル分けされているわけではない。
小津映画はどこまで入っても小津映画なのである。
そこには小津ならではの個性、様式がある。
題材は日常的なのだが、表現様式は日常的ではない。
よく言われる会話シーン。
平面的にさえ見える、正面からのそれぞれのショット
を繋いでいく方式、会話している二人の表情を同時に
映さないこの映像は、決して日常的なシーンではない。
はたまた、場面が変わるときに挿入される、唐突な印
象を伴う、関連性のないオブジェのような風景、或い
は人のいない室内のシーン、これらは手法としては前
衛的とさえ思える。
そのシーンが挿入されることによって、それまでの流
れが一瞬停滞する、或いは浮遊する。
ところがそれがあることによって、それまでのシーン
が異化され違う相貌を持つから不思議である。
これも「小津の魔法使い」たる所以か。

これらの部分によって全体が出来上がっているのが映
画である。
ということは、映画を見るという行為は、それらを体
験する体験の総体である。
と、分かったよう分からないようなはなしになってし
まうが、要するに、小津ワールドは小津ワールドでし
か味わえないということである。
それにしても、昔の若尾文子はきれいだった。


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コンポ

2009年08月28日 | Weblog


ホームセンターで買った、聞いた事もないメーカーの
安ミニコンポは、結局CDプレーヤーが作動せずお釈迦
の模様。
安物買いの銭失いをまた実践してしまった。
ここでT君からもらったアンプと、借り物のCDプレーヤ
ー、そしてこれもT君からの貰い物のスピーカーをつな
ぎ、新たなコンポを組み立てる。
安物のミニコンポは、音はともかくあの小ささが良かっ
たのだが、今回のコンポもそれぞれ小さく、以前ほど
ではないが邪魔にならない程度の大きさで上手く収まっ
た。

それぞれ繋ぎ、いざスイッチオン、何故かちゃんと鳴
るか緊張する一瞬だ。
というのも、繋いだはいいが結構鳴らないケースがあ
るのがこの手のものだから。
実際今回も最初は鳴らず、CDプレーヤー、アンプは作
動しているので、スピーカーの繋ぎ方が逆か?とか、
そのコードを継ぎ足したからそれに問題でも?とかい
ろいろ考えたが、結局アンプのCDからの入力機能に問
題があり、プレーヤーの端子ではなくチューナーの端
子に繋がないと上手く鳴らないことが分かった。
要するに、アンプも一部おかしかったのだ。
しかし、他で使えるからまあ問題ない。
いずれにしろ貰い物なので贅沢は言ってられない。
動けば良いのである。

それで音の方だが、一応それぞれ有名メーカーのもの
なので大分良くなったが(AIWAとかだが自分としては
これで充分)、元々大音量で流すわけではないのでそ
の差が歴然という所までは行かないし、そもそも音は
それほど気にもしていない。
それより大事なのは、耐久性だ。
六ヶ月でおじゃんでは、わざわざゴミを出すために買っ
てるようなものである。
果たして、いつになったら「安物買いの銭失い」がな
くなるであろうか(この先も多分またやるであろう、
残念ながらその予感が消えることはない)。
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松本の底力

2009年08月27日 | Weblog


松本に用があり行く。
昼飯は、何だかんだ言っても「クリヨー.ド.ヴァン」。
時間はちょうど12時台、どうかなと思ったが移転直
後の喧騒はすでになく、ゆったりできた。
しかし、テラスだと、相変わらず目の前の道路の車の
多さと、信号が変わるたびに流れる「通りゃんせ」が
相当気になるというよりかなりうるさい。
食べた後にまったりという雰囲気ではない。
後からテラスには、五人ほどの喧しい中年グループが
入ってきたが、そういうグループでないと、この昼間
のテラス席は存分に使えない。
これも相変わらずだが、「チキンのソテー」を食べて
そそくさと店を出る。

