ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

新型かどうか判からない風邪

2009年10月31日 | Weblog


新型インフルエンザかどうかは判からないが、
どうも風邪を引いたようだ。症状としては鼻
水が止まらないというのと喉の痛み。熱はま
だ計ってないが現時点では微熱という、状態
から推測するとそんなところの気がする。食
欲はまだあるので大したことはないと思うが、
新型も出だしは大したことないのが重症化す
るので要注意だ。というわけで本日はこの辺
で。
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ファミリーレストランの今

2009年10月30日 | Weblog


「すかいらーく」の名前は完全に消えること
になった。それにしても、一時勢いのあった
ファミリーレストランも、時代とともに今や
衰退の一途、栄枯盛衰でげすな。

昼間からビールでも飲んでという場合、ファ
ミリーレストランは結構使い勝手が良い。お
つまみもいろいろあるし、ゆったりできるし。
しかし、そんな使い方をする人間は極極少数
である。

で、そのおつまみを考えてみると、今や居酒
屋で出すのと変わりがない。殆どが出来合い
の冷凍物(或いは真空パック)なので、下手
をすると出所も同じかもしれない。元々美味
しいものを求めるわけではないからそれで充
分なのだが、どこで食べても同じようという
のは、差別化という点ではマイナスだと考え
られるが、これも確かにそうではあるが、実
は使うほうはそれ程拘ってないのではないだ
ろうか。

嘗ては、ファミリーレストランを比較して、
どこそこが良い(こちらからするとどこでも
同じようなものだろう、であったのだが)な
どと自信を持って言うような「ファミリーレ
ストラングルメ」が結構いた。今は、そうい
う中途半端なグルメもいなくなり、平均化さ
れた味で満足な層が増えて、居酒屋でもファ
ミリーレストランでもファストフードでもコ
ンビニでもどこでも良いという風になったの
ではないか、と思える。絶対数が増えたのだ
から、必然的に一つ一つのところの客数は減
る。

はるか昔、「ロイヤルホスト」三鷹台店に、
風呂帰りに洗面器を持ちながら入店し生ビー
ルをぐいっと一杯やることが楽しみだった時
代が確かにあった。
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看板

2009年10月29日 | Weblog


T君のカフェは昨日で営業を終わった。後は新
しい店に向けての準備ということになるが、こ
れからやることは山程ある。店内の塗り替え
外の塗り替え、基本的に業者に任せないので
全部自分でやるしかないのだ。そういう作業
によって、かなりしょぼい新しい店となると
ころの建物が、どの程度見られるようになる
か楽しみでもあり不安でもあるところだ。一
応、テントだけは者者に任せる。こちらは、
ぼちぼち看板の製作に取り掛からないといけ
ない(勿論手弁当)。まだまだ余裕があるが、
やる時にやらないとなかなか出来ないので、
デザインだけは決めておこうと、T君に見せた
ら、カフェの位置を前にしてほしいと最後に
また変更となり、急遽順番を変えたらバラン
スが悪くなり、最初は同じ大きさで作った書
体を、cafeだけ小さくして、しかも微妙に位
置を変えるという作業となり、結構余計な手
間がかかってしまった。何故か、そんなとこ
ろにこだわりがあるようだ。別に前のもので
全く問題ないと思えるのだが。

というわけで出来たデザインが、ほぼ写真の
ようなもの。実際は60x40センチの板に、字の
部分だけを彫り色を塗るのだ。これから、定
期的にカフェが出来るまでのレポートでもし
ようかね。
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ヒメダカの引越し

2009年10月27日 | 生き物 自然


「滝壺ビオトープ」の整備のため、「ヒメダ
カ」は全て鯉の池に放すことにした。これは
滝壺ビオトープ内の環境を、完全にヤゴ中心
にすることと、他の小さな水生昆虫、「ツブ
ゲンゴロウ」などが生き易いものにしようと
いう考えの基の行動である。例え小さなヒメ
ダカであれど、動くものはとりあえず食べよ
うとするのだ。交尾はすれどいっこうにその
姿を確認できないツブゲンゴロウの幼虫など
は、多分食べられていると予想されるのだ。

