ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

バジルのないマルゲリータ

2009年07月31日 | Weblog


この間、初めての店で食べた「マルゲリータ」は、な
んとも中途半端な代物だった。
まず一番の問題点はバジルの葉が乗ってないというこ
と。
この時期フレッシュバジルが乗らないとなるといつ乗
るのか。
生地は、ナポリタイプでもなく、薄手のぱりぱりタイ
プでもなく、パンで言えば、パニーニの皮目が堅いも
のといった感じ、と言うとそれなりに美味そうな感じ
になるのでそうでもない。
もっと乾パンのような生地だ。
チーズは、勿論本物のモッツァレラではない。
しかしこれは、生地がちゃんとしたナポリタイプであ
れば本物がベストだが、そうでない場合は下手に本物
は使わないほうが良いので問題ない。
ついつい、ランチのパスタだけでは物足りなく追加し
てしまったが、それがそもそもの間違いであった。
最後に、ピザの縁が残ったが、無理やりコーヒーで流
し込んだ。

チェット.ベイカーの脱力トランペットは、気だるさ
を助長する。
というのも、安いCDをまとめて買った中の一枚がチェッ
ト.ベイカーの「Jazz in paris」だった。
梅雨模様のだるい体に染みわたるトランペットの音色。
全くしゃきっとしない。
でも、それが良いのだ。
因みに他のCDは、シド.バレットの「Opel」、リトル
フィートの「Sailin'shoes」そしてマハビシュヌオー
ケストラの「Vision of emerald beyond」という
どうにも古いものばかり。
この頃のもので、聴いてないものを中心に選んだのだ。

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INTO THE WILD

2009年07月30日 | 映画


梅雨空の合間、ほんの僅かな雨が止んだ隙を見計らい、
オニヤンマが盛んにテリトリー争いを繰り広げていた。
時々オオシオカラトンボも参戦し、その空間だけは、
確かに夏を思わせるものだった。
近くの小川では、ミヤマカワトンボが羽を休め、ホシ
ミスジが雨を縫うように飛んでいた。
家の近くではなく、車で十五分ほどの里山的集落での
風景だ。

それにしても、天気が悪い。
仕方ないので、DVD観賞。
久しぶりのレンタルだ。
選んだのは、ショーン.ペンが監督した「INTO THE
 WILD」という作品。

ソローやロンドンが好きな優等生が、放浪の果てアラ
スカで餓死するという実話に基づいた映画だ。
ソローやロンドンが好きという時点で、知ってる人は
どんなものに関心があるのかどんな価値観を持ってい
るのかというのが大体想像がつく。
「アラスカを求めて」というのは本人にとっては「黄
金郷を求めて」と殆ど同義語である。
そして、主人公がそう考えるように至った原因は、主
に家族関係にあったことを映画は繰り返ししつこいく
らいに描く。
主に妹の独白という形式でであるが、ちょっと説明し
すぎという嫌いはある。

禁欲的といえる主人公の姿は、ハリウッドによく出て
くるどうしようもない馬鹿なアメリカ人(欲望のまま
の)というのとは一線を画している。
道を探す求道者の姿をそこに見るのだが、反文明でド
ロップアウトしたヒッピーとも違い、飽くまでも単独
で行動するところが立派であるのだが、決してコミュ
ニケーションが取れないわけではなく、むしろ良識的
で穏やかな人間性故、行く先々で良い人間関係を作り
旅立つ時に悲しい別れを繰り返す。
という風に描かれているのだ。
反文明が、どこか反ハリウッドにも見えてくる。

しかし、この話が1992年の話というのはちょっと驚き
だ。
1970年代なら一つのムーヴメントとして考えられたが、
92年というのはつい最近でもある。
監督の意図は、ヒッピーの時代ではなく、その時代の
家族関係に置いたところにあるのだろうか。
映画自体は、真面目さが伝わってくる良質な部類に属
するものだとは思うが、ちょっと説明調過ぎるという
印象は最後まで続いた。
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環境整備

