ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ピーナッツ

2013年03月31日 | 食べ物

 

吉田のサウサンプトン、チェルシーにも勝っちゃったようだ。この前のマンチェスターシティーといい、上位にはいやに強い。吉田本人も、この前のヨルダン戦は今一つだったが、プレミアでは大分安定してきた。

話は変るがピーナッツ。昔からバタピーが好きで、一旦食べだすとなかなか止まらない。但し、柿ピーの中のピーナッツは好きではない。その理由は、あの中のピーナッツは美味くないから。大体鮮度が良くない。一般的にはピーナッツの鮮度(煎ってからどのくらいか)などあまり問題にしないのかもしれないが、これが結構重要で、スーパーなどで買うピーナッツなど、買った時点で美味くないというのはかなり多い。製造年月日を確認してなるべく新しいものをと心がけているが、駄目なときは駄目である。不味いものは油(脂)分が酸化しているものと思われる。ナッツ類全般に言えるのだが、直ぐに古い油特有の香りが出てくるのだ。だから、同じような理由でミックスナッツも好きではない。

大学生のときは、美味いピーナッツが食べたくなると、住んでいた所が江古田で通学途中に池袋があったので、西部デパートの食品売り場のナッツコーナーで量り売りのバタピーを買ったものだ。今、そんなナッツコーナーがあるかどうかは知らないが、当時は確かにあったのだ。そこで買うバタピーは明らかに鮮度が違い、バターの香りもよくピーナッツも香ばしかった。いつ買っても間違いなかった記憶がある。というのは、当時は江古田にも豆専門店があり、当然何回か買ったことがあるが、良い時は美味いが、結構古くなったようなときもあり味は安定してなかったのだ。店先のガラス蓋の木の箱状の入れ物に入れてスコップで掬ううと言う懐かしの風景だが、直射日光も当たりそうで保存性にも問題ありそうだし回転の問題もあったかもしれない。

バタピー以外でも、皮付きの煎っただけのものも好きだが、これも同じように美味くないものが多い。しかも皮付きは湿気に弱いようで、直ぐに湿気加減になる。麻布の豆源のものを一番食べたと思うが、あそこのやつでもその時々によって凄く香ばしいときもあれば今一つのときもあった。環境に影響され易い結構繊細な食べ物がピーナッツなのである。

 

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オニツカタイガー バッタモノ編 

2013年03月30日 | Weblog

 

靴の在庫整理は、最後のものをT君にやって終了した。これで靴箱は大分すっきりした。と書くと一杯あったものを整理したような印象を持つかもしれないが、7足ほどのものを4足にしただけの話だ。その程度でも、殆ど履かないものがあったのだ。結局、ちゃんと履くものだけにしたわけだが、それに合わせてより用途に適したメレルなどを買い入れ替えたわけである。そして普段履き用には、一番古いものを回すわけだが、気が付くとそれらも整理して適当なものがなくなってしまっていた。

そこに登場したのが、去年韓国系通販サイトで買ったオニツカタイガー(写真のもの、紐はオリジナルではない) 。本来は未だ新しいので勿体無いのだが、実はこれに関して新たな事実が発覚したのだ。まごうかたなきバッタモノだったのだ。これに関しては、価格も微妙なところで(三分の一強といったところ)、実は本物ではと思ってたのだ。それが履いてく内にぼろが出てきて、革の部分にひびは入るは、底の磨り減り具合が尋常ではないと、バッタモノの品質の悪さが出るは出るは。買ってから半年ほどでこうである。流石バッタモノは違う、と感心するところではない。よく観察すると細部の縫製も雑だし、本物と較べると色んな部分で違いが見つかる。最初から分かりそうなものなのだが、本物であろう、あってほしいという期待から敢えてチェックしてなかったのである。

教訓:靴は信用の置ける店から買うべし。

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冬冬の夏休み ホウ.シャオシェン

2013年03月29日 | 映画

 