二十匹以上のヒメダカを捕まえるのも結構大
変で、朝の動きの鈍い間を狙ったり、数匹づ
つ捕まえては放流を繰り返し、何とかミッショ
ンは完了した。鯉の池に放すと食べられてし
まうのではと以前は考えていたが、偶然逃げ
出したヒメダカが元気に成長しているのを見
て、これは大丈夫と確認してのことなので、
不安はない。実際、狭い滝壺ビオトープ内で
は、縄張り意識からお互いを突っつきまわし
ていたが、より自然界に近い池の中だと、今
度は仲間意識からか、ちゃんと群れとなって
行動している。メダカの学校になっているの
だ。よくしたものである。天敵のいる環境で
は、それに適した本能的な行動を取るように
なっているのだ。鯉の池は凍ることもないし、
冬場も大丈夫だ。中には食べられてしまうの
もいるだろうが、安全地帯は用意してあるし、
元気な個体は間違いなく生き残ると確信して
いる。

滝壺ビオトープは、「ホテイ草」も整理しよ
うと思っている。すでに数株と、葉も整理し
たのだがそれだけでも大分すっきりしてきた。
冬には枯れるらしいので(零下では生き残れ
ないということだ)、いずれ撤去なので今か
ら始めているのだ。来年はホテイ草は置かな
いつもりだ。在来種の水草も定着したし、あ
まりに繁殖して水面を覆いすぎるということ
もあるので。密集した根は、生き物にとって
は格好の棲家ではあったが、今年でお役ごめ
んということだ。試行錯誤のビオトープ作り
はまだまだ続く。
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ブルーゾーン

2009年10月26日 | Weblog


昔、吉祥寺の駅の近くに「ブルーゾーン」と
いう、見るからに怪しい喫茶店なのかスナッ
クなのか、要するにわけの分からない店があっ
た。ただ、店内が青一色であることだけは窺
い知ることは出来た。駅の近くなのだが、そ
の周辺だけは時代に取り残されたような一角
で(今から20年近く前の話)、とても吉祥寺
とは思えない場所だった。今から思うと、全
体に妖気が漂っていたような気もする。ふと、
本当にあったのかという疑問さえ浮かぶが、
確か知り合いが一回入って、その時の様子を
聞いた筈だ。自分では、今一つ勇気が出ず行
くことはなかった。店内には、何故かマネキ
ンが置いてあり怪しさ満開であったとその知
り合いは言った。ひょっとしたら、異界の入
り口だったのかと、今にすると思う。という
のはマンガの世界だが、怪しい店だったとい
うのは本当だ。それにしても一体誰がやって
たのか。

何故こんなことを思い出したかというと、先
日松本までの道を走っているっ途中に、一角
だけブルーに染まってるところがあったのだ。
怪しさはないが、青空に溶け込むようないい
味を出している建物。信号で止まった時発見
したので、早速車の中から撮ったのが本日の
写真である。
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Yの法則

2009年10月25日 | Weblog


ゲロゲロ少年Yが、またまた新しいDVDを持っ
てきた。ペドロコスタの「ヴァンダの部屋」
という作品だ。未見の監督で見たいと思って
いたのであり難いが、前回のマノエル.ド.
オリヴェイラの「神曲」もまだ見てない状態
なのでちょっと申し訳ない。何せ、どちらも
軽く見ようとして見られるような映画ではな
いので。

ちょうど良いので、松本のカフェの話しをし
たが、予想通りYの好みになりそうなものでは
なかった。どう考えても、彼好みの以前のクリ
ヨー.ド.ヴァンのようなカフェは存在し得
ない。嘗てのあの店は、正に奇跡のような存
在であったのだ。Yは、移転した店にも何回か
入ってるが、行く度に過去の店に対する愛着
愛惜が増すばかりのようだ。それはこちらも
よく理解するところである。

「Yの法則」というものがある。それはYが好
むところは皆駄目になるというもので、今回
またそれが起こったらしい。車やなのだが、フ
ランス車を専門に輸入しているところが(Yは
ルノー愛好者でここで購入)、廃業なのか倒
産なのか、兎に角店仕舞いするらしいことが
最近分かったということであった。何やらま
たショックを受け嘆いていた。整備も任せて
いたのでどうしようなどと言っていたが、別
にフランス車だから専門のところに任せなく
ても、他にやってくれるところはいくらでも
あるが、一旦決めたところを変えることに相
当抵抗があるらしい。これは彼の性格で、臨
機応変に対応できるような柔軟性が元々不足
しているのだ。まあ、そんなことはどうにで
もなるが、いずれにしろ、久しぶりの「Yの法
則」を確認する出来ごとであった。
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松本散歩Ⅲ2009