2009年07月28日 | 生き物 自然


池の袂に「クロゴキブリ」のような体長3センチほどの
ゴキブリが一匹いたので、蹴飛ばして池に放り込んだ
ら、もがいているゴキブリに気付いた鯉が早速一飲み
した。
脂肪分も多いし、以前はよく餌にしていた蚕の蛹にも
どこか似てるし(多分味的にもそして形態的にも)、
鯉にとってはゴキブリは御馳走かもしれない。
実に美味そうに食べていた。
錦鯉であっても、基本的には虫類のほうが好きそうで
ある。

「滝壺ビオトープ」は、ここのところの天候不順で、ヤ
ゴも羽化のタイミングが取れないらしくその気配がな
い。
その代り、「ヒメダカ」はよく成長している。
餌は一切やってないが(ビオトープだから)、それぞ
れ確実に大きくなっている。
次から次と新しい稚魚が出現するサイクルは続いてい
るし、親はまた卵をたっぷり抱えているしで、危惧し
た過密状態も起こりそうな雰囲気である。
こうなるとこうなったで、今度は「ヒメダカ」を間引
くために中ちゃんの田圃から「ヒメミズカマキリ」で
も移住させるか、何てことを考えたりする。
やってみたくはなるが、ちょっと環境的には「ヒメミ
ズカマキリ」は無理そうだ。
希望としては、「コガムシ」「コオイムシ」もほしい
ところだが、水槽で飼うなら良いだろうが、ここはビ
オトープ。
放ったらかしで生き続けられる環境でなくてはならな
い。
そういうことを考えると、やはり難しい。
観察するにはいろいろいた方が楽しいのだが。

それより、ビオトープの土手をもう少し拡大した方が
良いだろう。
土の部分が多いほうが、様々な生物の生きる環境とし
ては好ましい。
また、片道60キロの、中ちゃんの完全無農薬田圃に行っ
て、理想的な土をもらってくることにしよう。
今度行った時には、「RICARD」のグラスのピッチャーも
もらうことになっているので、それも楽しみ。


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TOUR.ANT

2009年07月27日 | Weblog


日本人選手も二人とも完走して、無事「TOUR DE FR
ANCE」は終了した。
二人の総合成績は、120位前後と今ひとつと思うかもし
れないが、完走しただけでも凄いので、ここはまずは
めでたしめでたしだ。
これで、来年の「Tour」にも道筋が出来たのではない
か。
「マルコ.パンターニ」似のゲロゲロ少年Yも、多分喜
んでいるだろう。

以前であれば触発されて、明日からちょっと自転車に
乗る機会を増やそうかなどと思ったかもしれないが、
今は全くそういう風にはならない。
空気が入っていないタイヤが物寂しそうだ。
萎れた自転車に光を、とも思うが、その前にこの天気
をどうにかしてほしい。
どうみても長梅雨としか思えないここ最近の天候であ
る。
なんだか体もだるくて疲れが抜けないし、自転車に空
気をの前に、体に光をである。

そんな人間のだるさとは対照的に、蟻はいやに元気だ。
昔に比べると、家に侵入する蟻が増えているような気
がする。
実際にそうなのかは不明だが、印象としてはそうだ。
外来種の「アルゼンチンアリ」の勢力拡大も何らかの
関連があるのか。
例えば、追いやられた蟻が集まれば、そこの地域の蟻
密度は高くなるという風に。
それと、最近見かけるようになった、あの一際小さく
細く素早い蟻は、「アルゼンチンアリ」の可能性大だ。
ということは、すでに「アルゼンチンアリ」の勢力が
及んでいるということになる。
「アルゼンチンアリ」も、「セアカゴケグモ」ものよ
うにブームが去れば、当たり前の種として認識されて
しまうのだろうか。
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自然淘汰

2009年07月26日 | 生き物 自然


水問題から見る国家戦略、のようなことについて書い
ていてアップしたら、書いたものが消えてしまった。
しょっちゅうあることなので、いつもはコピーするの
だが、したと思ってどうやらしてなかったようだ。
また同じことを書く気もしないので(大そうな内容で
もないし)、何かないか。
こういう時には、なかなか思いつかない。
だから、その思いつかない状況をこういう風に書いて、
何とか行を稼いでいる。
プロではないのだから、稼ぐ必要もないではないかと
言われればその通りだ。
書かなければ良いだけだ。
しかし、もうここまで書いてしまっているのだから、
書かなければという前提はすでに成立しない。