無料動画で珍しいものがありそのまま鑑賞。それはホウ.シャオシェンの「冬冬の夏休み」(冬冬は主人公の名前だが、発音するとトントンで、ついつい冬休みと言ってしまう)だ。小学校高学年の兄と、学校前の妹が、二人で夏休みをお祖父さんのいる田舎で過ごすその一ヶ月あまりを描いたお話だ。ひと夏の体験である。田舎があり、子供の頃そんな体験がある人にとっては、物凄く懐かしさを喚起されるだろう。日本で言えば「少年時代」がイメージ的には重なるかもしれない。確かに長閑な田舎の風景は、台湾なのか日本なのか殆ど区別がつかない。ホウ.シャオシェンの描く田舎の風景は、どれも瑞々しく、且つ懐かしさに溢れている。

が、彼の描く世界は、そんな郷愁にどっぷりの情緒だけで完結する世界ではない。この映画も風景は長閑であるが、そこで起こる出来事はかなり深刻であったり、劇的なものだったりする。それを抑制した演出で描くので、全て風景の中に吸収されたような錯覚を覚える。これも、一つの映画的体験であろう。人間関係も、以前観たときはそれほど思わなかったが、優しい祖父母と孫という関係でもなく、むしろ逆であった。郷愁の世界であれば、祖父母が何があっても常に孫たちを優しく見守るであろうが、この、特に祖父は、医師という田舎の名士と言う立場もありかなり権威的な人間として描かれている。その代わりに彼の長男、つまりトントンの伯父は、所謂だめ息子の典型でふらふら人間として描かれるのだが、トントンには優しい。だからトントンもこの伯父には懐いている。この辺りはジャック.タチの「ぼくの伯父さん」の関係に近いものがある。

トントンの妹は妹で、兄に付きまとっては嫌がられ、祖父母には素直ではないとあまり可愛がられもせずと浮いた存在となる。そして彼女にとっては大きな事件も起こる。それをきっかけに、頭がちょっとおかしい女と唯一心を通わせることとなる。この女に関しては、そこらの男に孕まされたりする困った存在として村では認知されているが、そこにある種の聖性があることを妹は感じるのである。

長閑な風景の背後には様々な人間関ドラマが隠されている。その生成する場を情緒に流されることなく表現できるのがホウ.シャオシェンである。

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ウォーキング

2013年03月28日 | Weblog

 

なまじ格好が本格派したおかげで、歩く距離が矢鱈と伸びてしまった。格好によって実態が引っぱられたというやつだ。何でも格好から入る人がいるが、それはこういう効果を期待してのことだろう(失敗に終るケースも多いが)。今回歩いた距離を、マピオンの距離測定で測ってみると20キロは越えていた。流石に後半は疲れた。今の状態だと、10キロくらいで十分という身体の反応を感じる。大体その辺りから、足の何処かに負担を感じるのだ。魚の目は相変わらず元気だし、足の付け根の違和感とか、だんだん歩き方がおかしくなってくるのが分かる。

ただここで考えなくてはならないのは、目的はウォーキングではないということ。あくまでも街観察や自然観察のためのウォーキングなのだ。手段であって目的ではないということ。今回も、終盤になると、面白そうなものがあっても疲労度の方が勝りパスしてしまうなんてことがあった。こうなると本末転倒。ということで、お気楽ウォーキングを改めて肝に銘じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

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対ヨルダン

2013年03月27日 | Weblog

 

前半セットプレーで一点入れられたところでBSを切り替えると、洋楽アーティスト人気100などという番組をやっていたのでそれを見たら、プリンス(30位台)辺りで眠くなり結局そのまま。どっちにしろ、あの出来だと後半見ると疲れそうだったので正解。結果1-2で負けだった。その2点目をニュースで見たが、あれはないだろう。ファウルででも止めないと。尤も、ディフェンスは人数が揃っている割には、動きが鈍く緩々だったので、全体を通しても良くはなかったのではないだろうか。以前の日本代表のディフェンスを思い出した。レーザーを当てられたことを騒ぎ立てたい勢力もあるようだが、あんなのは別によくあることで大した問題ではない。それよりボランチの高齢化の方が気になる。