そして「クロツバメシジミ」のいる河原に向かう。
このところ、年に四回は来ているのではないだろうか。
河原を歩くと、至る所に食草の「ツメレンゲ」が顔を
出していて、その範囲も去年より広いように感じる。
「クロツバメシジミ」も数が多く、しかも新鮮な個体
ばかりだ。
タイミング的にもちょうどだったのだろう。
しかしこの場所は、川が増水したら一気に水の下とな
るところ。
一瞬にして無くなる危険性がある。
飽くまでも、元となる土手の「ツメレンゲ」が重要な
のだ。
それにしてもこの「クロツバメシジミ」、対象が小さ
いのと、河原で光の反射がきついのと、腕が悪いのと
でなかなか上手く撮れない。
今回も、今ひとつのできの写真ばかりであった。

土ぼこりをたっぷり浴びて、帰りがけに、最近知った
デリカテッセン(惣菜や)に寄ることにした。
場所が初めてのところで、ちょっと判り辛かったが、
遠回りして無事に到着(実際地元の人も知らないので
はと思わせる場所だ)。
そこは、店構えは控えめで、知らないと何の店だか分
からないような店だった。
目立つ看板類がないのだ。
「デリカテッセン.マルク」というのだが、まるでフ
ランス辺りの田舎町にある、昔からやってる店という
雰囲気である。
店内がこれまた、時代を感じさせる、シンプルでアン
ティークな家具が似合う、良い感じである。
そのままカフェでもビストロにも使えそうだ。
が、東京の世田谷の住宅街に佇む店ではない。
松本のこんなところに、とどうしても思ってしまう。

手作りの、余計なものの入っていない真面目な惣菜、
「キッシュ」が六種類(くらいだったと思う)、各種
ソーセージ、燻蒸液ではなくワイルドな煙りの香りが
する本物の燻製類が並んだ商品ケースはかなり魅力的
である。
それにしても、こういう店がひっそりと存在している
松本、侮れないでげす。



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読書.ビュトール

2009年08月25日 | 芸術


以前買った文庫本、フローベールの「感情教育」は直
ぐに読了となったのだが、一緒に買ったミシェル.ビュ
トールの「心変わり」はまだ終了しない。
因みに長さは、「感情教育」が400ページ二巻で「心変
わり」は450ページほど。
断然短いのだが、速度は三分の一位になっている。
つくづく本というのは長さではないと感じる。

現時点で330ページ目辺りだから、あと100ページで終わ
るのだが、これがなかなか一気には行かない。
全てがパリ発ローマ行きの車中での回想、現在の描写、
そして予想されるこれからの話で、その独白を延々と綴
るという、実に変化のない話で、物語としての面白さは
全くない。
流石、ヌーヴォーロマンである。
だから、時間をかけて読んでも、展開がどうだったか、
或いはこれ誰だっけと覚える必要がないので問題ない
のだが(何せ3人の名前を覚えるだけで充分)、10ペー
ジも読むと眠くなってしまうのだ。
疲れているときに、ミニマルミュージック、例えばスティ
ーヴ.ライヒを聴くと直ぐ眠くなるというのと同じパタ
ーンだ。

考えてみれば、ロブ=グリエの小説も、同じような場面
の繰り返しで眠気を誘う。
基本的にわくわくさせる物語ではないところにその理由
はありそうだが、それこそが魅力といえるから困ったも
のである。
眠くはなるが、詰まらないわけではないのだ。
これでしか体験できない世界があるのだ。
ジョイスの「ユリシーズ」は途中で脱落だったが、「心
変わり」はそうならない。
尤も「ユリシーズ」も一巻は読んだので、「心変わり」
の全部以上は読んだことになる。
「ユリシーズ」も一日だけの話だったし、その変化のな
さは共通している。
ということは「ユリシーズ」の場合、登場人物も多く、
引用が多すぎたのが付いていけなかった理由か、と今
になって思う。
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ラーメン談義