こういうときには「滝壺ビオトープ」。
水草を整理したら、「ヒメダカ」にとっては環境的に
良化したようで(つまり自由に泳げる空間が増した)、
何だか稚魚の成育が早いし、皆元気である。
しかも、次から次と新たな稚魚が出現しているように
も思える。
最初、食べられてはいけないと隔離したのは一体なん
だったのだろう。
この調子で行くと「ヒメダカ」だらけになるぞ。
天敵のヤゴもそろそろいなくなるし、上手く自然淘汰
が働くだろうか。
と、よく見ると、すでに小さい今年生まれののヤゴが
何匹か確認できた。
もう来年に向かっての新たな生命が。
この小さいのが、ヒメダカを餌にして全体の調和が保
たれる、というのが理想だが、果たしてそう上手くい
くだろうか。

「オオシオカラトンボ」はあまり食べない。
もう少し大型のトンボでないと。
要するに、他のトンボを見てみたいのだ。
「オオシオカラトンボ」も良いのだが、全部がこれだ
とやはり有り難味が薄れると言うものである。
まあ、人間というのは勝手で、同じものばかりだと飽
きてしまうのだ。
去年に比べると自然度は増しているので、今年の期待
値は結構高い。
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この気候は、結局エルニーニョ?

2009年07月25日 | Weblog


本日「ヤゴ18号」羽化。
やはりオオシオカラトンボ。
「滝壺ビオトープ」ではなく、この前「オニヤンマ」が
羽化した裏の小川から再び大きなトンボも羽化した。
羽化殻だけなので成虫は見てないが、大きさもオニヤ
ンマより若干小さいだけの5センチ弱。
環境から考えると「コシボソヤンマ」か。
しかし、はっきりとは分からない。
形から「オニヤンマ」でないことは確かだが。

スポーツニュースでは相変わらず取り上げない「Tour 
de france」だが、残りは2ステージとなった。
日本人選手は脱落することもなく頑張っている。
どうやら完走できそうである。
しかもここに来て、第19ステージで別府が7位と大健
闘。
相当な快挙なのだが、テレビでは、シンクロなんぞを
相変わらずの日本贔屓視点で、これも相変わらずの
「松岡修造」が、例によって鬱陶しいレポートを同じ
く行っている。
人気が全てとは言え、シンクロなんて見る気がしない。
もっと見る気がしないのは各局でやる二十何時間放送。
これはもう「知のメルトダウン」だね、と誰かが言っ
た(自分だった)。

T君から、使ってないアンプを貰った。
これでやっと安物ミニコンポ以外でCDを聴ける。
30年近く前に買った「ラックスマン」は、どうやら永
眠のようだ。
CDプレーヤーは借り物だし、昔と違って新たにオーディ
オを買う気にならないのは、基本的に音は、あるレベ
ルいってれば充分であると思っているからだ。
昔もそれ程拘わっていなかったが、更にその傾向が強
くなっている。
そう言えば昔、機器にめちゃめちゃうるさくて、聴い
ている音楽が「リチャード.クレイダーマン」か?と
いう人間が結構いたような気がする。
今となってはこれも、古きよき時代の一エピソードで
ある。

それにしても天気は完全に梅雨。
結果的には、「エルニーニョ」によって太平洋高気圧の
張り出しが弱くなった、ということに落ち着きそうだ。


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霧の中の採集者.ヒメヒカゲ2

2009年07月24日 | 生き物 自然


昨日の続き

そうこうする内に霧が立ち込めてきて、「尾張小牧」
の男もこれで諦めて帰るかと思った。
しかし甘かった。
その男は霧の中でまだ捕蝶網を振り回していたのだ。
こいつは悪質だ、実力行使で阻止したいところだが、
今ひとつ根拠に不安だ。
ここで、自然管理センターがあったのを思い出し、そ
こに報告することにした。
車のナンバーもばっちり覚えて。
管理センターは現場から数分の場所。
センターの駐車場に車を止め、駆け込もうとしたら、
何と、管理センターは閉鎖状態ではないか。
おいおい、行革でなくなってしまったのか。
折角そのつもりで急いできたのに、完全に肩透かし
だ。
気持ちが治まらないではないか。
それにしても、あの「尾張小牧」の男。

