ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

ビデオの日

2008年01月31日 | 映画


見られるときにビデオと思い、久しぶりにビデオ三昧の
日を過ごす事となった。
世の中の動きとは時間差があるが、徐々にビデオから
DVDに移行しつつあるので、ビデオも後どれほどの命か
分からない。
存命中に多くの時間を。

まず一本目は「アンダルシアの犬」。
これはかなり短い作品なので、あっという間に見終わ
る。
しかし、有名な眼球を剃刀で切るシーンは、後半にあっ
たかと記憶していたが、冒頭にさっさと出てきて、自
分の記憶力の曖昧さを思い知ることとなった。
前回は(何十年か前)、なんだか訳の分からない映画
だと思っていたが、今回改めてみると、全くそんなこ
とは無く、ある種の連想ゲームだなと納得しながら見
た。
グリーナウェーの「Zoo」は、この映画をヒントに
したのではないかとか、いろんな発見もあり、まずは
ダリとブニュエルという二人の才能の奇跡的な出会い
に感謝した。

そして次はジョン.ウォータースの「セシルB.ザ.シネマ
ウォーズ」。
商業主義のハリウッド映画を徹底的に糾弾する映画で、
その変態的パワーが全編に充溢している。
その徹底した馬鹿振りは、感動すら覚える。
メラニー.グリフィスもよく出演したものだ。
見ようによっては、カルト集団のテロリズムであるが、
つき抜けた世界がむしろ清清しい。
バタイユの「青空」を思い出してしまった(ちょっと無
理無理ではあるが)。
となると「アンダルシアの犬」は「眼球譚」である。

そして三本目は、たけしの「ドールズ」。
ずっと前に録画して、そのまま放置されていたビデオ
で、やっと日の目を見ることになった。
前評判は良くなかった。
しかし、思ったよりは悪くはなった。
宣伝に使われたシーンが、菅野美穂が紐でつながれな
がら歩くシーンで、ある種のわざとらしさを感じて手
をつけてなかったのだが、実際見てみると、あのシー
ンは、現実的な場面というよりは、冒頭に出てくる人
形浄瑠璃の人間版として見るべきものだったのだ。
つまり、近松の心中ものだ。
だからドールズか。
人形浄瑠璃が近松か本当のところは知らないが、そう
ではないかと思った。
映画の、他の挿話も、心中ではないがある種の純愛物
語で、全て最後は悲劇。
ハッピーエンドにすれば、ちょっと良い話としてそれ
なりに受けたと思うが、たけしの映画は、常に一般受
けから遠く離れて、である。

と、色の違う映画を三本見て、最後はサッカーのボス
ニア.ヘルツェゴビナ戦だ。
結果快勝だったが、今回の相手は、ちょっと緩かった。
崩して得点とはなっていない。
まだまだこれからだ。
それにしても、疲れた。

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海辺のカフカ2

2008年01月29日 | 芸術


本日の最低気温マイナス2度。
昨日の最高気温が1度なので、それから殆ど変化して
ないことになる。
しかし、暖かいはずなのだが、体感温度はそれほどで
もない。
雪降りで湿度が上がったせいか。
こういう気候の時の方が、ぞくっとした厭な寒さがあ
る。

