ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

スプラッター

2011年07月31日 | Weblog

 

「グロ注意」  今日は、朝一番からえらいものを見せられてしまった。駐車場にドアがあるのだが、そのドアの前になにやら得体の知れない物体が転がっていた。断片が四つほど。まず頭に浮かんだのは、ツバメの雛の死体。しかし彼らはすでにこの数日のうちに巣立ちしたし、巣の位置からも大分離れている。それで仔細に観察する。何かの死体であることは間違いない。すると、その断片の一つが尻尾であることが判った。ねずみだ。しかも結構大きめ。他の断片は何かと見ると、かろうじて頭であると判るものが一つ、他の二つはなにやら腎臓などの臓器らしきもの。完全にばらばら死体で、しかも胴体の殆どは食べられているのか無く、この四つの物体だけが残されていたのだ。そこには蟻がたかっていて、しかもすでに若干臭う。ほっとく訳にはいかないので、ちりとりと箒で死体処理。朝第一の仕事がこれか。多分、猫の仕業だと思うが、捕まえたなら全部食べてもらいたいし、こんな所に置いてくなよと猫に言いたいところだ。鉄道事故などでも処理班がいるが、こんなネズミのばらばら死体で動揺しているようじゃとても勤まらないな、とその光景を想像しながら思った。

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ノルウェイの森

2011年07月30日 | 映画

 

嘗て、短期間にこれほど日本映画を観たことはなかった。今回は「紀子の食卓」「十三人の刺客」「ノルウェイの森」の三本。それぞれ園子温、三池崇史、トラン.アン.ユンという監督の話題作といってもよい作品だ。園子温は最新作の「冷たい熱帯魚」でも話題を提供し、その前の作品である「愛のむきだし」はかなり評価されていた。

これで思い出すのは、普段殆ど映画を観ないT君の話。突然「満島ひかる」って知ってますか?と聞くので、良く知ってるよと答えた。こちらの意外な返答に、何故?という顔をしていたので、その理由を説明した。今のように知名度が上がる前から知ってるのだが、それはNHKの朝ドラに出てたときに注目していたからだ。「榮倉奈々」主演の下町が舞台の話で、タイトルは忘れたが、主人公のダンスの仲間として出演していて、飽くまでも外見雰囲気なのだが、それが印象的で覚えていたのだった。その時、名前もインプットしていた。そのいきさつをT君に説明すると、T君はしきりに感心していた。で、何故T君が「愛のむきだし」なんていう映画を観たのかと聞くと、その「満島ひかる」に興味があったからだという返事であった。まあ、そんなところであろうとは思っていた。

T君は、盛んに「愛のむきだし」は面白いですねえ、と言う。こちらも面白いと思ってるという前提で言ってるのだが、実は私は、世の中の評判とは違い全く面白いとは思ってなかったのだ。そもそもこの監督の作品、どれも面白いと思ったことがない。で、そのことをT君に言うと、当然のことながら残念そうな顔をしていた。ということで今回の「紀子の食卓」も結論はそういうことだった。長い前振りではあったが、最後はあっさり。

この三本の中で思ったより良かったのは「十三人の刺客」。娯楽作品として十分に楽しめる。しょぼさを感じさせないだけでも日本映画としては特筆もの。ただ、稲垣吾郎の殿様は迫力(狂気)不足。

そして何とも言いようがないのが「ノルウェイの森」。映画としては、全く評価できない。何故今更こんな映画を。70年代の学生って(設定は69年)、こんなにさらっとしてたか?もっとむさ苦しいのが多かったぞ、と思うのは当時を知ってる人間の感想だが、この何となく格好つけた世界は村上春樹の世界と共通するものだろうか。原作は読んでないので比較できないが(村上作品で読んだのはダンス.ダンス.ダンスのみ)、この嘘っぽさは違和感としてずっと感じた。別に嘘っぽいのが全て悪いわけでは勿論ないが、寓意性を感じさせる映画でもないので(そう意図してるところもあると言えばありそうだが)、この手の映画ではそれはマイナスであると思う。かと言って「ヴァンダの部屋」のようになるとその切実感が重過ぎるし、要するにこの題材が好きではないということだ。後、「菊池凜子」はどう見ても20歳には見えない。それと「水原希子」のような学生が当時いたら、それこそ美少女で大評判。間違っても早稲田(設定はそれっぽい)にはいないだろう。同じような学生が主役の映画であれば、断然「カミユなんて知らない」の方を支持する。