2009年08月24日 | 食べ物


近所のH君は、「諏訪湖マラソン」に備え練習を開始し
たらしい。
体重も減り、流石に走ると絞られますねと満足顔だが、
その後、こってりのとんこつラーメンをニンニクたっ
ぷりで食べているので、結果的に体に良いのか悪いの
かはなんとも言えない。

「ところであそこの...のとんこつラーメンてどう
思います?」(T君)
<...は近くの人気とんこつラーメン店のこと>
「ああ、あそこね、食べたことはあるけど、基本的に
ラーメンてあまり積極的に食べないから、つまりそれ
程のものと思えないというラーメンに対する認識があ
るけど、そんな私の思うところで言えば、どうしたら
あれを美味しいと食べられるのか、というのが正直な
ところ」(私)
「でも、皆美味しいとか言うんですよね」(H君)
「とんこつって臭いのはしょうがないけど、以前、と
言っても学生の頃だから相当前、そのころ九州で食べ
たとんこつは、あれほど臭くはなかったし、コラーゲ
ンやら何だか分からないものやいろいろ溶け出してい
るというスープでもなかったし、それなりに美味しく
食べたけど、...のは臭すぎだよね、なんだか肉屋
のくずを何でもかんでも放り込んで取りあえず長時間
煮込んでみました、って感じだよね」(私)
「僕も実は疑問だったんですが、皆美味しいとか言う
んで、自分の味覚がおかしいのかと思いながら、ニン
ニクたぷりつかって何とか食べたんですよ」(H君)
「あの臭さだったら分かる、がニンニクたっぷり使っ
たら周りが迷惑だよ」(私)
「まあ、しょうがないですね」(H君)

「それにしても、ラーメンって大した食べ物でもない
のに、すっかり偉くなっちゃったよね」(私)
「そう言われればそうですね」(H君)
「昔は、普通の食堂で、ラーメンでも食べるかという
ところで食べて、ああ美味かったで完結する食べ物で、
その日常的なところに位置してたのがこれまた良かっ
たんだけどね」(私)
「今は、わざわざ並んだり、大そうな薀蓄付きだし、
客もありがたがるしでおかしな状況ですよね」(H君)
「脂、コラーゲン、そしていろんなエキスがたっぷり
入ってさえいれば美味いの世界だから」(私)
「何でも入りの、何でもありの世界だから、小学生で
も美味い不味いと言えるその門戸の広さが良いんでし
ょうね」(H君)
「コンビニ世代には特に良いんじゃないの、あの味は」
(私)
「ということは、この先益々隆盛ってことですか」(H君)
「つまり、我々の方が少数派、いわば絶滅危惧種って
ことだね」(私)
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ビオトープのトンボのまとめ.レッズ

2009年08月23日 | 生き物 自然


もうこれから羽化というのはないだろうから、結局今
年「滝壺ビオトープ」から無事に成虫になったトンボ
は18匹ということになる。
しかも、全てが「オオシオカラトンボ」。
ヤゴの段階では、5種類くらいいた筈なのに、他のはど
うしちゃったのか。
今現在でも、今年孵った5ミリ前後のヤゴ以外に、2セ
ンチくらいのものと、この前はイトトンボ(種類は全
く見当が付かない)のヤゴも発見した。
中でも特に気になるのは、ヤンマ系のヤゴ。
姿を見たのが、5月頃に二度。
その時すでに体長は3センチあったのだが、結局そ
れっきりだった。
二年越しとかなら良いが、ビオトープの土と化してし
まったのなら残念で仕方がない。
今朝はいつもの「オオシオカラトンボ」(ほぼ毎日来
ている)ではなく、珍しく「ミヤマサナエ」(今年の
ヤゴの中にいるかと期待したがいなかった)が庭に来
ていたが、元々が川など流水にいるものなので(池で
も生息はするらしいが)、「滝壺ビオトープ」ではど
うかな?という種類のトンボだ。
ひょっとしたら、鯉の池のほうに照準を合わせている
のかもしれない(水は動いているので)。
水草の状態が去年よりははるかに充実している「滝壺
ビオトープ」、いろいろな意味で期待は高まるのだが。

