ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

フィリップ.ガレル ロバート.アルドリッチ

2010年07月31日 | 映画


フィリップ.ガレルの「恋人たちの失われた革命」を観終わる。それにしても、3時間はやはり長かった。決して退屈でどうしようもない映画ではないが(そうであれば途中放棄)、物語としては(所謂ストーリー)退屈の典型であると思う。何かの目標に向かって頑張り成し遂げるわけでもなく、或いは大いなる挫折を迎えるわけでもなく、タイトルで示されるように、大義的目標である革命は失われるのである。つまり宙吊り状態に置かれる。形としては男女恋愛物語でもあるが、登場人物全てが宙吊り状態で、方向が定まらず彷徨い続ける。こんなものが延々と3時間続くのだ。しかも、説明調でなく。ベルトルッチの「ドリーマーズ」に似ていると前に書いたが、映画作りそのものでベルトルッチの協力を得たということが、おまけの監督インタビューに於いて述べられていた。ただ、よくぞこの時代に、こんな内容のこんな長い映画を作ったものである。その快挙というか暴挙には敬服するしかない。最後に、白黒画面の暗い映像はかなり魅力的であることも付け加えておかないといけない。

と、そんな時、久しぶりにamazonを覗いていたら、アルドリッチ(オルドリッチ)の「攻撃」というDVDがお安く出ていた。ガレルとは大分趣が違うが、「恋人たちの失われた革命」のあとに見るには良きバランスかと思い注文した。ドン.シーゲル、ロバート.アルドリッチ、それにサミュエル.フラーは見る機会があれば常に追いかけたい。

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ガムシとカモノハシ

2010年07月30日 | 生き物 自然


殆どの人にとっては興味のないことでしかも一生関わりのないことだと思うが、「ガムシ」(正確にはヒメガムシだと思う)の幼虫を今回生まれて初めてというくらいじっくり観察して、その姿が何かに似ていることに気づいた。これも極めて主観に属することかもしれないが、「カモノハシ」を想像したのだった。芋虫或いは蛆を扁平に伸ばしたような胴体にギザギザの嘴を備えたガムシの幼虫も、見ているうちに愛着が湧いてくるから不思議である。終いにはカモノハシのように見えてきたのだ。実際泳ぎ方は似ているように思う。無事に蛹になったのだろうかと、今は、成虫となって再び現れるのを心待ちにしている。
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ブルース・リー

2010年07月29日 | 映画


今BSNHKで、ブルース・リー特集をやっていて、「燃えよドラゴン」を興奮してみた人間としては懐かしく思い出すのであるが、正直映画としてみた場合、どれも今見るとちょっとトホホなものばかりである。しかし「燃えよドラゴン」を初めて見た時の衝撃は今でも忘れない。それまでの型通りのゆっくりな振り付け的なアクションとは一線を画したスピードのある動き、これは本物であると確信した。見たのは配給会社の一室での試写会で(たまたま潜り込めた)、まだ一般には公開されてなく、その興奮をどうにも伝えたくて周りの人間に一生懸命普及活動したのを覚えている。その一年の間「燃えよドラゴン」は、試写会で見て、フィリピンのカガヤンデオロというミンダナオの街で見、帰省したとき田舎で見と三回も見てしまった。これも一種の青春の暴走というものだろうか。テレビで放映してると大体見てるので、トータルすると一体何回見てるか判らない。ただ、世のブルース・リー好きと違うところは、ブルース・リーに対してそれほど思い入れがないというところである。だから、何回も見ているにも関わらず、場面はしっかり覚えてないし、セリフ回しなども覚えてない。アイドルだったのは一時である。

で、昨日は「ドラゴン危機一発」というのをやっていた。相当素朴なアクション映画であるが、今回見て(半分ほど)面白いことを発見した。BGMであるが、あまりにかけ離れたようなプログレを使っていたのだ。こんなものがかかるとは思ってないので、始めは気がつかなかった。
それは、キング・クリムゾンの「太陽と戦慄」とピンク・フロイドの「狂気」である。どう考えても最初からこれを使ってたとは思えない。その後、だれかが付け加えたのではないかと推測せざるえない、違和感のある選曲であった。あと、改めてブルース・リーを見ると、何故か玉田を思い出した。
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ザリガニの熱い夜