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レイヨン.ヴェール

2011年07月29日 | Weblog

 

今年最後であろうと思われるヤゴ(近くの溜め池から持ってきたルリボシヤンマのヤゴ)が昨日羽化していた。今回も、今日辺りかと目星をつけていたその日であったが、毎度の如く羽化棒を使わず、ビオトープから出て近くの葉っぱの裏で密かに羽化していたのでまたまた気付かなかった。トンボのほうも、わざわざそういう場所を選んでるとしか思えない。これも危険回避の本能的行動なのだろう、か?一頭蟻に襲われたのがいたが、あれはその辺りが弱く、先天的に脇が甘かったということなのだろうか。

今は、教え子を送り出した教師の心境だ。だれもいない教室を眺め、生徒一人ひとりの顔を思い浮かべる。様々な記憶が蘇るが思うことは一つ。それは彼らの無事な成長。ふと窓の外に目をやると、夕日が地平線に溶け込んでいくところだった。一瞬、永遠を見た思いがした、にゃんてね。

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夏の暴走

2011年07月28日 | Weblog

 

この夏は猛暑で突っ走ると思ったら、また梅雨時のような天気が続いている。暑ければ暑いで文句を言い、梅雨のようなら梅雨のようで文句を言い、いつしか時は過ぎてゆくと。

中国の高速鉄道の事故で凄いと思ったのは、一通り始末した事故現場で金属片を漁る人たち。売っていくばくかのお金に換えるらしい。逞しいというか、この図太さ、中国人には敵いませんです。

ノルウェーのテロは、当初イスラム過激派による犯行と報道され、過激派の犯行宣言まであったかのようなことを言っていたが、実際は全く違った。今回のような、憶測というか、こうであってほしいというバイアスのかかる情報は常に飛び交うので、よほどメディアリテラシーを受ける側が備えてないといけない。と、テレビのキャスターのような尤もらしいことを言ってしまったが、本当はメディアリテラシーという言葉を使いたかっただけのことだ。情報を読み解く能力と言うより言いやすいし、この語感「メディアリテラシー」が良いのである。

 

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日本映画 まとめて四本

2011年07月26日 | 映画

 

最近の話題と言えば、トンボか無料映画についてがもっぱらだが、しつこく今日も無料映画。兎に角観るペースがぐっと上がったので、その何本かをまとめて。またまた日本映画だ。この理由については以前にも触れたが、借りてまでして観ないが無料ならば、ということである。

良かった順に並べると、「ドッペルゲンガー」>「のんちゃんのり弁」>「キャタピラー」>「しんぼる」である。「のんちゃんのり弁」からは観ても損はないという評価で、実際、この左の二本は借りたいと思っていたもので、黒沢清「ドッペルゲンガー」についてはレンタル屋になかったから観たくても観られなかった映画である。

「しんんぼる」は松本人志の相当評判の悪かった作品(今更とも思うが)。最近最新作が公開されたが、それもいまいち評判は良くない。まず、いい加減「天才」という冠ははずしたほうがいいと思う。笑いのセンスがあることは事実だが、決して天才というほどのものではない。その場の空気をつかみ即興で反応するのが面白いだけで(周りの反応もその要素)、作りこんだものは全く面白くないのだ(ある人には面白いのか?)。それを特に感じたのは今流れているCM(殺虫剤だと思ったが)。そして今回改めて「しんぼる」を観て確信した。構成は、シンボルだらけの密室に閉じ込められた男の世界と、メキシコのプロレスラーの家族の二つの話が同時に進行するという形式をとっている。メキシコのほうは、ノーカントリーのような出だしで、普通に映画している。この対比を新しい映画と本人は捉えているのかどうか。その密室の方で繰り広げられるのが脱出一人コントなのだが、これがどうにも面白くないのだ。ジャック.タチのようなとぼけた味があるわけでもなく、キートンのようなアクションがあるわけでもなく、演技はわざとらしく(本人)考えられたギャグも予想通りの範囲で、逆によくも無駄に撮ったものだと感心する。オチには、神になった男の話、のようなちょっと尤もらしいものを用意しているが、何ともセンスのなさが痛々しくさえあった。