ここで、昨日の続き。

「それより、村上春樹が何故カフカか、それが不思議」(私)
「好きらしいですよ」(M)
「どう見ても、違いの方が大きいんだけど」(私)
「どうなんでしょう」(M)
「レイモンド.カーヴァーとかジョン.アーヴィングだっ
たら納得だけど、カフカねえ」(M)
「誰ですそれ?」(M)
「昔、村上春樹が訳した作家、フィッツジェラルドなん
かもそうだったかな」(私)
「へええ」(M)
「だったら、自分で確かめてみればいいんだよ」(私)
「カフカをですか?」(私)
「そう」(私)
「一冊読んだことありますよ」(M)
「<変身>だろ?」(私)
「良く分かりますね」(M)
「分かるよ、短いからだろ?」(私)
「その通り」(M)
「しかも、全然面白くなかった」(私)
「その通り」(M)
「<変身>を読んで、その後興味を持ちカフカのほかの
作品に進んだ人の割合は1パーセントと見た」(私)
「そんなですか」(M)
「2パーセントかな?兎に角少ない」(私)
「自分はどうなんですか」(M)
「私の場合、最初に長編で興味を持ち、最後に<変身>
だったから全く逆のパターン」(私)
「流石、ひねくれてますね」(M)
「まあそうなんだけど、カフカの良さは長編にこそと
思う」(私)
「じゃあ、何が良いですか」(M)
「<城>が良いんじゃないかな」(私)
「どういうのですか」(M)
「どういうのって、ある男が城の中をぐるぐる巡るそ
れだけの話、登場人物も殆ど主人公だけ」(私)
「そんな話面白いですか」(M)
「ストーリーの展開で捉えたら全く面白くないけど、
そういう物語として捉えるんじゃなく、カフカの世界
を体験する、これがこの小説の対峙の仕方、なんてね」(私)
「ふーん」(M)
「兎に角、読んでみろということ、多分駄目だとは思
うが」(私)
「よしっ、なんだか読む気になってきた」(M)

というわけでMは、「城」に挑戦することになったが、
今の興味は、彼が最後まで読み通すことができるかどう
か、そのことについてである。
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海辺のカフカ

2008年01月28日 | 映画


本日の最低気温マイナス12度。
そろそろ真冬日とも「ロンググッドバイ」となるだろう
か。
と、いきなり何故「ロンググッドバイ」を持ち出したかと
いうと、この前「今ひとつ物覚えの悪いシーズン6に
一歩踏み出すかどうかのM(長いので以後M)」が来
て、盛んに村上春樹の話をしたからだ。

「ロンググッドバイ」と言われても、こちらとしては
ロバート.アルトマンのエリオット.グールド主演の
「ロンググッドバイ」しか思いつかない。
フィリップ.マーロウの探偵もののあれだが、推理小
説とかは殆ど読まないし、全ては映画からの知識と言っ
ても良い。
それがどうも、村上春樹の訳で「ロンググッドバイ」が
出たらしく、それでMは騒いでいたのだった。

「ところで、その<ロンググッドバイ>を詠んだわけ」(私)
「いや、それより<海辺のカフカ>ですよ」(M)
「かなり売れたらしいね」(私)
「村上春樹は良いですよ」(M)
「確かに息長いし、コンスタントに売れるよね、しかも
外国でも人気だし、凄いよね」(私)
「広く読まれる理由があると言うことですよ」(M)
「そうなんだろうね」(私)
「例えば、文中に<レンブラント><アバド>とか普通
に出てくるんですよ、まず普通の会話で出てくること無
いですからね」(M)
「そうかあ?レンブラントくらい別に珍しくも無いだろう、
レンブラントの光と影、なんてのは決まり文句みたいな
ものだよ、まあ、アバドに関しては、指揮者のアバドの
こと、とピンと来る人は多くは無いと思うが」(私)
「レンブラントって、そんなに有名なんですか?」(M)
「有名だよ、Mが知らないだけ」(私)
「まあ、それにしたってそういう固有名詞がすらすら引
用として出てくるんですから」(M)
「ちょっと待ってよ、そりゃあ周りの人間を基準にすれ
ばそういうことになるかもしれないけど、少なくとも小
説家だよ、一般人よりは広い知識を持っているのは当た
り前なんじゃないの」(私)
「そうですか」(M)
「そうだよ、それにそういう引用があることと小説の
良さは関係ないし」(私)
「そうですか」(M)
「普通の会話の中でそういうものが出たら、そういう
分野に関心があるんだとか、その人の教養的なものが
判ったりするけど、小説の場合は、仕掛けとか意図的
に使うからね」(私)
「そうですか」(M)
「村上春樹は一冊しか読んだこと無いけど、カフカと
は全然違うよ、村上春樹の場合は飽くまでも物語、良
く出来ているとは思うけど、個人的には興味は無いよ」(私)
「そうですか」(M)
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チリ戦