2010年07月27日 | 生き物 自然


ビオトープにザリガニが発生したことはこの前書いたが、やはり完全駆除はそう簡単ではなさそうで、気がつくと一匹いると言う状態がつづいている。ザリガニは当然ビオトープだけに発生していると思ってたところ、昨日の夜鯉の池の端を見たらなにやら大きな青い物体が見える。全長10センチほどのザリガニではないか。脱皮直後のザリガニは赤ではなく青い時もあるらしいのだ。何故にこの池に、しかもこんなに成長して。ビオトープのザリガニの大きさは2センチ以下、ということはこの大きなザリガニの方が先にいるということである。更に、ということは卵はこの青いザリガニが産んだもので鯉の池からビオトープに混入したと考えるほうが自然である。ビオトープの水の補充は、この鯉の池の水でまかなっているから。となると、一番不思議なのは、そもそも鯉の池にザリガニはどうやって混入したかということである。川とは完全に遮断されているから自然に混入というのは100%無い。勝手に誰かが放りこむこともまず無い。考えれば考えるほど不思議である。

鯉の池で繁殖する分には問題ないとも言えるが(見つかれば鯉に食べられる)、今回のように卵が混入する可能性があるということであればやはりは問題である。よって鯉の池のザリガニも見つけ次第駆除と決定。この青いザリガニは脱皮直後でまだ動きが鈍く手でつかめたが、その横には数匹の3センチほどのザリガニもいた(ニホンザリガニだったら保護するところだが)。懐中電灯を片手に(関係ないがLEDライトの「閃」というのは良い)夜のザリガニ駆除、誠に熱い夜にはうってつけ、か。
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7月26日

2010年07月26日 | Weblog



新城幸也は、結局総合112位でツール・ド・フランスを終えた。もう少し山岳コースに強ければもっと上位にいけるが、完走するだけでも実は大変なことである。全長3641.9km。

ここのところ毎日、庭に「オオシオカラトンボ」が飛んでくる。ビオトープで羽化した個体かどうかは判らない。もしそうであれば里帰りということになるが。殆はオスで、盛んに縄張りを主張して足長蜂なども追い払いながらメスを待っている。ビオトープにはまだかなりの数のヤゴがいるが、今の状態からするとどうも羽化するのは来年のようだ。オオシオカラトンボの場合、自然界だと大体一年で羽化するのだが、ビオトープの場合天敵も少なく、本来なら生きられないような個体も生き続けられるから二年越しとなるのが多いのかも知れない。今年は、もう一つお楽しみが。田圃にいたゲンゴロウの幼虫(その後ガムシの幼虫と判明)を持ち帰ってきたのだが、それが蛹になるために人工的に作った土の土手に潜り込んだ。羽化するのは8月の終わり頃。無事に成虫になって現れればいいが。

T君のカフェの剥がれた看板は、矢印を付け加え、下に置く違う看板として復活した。本来入り口にあるべき看板は、未だ不在。どちらにしろ、この暑さでは作業する気も起こらないので、無垢の木が用意されてないのは何の問題でもない。
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恋人たちの失われた革命

2010年07月25日 | 映画


ゲロゲロ少年Yより借りているフィリップ.ガレルの「恋人たちの失われた革命」をやっと見出す。舞台はフランスの五月革命の頃。当時の、社会変革に燃えた、反体制的若者たちの姿を描いているのだが、どうも似た様な時代の映画があったとように思ったら、思い出した、ベルトルッチの「ドリーマーズ」だ。あちらは映画作り、こちらは革命に燃えている若者たち、共通するのはどちらも鬱屈したモラトリアムな若者たち、というと如何にもステレオタイプ的なものになりそうだが、辛うじてそうはなっていないところはガレルとベルトルッチの手腕に拠るところであろう。それともう一つ、主人公のイメージが何か似ているような気がして確認すると、どちらも主演はルイ.ガレルであった。同じ人間だから似ているような気がするではなく、そのまんまであったのだ。しかも、ルイ.ガレルは監督のフィリップ.ガレルの息子だという。五月革命顔とでもいうのだろうか。

「恋人たちの…」は2005年、「ドリーマーズ」は2003年、期せずして、それぞれの監督たちは自分の体験を基に映画を作りたくなった、と考えるのが自然な一致であるが、ある一定の年になると描きたいものは限定されてくるとしたら、それはやはり年をとったせいと言ったほうが良いのかも知れない。それとも、遺言替わりか。実際「ドリーマーズ」はそれ程良いとは思えなかった。「恋人たちの...」の方が映画としては良い、と言いたいところだが、実はまだすべてを見ていないのだ。この映画、何と3時間を越す映画であったのだ。白黒映画で(実際昔に作ったものかと思っていた)、ちょっとブレッソンを思わすような無表情な登場人物ばかりの映画が3時間続くとなると、なかなか見ようとする人も多くはなさそうだ。一時間ほどしたところで睡魔に襲われ保留の状態である。しかし、ここで止めてしまうには惜しい、ちょっと魅力のある映画ではあると思う。
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ALL DAY 放送