「キャタピラー」。話題作だと思うが、この手の映画はテーマがはっきりしているのでそれに沿って観るのが一応正しい姿勢と言える、のか?反戦は根底にあるのだろう。そして一番描きたいのは人間の尊厳ということになるのか。その点では、どちらも中途半端。芋虫の生命力を力ずくで表現すればもっと面白くなったのではと思ったが、全体では散漫な印象しか受けなかった。

「のんちゃんのり弁」。バツイチ、子持ち30女の奮闘記。ホームドラマ的世界で安心して観ていられる。適度に嘘っぽく適度に本当っぽくいいバランスである。テンポも良く、同じような題材の「ノン子36歳 家事手伝い」(こちらの方がむしろ嘘っぽい)より、変に格好つけず(演出面で)軽快な分はるかに面白い。「小西真奈美」対「坂井真紀」は「小西真奈美」の勝ち。

そして「ドッペルゲンガー」。後半30分は殆どホラー。終わり方はちょっと不満だった。自分の分身「ドッペルゲンガー」( 自身の抑圧された部分を顕在化した人格)に苦しむ男の物語で、演出は洗練されている。いい映画だと思うが、あまり評判にはならなかった。ホラー映画としては分かりやすさが不足しているし、その洗練された演出が逆に受けない原因になっているのだと思う。ところでこの映画に出ているユースケサンタマリアは、役者としても良いと思うし、演出も松本人志よりはるかにセンスあると思うのだが、その割にあまり認められてないのは何故なのか。

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レスキュー隊出動

2011年07月25日 | 生き物 自然

 

その異変を感じたのは親の様子から。何のことかというと、ツバメの話だ。仕切りなおしの子育ては順調に進み、現在4羽の雛が育っている。ところが昨日、その親が道路上に止まっていて、飛び立つかと思えば直ぐにまた着地と、明らかに普通ではない行動をとっていた。ツバメは、基本的に道路上に降りることはまずないのだ。始めは怪我でもしたのかと思ったが、同じ所に戻ってくるのはおかしい。どこか挙動不審で、異常事態であることは理解した。そこで巣の下を見ると、案の定、一羽の雛が落ちていた。

嘗て一度、同じようなケースがあった。その時は巣の一部が崩れ、雛もろ共落下してしまった。2羽落下して、1羽は墜落死、もう1羽は無事だったので巣に戻したのだが、何を勘違いしたのか、救世主である私を敵と認識して、親のうちどちらかが(もう1羽はそんなことはなかった)姿を発見すると威嚇行動に出た。恩を仇で返すとはこういうことである。

で、今回の落下原因だが、どうやら餌の受け渡しに失敗して、餌に釣られて一緒に落下してしまったようだ。早速レスキュー出動である。雛を拾い上げて見ると、大丈夫そうに見えた。初めてだと、その温かさにちょっとびっくりする。発熱してるんじゃないかと思うくらい熱いのだ。しかし今回は二度目なので、うむうむ体温39.7(勿論適当)平熱かと余裕で脚立に上り(実際は大丈夫かなと心配しながら)、巣の脇に手を置き(H鋼の出っ張り部分に巣があるのを想像してもらいたい)雛が自分で移動するようにした。その間親鳥は、遠まきに飛翔を繰り返していた。人間の臭いが移ると子育てを放棄するなどという説もあるが、今の所ここに関しては問題なく、今回もどうやら元通りに収まり、逆恨みに会うこともなく(感謝もされないが)親も給餌行動を開始した。