昨日、久しぶりに浦和レッズの試合を見たが、思った
より重症な様子だった。
ボールを持った人間だけが動いているという状態で、
様子見している選手ばかりが目立つというのは、駄目
チーム特有な現象だ。
だから、一歩目が遅く、攻撃にも守備にもその影響が
出ている。
夏の疲れが溜まっている時期とは言え、他のチームと
比較しての動きの悪さなので、ということは調整の失
敗が考えられるし、そうなると指導者の責任というこ
とになる。
監督との不協和音も聞かれ始めてきたから、またまた
解任なんて事態になるかもしれない。
そうなったらレッズは、もうドイツ以外の監督を選ん
だ方が良いのでは(単なる相性の問題だが)。
この段階を抜ければ一気によくなるのか、はたまたこ
のまま泥沼状態か、あと数試合で結論はでるのではな
いだろうか。
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世界記録

2009年08月22日 | Weblog


夜中に目が覚め(最近多くて困る)、テレビをつける
と、ちょうど「世界陸上」の200をやっていた(実況で
はなく録画)。
世界新を作ったことは知っていたので、どんなものか
と思って見てみた。
流石に、過去のことなので興奮することはない。
しかし、もし、実況で見たらと想像してみたが、果た
して本当に興奮感動するだろうか。
マスコミでは、文句なしに絶対的に感動する出来事の
如く言っているが、本当にそうなのだろうかと、つい
考えてしまった。
現場にいたら、間違いなく興奮するだろうが、それは
場の雰囲気による興奮陶酔で、祭りの場でもありうる
しライブでもありうる一種の集団催眠のようなもので
ある。

スポーツの場合、シンプルであればあるほど肉体性が
強調される。
そうなると強さをより実感として感じられる。
理屈抜きに凄いという感覚だ。
見てる人が、同時に同じ感受性を持つとそれは倍加す
る。
所謂一体感という奴で、それぞれが凄いと思えばその
凄さは実体以上の制御できないものとなる。
これが興奮陶酔を呼ぶのだが、これこそがスポーツ観
戦の魅力とも言えるので、味わった人はこの快感を常
に追体験したくなる(殆ど合法的な麻薬に近い)。
だから、記録というものを作って、感覚も更新できる
ようなシステムにする必要がある。
そして、結局は仮構したものに過ぎないスポーツ競技
は感動製造装置として不変の存在となるのだ。

なんてことを考えて見たら、興奮するわけがない(冷
めてみると絶対楽しめない)。
それより今回初めて見たが、織田裕二がいやに抑え目
なのが気になった。
流石に物真似され自分でも恥ずかしくなったのか。
これはこれで、使う意味もなくなったように思えるの
だが。
あれも一種の芸として存在価値があったのではないか、
松岡修造と同じように(どちらも見たくはないが)。
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冷製パスタ

2009年08月21日 | 食べ物


この時期になると、ちょくちょくお世話になるのがト
マトの冷製パスタ。
店などではカッペリーニを使い、更に氷で冷やしたり、
トマトはより甘いものを厳選し湯剥きにしたりと、そ
れなりに手をかけるが、このパスタの良いところは、
手をかけずに食べられしかもそれなりに美味しいとい
うところなので、家庭ではなるべく手がかからないよ
うにする。
パスタはカッペリーニでは細すぎと思うので、いつも
使うフェデリーニ。
実際、このくらいの細さがちょうど良い。
そしてトマトだが、これが今年は問題である。
長雨で、普段のように収穫できないのだ。
元々が乾燥した、太陽が燦燦と降り注ぐような土地の
物なので、今年の天候はトマトにとっては最悪である。
貰い物の露地トマトを使ったが、トマト自体の味は正
直今ひとつである。
しかし、贅沢は言ってられない。
面倒くさいので湯剥きではなく、直接包丁で皮を剥き、
中のゼリー状のあれも、適当に取り除き、鉢植えのバ
ジルをちぎりニンニク(これは自家製、今年兄が中国
産を元に作った、種にする分には中国産も問題ないだ
ろう)そしてバージンオリーブオイルをいれ混ぜ、フェ
デリーニの冷やしたのを入れて完成だ。
トマト自体は確かに美味くはないが、全体ではそれな
りに美味いからよくしたものである。