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南仏 ジャン.マレー

2013年03月26日 | 映画

 

BSで「芸術家を辿って南仏」(本当のタイトルは当然違う)というような番組をやっていたので見ると、ヴァロリスというピカソが陶芸をやるきっかけとなった町が紹介されていた。南仏のどこかというのは知っていたが、それがヴァロリスであるというのは今回初めて知った。それより興味深かったのは、その町でジャン.マレーが暮らし彼も陶芸をやっていたという事実。しかも彼の作品(コクトーの影響あり)を展示している美術館まであるという。

ジャン.マレーと言えば、言わずと知れたジャン.コクトーの愛人として有名な人気俳優。コクトーの監督作品、「美女と野獣」「オルフェ」などでも主役を務めている。その彼がこの地で陶芸をしながら晩年を過ごしたというのを聞き、ちょっと感慨にふけってしまった。なぜかと言うと、ほんの数日前彼の主演映画を見たばかりだったから。その映画は「ファントマ 電光石火」。これは、フランスで嘗ては人気シリーズだった怪盗ファントマものの一つ。お気楽な娯楽映画で、007よりはジェームズ.コバーンのシリーズもの電撃フロントに近いテイストの映画だ。懐かしさもあり見たのだが、今見るとその素朴な作り(要するに安造り)に感動すら覚える。他では、登場するシトロエン(1965年)がこれまたいい感じだったり(昔からこの形が一番好き)、当時の風俗なども興味深い。間違っても映画の質で捉えてはならない。そして実は、もう一つ見たい理由もあったのだ。それはヒロイン役のミレーヌ.ドモンジョ。どんな女優だったか忘れてしまったので確認したかったのだ。改めてみると、若い頃の京マチ子をちょっと髣髴させるような魅力的な女優であった。

と、結局、ジャン.マレーとは関係ないところで喜んでいるのだが、これもちょっとしたシンクロ的出来事ということで書き留めて置きたかったのだ。

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アウトドアブランド礼賛か?

2013年03月25日 | Weblog

 

このところ、手持ちの衣類靴類がアウトドアブランドのものに変りつつあるのは、手持ちのものが古くなって丁度買い替え時であるというのと(買ってから十年以上経っても殆ど着ないものもある、大体安物だが)、靴に関してはその他に、今まで問題なかったものが急に合わなくなったという理由がある。どうやら足の広がりによる魚の目が原因のようだ。こんなこともあるのだ。

そんなわけで、一気にと言う感じでアウトドアブランドのものが多くなった。嘗ては、この手のブランドはデザイン的には今一つの割に(どうしても中高年登山グループのイメージが)いやに高くて敬遠していたのだ。それが今やアウトドアブランドが基本になりつつある。今でも高いことに変わりはないが、何故そこまでお気に入りになったのか。その訳は、実際着たり履いてみると、その機能性を実感するからなのだ。例えばバッタモノのノースフェイクのパーカーは、細部の作りが雑で、ファスナー(YRRの)が使い辛いとか、ほころびができるとか色んな問題がある(普段使いに重宝はしている)。ところが本物はそういうことはまずなく、細部も頑丈に出来ていて且つ機能的。靴は歩き専用を謳うだけあって実に歩き易い。これだと魚の目も悲鳴は上げない。当然作りはしっかりしているのだから持ちもいい筈。結果高くても長い目で見れば高くはないということになる(と言いながら定価の半額以下で買ってるのだが)。デザインも昔のようなゴツイ地味というイメージから大分変わって選択肢も広がった。