そして写真は、その受け渡しに失敗した餌の数々。餌としては大き目のトンボがそういう運命になりやすいようだ。上から、今回落下原因になった「ノシメトンボ」、真ん中が「アキアカネ」、そしてすでに蟻まみれの「ミヤマサナエのメス」(?)。この「ミヤマサナエ」(?)など羽化直後のようで、ツバメも捕り易いものを狙ってることが良く分かる。厳しい生存競争をこんなところでも垣間見ることができるのだが、できれば、数の多いアカネ類を狙ってね、とツバメにお願いしたいところである。

 

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世界+世界=世界

2011年07月24日 | Weblog

 

夕刻の諏訪湖畔を調査。生まれてからこの方、諏訪湖に調査のために来るなんてことは勿論なかった。まさかこの歳でこんなことをするなんて、一体何をやってるのだろう、という疑問は当然のことながらあるが、まあこれも酔狂の内だ。しかし、こういうことをするといつも思うが、普段何気なく通っているときは全く気付かないが、身近な所でいろんな世界が展開されているものなんだなあ、ということ。世界は無限の世界が重層的に重なって形成されているのである、なんてね。

で、発見したのが写真の朽ちかけた桟橋にくっついているさまざまなヤゴの羽化殻(結局トンボの話か、という声が聞こえてきそう)。大きいのが「オオヤマトンボ」のもの、他は多分アカネ類のものだ。と、「オオヤマトンボ」などとしらっと言ってるが、それを知ったのはほんの一年前の話。如何にもずっと前から知ってるかのような書き方ができるのもブログの快感である。尤もらしい書き方をしてるのは要注意、ということですよ。まあそれは置いといて、この「オオヤマトンボ」の羽化殻だが、見るのは初めてで、しかもこんなに沢山あることも(写真に写ってる範囲以外にも多くあった)知らなかった。

それにしても子供の頃に興味を持ってれば、相当充実した体験ができたのに、と考えたくもなるがそれは無理というもの。多少なりともアカデミックな視点を持っていれば、それこそ今頃昆虫学者だろう。その頃のワタクシは、トンボの尻尾を切ってそこに葉っぱを突っ込んで飛ばして喜んでいた、ろくでもない少年だった。しかし、周りもそんなろくでもない少年だらけだったので、当時はそのろくでもなさがスタンダード。これは果たして良い時代だったのだろうか?

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水玉バス

2011年07月23日 | 芸術

 

この前BSの「草間彌生特集」でも紹介されていたが、これが噂の(というほど認知はされてないかも知れないが)水玉バスだ。今まで何度も遭遇していたのだが、直ぐ撮れる態勢ではなく、今回初めて撮る事に成功した。が、ぶれた写真を見れば判るように、ぎりぎりのタイミングでゆっくり構える余裕はなかった。それにしても、街中に派手派手水玉バスというのは映えまんなあ。なかなか良いと思うが、そう思わない人が多いことも容易に想像できる。

世の中、この手のものは子供向けのキャラクターバスばかりなので、その中では異彩を放つかもしれないが、そもそも何でもかんでも子供向けにし過ぎるのが問題なのだ。バスの愛称を大体「何とかちゃんバス」と名付け、意図としては親しみやすさを前面に押し出し、ゆるキャラ的イラストを車体に描くのが一般的な中、話題性を狙ってのことだろうが(それが成功しているかどうかは疑問)よくぞやってくれたと賞賛したい。

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7月22日

2011年07月22日 | Weblog

 

コパアメリカ準決勝、パラグアイ対ベネズエラまたPK戦でパラグアイの勝ち。今回のコパアメリカ、いやにPK戦が多い。それだけ実力が接近していということなのだが、ブラジルアルゼンチン以外の国の戦術がより組織的になっての結果であることも事実だ。、見てるほうとしてはこれだけPK戦が多いといま一つ面白くない。準決勝にも拘らずがらがらの場内と、南米のイメージとはかけはなれた寒そうな風景も熱気を感じさせない。ここはベネズエラに勝ち抜いてもらいたかった。

