ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ガガ日和

2011年06月30日 | 生き物 自然

 

山の中の「ゲンゴロウ池」の定点観測。ここに行くには往復4キロほど歩くのだが、その道中もいろいろ観察できて楽しい。そこは、雑木林をぬう山道で、ところどころ細流や湿地があり、いろんな生き物の住める環境となっている。今回トンボはカワトンボ(アサヒナカワトンボかニホンカワトンボか今一つ同定できない)が多かった。

 

 

そして、良く目に付いたのは蝶よりはガ、ガ、ガ(タイトルにガガとあるのは勿論レディー.ガガを意識してるのだが、間違いなく検索でひっかかるのでそこはちょっと騙してるような気分も)。最初これを見たときは「ジャコウアゲハ」が、と思った。しかし実際は「アゲハモドキ」という蛾。それにしても良く似てる。

 

 

成虫がいるということは、当然幼虫も。これなんか所謂「THE 毛虫」(本日すべてクリック注意)。しかしよく見ると、造形的には蝶より蛾の方が面白いものが多い、ような気がする。これも、まるで上質な絹のような質感だ。

 

 

そしてこんなのも。造形的には面白いが、この形のものは確か毒蛾系だったような。

 

 

これも「THE 毛虫」。豪華に金箔製だ。

 

 

嫌われている毛虫をこれ以上載せるのも、この馬鹿暑い時適切ではないと思うので(もう遅いか?)最後に造形的にこれだったらという成虫を一つ。

 

 

何だか、新種のウサギに見えなくもない。ただ、これも毒蛾系かもしれない。

 

 

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6月28日

2011年06月28日 | Weblog

 

なでしこジャパン、勝つに勝ったが、いま一つ強さは感じなかった。ベストスリーは難しそう、というのが正直な所だが、さてどうなりますか。

本日ヤゴ7号が羽化。続いて8号が、すでに羽化態勢で羽化棒の下で待機。いつでも行けまっせの状態だ。家のビオトープからは順調に羽化が続いているが、その割にトンボ全般周りで飛んでるのを見ない。毎年この時期はこんなものだったか、とふと思う。ピークは7月だから、多分、これからなのだろう。

庭にナミテントウムシが大量発生したことは以前書いたが、それらは幼虫のときも成虫のときもアブラムシ(ゴキーラではなくアリマキのこと)をせっせと食べる。その量は結構なもので、木に物凄くたかったアブラムシがいつの間にか消えている、と感じるくらいに捕食しまくる。アブラムシが大量発生するからテントウムシが大量発生するのか、その辺のメカニズムは分からないが、アブラムシを食べるテントウムシの姿は、どこか正義の味方のように輝き頼もしい。そしてアブラムシがいなくなると、テントウムシも風のように去る。ちみは荒野の用心棒、或いはペイルライダーか。

 

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NO.の秘密

2011年06月27日 | Weblog

 

普段は全く気にも留めないのだが、ふとしたきっかけでその意味を考え、そのことによって今まで迷いなくできたものができなくなるということがある。それが「NO.」という記号だった。ナンバーワンであればNO.1と殆どの人は自然に書けるあれだ。ところがこの前、それを書こうと思って、うん?NOだったかNUだったかと考えてしまったのだ。何故かと言えばナンバーのつづりはNumberだったから。そこで今度は、そもそもつづりが思い違いだったかと考えてしまう。こうなると正しい基準というものを見失い、何が正解なのか分からなくなる迷宮の森に迷い込むことになる。

そこで仕方なく辞書で調べる。どうやら元はラテン語でnumero(フランス語でも同じ)、その最初と最後をとったものということだった。大体頭文字で来ると思うからnumberだったらNUとなってしまうのだ。これも一つの思い込みの結果か。その発想でネットには、フランス語のnombreから頭文字をとったものという情報があったが、そもそもnombreは数で番号という意味はないのでフランス語だったらnumeroのNUになるはずなのでこれは間違い(多分)。

と、自分にとっては知らなかったことだが、世間一般には良く知られたことなのかい?