ということで、いろいろアウトドアブランドのものが増えたのだが、特定のお気に入りのブランドがあるわけではない。アウトドアブランドとして確立した所のものは信用するというのが基本的なスタンスなので、選ぶときは見た目中心である。というのは飽くまでも建前で、実際のところはお得な価格かどうかで決まる。この辺りがどうにも格好つかないところである。

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ピンチョン 不正受給

2013年03月24日 | Weblog

 

やっとピンチョン「競売ナンバー49の叫び」を読了。ピンチョンの中では比較的読みやすいということになってるらしいが、読みやすい本ではないという事実に変りはない。前に、ジョイスの「ユリシーズ」に似た構造があると書いたが、読み終わった今は、それにカフカの「城」を足したものと付け加えたい。いずれにしろジョイスとカフカの合わせ技では、どう考えても読み易い小説になりそうにはない。ピンチョンのどれかを読んだという人は、この日本に一体何人いるのだろうか。これはかなり興味がある。但し、売れた数は当てにならない。買った人の半分以上は最後まで読んでないと思うので。

合わせ技といえば、このところのニュースで柔道の助成金不正受給が取り上げられている。しかしこれは、本当に氷山の一角で、むしろあらゆる助成金には全て不正受給があると言った方がいいのではないだろうか。例えば地域おこしなどにも必ず使われるが、一旦認められたものは、書類さえ揃ってればその後ほぼノーチェック。実際どう使われたなんか判りようがないのだ。そうやって、日日無駄に使われているのだが、その無駄なお金はどこにいくかというと、経費という名目で、意味のないポスターや印刷物、或いは飲食に。ということは、それに関わる業者にはよき収入となる。これらは不正受給とはちょっと意味合いが異なるが、無駄に流れるという点では同じだ。こうやって利益構造は着々と形成され、そして延々と続くのである。

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カナダ戦 純と愛

2013年03月23日 | Weblog

 

ヨルダン戦の前に調整試合のようなカナダ戦。深夜にやっていたのを見たが、かなりショボイ内容だった。緩々のディフェンス。ミスの多い攻撃陣。香川もこの相手だったら自分で仕掛けないと。連携を深めるという目的があっての事と好意的に受け止めればそうできないこともないが、まあショボさに変わりはない。あと、大津は代表のレベルではない。他のJリーグで活躍している若手をもっと抜擢するべきだろう。

始まったときに最悪の朝の連続テレビ小説と言っていた「純と愛」も後もう少しで終る。文句を言いつつも習慣で見続けたのは予想通り。漫画と思ってみれば腹も立たないというのも予想通り。それにしてもこのドラマ、予定調和が兎に角嫌いなようで、視聴者がこうなってほしいという展開を裏切り続ける。どうしてもメデタシメデタシにしたくないらしく、ちょっと調子よくなったと思っても、その後必ず不幸が待ち構えている。火事とか死という、日常起こりうることだが、そうは体験しないことを次から次と用意するのだ。これはこれであざとい演出(花登筺を思いだす)であると思うが、この手の話は一定数の人を惹きつけるのも事実。だから、思ったほど視聴率も悪くはなかった。が、朝から不幸話など見たくはないというのは変らない。このドラマが新しいなどということは全くなく、朝の連続テレビ小説ではちょっと異色だったに過ぎないのだが、変らず思うのはいつもの典型(ちょっとお気楽な)でいいのにということである。

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カマルグの塩

2013年03月22日 | 食べ物

 

T君からカマルグの塩を貰った。カフェの近所に実家のある、ベルギー在住の常連さんが帰省しついでにT君にお土産として持ってきたもののおすそ分けだ。カマルグというのは、フランスの地中海に面した塩の名産地で、フラミンゴや白馬で有名な自然豊かな所だ。具体的にどの辺りか確認すると、アルルをローヌ川に沿って下ったところだった。塩で有名な所というとゲランドがあるが、あれはブルターニュで大西洋に面した所(というのを改めて今回確認したのだが、それまではカマルグの近くと勘違いしていた)。fleur de sel(塩の花)という表示があるが、これは、日本で言えば浜塩などの塩田の天日干しと同じような意味になるのだろう。所謂ミネラル分たっぷりの天然塩だ。