なでしこは予想通りTVで引っ張りだこ。オリンピックの金メダリストに対する対応と同じようなことを、毎度お馴染み各テレビ局が競ってるわけだが、一時のブームで終わるのは間違いないので、選手は稼げるときに稼いだほうがいい。あまり調子に乗ると手のひらを返すように叩かれるので、その点は細心の注意を持って。

先日「クチーナにし村」で購入したスパゲッティ(イタリア食材も売っている)、シェフの言っていた「モチモチしてて美味しいですよ」の言葉通りモチモチしてて美味しかった。普段食べてるディチェコのと較べるとその差は明らか。決してディチェコが不味いわけではないが、このモチモチを知ってしまうとちょっと戻れなくなる。考えて見れば「クチーナにし村」のスパゲッティもこのタイプであった。一つ一つの素材の積み重ねで総合的な味が完成するという当たり前の事実を、ふと考えた。

今朝、ヤゴ22号が羽化していた。これでオオシオカラトンボは打ち止めであろうう。それにしても今年は順調であった(オオシオカラに関しては)。後、家の裏の細流では、また一頭のオニヤンマの羽化殻が。更科の主人が今年はオニヤンマの当たり年か?と言っていたが、少なくともこの周辺、半径20メートル内に限っては当たり年である。

 

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THE 食べ物ブログ

2011年07月21日 | 食べ物

 

フィクション

どうやら台風もそれたようで、一見梅雨時の空模様のここ松本もこれ以上雨の心配はなさそうである。水量を増した女鳥羽川にはハグロトンボが群れている。<まずは街の情景描写、そしてその時の天気もさりげなく入れる>

今日目指す店は、二ヶ月ちょっと前にオープンしたイタリアン、「トラットリア河西」。この店、前を通るたびに気になっていたが、先日グルメ友達のMちゃんの話を聞いてからというもの、その気持ちを押さえられなくなってとうとう来てしまった。最近はやりの自分の名前を店名に入れる店だが、それほどに自信があるのだろう。<来るまでの過程を少々恩着せがましく、そして、その店に挑んでいく本人の決意を表明する>

ちょっと判り難い、あまり人通りのない場所にあるその店は、通りに面した部分がガラス張りで明るく清潔感が溢れている。<店のロケーションと店の構えを説明する、これは重要な情報であると本人は思っている>

ドアを開けると、店のマダムらしき女性の明るい声が。思うに、店の第一印象はその店の人の最初の対応にかかっている。私はそういうことに関して決してうるさい人間ではないが、時にあまりにひどい対応で食べる気がなくなる時がある。店は人が作るということを店側はもう少し考える必要がある。となんだか柄にもなく力説してしまった(笑い)。<うるさくないという割にはうるさそうなのがこういうことを言う人間の特徴、そして最後に(笑い)を入れて、本人の優位性或いは余裕を強調する>

店には先客が数組、すでに常連らしくランチを楽しんでいる。彼女らの表情を見ていると、何となく店の味も想像できる。ランチメニューはパスタがいくつか選べるようになっている。その中の...を選ぶ。シェフは最初に対応した女性の旦那さんか?半オープンキッチンのような作りで手際よく作業している姿が見える。運ばれてきたパスタは、予想通り優しい味で野菜たっぷりで女性にも嬉しいものだった。<共通するのは、唯一の体験を一般化してそれで全てを判断する所、しかし肝心の料理に関しての描写は抽象的で貧弱、が、同じような料理の写真は無闇に多い>

食後にコーヒーをすすりながら改めて店内を見渡すと、シンプルな店内のところどころにイタリアを思わす小物が。ひょっとしてシェフはイタリアで修行したのかな?それで思わず聞いてみると、果たしてそうであった。道理で一味違ったわけである。<良く質問するのも特徴、それはいろんな情報があればあるほど価値が高まると思っているからだ>