2009年10月24日 | Weblog


昨日の続き

松本城を後にして、「旧開地小学校」に向か
う。ここは明治に建てられた小学校をそのま
ま保存しているところで、当時の洋風建築の
粋を存分に堪能できる(多分)。松本では有
名どころなのだが、実は行くのは初めて。お
城からは歩いて数分で着く。内部は入場料を
払わないといけないので、外から眺める。き
れいに保存されていて確かに端正であるが、
きれい過ぎてちょっと味がない。建物は、や
はり風化した部分がないと味気ない。全くの
好みの問題だが、これは例えば、「ベルサイ
ユ宮殿」よりは、名もない崩れかけの城塞の
ほうに惹かれるというのに近い感覚だ。

そして、車を止めたスーパーに戻る。適当に
路地を通り、何か発見はないかときょろきょ
ろしながら。最後に、スーパーのペット屋の
横にいつも繋がれている二匹の柴犬、「花」
と「良夫」に挨拶をする。「花」が成犬で
「良夫」は幼犬。因みに名前はこちらが勝手
に付けた謂わば仮称である。ついこの間まで
「良夫」は無警戒でだれにでも尾っぽを振っ
ていたが成長したからか、今回はいやに警戒
している。おとなしい「花」の方を撫で車に
戻ることにした。

いつも思うが、松本というところは散歩には
適した街だ。それは、昔の家並みが残され
ていて、しかも新しい個性的な店などが点在
しているからだ。散歩に適さないのは、区画
整理されたきれいな街。地方都市は、基本的
に近代化の下にどこでもそういう方向にある。
結果個性のない詰まらない町になる。車中心
に考えると、走りやすさ優先で広い通りがが
らんと街の中心にある全く魅力のない街にな
るのは当然だ。車ではなく、歩くを基本とし
た発想でやってほしいところだが、まあ無理
だろう。
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松本散歩Ⅱ2009

2009年10月23日 | Weblog


「カフェ.マトカ」は、確かに判りにくい場
所にある。この辺に明るくないと辿り着くの
は難しそう。初めて入る店と言うのはどこで
もそうだが、若干の緊張感を強いられる。そ
れがたとえカフェであっても。特に小さいと
ころほど、中の様子が分からないのでそうい
う傾向がある(恐れるのは常連ばかりの閉じ
た空間)。ここも何かこじんまりとした雰囲
気だけは外からでも分かる。

扉を開けた中は、席数の割には広々とした空
間であった。かなり余裕を持った造りで、ナ
チュラル素材で作り上げたロハス的空間と言
えば分かりやすいのではないか(余計分から
ないか)。ほっこりした雰囲気である。かも
め食堂のカフェ版か。靴は脱いで板の間に上
がりこむ。食事はカレーなどがいくつかあり、
その中の野菜カレーとマトカブレンドコーヒ
ーを頼む。味のほうはというと、ナチュラル
系のそういう味と言えば、分かる人には分か
るそういう味だ(これも分かり難いか)。し
かし、ここはゆっくり本でも読んでという過
ごし方がぴったりの店だ。落ち着いた雰囲気
でもあるし居心地は良さそうである。ただ、
ゲロゲロ少年Yにとっては好みでは無さそう。
正統派フレンチカフェのようにオープンでは
ないし、ビールをぐびぐび飲み最後にカルヴァ
ドスという過ごし方は不可能であるし、こじ
んまりしている分雑踏の中の孤独も味わえな
い。とてもコクトーを気取るような所ではな
い。

店を後にして、お城の裏側に周る。平日にも
関わらず結構観光客が多い。団体も来ている。
今頃来ているのはどういう団体かと思ったら
(見たところ二十代三十代)、いやに喋りが
けたたましい。中国語だった。他にも見かけ
たが、今は中国人の観光客が本当に多いのだ
なと実感した。

裏側には、大きなケヤキがの並木があるのだ
が、ある観光客が(日本人の老夫婦)それを
背景に写真を撮ろうとしていた。すると信号
待ちをしている私に撮ってくれと声をかけて
きた。断る理由はないので渡された携帯で撮
った(使ったことないのでカメラよりやり難
かった)。すると、「プロの方に申し訳ない
ですが」などと言う。いつしかプロになって
しまったようだ。一眼を持ってるだけでプロ
に見られるというのは、喜ぶべきことか?一
眼と言ってもコンデジと変わらない値で買っ
たもの。まあ、そう思ってるんだったらプロ
にしておこう。向こうもプロに撮って貰った
と喜んでるかもしれないから。夢は壊さない
ように。
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松本散歩2009

2009年10月22日 | Weblog


多分今年の最後だと思う、松本の「クロツバ
メシジミ」のいる河原に出かける。食草の「ツ
メレンゲは」は花を咲かせ、数は多くないが
「クロツバメシジミ」もちらちら飛んでいる。
赤とんぼの「ミヤマアカネ」(写真)も数は
少ないながらもまだいたが、全体のトンボの
数はめっきり少なくなった。昆虫類も店じま
いという雰囲気である。