T君が、「わざわざカマルグで買って来たんでしょうか」と言うので、「まさか、普通にデパートなんかにも売ってるでしょう、有名だから」と答えておいた。実際のところは知らないが、ここは推測で。「日本で言えば赤穂の塩みたいなものじゃないの」と更に付け加えた。赤穂の塩は浜塩と違うが、知名度においては近いのではないかとここも推測で。容器は紙製の筒で、蓋がコルク。このコルクというところに如何にもフランスものという風情を感じる。筒にはカマルグの風景が描かれている。湿地帯でバックにフラミンゴが飛び、その前にサギやシギなどが佇んでいる風景だ。T君と、絵は今一つだねという話をする。フランスの食品容器に印刷されている絵は、面白いもの味のあるものが多いのだが、これは今一つだったのだ。と、貰い物にも関わらず勝手な論評をしてしまうのはいつものことであった。

 

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個人的春の風物詩

2013年03月21日 | 生き物 自然

 

一昨日は暑く感じるほどの陽気で、今年初のトンボを目撃。毎年庭に出現するオツネントンボ。これも毎年同じことを言ってる気がするが、このトンボは成虫のまま冬を越す。見ると4頭ほど確認出来た。この手すりの鉄パイプがお気に入りの場所で、忙しなく飛んだり止まったりを繰り返していて、何かと思ったらその都度餌を捕まえていたのだった。写真のものも小さな蚊のようなものを食べている所だ。これで見ると大きく感じるかもしれないが、実際の大きさは、体長3センチほどの小さなイトトンボ。冬の間絶食して寒さをしのいでいたので相当お腹は空いているのだろう。何処に隠れているのか知らないが、毎年何処からか登場する。オツネントンボの姿を見ると、今年も春になったかと実感するのである。

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M氏の靴話

2013年03月19日 | Weblog

 

スノッブなM氏に、最近入手したメレルのトレッキングシューズの話をすると、自分も持ってると言う。十何年前に買ったもので、当時の値段でも二万円近くしたらしい。メレルという名前を知ったのがほんの数ヶ月前の私からすると、「流石スノッブ」と言うしかなかった。元々その手のブランドが好きで(確かソニーライトアップをご贔屓にしていた)、良いもの(高いもの)を持っていた(最近はそうでもないが)。そのメレルは履き潰して、今は作業用として使ってるらしい。履き易くてよかったと言っていた。この手のブランドは、ファッションブランドと違い品質優先なので、信頼性はあり長持ちもして値段だけの価値は十分あると言えるのだが、分かってはいてもまずその値段が大きな障害になるのが庶民感覚というものである。

「今履いている靴も結構したよ」と言うので足元を見ると、なにやら年季の入った革のスニーカーで、本人「何処のやつだったかなあ」とブランド名を忘れているので「パトリックじゃないの」と言ってやった。他人の靴のメーカーまでも見て直ぐ判ってしまうくらいに、日頃のネット観察の成果が出てきたわけだ。全くなくてもいい知識である。このパトリックに関してはT君が好きなブランドだったので特によく覚えていた。肝心のT君は、好きなのだが高いので自分では持っていない。デザイン的に良いと思うのは私も一緒。そんなパトリックをスノッブなM氏は普通に履いていたのであった。「流石ブランド好き」と厭味の一つや二つ言いたい状況であるが、結局は言ったのであった。

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アカデミー授賞式

2013年03月18日 | 映画

 