店の外に出ると、そこには台風一過の青空が。気持ちもすっきりお腹も満足。<よかったよかった>

 

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野火

2011年07月19日 | 映画

 

ゴダール「男と女のいる舗道」のカフェの後ろに貼ってあるポスターの「野火」という文字を見て以来、ずっと気になっていた映画「野火」をとうとう無料動画(こればっかりだ)で観た。言わずと知れた(今はそうでもないか)大岡昇平原作の映画だ。小説は、自身の戦争体験を基にした、レイテ島での敗走兵の無残で惨たらしい姿を描いたもので、彷徨う日本兵のうつろな目に飛び込んでくる野火を、まるで送り火の如く捉えた内容であった、と記憶していたが、どうもこの辺は大分あやふやであるようだ。それを市川崑が監督、主演は船越英二。サスペンスの王様英一郎の親父だ。芝居が上手いというタイプではないが、息子より役者としての存在感は遥かにある。忘れられないのは「怪談蚊喰鳥」での按摩役。

で、映画だが、どう見てもレイテ島などの南の島ではないロケ地(植物相が日本のそこらへん)や、ちゃちなセットと金をかけてない映画という事を除いても、いま一つ緊張感が足りないと思った。人肉食という異常行為(極限状態では異常とも言えなくなる)のみに重きを置いているような作り方で、当時の日本軍の悲惨さもその割には伝わってこないし、肝心の野火のショットも単なる焚き火のような平板な印象しか受けなかった。考えてみると、市川崑の映画でいいと思うのはあまりなかった。合う合わないでいえば合わない監督なのだろう。

しかし、これで懸案の「野火」を観ることはできたのでその点では満足である。あと出演陣では滝沢修、言わずと知れた(この表現も時代とともに通用しなくなる)劇団民藝の大重鎮。演技の上手さは言わずもがなだろうが、こういう映画に出てても光るのはやはりその実力ゆえかと思うが、個人的な映画観からすると、その演技が光るという点こそが映画として不満な点になるという、何とも二律背反的不確定性原理のような世界となってくる。いい映画って何?と今更ながら思う。

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メタモルフォーゼ

2011年07月18日 | Weblog

 

「なでしこ」もまさか優勝するとはねえ。完全に流れが日本でした。ブラジル対パラグアイもPK戦だったが、こちらの方はパラグアイが勝利。これでアルゼンチンに続いて二強が敗退。以前と比べると、二強とそれ以外の国の差が縮まってきているように感じるが、それは間違いなさそう。いずれにしろコパのPK戦は、どちらにも肩入れしてないので気は楽。余裕で見ていられます。

昨日も、家の裏の細流でオニヤンマの羽化殻を発見した。こうなると、ここではコンスタントにオニヤンマのヤゴが成長しているのかと考えたくなる。こんな日陰の何もいなさそうなところで、よくである。そのオニヤンマのヤゴは5センチほどの大きさで、初めて見るとその大きさにびっくりするが、その形態に驚いたというか感動してしまったのが、今年初めて観察した「メガネサナエ」のヤゴ(写真)。

 

 

羽化のために上陸したところを撮ったものだが、水から上がったばかりなので表面が濡れていて、しかもこの姿、まるで未知の爬虫類のようである(大きさは3センチほど)。こんな姿を目にするのは、その時期のその時刻にわざわざ川に観察しに来る人にしか与えられない特権である(いらない人の方が多い特権であることを考えると、そもそもそういうのを特権と言って良いのかどうかは置いといて)。この未知の爬虫類から出てくるのは、次の写真の蝋でできたようなオブジェである。こうなるともう、「メタモルフォーゼの驚異」としか言いようがない。

 

 

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真夏の夜の悪夢

2011年07月17日 | Weblog

 