コレクターというのは、珍しいものほどほしがる。
蝶の場合は、希少種ということになる。
人が採ったところで、絶滅するものではないというの
が彼らの理屈。
今回の、「一頭くらい良いでしょ」という言葉がそれ
をよく表わしている。
しかし、ある数以下になると、絶滅の決定的な要素と
なるのだ。
つまりその可能性のあることは、徹底的に排除しなく
てはならない。
最近は、そういう悪質なことをする採集者は、60前後
の、暇と金のあるおやじ共という傾向がある。
だから、「尾張小牧」辺りから4WDを飛ばし、200キロの
道を「ヒメヒカゲ」を採る目的のためだけに来るのだ。
見かけは普通のおやじなのだが、自分のコレクション
を増やす欲望を制御できずに、悪質な行為に走る。
大体が、すでに保有しているのだが、常に新しいもの
をほしがるのが彼ら。
実に、困った存在である。
自分の欲望のみで、自然全体を見つめなおすという視
点が根本的に欠けている彼らに有効なのは、厳しく取
り締まること以外ないのではないか。
多分、自覚などはしない。
いい歳した大人故、今更無理だと思う。
文化的教養の欠如と言っても良いのではないか。

採集禁止看板がないのも気になり、翌日管轄の塩尻市
役所に問い合わせた(自分でもよくやると思う)。
職員はクレームだと思い、始めは明らかに警戒した態
度だった。
まず、禁止かどうか聞いてみた。
条例で禁止したという事実はないらしい。
この時点で、「尾張小牧」の男には嘘を言ったことに
なる。
確かに、ハッタリのつもりもあったから。
しかし、それ以前に国定公園法で禁止されているとい
う事実を告げられた。
この時点で、職員の態度が変わった。
クレームではなく、意見として聞くという態度になっ
ていた。
そこで貴重な蝶なので、もう少し誰でも判るように禁
止の看板を増やすように要望して、職員の貴重なご意
見ありがとうございましたの言葉で電話は終了。
どこまで役所が自覚してるかは分からないが、少しは
状況を知ることにはなったろう、と思うことにする。

先週は所沢、今回は尾張小牧と、全く世に悪質な人間
は尽きない。
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霧の中の採集者.ヒメヒカゲ

2009年07月23日 | 生き物 自然


皆既日食に関わらず、天気が今ひとつで、折角の一番
の蝶シーズンも何だか冴えない。
マイフィールドも、雨が上がったばかりの曇り空で、
部分日食なのか単に暗いのか区別がつかない上(急激
に寒くなったという情報はあるが)、蝶もあまり飛ん
でいない。
これでは今一つ気分が収まらない。
それでも、諏訪湖を隔てた向こうは空が明るめだった。
ということで、その明るめの空を信じ、そこへ向かう
ことにした。

「高ボッチ高原」という場所だ。
この時期にしかいない、「ヒメヒカゲ」という希少種
を見ようと思ったのだ。
全国的にもかなり少ない蝶で、発生場所では大体保
護活動をしている。
現地に到着。
ところどころ霧が発生しているが、空は明るめ。
こんな天気でどうかなと思いながらも、発生場所近く
に車を止める。
近くに一台「尾張小牧」の4WDが止まっていた。
暫く山道を歩くと、一頭発見。
しかし、なかなか止まらず飛んでいてしまった。
唯一の「ヒメヒカゲ」にならなければ良いがと思って
更に上がっていくと、いたいた。
しかも今回のは、じっくり止まって数センチまで接近
できた(本日の写真)。

来た甲斐があったと満足し、頂上に上がると、そこに
人影が。
先ほどの「尾張小牧」か。
同じように写真でも撮りに来ているのかと思い、近付
くと、何と捕蝶網を振り回していた。
先週に引き続き再びの採集者との遭遇である。
今回は、「ここはヒメヒカゲの採取は禁止ですよ」と、
アウトドア派の格好ばっちりの50代と思しき男に言っ
た。
「えっ、知らなかった、いつからですか」と言うので
「確か、三四年前に市の条例か何かで決まってますよ」
と、適当に答えた。
実は、この辺は定かではなかったのだ。
そして「通報するようになっているから、悪質なのは
通報しますよ」と更に付け加えた(ここは完全にでま
かせ)。
このくらい脅しをかけた方がよいだろうと思ったのだ。
今ひとつ収穫なかったらしきその男は、「しかしいな
いですね」などと話をそらしてきた。
「直ぐ足元にいるじゃない」と言うと、その男は早速
捕ろうとする。
「だから駄目だって言ったでしょ」と言うと「一頭く
らいいいでしょ」などとほざく。
仕方ないので、足で邪魔をする。
なんだか喜劇みたいなことになってきたぞ。