 

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類は友を呼ぶ

2011年06月26日 | トマソン

最近は歩いていて、例えばこんな建物があると、「おっGタイプか?」とつい無意識的に区分けをしている。しかしこの建物の場合、良く見れば(というより良く見てしまうから)単なる影だったのだ。きれいに相似形となっているので、そうあってほしいという心理的力が働いた結果、だと思う。ただこの壁、ちょっと怪しい部分があることは事実である。

 

 

それではこの建物の場合は。

 

 

別になんでもない建物だ、と99.99パーセントの人は思うであろう。せいぜいちょっと古めか、という程度の印象を持つくらいだと思う。しかし良く見ると(最早お約束のフレーズ)、壁の一部だけの色が違う。何故あそこだけ、とやや不思議に感じる。ただしインパクトがいま一つなので面白みも弱い。それでは次の建物の壁のような場合はどうだ。

 

 

これこそ、何でもないと、99.999パーセントの人がその壁の存在すら意識することなく通り過ぎていく。しかし、そこにはかなり怪しい痕跡があったのだ。それもあまりに渋い。まず手前に入り口らしきものの痕跡。奥には二つの窓らしき痕跡。どちらも点線で示しているかのようなきれいな直線だ。これだけ揃ったものは珍しいのではないか。こういう物件は発見の喜びをもたらしてくれる。つまり、気付かない人が多ければ多いほど、発見したときの喜びは大きくなるというわけだ。おまけに、壁ではない道路の点線(面線と言いたい)が、普通は白なのにこんな赤茶色という。これも類は友を呼ぶと言っていい現象だろうか。

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Yの原稿

2011年06月25日 | Weblog

 

ゲロゲロ少年Yが、いつものように酒の臭いを振りまきながら登場。借りていたDVD「渇き」「雲から抵抗へ あの彼らの出会い」「ヤコブへの手紙」を返す。今回は新たなDVDは持参せず、映画のパンフレットだけ持ってきた。パンフレットだけ貰ってもね。内わけは「ヘルツォーク傑作選2011」「エッセンシャル.キリング」(イエジー.スコリモフスキー)「ロベール.ブレッソンの芸術」の三枚。全てイメージフォーラムのものだった。東京にでもいれば通ったかもしれないが、田舎からわざわざその為にという元気は最早ない。

Yに「Tac通信」の完成したものを見せると、「ええっ、できたんですか?映画について書くつもりだったのに」ととぼけたことを言う。以前、ちょっと打診したとき、全くその気が感じられなかったので頼まなかったのだ。彼に頼むとちょっと面倒くさいと思ったことも事実であった。訳の分からないことを言ってるにも拘らず本人はその自覚がないというのは、相手するほうからすれば結構大変なのだ。しかし、今回そこまで言うのならと、次回分は頼んだ。ダグラス.サーク論を書くぞと本人いやに張り切っていた。

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6月24日

2011年06月24日 | Weblog

 

書いてなかったが、22日に五号六号の羽化(オオシオカラトンボ)が完了。真打のマルタンヤンマはまだその気配はない(羽化が近付くと体色が黒っぽくなり、じっと動かなくなる)

仏の松井がどうのこうのとニュースにあるので何事かと思ったら、加藤ローサ(黒木メイサとたまに混同する)と結婚したということであった。誰と結婚しようが興味はないが、松井が離婚してたことが初耳だった(糟糠の妻的存在だと思っていたが)。それよりは、サッカー選手としてもう少し頑張ってほしいと思ってる人は少なくないのでは。現時点でのフランスでの活躍は全く物足りない。

高木豊の次男はオランダのユトレヒトと契約。こういうのは文句なしに応援したくなる。代表として五輪予選で活躍するよりは、海外で揉まれてそこで活躍すれば、結果的に五輪の日本代表になるよりは選手としての価値は上がるし日本代表のレベルアップにつながる。その五輪予選の対クエートは1-2で負け。しかしトータルで勝ち抜け。流石に気温40度の中での戦いは気の毒だった。相手に与えたPKも、中東では常識とも言えるものだし、まあ良い経験にはなったのだろう。

梅雨らしいと言えば梅雨らしいのだろうが、ここのところの蒸し暑さはかなり不快なものがある。朝、自分の熱でもあるのかと錯覚するくらいの嫌な暑さだ。道路のアスファルトも相当熱くなり真夏並みの状態になる。そんな時には、こんな蛙の煎餅或いは干物もできるのである。どうやらトノサマガエルのようだす(クリック注意)。

 

 

 

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定点観測3

2011年06月23日 | 生き物 自然

 

定点観測も範囲が広くなった分回るだけでも大変になってきた。まずは一番山の中の「ルリボシ池」。相変わらず多いのは「シオヤトンボ」。他は「ヨツボシトンボ」がそこそこ。後は種類は判らないがイトトンボの羽化直後のものが結構飛んでいた。

 

 

「ギンイチモンジセセリ」もまだまだ新鮮だ。

 

 