これだけ暑いと、冷やしパスタの出番が矢鱈と多くなる。食べるのは、カッペリーニとトマトバジルの組み合わせの定番中の定番だが、流石にそればかりだとちょっと飽きてくる。簡単にできて(この部分重要)尚且つ美味い冷やしパスタ、何か他にないかと思う今日この頃である。因みにラタトゥイユと合わせたものは、不味くはなかったが、トマトだけの方が美味いじゃんという残念な結果に終わっている。香草に関しては、バジル以外にマーシュ(ロケット)も混ぜると良いお味になることは実証済み。

なでしこジャパンで、多分興奮の坩堝に片足を突っ込んでいるだろうゲロゲロ少年Yは、「クチーナにし村」で行われるワイン会に申し込んだらしいのだが、その日は明日でしかも拙いことに早朝になでしこの決勝だ。ここで心配するのは、万が一優勝したときのことだ。興奮状態で、まず間違いなく朝から飲んでそしてワイン会に突入という事になる。唯でさえ我を忘れがちなYがアルコールで適度を越えるとどうなるか。とんでもないことをしでかさないことを祈るばかりである。優勝しなければ多分問題はない。

 

 

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映画 告白

2011年07月16日 | 映画

 

このところちょっと無料映画づいている。結果、借りてまでして観ないであろう映画も観てしまうということになる。そんな日本映画の一つが「告白」(日本映画で観たいのは殆どないのが現状)。それなりに話題になった映画で、その内容に付いていけない、とても共感できない(ごもっとも)などの感想の多い映画だったと記憶している。映画は、殺された娘の復讐をする教師が一応中心となって、被害者加害者それぞれ当事者が各自の視点で自分の思いを告白するという構成をとっている。加害者が教え子でそれに対する復讐、それに付随していろんな殺人が起こるという、一般的には所謂ショッキングな内容である。

で、どんな映画かはそれなりに興味はあった(飽くまでも無料であれば)。殺人以外にもいじめを盛り込んだり(エイズも)、一応今日的なテーマを扱っている。が、映画として観た場合どうかと言われれば、面白くないとしか言いいようがない。この監督「嫌われ松子」でも感じたのだが、ちょっと現実離れした題材を扱うのはいいが、表現の仕方が大袈裟でしつこい所があり、結果歯切れの悪い演出となっている。変に情緒に引きづられたり思い切りが悪いのだ。今回は特に叫ぶ場面がただただうるさかった。それに、これは演出も関係あると言えばあるのだが、「松たか子」の横顔が「大林素子」にしか見えなかった。要するに美しくない。ファミリーレストランの場面など、その孤独を表現するためか敢えてガランとした雰囲気にしているが、日本のよくあるホラー映画の一場面のようで、何か類型的な安っぽさしか感じなかった。その安っぽさは全編通じて感じるところでもあった。

と、無料で観た人間がいろいろ文句をいうのもどうかと思うが、こんなに無料で観られて良いものかどうかとそちらのほうも気にかかる。ロメールの「海辺のポーリーヌ」やブニュエルの「銀河」なども発見し観る候補が次々出てくるのは喜ばしいが、本当に良いんでせうか。「エルトポ」まであったのには更にビッツラでした。

 

 

 

 

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側面の構造

2011年07月15日 | トマソン

 

最近突如現れた側面、というよりは、剥き出しになってしまったできれば隠しておきたかった横顔、と言うべきだろう、か?この正面は、実はこじゃれたフレンチ雑貨店の顔なのだが横顔がこれだ。その落差は、もう対比の妙というのを超えてしまっている。実に良いのであるが、一般的にはあまりにぼろや然としたその佇まいが、ただただみすぼらしいと感じさせるのかもしれない。しかし、良く見ると(見なくてもだが)、その波板トタンの無秩序な貼り具合が(とても意図的にはできない)、ところどころ色違いで、ある種ののカオスさえも表している、ように見える。しかもおまけに「無用庇」(右下)まで備えている。その無秩序な張り方にも拘らず統一感を感じさせるのは、色は違えど波板を使うというこだわり(かどうか?)による質感の共通性があるからだろう。これを傑作と言わず何と言おう。

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