つづく
コメント (2)

スノッブについて

2009年07月21日 | Weblog


本日「ヤゴ16号」羽化(オオシオカラトンボ)。
そろそろ終盤か。
一度だけ姿を現したヤンマ系はどうなってるのだろう。
あの時点で(五月)3センチはあったのだが、その後一
度も見てない。
ちゃんと生きているのか。

ちょくちょく登場するスノッブなM氏のスノッブについ
てだが、どうもこの言葉をちゃんと理解してない人間
が多いことが分かった。
同じように「あれっ分かってないのか」と思うような
場面が過去二回あったが、とうとう三度目を経験した。
ゲロゲロ少年Yであるが、高級すし屋好みの人間を指し
て、彼はスノッブだから行きたがるんだよと話した時、
どうも通じてないと感じてずばりYに聞いてみたのだ。
スノッブをどういう意味で理解してるのかと。
過去二回は、二人とも同じように良い意味でスノッブ
を捉えていた、それは例えばお洒落、或いは洗練され
たというような意味で。
Yも同じではないかと感じたので、聞いてみたのだが、
果たして同じであった。
いろいろ理屈を言いたがるYであるが、どうも基本的
なところが欠落している。
何だか、今ひとつの知的環境である。

Snob:紳士気取りの格好付け
Yに関してだと、その知識の元がファッション雑誌で、
例えば今で言えばセレブと同じような感じで使われて
いるのを勝手にそう理解してしまったようだ。
そもそも知識の元がファッション雑誌というのが大き
な問題だが、それを検証せず鵜呑みにするのも如何な
ものか、である。
フランス映画でも絶対この言葉は出てきているはずだ
し、ファッション雑誌ではないまともな本には当然あ
るはずなのに、一体何を見、読んできたのかと、腹立
たしさえ覚えた。
ブレッソンがどうのロメールがどうのなんて言えない
し、プルーストなんて間違っても言えない(実際Yは一
巻で脱落だった)、とも感じたが、まあここは寛容に。

Chic(シック)と混同している節もあったので、その
辺も説明したから、これでもう間違うことはないだろ
う。
関係ないが、皮革をヒカワと読むのも訂正しておいた。
それにしても大丈夫かY。
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クスクス

2009年07月20日 | 食べ物


「クスクス」を食べる。
買っておいても、なかなか食べる機会がないのがこの
「クスクス」。
一応、パスタの仲間だが、単独で食べるというより付
け合せ的な食べ方になってしまうので、さあ「クスクス」
を食べようということにはなり難い。
挽き割り小麦のような、ぼそぼそとした食感も、初め
てだととても美味いとは思えないし、変な食べ物とい
う印象を持ちやすいが、好きである。
元々は、チュニジアとかあの辺が発祥らしい。

乾燥しているとは言え、直ぐに古っぽい臭いがつくの
で、一応冷蔵庫に入れて保存している。
以前、箱のまま常温で置いといたら、あっという間に
臭くなってしまった。
で、今回だが、汁物と混ぜて食べるのが美味しい食べ
方なので、その汁物に当る何かがほしい。
店だと、例えば子羊の煮込み(ナバラン)などが一緒
に盛られてきたりする。
或いは、肉のソテーや串焼きと別にトマトソース(よ
りはスープに近いもの)とか。
いずれもポイントは、その味付けだ。
エスニック的な味が絶対的に必要なのだ。
つまり、スパイシーな味。
唐辛子の辛味も必須。
そんなこともあろうかと、クスクス用のチューブ入り
のホットソースを買って置いたのだ。
やっと出番が来た。
同じような辛味ソースは、バリ料理にもあったが(サ
ンバルソース)、こういうのを入れると入れないので
はその味の本格度が大きく違う。