2010年07月24日 | Weblog


24時間テレビとか、タレントが遊ぶ姿を延々放送するのは、もう殆ど犯罪的と言えるのではないか。省エネにも反するし、一体何を考えているのかと思うが、こんなものでも楽しみにしている人間は本当に多いのだろうか。取って付けたような安直な感動物語も、WCでの感動を有難うと同じくらい気色が悪い。タレントを走らすのも、あれだけの協力体制のもとでしかもギャラまで貰っているということを考えれば何ら感動する要素はない、にも関わらず、定型物語として演出を施し見せられると感動してしまう人間が、実際いるから困ってしまう。それにしても最近の紳助の露出オーバー振りは目に余る。ひょっとしたら、テレビなんてなくても良いものかも知れない、取り敢えず「ゲゲゲの女房」は見ているが。
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大量発生Ⅱ

2010年07月23日 | 生き物 自然


あまりに暑いので、今日は同じ大量発生でもちょっと背筋が寒くなる話を。

多分、7月頃だったと思うが、ある夜山をバイクで走っていた。ちょっと霧も出てきたのでスピードを緩めゆっくり降り始めたのだが、それにも関わらずコーナーでスリップしてしまった。時速は20キロも出てなかったのではないか。そのこける前、路面に何かの花びらが一面に散っていて、この時期この場所にこれほど花が咲くような木はあったかと不思議には感じていた。そしてこけて改めて路面を見ると、その花びらと思ったものが全てゆっくり動いている。まじまじと観察するとそれは「ヤスデ」であった。この辺りの高現地帯では、何年に一回大量発生することがある「ヤスデ」であるが、遭遇したのはその時が初めてであった。その数推定数千匹。昔、小海線の列車をスリップさせて動かなくさせたことがあるが、そのくらい脂分が多いのである。だから今回もゆっくりにも関わらずスリップしてしまったのだ。因みに「ヤスデ」と「ムカデ」の違いは、足の数が一節に二対がヤスデで一対がムカデ、共通するのはどちらも気色はよくないということである。霧の流れる夜、誰もいない高原でヤスデの大群に取り囲まれる、ホラー映画そのものの状況であった。

次はゴキブリである。使ってない排水口からゴキちゃんの顔が頻繁に見えるので、漂白剤でもまぶして退治するかとキャップ一杯の漂白剤を投入した。その瞬間、排水口からはそれこそ蜘蛛の子を散らすかのように大小様々なゴキちゃんが一斉に湧き出した。その数推定数百。これだけの数のゴキちゃんを見たのは初めてである。しかもそれらが四方八方に散っていく。もう呆然と見送るだけであった。殺虫剤などとても間に合わない。結局、最終的にはバルサンのお世話になるしかなかった。

これで少しは暑さも和らいだであろうか。(写真は昨日の国蝶オオムラサキ)
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大量発生

2010年07月22日 | 生き物 自然


今朝テレビで、クラゲが増えるメカニズムを説明していた。それにとると、まず卵から孵ったものが(何て言ったか、ヒドラとは違ったような)一つで70のクローンを生み、そのクローンはそれぞれ10匹のクラゲに分裂する、つまり条件さえ揃えば一つの卵から700のクラゲが生まれるというわけだ。大量発生するわけである。東京のミズクラゲの大量発生のニュースを聞いて、まるで「アカルイミライ」ではないかと思った人は何人いただろうか。

そんな大量発生に、昨日いくつか遭遇した。まず、池のクリーナーに大量にこびりついていた「トビケラ」。その数推定数百。1センチほどのトビケラの幼虫の巣が、クリーナーの水の入るスリットを塞いでいたのだ。糸状のもので作られた巣はなかなかしぶとい。一部は鯉の餌として池にまいた。

次に遭遇したのは「ミヤマアカネ」(写真)。赤とんぼの一種だが、昔はここらの田園地帯でも普通に見られたトンボだが、最近はすっかり数が少なくなって、たまにしか見られない赤とんぼとなっている。その「ミヤマアカネ」がこんなにいるところがまだ残ってるなんて。その数推定数百。