ここで、トマトの味を補うために蜂蜜を入れる、など
というレシピをたまに見かけるし、店でもそういう風
にしているところがあるようだが、個人的にはやって
ほしくない。
以前一度そのてを食べたことがあるが、不自然な甘さ
がどうにもひっかかり、しかもほんのり香る蜂蜜も邪
魔で(元々蜂蜜そのものの香りが好きではないという
こともあるが)、全然美味くなかった。
ついでに蜂蜜だが、フランスでは花ごとに蜂蜜の種類
があり、マルシェなどで生産者が売っていて、なかな
か豊かな光景だと思うが(特にプロヴァンス辺りでは)、
味について特にこれは駄目だと思ったのが栗の蜂蜜だっ
た(これは思い当たる人も多いのではないか、予想通
りの香りだ)。

酸味が強すぎの時に、砂糖で和らげるというのはあり
だが、甘さを添加のための蜂蜜は絶対無しだ。
しかし、必要以上に甘さを求める昨今、そういう味の
ほうが一般受けするのは、多分間違いない。
ここでも、自分の味覚のずれを思い知るのであった。
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夥しい数

2009年08月20日 | 生き物 自然


ちょくちょく掃除する鯉の池の灯篭型のクリーナーで
はなく、本格的な浄化槽の方を掃除した。
あまりに池の水が濁って、鯉の姿が見えないくらいに
なってしまったからだ。
汚れの原因が、例えば藻やゴミなどの大きなものだっ
たらクリーナーで大丈夫なのだが、プランクトンなど
の小さなものの場合効果を発揮しない。
そういう時には、浄化槽の様々な微生物の手助けによっ
てきれいになる、というのが一応の筋書きなのだ。
この浄化槽は、甥っ子に任せていたのだが(自分では
やりたくないので)、あまりに汚れがひどいので流石
に甥っ子が来るまで(地元にはいないので)は待てな
いぞ、ということになった。
で、重い腰を上げて作業したわけだ。

約一メートル四方の浄化槽にはフィルターがいくつか
仕掛けられているのだが、そのフィルターを掃除する
のと、底に溜まった汚泥を除去するのが主な仕事であ
る。
が、フィルターにはそれほど汚れは付着しておらず、
全体的にも大した汚れではない。
こういう時には(やっとやる気を出した時)、なんだ
かがっかりする。
どうせやるならそれなりのものであってほしいと思う
ようになるから不思議だ。
要するに、やりがいがないというやつである。

しかし、下に溜まった汚泥は硫化系の臭いがして、好
気性の微生物が繁殖するような環境ではなく、あまり
良い状態ではないように思える。
それだけでも取り除いて良かったか、と納得する。
それより凄かったのは、「ミズムシ」の数。
夥しい数の「ミズムシ」がその浄化槽で大繁殖してい
た。
一応説明するとこの「ミズムシ」というのは、ダンゴ
ムシなどの仲間の(見かけも近い)、富栄養化した汚
れた水を好む水中生物だ。
大きさは、数ミリから一センチくらい。
別に害はないが(鯉は喜んで食べる)、一般的には気
色が悪い生き物という位置付けだろう。
これが無数にいる光景は、ちょっとしたホラーだ。
フィルターを置いた後の地面を見たら、何百という「ミ
ズムシ」がうごめいていた。
殆どが5ミリ以下の子供であろう。
木の実が大量に落ちている、という風に見えないこと
もない。
まあ、この光景を風情があると言う人間はいないだろ
うが、それにしてもすさまじい数の「ミズムシ」であ
る(勿論その中の少しを池に放り込んだ)。
しかし、大量の「ミズムシ」と出あったのはいいが、
肝心の浄化槽としての効果が復活したのかは未だ不
明だ。
コメント