その汁物だが、前の晩に作っておいた「ラタトゥイユ」
を使おうと思ったのだ。
汁気がちょっと足りないが、味的には合うのではない
か。
ということで、その「ラタトゥイユ」にホットソース
を足し、鶏をソテーしたものも沿え「クスクス」の完
成だ。
鶏は塩コショウだけではなく、エスニック的な味にす
るべくコリアンダーのパウダーも振る。
結果、汁気はやはり足りないが、味的には「クスクス」
として完成されていた。
やはり、ホットソースが効いていた。
それとコリアンダーもかなり。
スパイスの使い方一つで、チュニジアに向かうか日本
に帰ってきてしまうかということである。
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テレビの宣伝映画

2009年07月19日 | Weblog


ついこの前までは「ルーキーズ」、今は「ごくぜん」、
それにしてもテレビ局がらみの映画宣伝は目に余る。
そういえば、織田裕二の何とかというのも始まった。
これらに総じていえるのは、映画としては全く見るべ
きところがないという点である。
と、見てもいないのに言ってしまったが、世の中には
見てもいないのに断言できるものは、やはりある。
映画の出来る経緯、監督、出演者を見ればその内容は
想像がつくというものである。
くだらない作品群と一まとめにされるのだが、こうい
うものだからこそ好きという人間がいるから、それな
りにヒットする事実は事実。
しかし、ひどいことには変わりが無い。
何故に映画にするのか。
くだらないのはテレビに留めてほしい。
織田裕二もパロディーにしか見えないし、どこが良い
のかさっぱり分からない(大衆演劇には向いてると思
うが)。

BSNHKで、岡ちゃんのインタビュー番組をやっていた。
どうもオーストラリア戦の見方が、根本的に違った。
こちらは、世界レベルとの明らかな差を感じたのだが
(越えそうで越えられない)、岡ちゃんはむしろ手応
えを感じているようなのだ。
今の日本の戦い方が間違っていないという確信さえ持っ
ているその姿は、ぶれない監督としての良い面と捉え
るなら評価できるのだが、むしろ、きちんと日本代表
を相対化できてないのではという疑問の方を強く感じ
た。
殆どジーコと同じ道を歩んでるのではないかとさえ思
った。
今更球際に強くなれといって、すぐ改善されるのだろ
うか。
フィジカルが弱いというのは元々の日本の弱点で、前
回のWCでその現実を突きつけられただろう。
パススピードを上げろも、今更だ。
そんなものは、ずっと前から分かっていたことではな
いか、とインタビューを聞いていて突っ込みまくりで
あった。
今更監督どうのはないので、何をいっても同じなのだ
が、岡ちゃんに対する期待値が更に減少したことだけ
は間違いない。
コメント

フリー

2009年07月18日 | Weblog


唐突な梅雨明け宣言、ちょっと勇み足気味と思われる
このところの梅雨らしい天気である。
それに合わせたかのような、自民党のぐずぐず具合。
見てるほうは面白い。
しかし、さっさと分裂すれば良いのに。

それにしても、アルコールゼロの「フリー」は美味く
ない。
変な香りが鼻につく。
酵母の香りがしないのが一番の問題なのだが、ノンア
ルコールではそれこそが難しいのだろう。
あまりに変な味なので、成分を確認したら、香料は当
然として他にもなんだかいろいろ入っている。
こんなに入れる必要があるのかと思うくらいのいろい
ろだ。
慣れれば飲むことは出来るが、これを見ただけで、も
う買う気はしなくなった。
運転しながら何か食べる時には、炭酸飲料よりは砂糖
無しのノンアルコールの方が絶対合うので(例えフリー
であっても)、もう少し美味しいものがほしい。

テレビは、ゴルフ一色。
興味のない人間からすると、うるさいばかりだ。
スポーツ報道からなくなってほしいものは、プロ野球
とゴルフだ。
もしそうなったら、日本全国でそれを楽しみに生きて
いるおやじどもの何割かは、一気に呆けてしまうだろ
う。
そうやって考えると、重要な役割を担っているわけだ
から、ここは我慢するしかない。
見なければ良いわけだし。
コメント