2008年01月27日 | サッカー


本日の最低気温マイナス13度。
きのうよりは大分寒いと思ったが、その差は1度だけ
だった。
全く、人間の感覚なんて当てにならない。
それにしても、ここまできたらマイナス15度の壁は
超えてほしいものだが、そろそろ寒さも峠を越えそう
出し、ちょっと難しそう。
昔は、珍しいことではなかったが。

昨日は、今年初の日本代表戦、対チリがあった。
岡ちゃんの初陣ということで、それなりに注目された
試合であったが、結果は0対0の引き分け。
動きとしては、チリの方がダイナミックで、日本は一
歩目が遅いという印象。
まだ、コンディション、連携が良くないのだが、この
時期だったらこんなものかという気もする。
岡ちゃんのチーム作りも始まったばかりだし、まだま
だこれからだ。
ただ、いつものこととは言え、フォワード、しっかり
してくれよ、とどうしても言いたくなる。
特に大久保、最低一点は入れないと。
直ぐにどうにかなるものではないのだが、最後はそこ
に行ってしまう。
今年も、覚悟して見よ、ということなんだろうな。

ところで、ここに来て突然脚光を浴びた「ハンドボール」、
このまま定着するとは思わないが、変に過大評価する
今のマスコミに乗せられると(実力的には韓国の方が
上)、いつものように騙されたという結果になるから、
騒がない方が良いのでは、と思うが、こんなことでも
なければ一生注目されないハンドボール界の事情を考
えると、千載一遇の好機と捉えて活気付くのも仕方が
無いかとも思う。
なんと言っても、五輪あっての日本スポーツ界だから。
それより面白いのは、今後アジアのハンドボール協会
が、世界のハンドボール協会との関係をどうつけるの
かということだ。
どうも今までは、クウェートの王族のやりたい放題だっ
たらしいから。

オイルマネーの威力がどこまで影響を及ぼすのか、こ
れは注目だ。
経済の世界では、オイルマネーは絶対に無視できない
ものだ。
そんな中、スポーツ界が経済原理からどこまで中立に
なれるのか、言葉を変えて言えば、スポーツの理念が
果たして今でも生きているのか試されることになる。
たしか、クロアチアとか東欧が強いから、理事もそれ
らの国の人間が多いだろう。
どこまで抵抗できるかな
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品格

2008年01月26日 | Weblog


今日の最低気温はマイナス12度。
昨日より一度高かった。
通りで暖かいわけだ、ということはあるはずも無く、
昨日と同じように刺す様な寒さだった。
ただ、昨日の最高気温は、予想のマイナス3度は大き
く外れ、マイナス1度であった。
ちょっと、残念である。
この辺の心理は、途中まで新記録を期待できそうなマラ
ソンが、結局そうならなかったときの心理に近いかも
しれない。
いずれにしろ、時候の挨拶には良い話題を提供してく
れる今日この頃である。

あるブログに出ていたが、日本人の意識調査の結果と
して、日本を誇りに思う人間の割合が増えたことに対
しての、藤原正彦の意見に対して触れていた。
藤原正彦はそれを「グローバリゼーションの結果とし
て、伝統回帰、日本の良さを見直す方向になった」と
自著の「日本の品格」的方向に沿って解釈していたが、
それはちょっと違うのではないかという内容だった。
つまり恣意的過ぎると。
それ以前に、調査対象の高齢化のほうが結果に影響し
ているのではないか、と。
年寄りほど「日本回帰」が強いのは間違いない。
しかも、昔の日本を郷愁とともに美化する傾向も強い。
つまり、対象の如何によって、結果は大きく変わるの
だから、単純に結論付けるのはどうかということだっ
た。