ミツバチとツバメ

2009年08月18日 | 生き物 自然


朝の気温が16度前後だと、流石に涼しく感じる。
真夏の印象の強い蚊が、このところ一斉に湧き出して
いるが、例年こんなものだったか。
或いは今年だけの現象か、気にしたことがないからよく
分からないところだ。

しかし、ツバメは見るからに数が減っている。
駐車場の常連も、この三年巣を作らない。
絶対数が減ると、使う巣の順番で、比較的新しいとこ
ろには回ってこなくなるということなのだろうか。
道を滑空する数も明らかに少なくなっているし、ひょっ
としたらその原因は、「ミツバチ」が減っているのと
同じところにあるのかもしれない。
単純にミツバチが減れば餌が少なくなるということも
あるし、ミツバチでも言われているような、蓄積した
農薬で弱くなっているのかもしれないし、何らかの関
連があると考えるのは、間違いとも言えなさそうだ。
それと、田圃に餌となるトンボが決定的に少ないとい
うのもあるかもしれない。
本当にこの辺の田圃のトンボは少なくなった(今年に
限っては天候の影響が否めない)。
中ちゃんの「モートンイトトンボ」が大発生した田圃
とはえらい違いだ・
さらに、去年「ツブゲンゴロウ」のいた田圃にその姿
を見ることは出来なかったしで、今でも田圃の環境は
悪化しつつあるように思える。
家の「滝壺ビオトープ」だけではとてもそれらは補え
ない。

巣は作らないが、一羽のツバメが駐車場を休憩所にし
てるらしくここのところちょくちょく休みに来る。
且つて巣立った個体の子孫か、そうであれば情報がDNA
に刷り込まれているということなのか。
いずれにしろ、こんな姿を見るだけでも何だか嬉しく
なるというものである。
コメント

ヒメダカとグルジアの映画

2009年08月17日 | Weblog


増えすぎた「ホテイ草」をそのまま捨てるのもと思い、
取りあえずポリバケツにいれ暫くしてから見てみると、
入れた覚えのない「ヒメダカ」の稚魚が泳いでいる。
それとヤゴも一匹(これはいずれビオトープに戻す)。
どうも「ホテイ草」の根に付いていた卵が孵ったよう
なのだ。
この前は、一株鯉の池に浮かべたら、いつの間にか四
五匹浅瀬で泳いでいた。
鯉に食べられるのではと思うが、これがどうして素早
く、寸前を切れの良い動きでかわしている。
日本代表FWにほしいのはこの動きだ、なんて「ヒメダ
カ」の稚魚を見て思ってしまった。
「ヒメダカ」の生命力、侮れない。

ゲロゲロ少年Yがまた新しいDVDを持って来てくれた。
今回は、全く知らない映画。
初のグルジアの映画監督の作品ということだが、早速
グルジアと言えばパラジャーノフがいるじゃないと言
うと、最近ではパラジャーノフはアルメニアというこ
とになっているとYは言う。
調べてみると、どちらの表記もある。
まあアルメニアでもグルジアでもどちらでも良い話だ。
どちらも名前しか知らない国だし、日本からすればほ
ぼ同じようなものだろう(現地では大きな問題かもし
れないが)。
シュワルナゼはグルジアか。
アルメニアは地震、所詮この程度の知識しかない。