高原、カレー、池

2009年07月17日 | Weblog


ヤゴ13.14号に続き、昨日15号が羽化態勢に入った。
しかし、天気予報は夜半からほぼ100パーセント雨。
これはまずいと思い、屋根の下に移動させた方が良い
だろういうことになり(ちょっと過保護ではある)、移動さ
せた。
幸い、止まっていたのは羽化棒だったので、その状態
で移動することが出来た。
案の定雨は降り出し、しかも土砂降りだったので移動
は正解だった。
今朝、無事に羽化したトンボは(相変わらずのオオシ
オカラトンボ)、屋根つきの壁に止まって雨が止むの
を待っていた。

ここで昨日の続き。
霧が峰の「池のくるみ」の後、蓼科に移動。
昼時でもあるで、今年から夏のみのオープンとなっ
たベジタリアンインドカレー屋「メラナタラジ」に寄る。
メニューも一新で、ランチはなくなったようだ。
つまり、単品で頼むしかない。
そこでヒヨコ豆のカレーとナンを頼む。
今まで何回も食べているものだ。
過去の体験からすると、ナンに関しては常に微妙に違う。
多分、毎年作り手が変わるからだろう、捏ねかた発酵具
合の違いが影響するのだと思う。
しかし、過去は概ね美味かった。
ところが今回のは、粘りが足りない、つまりもっちり
感が今ひとつのナンであった。
そして、カレー。
香辛料の使い方で常に微妙に違っていたが、香り立つカ
レーという点ではいつも美味かったのだが、これも今回
のは今ひとつだった。
一言で言えば、鮮度が悪いのだ。
カレーに鮮度はおかしいと思われるかもしれないが、こ
れは香辛料に関しての話だ。
よく、カレーは一日置いたものが美味しいといわれる。
所謂、熟カレーだ。
求めるのはまろやかさだろう。
しかし、インド系に求めるのはその対極にあるものな
のだ。
香辛料の香りというのは作りたてが一番である。
インド系には、その複雑な組み合わせの、鮮烈な香辛
料の香りの競演を求めているのだ(例えそれが個人的
な嗜好であっても)。
それが今回は、ベースとなるソースが多分前日のものな
のだろう、熟系のソースになってしまっていたのだ。
インド系カレー屋でも、ランチに出すものがこれに近い。
要するに、作り置き的カレーの味だったのだ。

そんな今ひとつのカレーを食べた後(決して不味いわ
けではない)、最近出現した、一見、自然状態の例の
池を見に行く。
ちょっと珍しめのトンボでもいるのではないかと思っ
たのだ。
ところが、期待に反して、いたのは「オオシオカラトン
ボ」だけだった。
これじゃあ、家の「滝壺ビオトープ」と同じではない
か。
高原の中なのだから、もう少し、どうにかならないか、
と思わず嘆息する光景であった。

コメント

湿原に消える二人組み

2009年07月16日 | Weblog


いきなりの梅雨明け宣言。
虚を突かれた、という大袈裟な話でもないが、今年は
いやに呆気なかった。
というわけで夏、今年初めての「霧が峰」に出動。
その前にマイフィールドに寄っていく。
流石この時期は「ミドリシジミ」系の最盛期、何十匹
もコナラなどの梢を飛んでいる。
光の具合で、金属的な緑色がちらちらと光り(或いは
メタリックブルー)、かなりきれいだ。
唯、高いところにいるばかりで、なかなか写真を撮れ
る位置まで降りてくれない。
当然、その種類も判らない。

そして、霧が峰。
今回は「池のくるみ」の湿原周回コースを歩く。
「車山」の方は、ニッコウキスゲのシーズンでもあり、
相当な人が押し寄せているのは想像に難くない。
しかし、ここには人がいなかった。
車は数台止まっているので、いることはいるのだろう
が、ざっと湿原を見渡した時には、人影はなかった。
新鮮な「コヒョウモンモドキ」や「ヒメシジミ」がち
らちら舞うコースを歩く。
軽く歩くにはこのコースは最適で(三キロちょい)、
人はいないしかも風景は良いと条件は揃っているのだ
が、「霧が峰」の中心からずれているので全く静かで
ある。
こちらからするとあり難いが、それにしてももう少し
人が多くても、とは思う。