これといった収穫もなく(定点観測の要諦はあくまでも観測である)、今度は松本に(山の中からだと感覚的にはかなり遠い)。市内に至る道筋に、この時期観察したい田んぼがあるので、当然そこで暫く田んぼウォッチング。地元にも田んぼは一杯あるが、観察すべき田んぼが今の所ないのが悲しい。さてその田んぼだが、畦道を歩くと、ぱらぱらとイトトンボが飛び出した。「モートンイトトンボ」だ。このトンボがいるところは、環境的には良好と思って良い。

 

 

「ハラビロトンボ」も多い。黒いのがオス。この状態が半成熟らしく、この後成熟するとシオカラトンボのように塩をふく。黄色いのはメス。

 

 

田んぼの中を覗くと、ミジンコが星雲の如く湧いている。それを餌とするアカネ類のヤゴも多い。こうやって田んぼの中の生態系は保たれているわけだ。これでミズカマキリでもいたら言うことなしだ。そして、隣に休耕田が。早速じっくり観察。休耕田は、水生生物にとっては理想的な環境だ。じっくり観察すると、小さな生物が泳いでいる。ゲンゴロウ類やガムシ類などの大物はぱっと見ただけで直ぐその存在は分かるのだが、他のものは保護色系もありぱっと見ただけではよく分からないのだ。泳いでいるのはタイコウチの子供だろうか。いずれにしろ、良い環境なのは間違いない。これで、定点観測地がまた一つ増えた。更に観察していると、これは誰が見ても一目瞭然の「コオイムシ」が。この卵を見よ!撮影のため陸に上がってもらったが、アオミドロモも一緒で顔がよく分からなかった。昔は、こんなものが普通に田んぼにいたものだが(クリック注意)。

 

 

 

 

 

 

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ツバメの巣 その後

2011年06月21日 | 生き物 自然

 

先日(6月18日)、ツバメの卵が孵らなかったことを書いたが、何と、同じツバメかどうかは判らないが、再び抱卵を始めた。平均二週間ほどらしいのでその頃結果が出るが、今度こそ成功してほしいものだ。本当、大丈夫かい。今度失敗したら見る映画がないぞ。溝口健二の「西鶴一代女」もしくは小津安二郎の「東京暮色」辺りが悲しい気分の時にはうってつけだが、あいにく手元にはない。まあ、無理して映画を見ることもないが、悲しいときにはどっぷり悲しい気分に浸るというのは、欝の時に変に励まさないほうがいいという心理的メカニズムに近いものがある。

抱卵を繰り返すと言えば鴇だが、期待に反してなかなか孵らない。自然界で普通に繁殖しにくいというところに、鴇が日本で絶滅してしまったという事実が自然と納得いく。そういう運命だったのだろう。環境の変化に適応しにくいのか、種類によっては数を増やすものもあれば減らすものもある。これも自然界のメカニズムだが(自然淘汰の一言で済まされそうだが)、新種は生まれてないので、全体の種類が激減していることだけは厳然たる事実。ところで今やってるビオトープ、何のためかと言われれば自分のため。大儀名分からすれば種の多様性を保つための一助になればということだが、本当のところはは楽しいから。そんなものである。

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あの彼らの出会い

2011年06月21日 | 映画

 

ゲロゲロ少年から借りていたDVDの最後の一枚、ストローブ=ユイレの二作品収録の「雲から抵抗へ」「あの彼らの出会い」の見てなかった方の「あの彼らの出会い」をとうとう見終わった。実はこの作品は、初めてストローブ=ユイレに接した唯一のスクリーンで見た作品だったのだ。その時の印象は、これって映画なのか、というものだった。演技はしない、固定カメラで登場人物は動かない、台詞は朗読調しかも内容は神話の世界のような話し、全てが今まで見た映画の常識を覆すもので、物語性も一切なくこれで大丈夫か(寝ちゃいそうだ)と思ったが、これが不思議で、画面からは、森の風の音や鳥のさえずりせせらぎの音などの自然の気配がものすごく新鮮に伝わってくるのだ。それは、ドキュメンタリーの自然を扱ってるもの以上のことで、ちょっと不思議な感覚を味わえる。

「あの彼らの出会い」は、どうやら一見農夫のような人間が実は神である設定のようだ。二人ずつ出てきてただ会話をするだけ、これが映画の全てと言っても良い。会話の内容は、神と人間の関係、のようなこと。それを延々と続けるのだ。これだけ聞いたら、多分100人中99人は興味が失せると思う。いやもっとか。しかし、実際見ると(ここで10人中9人は脱落)、そのシンプルな構造がそれゆえ持ちえたある種の映画の力を感じることができるのだった(ホンマか?)。