でその監督だが「オタール.イオセリアーニ」という。
グルジアでは巨匠であるらしい。
現地では公開禁止とかあり、活動の場をパリに移した、
Yに言わせれば、完全にヌーベルヴァーグの監督ですよ、
ということらしい。
DVDケースには「賠償千恵子」のような女性が写ってい
て、一瞬日本映画かと思ったくらいだ。
タイトルも「歌うつぐみがおりました」などという、昔
の日本映画しかもミュージカル仕立ての、にでもありそ
うなものだし、なんだか不思議な作品であるが、見るの
が楽しみではある。
ただ、ここのところちょっとお疲れ気味で、夜になると
見る元気が今ひとつ起こらないのが問題である。
コメント

土木.花火

2009年08月16日 | Weblog


東名の修復工事、予定よりは遅れたが、いずれにしろ
素早い工事だった。
こういうのを見ると、日本の土木技術の水準は高いん
だ、と思う。
しかし、耐震化が必要な学校などの公共の建物が放っ
たらかしなのは何故か(土木ではなく建築だが)。
これは技術の問題ではなく、政治の問題だった。
新しい道路よりは優先すべき公共投資はあるのだから、
そういうものにお金をつぎ込めばいいのだ。
それに関しては、誰も無駄とは言わないだろう。

昨日は、諏訪湖の花火。
今年も凄い人出だったろう(部屋からちょっと見たが)。
最近は、花火そのものよりその混雑振りが有名らしく、
覚悟した方が良いと言われることが多い。
確かに、各駐車場から、例えば普段10分くらいで行くイ
ンターまで4時間かかるなどと言われれば、普通厭にな
るだろう。
が、世の中花火好きが多く、それにも拘らず押し寄せ
る(知らないで来る人間もいるが)。
夏の風物詩としては欠かせないということなのだろう
か。

後、評判悪いのは、ここぞとばかりに特別価格にする
旅館。
普段の10倍くらいにするのか(確かなところは分から
ないが)。
いずれにしろ、大した食べ物もなく大した造りではな
い旅館で(しょぼいのは確か)納得できるかといわれ
れば、個人的には全く納得できないが、その価格でも
毎年予約で直ぐ一杯になるところを見ると、市場価格
に納得しているということだろう。
旅館に対してえげつないと思う以上の花火の付加価値
だ。
恐るべし「諏訪祭湖上花火大会」。
やはり、世の中花火好きが多いと言うしかない。
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フラットな季節

2009年08月15日 | Weblog


天気も安定してきて晴れが続きそうな気配だが、空気
はもうひんやりして夏は過ぎたと思わせる。
例年だと、ここで一抹の寂しさを感じるところだが、
今年は、そもそも夏が来たという実感がないので、そ
ういう感情も起こらない。
感覚的には、梅雨の後に秋である。

オリンピックの競技から「野球」「ソフト」が外され
たが、当然といえば当然だ。
IOCの言う基準、普及度から言えば止む得ない。
ならば、他の競技の普及度はどうなのかとなると、例
えば「テコンドー」などは首を傾げたくなるところだ
が、IOCに相当なお金が流れたと考えれば理解できる。
要するに、そんなものである。
今回も、例えば、大リーグが本気になってロビー活動
すれば結果は多分変わっただろう。
しかし、残念ながら、必死だったのは日本だけだった
(韓国もそうかもしれない)。

いつものことだが、日本は自分のところにメダルの可
能性があると相当必死である(どこの国でもそういう
傾向はあるのだろうが)。
その後の競技を取り巻く環境が変わるからというのが
あるからだろうが、みっともないと言えばみっともな
い。
オリンピック至上主義、メダル至上主義を超えた泰然
とした態度は演技でも無理なのか。

そしてまた、暑苦しい世界陸上が始まるようだが、テ
レビ局がバックのうるさいスポーツ中継は全く見る気
がしない。
こういうときは、本当スポーツなんてなくても良いと
思ってしまう。
織田裕二にアナウンサーを集めて、「硫黄島」「レイ
テ島」「沖縄」の講義でもしたほうが良いんじゃない
か、と思うが、それじゃあ番組にならないね。
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