今更ながらアカデミー賞の授賞式を見た。いつも思うが、この授賞式そのものがショウで、ミュージカルありの華やかなものとなっていているので、どうしても日本のしょぼいアカデミー賞と比較して見てしまう。所謂、田舎のファッションビルは一生かかってもパルコにはなれない図式である。であるが、この本家の華やかな授賞式が素晴らしいとは全く思ってない。自分の医療費も払えない何千万と言う貧困層が現実にありながら、一部の成功者の華やかなショウ(虚栄の市にも見えなくもない)がそんな現実などないが如く行われている。この現実を見ると、アメリカンドリームなんて言っても、結局は名声と大金だけの世界、その先にあるのはドラッグセックスだけだろうと思ってしまう。そしてそんな世界をちょっと清めようとする行為がチャリティー、と皮肉な見方しか出来ない。まあ、そんな世界だからこそ人を惹き付けるとも言えるが。

それとは関係なく今回の授賞式で気になったのは、プレゼンターに登場したサンドラ.ブロックの顔。マイケルジャクソン化、或いは郷ひろみ化してないかかなり気になった。あとは助演男優賞のクリストフ.ヴァルツと同じく助演女優賞のアン.ハサウェイの感激ぶりが印象的だった。それに関連して、殆ど全ての受賞者が盛んにスタッフ関係者に対してお礼を述べていたが、本当に皆そんなに謙虚なのかとちょっと疑問に感じた。

 

 

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コーヒーの鮮度

2013年03月17日 | Weblog

 

このところコーヒーは、ずっと自家焙煎の店から購入しているのだが、その店が地元ではないので、なくなったら直ぐに買いに行くということができない。今回がそういう状況で、仕方無しにスーパーで普通に売っているブレンドを買った。改めて見ると、今は豆の状態で売っているものが物凄く少ない。以前は結構あったような気がするが、多分これは需要が少なかったせいだろう。その代わりに多くなったのが、割高のカップにセットできるドリップで淹れられる一杯用のやつ。貰い物で何回も飲んだことがあるが、挽いた粉が密封されているといっても根本的に香りは保てないので、どうやっても美味くはならない。あれだったら、インスタントでも飲んだ方が益しである。

で、今回買ったスーパーのブレンドコーヒーだが、予想通り封を開けても香りがなく、いやに乾燥しているのでミルで挽くときに力だけは要る。挽いても大して香りが立つわけでもなく、淹れても単なる色つきコーヒーであった。変に自家焙煎の新鮮なコーヒーに慣れてしまったので、この手のものが前以上に不味く感じる。結局ポイントは、焙煎後の鮮度なのだろう。豆の種類品質がどうのというより、優先すべきは鮮度だと思う。焙煎後一ヶ月以内が賞味期限といったところだろうか。

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卒業シーズンに思う

2013年03月16日 | Weblog

 

着飾った若い男女を多く目にすると思ったら、今は卒業式のシーズンだった。と思ったが、既に大方終了していた。自分自身の最後の卒業式は大学ということになるのだが、式には出席してないので卒業したというイメージは全くない。確か、式に出たいとは思わなかったのだ。兎に角儀式が好きではなかった。結果、晴れがましさが微塵もなかったのは覚えている。今となると、大学の卒業式がどういうものだったか見とけばよかった、何てことを思わないこともない。そして、儀式嫌いは今でも続いている。

そう言えば今は、卒業旅行などといった習慣が定着している。我々の頃では考えられないことである。しかも海外が当たり前ときている。いい世の中になったものだ。当時の旅行と言えば、乗り降り自由の周遊券を買い、鈍行や急行を乗り継ぎ、目的地も大まかに決めただけの気分次第の旅行であった。ガイドブックも大してなく、情報は乏しかったが、行き当たりばったりの旅行はそれなりに面白かった。唯、今は二十何時間の列車に揺られるなんてことは絶対に出来ない。こういうのは若さの特権だろう。しかし、もしいま学生だったら、同じようにグアム辺りに行ってスキューバでもしようなんてことになるのだろうか。それとも、卒業旅行なんて下らないなんて言っているのだろうか(どちらかと言えばこっちの方、と思う)。

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