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スポーツ賛歌

2011年06月20日 | Weblog

 

サッカー五輪予選、対クエートは3-1で勝利。結構攻撃は形になっていてそこそこ行けそうだが、あの失点は余計だ。明らかなミス。酒井は相当反省していることだろう。とは言え、五輪にサッカーはいらないだろうという気持ちは変わらない。

スポーツついでに野球。交流戦の意味が分からない。無理無理面白くしたいのだろうが、同じ日本のチーム内での普通の対戦に過ぎないものがどうやったら面白くなるのか、と見たくもないスポーツニュースで見るたびに思う。

数あるスポーツの中でダントツに嫌いなのがゴルフだが、特に、子供のゴルフ教室のようなものを見るたびに嫌な気持ちが走る。親の欲が見え隠れしているからだ。あわよくば第二の石川遼が見え見えなのだ。金持ちの道楽息子がゴルフなどというのは、ああそうかで済むが、どう見たってそれほどでもないと思う子女がやってる姿は、どこか女工哀史、或いは店に売られた子供の姿と重なる。これは、少年野球でも感じることである。根底にあるのは市場原理なのだが、スポーツ=純粋という幻想を糊塗して、やれゴルフの素晴らしさ、野球の素晴らしさと綺麗ごとを言いたがるから気に障るのだろう、と自分自身については思う。

 

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春の山

2011年06月19日 | 生き物 自然

 

昨日はヤゴ三号に続いて四号も羽化していた。手前の三号ばかりに目が行って、その後ろの四号には気付かなかったようだ。抜け殻だけが残っていた。

この時期山方面は、「エゾハルゼミ」の大合唱がうるさいくらいに聞こえる。鳴き方は、「ヒグラシ」をだみ声にしたような感じで、たまにカエルのような鳴き声を合いの手の如く入れる。だからヒグラシと違って、涼しげなある種の風情を感じさせるような鳴き声ではない。しかし、この時期の風物詩ではある。道の脇の草むらでは、何匹もの新鮮な「エゾハルゼミ」がぶらさがっていた。

 

 

そして中には、こんなものも。すでにミイラ状態、黴かなにかでやられたのだろうか(クリック注意)。

 

 

山の季節はまだ春である。早蕨。この言葉を聞くと、何故か「あつめて早し最上川と」と続けたくなるが、あれは五月雨だった。早蕨、五月雨、、、、近い。早蕨の方は「垂水の上の早蕨の萌え出ずる春になりにけるかも」となるのだが、その前がいつも思い出せない。正解は石ばしると書いていわばしる、なかなか思い出せなかった訳だ、そもそも覚えてなかったのだから。

 

 

そして、一際目を引いたのがこの集団。どうやら「ジュウジナガカメムシ」という種類のようだ。カメムシ類はよく集団でいて、しかもそのポップな柄、どうしたって注目したくなる。「へっぴりむし」と蔑まれることも多いが、その柄は魅力的で要注目や(クリック注意)。

 

 

こっちは種類は判らない。

 

 

早春の虫「ビロードツリアブ」も、まだいたか。

 

 

 

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悲しい世界

2011年06月18日 | Weblog

 

本日、ヤゴ三号(オオシオカラトンボ)が無事に羽化した。順調に羽化は続いている。一方、残念なのはツバメ。もうとっくに孵化して給餌行動をしていてもおかしくない時期なのに、相変わらず抱卵している状態で、あまりに長いと思っていた所、とうとう親ツバメもいなくなり巣は無人状態(この場合は無燕状態か)。心配になり覗いて見ると、卵が五個ほどそのままで、すでにカラカラ。無精卵だったのか。それにしてもこんなことは初めてだ。産んでもちゃんと孵らない今回のようなケースは、ひょっとしたら全国的に増えているのかもしれない。ツバメの数がかなり減っているのは事実なので、これも一つの原因ではないだろうかと思った。他のカップルを追い出したほうがこれでは、あまりにも悲しい結末である。

そんな気分の時は山中貞夫の「人情紙風船」でも見て、更にどっぷり悲しい世界に浸る。「毛利様!毛利様!」と呼びかける姿があまりに哀れだ。これぞ落魄した人間の正しい姿。しかし、いつ見ても映画的魅力が充溢した良い映画である。

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羽化一号二号

2011年06月17日 | 生き物 自然

 