そして次は、その「ミヤマアカネ」がいた同じところでの「オオムラサキ」。流石「国蝶オオムラサキの里」というだけの事はある。梢をびゅんびゅん飛んで、鳥までも追っている。占有行動というやつだが、その強気ぶりは国蝶の名に恥じない。その数推定50頭。

とまあ、大量発生遭遇の日でありました。
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セル.シュール.シェルとトム.ド.サヴォア

2010年07月20日 | 食べ物


カフェのT君がチーズが届いたというのでもらいに行く。この辺では本格派は売ってないので、T君の仕入れと一緒に頼んであったのだ。ものは「セル.シュール.シェル」というどうにも覚え難い名の山羊チーズと、セミハードタイプの牛乳チーズ「トム.ド.サヴォア」である。何だか自分で買うのは久しぶりである。ここのところ食べるのは貰い物ばかりだったから。で、久しぶりの自前のチーズのお味だが、「セル.シュール.シェル」の方は、まだフレッシュで、食べやすいとは言えるが全然物足りなく、熟成するのを待つ必要がある。味見でT君も食べたが、フレッシュで食べやすいというそのまんまの感想であった。もうひとつの「トム.ド.サヴォア」は、羊のハード系が好みの私が牛乳系では数少ない好きなハード系の一つだ。味は、勿論古目の方が好きだが、山羊と違って熟成の差が大きいわけではないので確認しなくても分かっている。Tくんは初めてのようなので味見用に提供する。すると、これは美味いですねといやに感激している。そこまで感激するほどの味だったか、と思ったが、まあ気にったようで結構でした。干し草のようなきのこのような独特な風味が私は好きだ。

と、チーズはいいのだが、問題発生。例の、木を彫って作った店の看板が、とうとう完全に割れて剥落してしまったのだ(予想はしてたが)。5ヶ月しか持たない看板というのも、あまりに悲しい。やはり集成材を使ったのがまずかった。そして更に、テントに貼ったカッティングシートも取れかかってきた。素人作業の結果がこれか。こちらは、接着剤で修復すれば大丈夫だが、看板はつくり直すしかない。今度は無垢板を用意してもらって、何十年と持つものを作りたい。
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ザリガニ駆除

2010年07月19日 | 生き物 自然


夜の日課である「滝つぼビオトープ」の観察をしていると、見覚えのない姿をした1センチほどの生き物が動いた。細長いので、イトトンボのヤゴでも発生したかと更に目を凝らし、顔を近付ける。金魚藻の中に紛れているのと、ミズムシと紛らわしいのとで確認作業も大変だ。何だかエビのような姿だということがまず判った。かつて「ミナミヌマエビ」を放したことがあったがそれはとうに全滅。この可能性はない。田圃の水にまぎれて在来種のエビが混じってきたのか、と思いたいがまずそれもない。そして遂に正体判明。「ザリガニ」だ。混入経路は「ツブゲンゴロウ」を入れた田圃の水と共にということだ。あの時点では個体は見えなかったから、多分卵の状態だったのではないか。

小学生の友「ザリガニ」であるが、これはビオトープにとっては招かざる客である。何故かというと、「ザリガニ」によってビオトープの生物の多様性が一気に貧弱になってしまうからだ。ヤゴや他の水生生物がいなくなり、ザリガニ天国になってしまった池は今や日本全国どこにでも見られる。こんな一平方メートル足らずのビオトープでザリガニが繁殖したら、もうビオトープどころではなくザリガニ養殖場だ。拠って、結論は駆除しかない。が、一体何匹いるのかも分からないし、1センチ足らずの金魚藻に紛れたザリガニは、イッチョ前に姿は親と同じでしかもいざとなると動きは素早い。正面からだと動きの逆となるので、背後から柄杓を構え、すっと入れて飛び込むのを待つ戦法を取るのがいいことが何回かやって分かった。これからは毎晩ザリガニ駆除が日課となる予感が。

この小さなビオトープなのでまだ駆除は可能だが、大きな池となったらそれは不可能に近い。そしてザリガニ(アメリカザリガニ)と同じように外来種によって生態系が大きく影響されて、いまどこでも問題になってるのが「ブラックバス」「ブルーギル」だが、これも厄介だ。スポーツフィッシングなどというふざけた目的で放流されたという理由そのものが腹立たしいが、はっきり言ってこれだという解決方法はない。せめて、キャッチアンドリリースのリリースは禁止するのが最低限の義務ではないか。それと、釣り針釣り糸のリリースも、こちらは厳罰で臨んでもらいたい。