周回コースの真ん中も過ぎた頃に、前方に人影が見え
た。
60前後のおやじ二人だ。
それは良いのだが、どうも態度に落ち着きがない。
盛んに一人が、こちらの方を気にするのだ。
よく見ると、なにやら捕蝶網のようなものをさっと振
り回している。
しかも、こちらの視線を気にして直ぐにそれをしまう
のだ。
どうも、折りたたみ式の捕蝶網のようで、網の部分が
直ぐに収納できて、一見唯のステッキのようにしか見
えないようなものなのだ。
二三十メートル先なので、よくは見えないのだが、そ
んな仕組みらしい。
等距離を保ち、前を進む二人組。
明らかに、後ろめたさを感じている。
柵内は収集は禁止されているが、歩道上は禁止はされ
てないようだが、常識的にはここで収集は如何なもの
か、という周りのコンセンサスを感じてのことだろう
が、そんなにこそこそするのだったら最初からがやる
な、と言いたいところである。
しかも、いい歳したおやじが。
よく、希少種を狙いに収集家が来て、大体それはいい
歳したおやじだ、というのは聞いたことがあるが、こ
れがそれかと初めて確認した。
「コヒョウモンモドキ」でも採っていたのだろうか。

そんな等距離を保っていたおやじの一人が(先ほどか
らこちらを気にしていた)、突然踵を返した。
おいおいどうした、何か文句でもあるのか(言いたい
のはこちらだが)、と思っていたら、「ステッキなかっ
たですか」と聞いてきた。
どうもカメラの三脚をどこかに置いてきたらしく、そ
れがないのに今気づいたらしい。
こちらの視線に気付き慌ててた時忘れたのではないか。
いずれにしろ、知らないので「あれば気付きますよ」と
言った。
二人は、今来た道を後戻りした。
そして殆ど周回コースも終わろうという時、うしろから
大きな足音が。
例のおやじが走って、もう一度なかったかと確認しに
来たのだ。
ここではたと気付いた。
嫌がらせで三脚を隠したとこちらを疑っているようだ。
全く困ったおやじ共である。
帰りに車を確認すると、所沢ナンバーの4WDの真新しい
のが止まっていた。
この世代が日本を駄目にするのか、と思わずはいられ
ない高原の出来事だった。

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滝壺或いは箱庭

2009年07月14日 | Weblog


安物のミニコンポから(四ヶ月前に買った)、変な臭
いが立ち上った。
どうやら発熱したらしい。
本体も大分熱い。
ということで、アンプと壁の距離を応急処置的に空け
ることにした。
CDが回転すると、スピーカーから異音もするし、多分
余命もあまりない。
「安物買いの銭失い」をまた実践してしまったようだ。
メーカーに拘らないのも良いが、最低限のレベルは維
持するべきということだろう。
ホームセンターの五千円レベルのミニコンポでは、こ
ういう事体は不可避である。
以前の、アンプは「ラックスマン」なんていう時代が
嘘のようである。

「滝壺ビオトープ」の「ホテイ草」は、言われている
ように繁殖力が強く、三株入れたものがあれよあれよ
という間に七株になった。
というわけで、増え過ぎたので二株を除去する。
ほっとけば、全面覆われるのは間違いない。
「アナカリス」という、これも一株買ったものを移植
したのだが、殆ど腐って駄目かと思われたが、残った
僅かな断片から増殖してしっかり定着した。
この植物も外来種で同じく繁殖力が強いらしい。
確かに、断片からこれだけ増えるのだからそれは間違
いない。
その他に、買ったわけではないが、「アナカリス」か
何かにくっ付いて増え始めた「カナダ藻」があり、
「浮き草」「アオミドロ」抽水性の蘆の仲間の一種と、
同じく抽水性の他の二種、この前中ちゃんの田圃から
持ってきた沈水性の一種と、結構植物もバラエティー
豊かになってきている。
この環境なので「ヒメダカ」の稚魚も生き残れるのか
もしれない。

とこんなことをやってると、何だか箱庭療法でもして
いるような気分にならないこともないわけではないが、
そもそもそういう行為を体系化したものが箱庭療法な
のだから、そう思うのも当然といえば当然だ。
今は、全てを「癒し行為」で説明するが、そんなもの
は言葉以前に元々自然にやってたものである。

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