その後、市内のスーパーの駐車場に車を止め、
周辺を散歩する(一応買い物もして)。松本
城の裏の方を集中的に周ろうと思ったのだ。
昼時でもあるので何処かによろうとも。かつ
てなら迷わず「クリヨー.ド.ヴァン」であっ
たのだが、この時期テラスはもう寒いので「ク
リヨー.ド.ヴァン」は却下。以前であれば
中でも良かったのだが、新しい店は、テラス
は良いが中は今ひとつ自分にとっては心地よ
くないのだ(変に広くなって)。適当なカフェ
がないかとは、ゲロゲロ少年Yとも話していた
が、未だ見つからずの状態で来たが、一つ候
補がありそこに寄ることにした。場所もお城
に近いし、ちょっと裏通りの隠れ家的なシチュ
エーションも興味をそそった。店の名前は「カ
フェ.マトカ」という。

つづく

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キャベツとアンチョビ

2009年10月20日 | 食べ物


「キャベツとアンチョビのパスタ」を食べる。
今やすっかりポピュラーな料理となったキャ
ベツとアンチョビ、確かに良い組み合わせだ
と思う。キャベツの香りとアンチョビの風味
の相性は良い。しかも簡単。良いことずくめ
だが、本当に美味しく仕上げるのは結構難し
い。「ペペロンチーノ」にも言えるが、単純
な材料の時ほど、タイミングが重要になって
くる。パスタの湯で揚げのタイミングとか、
ニンニクの炒め具合、投入のタイミングと、
微妙な瞬間で味が左右される。それと、炒め
たものの水分の状態。乳化と言われる状態に
なっているかがかなり重要。これによってパ
スタと具材の一体化が決まるのだ。店で食べ
てもなかなか良い状態のものに当らないのは、
この辺に原因がある。自分で作った場合も、
本当に良い出来と思うのは、五回に一回くら
いで、昨日はちょうどその一回に当った。塩
気もアンチョビのみで、あとはゆでた時の塩
のみで良い具合だった。

考えてみれば、この塩気というのが最終的な
決め手だし、これはあらゆる料理に共通する
ことだから本当に一番重要なのはこれかもし
れない。「塩を制したものは料理を制する」
とかのブリア=サヴァランが言ったかどうか
は全く知らないが、多分そういうことではな
いかと思う。

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金賞の胡散臭さ

2009年10月19日 | Weblog


このお菓子は「モンドセレクション」金賞受
賞とか聞く、あの「モンドセレクション」っ
て一体何なのだ、と思っている人は多いので
はないだろうか。ついでに何か胡散臭いもの
も感じて。それは何故かと言えば、受賞した
ものがやたらと多く感じるからだ。一見尤も
らしい名前の賞であるが、こういう現象をちゃ
んと見てれば怪しいと思うのは自然なことで
はないだろうか。

一般的に賞を乱発するところは、本当の権威
はなく、しかも提供する側は殆どが賞を売る
ことで成立っている、正に胡散臭い団体であ
ることが多い。最近では、資格がそれだ。こ
れも、無理やり作った資格を、まるで公的な
資格の如く尤もらしい名前をつけて高く売る。
つまり、ポイントは尤もらしい名前なのだが、
不思議に思うのは、こんなどう考えたって怪
しいと思うようなものでも信じてしまう人が
常にいるという事実だ。そうでなけれ、未だ
に「モンドセレクション」受賞などと宣伝す
ることは無い筈だ。経験的に、こんな味で金
賞が取れる賞って一体何なのだ、と思うのが
普通だと思ったのだが、実際はそうではない
ということなのだろう。

「モンドセレクション」は、日本のお金で成
立していると言われるくらい、日本のメーカ
ーはほしがっているらしいが、何だか名前権
威に弱い日本人そのものを表わしているよう
で弱っちゃいます。
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鬱の時代

2009年10月18日 | Weblog


「加藤和彦」自殺。「水虫の歌」とか「たぬ
きの歌」が懐かしい。経済的にも恵まれ名声
を得た人間が、ある歳になって、何を今更と
周りが思うような自殺をするというのは、確
実に存在する。他人には分からない部分だが、
一つのパターンとすれば何となく想像がつく。
軽快なライフスタイルとか(表面上)、何故
か「伊丹十三」を思い出す。