写真は、逆に日本から送り込まれたアメリカで嫌われ者の(向こうにとっては外来種)マメコガネ。ジャパニーズビートルと呼ばれてるらしい。日本代表も密かに頑張っていた、という話ではなかった
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クチーナにし村

2010年07月18日 | 食べ物



ダーティービルやコンテンポラリーアートと、芸術気分に浸ったところで昼飯にと、イタリアンの「クチーナにし村」に寄った。今回で二度目だがお昼は初めて。パスタランチやキッシュランチ(どちらも千円)とお手頃な昼メニュが用意されている。パスタランチで「ツナと胡瓜のトマトスパゲティ」(ちょっと面白い組み合わせ)を頼む。前菜盛り合わせがつくが、ものたらないと思い何かもう一品追加しようと正面のメニューを見ると、「稚鮎のエスカベッシュ」など食指が動されるものがいくつか書かれている。因みにここは、ランチ以外の単品も頼める。早速それを追加しようと心の準備をする。何故準備かというと、ひょっとすると、盛り合わせの方にそれが出てくるかもしれないのだ。果たして予想は的中。一つはラタトゥイユでもう一つが稚鮎であった。そこで急遽変更して「豚のリエット」にする。すると今度は店のマダムが(と言うには初々しい)、この量になりますがとリエットが入ったココットを差し出す。確かに結構な量で、一人には多すぎる。半分にしましょうかと言うマダムの提案を受け入れ半分にする。あとで確認すると値段も半分だった。なんて良心的なんだ。

店の二人(夫婦)の感じもよく、しかも味は、素材の持ち味を生かした洗練されたもので、塩味は薄めだが、質の高いオリーブオイルの風味が全体をまとめどれもおいしい。ランチだけでは量が少ないなどというブログ評(例によって食べ物ブロガーの)が散見されるが、質を考えたら安いくらいである。そういう人は脂コッテリのラーメンでも食べて、このクーリーミーさがたまらないなどと書いていれば良い。ただ、パンに関しては、どうもイタリア風(ここのは手作り)は好みではない。ものたらないのだ。リエットなど、やはりバゲットにたっぷり塗って食べたいものである。

写真は全く関係ない、近くにあったレトロな無人の家。
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庭園 P=7

2010年07月17日 | トマソン


「ダーティービル」に面した通りを歩いていると、もう一つ気になるものを発見した。打ちっぱなしのコンクリートの壁に残されたこれだ(写真)。ここまで来ると、最早コンテンポラリーアートの作品だ。意図的に作品化した壁。タイトル「庭園 P=7」(ポイントはわけの分からないタイトルにすること、そうすることによって見る人は無理やり理解しようとする、そのエネルギーがアートと錯覚させる)。期せずしてアートストリートとなっていたこの名もなき通りの存在は、少なくとも私の心には深く刻まれた。
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ダーティービルⅢ

2010年07月16日 | トマソン


兎に角この「ダーティービル」は、後ろにも横にも増殖していて、全体では相当の大きさと思われる。そしてその正面の、整いましたの顔の右横の壁にはこれまた奇妙なものが残されていた。よく見ると三つ並んでいる。うっすらと屋根の形が残っている左は原爆タイプでいいだろう。それにしても微妙な影だ。真ん中は、これも多分原爆タイプなのだろうが、具象性に欠けているので断定が難しい。問題は、くっきりとセメントで塗られた右のものだ。一体これは?これ自身が原爆そのもののように見えないこともない。模様にしては無理があるし、原爆タイプにしてはこれまた具象性にかけるが何かの象徴のようには見える。存在感だけは他の追随を許さない。原爆タイプシンボル風とでも言っておこうか。

追記:ツール・ド・フランス第11ステージ、新城は6位に入った。頑張ってるねえ。
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ダーティービルⅡ

2010年07月15日 | トマソン


以前紹介した「ダーティービル」(6月14日)の正面は一体どうなってるのか気になり、改めてじっくり観察してきた。あれだけの存在感、気がつかない方がおかしいと思っていたが、今回の訪問でその理由がはっきりと分かった。表の顔と裏の顔の落差があまりに激しかったのだ。ここで、お前は政治家かというツッコミは入れない。今日の写真を見れば一目瞭然だが、正面から見れば普通の新しめのビルそのものである。しかも大分増殖している。まさか後ろがあんなことになってるとは、お釈迦様でも気がつくめえ。この「ダーティービル」の実力を思い知らされた。

つづく
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