6月15日、今年第一号のヤゴ(オオシオカラトンボ)が羽化した(時間差で第二号も)。今年のほうが季節が遅れているので例年より遅いかと思って確認すると、去年の第一号は17日だった。これにはどうも、気候よりは餌の状況のほうが関係しているのかもしれない。今年は、明らかに(視認できる範囲で)、去年よりミジンコの数が多いのだ。見てるとオオシオカラトンボのヤゴは、成長してもミジンコ以外はあまり食べない。マルタンヤンマのヤゴはそのオオシオカラトンボのヤゴさえも食べる。種類によって好みが分かれるのも面白い。そして今回の第一号は、折角設置した羽化棒を使わず、石の側面で羽化したのだが、実はこういう場所は蟻や蜘蛛に襲われる危険性が高く、ヤゴにとってはあまり安全な場所ではない。無事に成功したから良かったが、何故わざわざここを、と一号に聞いてみたいくらいだ。

実は今回、二号にはもっと大きな危機があった。これも羽化棒を使わず石の側面で、しかもこちらは固定した位置が低すぎ、殻を破ってぐっと体を反ったとき顔が水面に埋まってしまったのだ。エビ反りで顔が水に埋まった状態を想像してほしい。発見したときがちょうどそんな状態で、あわててその石を動かし水面からの距離を高くし水没しないように調整した。本来なら、とっくに成体が抜け出し体を乾かしている時間帯(朝8時)だったのだが、えび反りで停止状態だったのにはそんな理由があったのだ。これは一体どうなるかと心配したが、その後直ぐに無事に抜け出し、次に見たときは消えていたので、ちゃんと飛んで行ったのだろう。このようなことは、自然界では多分日常的にあることだと思うが、ビオトープの場合、どうしてもこういう状況では過保護となってしまう。まあそれも良しである。

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ゲームの規則

2011年06月16日 | 映画

 

今更ながらのルノワール「ゲームの規則」を、やっと見た。しかし、前回15分ほどしたところで不覚にも眠ってしまったので、もう一回はじめを見て、どんなで出だしだったかと思い出し、改めて続きから見たのだった。

舞台の殆どが貴族の館、そこで繰り広げられるいろんな人間の恋愛をはさんだドタバタという所謂群像劇。登場人物も多く、この手の映画でありがちな名前と顔が一致しないという混乱を乗り越えなくてはならないが、そんなことは映画の質を損ねることでははない。それにしても皆動き回る。その動き回る人物達を追うカメラワークの冴えなどを見ると、よくこの時代に(1939年)こんな映画を作ったものだと、思わず感心する。傑作の誉れ高いが、当然という気がする。

これを見て思い出したのがアルトマンの「ゴスフォード.パーク」。同じように舞台は貴族の館(こちらはマナーハウス)。こちらの方が登場人物も多く、人間関係は更に複雑。そしてどちらも殺人事件が起こる。「ゴスフォード.パーク」はその事件を解明するというミステリー色が強いが、実際はどちらもそこに重きは置いていない。中心は、動き回る人物の運動とその関係だ。

と、この二つの映画、かなり似てると思って、ちょっと気になってネットで調べてみたのだが、その辺を指摘している人間も少なからずいた、というか、「ゴスフォード.パーク」公開時にそれなりに話題となったという事実をこちらが知らなかっただけというのが正解のようだ。やはり普通にそう思う人も多かったということだ。中には、更に差別化したいからか、シェイクスピアとの関連性を指摘してるものもあったが、シェイクスピアは映画は撮ってないので比べられても。多分、演劇的な部分でそう言いたいのだろうが、そうなると殆どの物語にシェイクスピアを発見できるのではないか、とシェイクスピアには全く触れたことがない人間は想像する。

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ニューペンティング.ウォール

2011年06月14日 | トマソン

 

この季節は、どうしても自然観察が優先し路上観察はちょっとご無沙汰になりがちだが、決して忘れているわけではなく、常に隙あらばCatch!、の態勢は整えている。そんな中での収穫した物件をいくつか。まずは、大胆なタッチの壁。このタイプは何て命名すればいいか。とりあえず、「ニューペンティング.ウォール」(仮称)としておく。ポイントはデザインを考えない大胆な塗り。

 

 

次はお馴染みの「Gタイプ」。しかし今回の物件は、一瞬それに気付かないほど完全に相似形で、塗ってるのかと見間違うほどの美品だった。しかも材質がブロックというこれまた珍しいもの。いろんな意味で味わい深い「Gタイプ」だった。

 

 

そしてもう一つ「Gタイプ」。これは対照的に存在感がものすごく薄いタイプ。こういうのを発見すると、例えば、砂粒に混じった美しい小さなガラス片(ダイヤモンドではない)を発見した時(そんなことはしたことないが)と同じような感動をもたらす、に近いものがある、かどうかは知らない。

 

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