深夜の「アーセナル対バーミンガム」を見て
いたら(殆ど寝てたが)、その後眠気が去り
今度は寝られなくなってしまった。そうなる
と昼間のだるさが半端ではない。このところ、
ただでさえ昼間の疲労感が蓄積されていて抜
けることがないのに、弱ったことだ。これも
ひょっとして鬱の前兆か。そんなことを言っ
たら、心当たりのある人間がそれこそ何百万
いや何千万か、声を上げるだろう。それを称
して「鬱の時代」。いずれにしろ誰にでも可
能性があるのが「鬱」である。そう言えば昔、
「鬱」という漢字を覚えるため、何度も書い
たことがあった。そんなことをやると益々「鬱」
になりそうだが、実際書く機会がないこんな
漢字に対峙するのは、あまり良いこととも思
えない。
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サルコジとヤゴ

2009年10月17日 | Weblog


フランスのサルコジ大統領は、やることがア
フリカのどこかの大統領みたいだ。自分の息
子を要職に就けようとしたり、やりたい放題
という印象がある。君主制の名残か、権力が
ほしくて成り上がった人間の典型に見えてく
る。ミッテラン、シラクにはどこか哲学を感
じたが、サルコジはやり手の、しかもえげつ
ないビジネスマンとしか見えない。背景には、
そういう大統領を望んだというフランスの事
情があるのだろうが、イタリアといい、ああ
いうタイプの大統領がうまれるのも伝統の力
ということだろうか。

「滝壺ビオトープ」には、今年孵ったヤゴが
何匹かいるのだが、現時点ではまだ小さくて
種類は特定できない(大きくなっても難しい
のだが)。それでも、全体の形というか印象
が違うのがいる。色とかは個体差が激しくあ
てにならない。ポイントは形と足の長さなど
であるが、図鑑で見ると明らかに違うと思わ
れるものが、現物だとよく判らないというの
が正直なところで、この点ではまだ全くの初
心者であるが、それでも何か違うというのは
感じる。今年羽化したものが全て「オオシオ
カラトンボ」だったので(ヤゴの段階での予
想は四種類だったのに)、どうにかそれ以外
のトンボも羽化させたいと切に思っているの
だ。だから、オオシオカラトンボ以外のヤゴ
らしきものを発見すると、ついつい胸が高鳴っ
てしまうのだ。
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町の季節

2009年10月16日 | Weblog


この時期になると、流石に虫類も不活発とな
りフィールドに行っても大した発見はない。
しかし、山々の木々葉っぱは徐々に変化し、
思いもよらない姿を見せる。つまり、それら
が一番フォトジェニックな季節は、実は、こ
れからなのだ(とでも思わないとフィールドの
楽しみは発見できない)。何せ、下手をする
と、寒さと寂しさと侘しさしか感じられない
のがこの季節だから(そういう世界も魅力で
はあるが)。

視点がミクロからミクロプラスマクロに転換
するわけだが、元々風景などの写真を撮るの
が好きな人は(多数派だと思う)、別に視点
の変化などなくいよいよ紅葉のシーズンだと
胸を躍らす。そういう名所に事欠かないのが
信州である。皆あっちこっち飛び回るのだが、
全く興味のない人間としては、名所でもなん
でもないところで何かないかと目を凝らす。
日常見逃してた風景のなかに何かを発見する
ことに喜びを感じる感覚は、なかなか人には
理解はされない。が、理解される必要もない。
勝手に自分だけで喜んでれば良い世界なのだ
から、自分が面白いと思えばそれが全てであ
る。となると、そういうものは、自然の中よ
り街の中である。つまり、個人的には、寒く
なると町の季節ということになるのである。





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十月十五日

2009年10月15日 | Weblog


羽田をハブ化するのは、一番理にかなってい
る。日本全体のことを考えたら、結論は一つ
しかないが、一応地元のために演技をしない
といけないというのが、今回の森田知事だっ
た。しかし、彼の能力に関しては未だ疑問符
だらけ。

「日本対トーゴ」戦、あまりにトーゴがへぼ
すぎて、何のための試合だったかと根本的な
疑問を感じざる得ないものだったが、「森本」
が他の日本のフォワードとは一味違うことだ
けは分かった。基本は「岡崎」「森本」って
ところかな。

T君のところで「蕎麦のガレット」をご馳走に
なる(最近このパターンが多い)。看板用の
デザインと、出来上がった地図を持っていっ
て大体のところを決めたが、何だか業者と施
主のような関係。一般的には、この時期が期
待感も高まり楽しい時期なのだが、こちらは
暇つぶし、施主は期待感ほぼゼロというなん
とも微妙なもの。これも一種の文化活動と割
り切らないとやってられないだろう。
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