読売の調査だったので、そういう方向に持って行きた
いという恣意性は、こちらも見たときに感じた。
その客観性に疑問を感じたのだが、そもそも日本を誇
りに感じる時の日本とは何を指すのかという、もっと
根本的な疑問をこういう調査の時に感じる。
誇りに思うものもあれば、その逆も一杯ある。
少なくとも、声高にそういうことを言う人間が、その
対象となることはない。
漠然とした日本というイメージだけでは、とても誇り
に思うとは言いきれない。
むしろ、その漠然さゆえ、多くの人の思いを吸収でき
るというのは、所謂ナショナリズムのメカニズムとし
て重要であるということは分かっている。

日本という一つの人格で、しかも立派な品格の持ち主
であったなら誰でも誇りにする。
しかし、実際はそんなことがあるはずも無く、しかも
品格の無い人間が一番そういうものを利用して調子に
乗り前面に出てくる。
この手の話が胡散臭くなるのは、結局そういう登場人
物が多いからだ。
そんなことより、足元の問題をこつこつ解決している
人間をもっと評価しろという話なのではないだろうか。

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ガルバンゾ2

2008年01月25日 | 食べ物


今朝は昔の寒さを思わせるような寒さで、最低気温は
マイナス13度だった。
しかも、予想最高気温がマイナス3度。
うーむ、本格的だ。
これだったら、冬将軍と呼んでも異論は無いだろう。
このくらいの寒さだと、部屋の窓の内側に氷の結晶が
張り付くので、気温を知る前に、かなり寒かったんだ
と予め知ることが出来る。
知ったからどうなんだ、という話もあるが、後で気温
を確認した時に、やはりねと納得の度合いが違ってく
るのだ。
つまり、合点の快感に影響してくるというわけだ。

と、ここで昨日の続きになるが、T君相手に豆カレー
の美味さを主張して、やはりヒヨコ豆は美味いという
話になって、ここでタイトルの「ガルバンゾ」が登場
することになる。
GARBANZO。
スペイン語でヒヨコ豆のことだった。
なんだか三銃士にでも出てきそうな名前だが、結構ヒヨ
コ豆としての認知はそれなりにされているようでもあ
る。
「ガルバンゾのカレー」と「ヒヨコ豆のカレー」どち
らが美味そうか。
これは難しい。
ガルバンゾーとも言うようだから、そうなるとナウマン
ゾーかなんかの仲間かということで、象のカレーをイメー
ジする。
象のカレー、あまり食指は動かない。
象のマークのカレーだったらありだと思うが。

それでは「ガルバンゾ」だとどんなイメージを想起する
か。
どうしても三銃士に出てくる誰かになってしまう。
或いは、サンチョパンザの幼馴染。
それか、ブニュエルの「銀河」に出てきそうな、サンチャゴ.
デ.コンポステーラを目指す巡礼の人を狙うこそどろ。
どうも、人のイメージしか出てこない。
それも良い人ではなく。
ということは、あまり美味さには結びつかないという
ことになる。

結果、ヒヨコ豆の勝ちである。
ということで、ここではこれからもヒヨコ豆で行くこ
とにする。
で、気になってスーパーの棚に並んでいるヒヨコ豆の
瓶詰めを見たら、ガルバンゾとラベルに印刷されてい
るのを発見した。
今までもあったのだが、全く気付かなかった。
ということは、発見したということではなく、単に気
付いたという話である。
これも、見てても見えなかった、という日常の一こま
であったのだ。


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ガルバンゾ

2008年01月24日 | 食べ物


とうとう雪降りとなったので、タイヤ交換をした。
ほぼ間違いなく降るであろうという予想の元、前日に
ホームセンターに行き、油圧式のジャッキを購入して
万全の態勢は整えてあった。
今まで使っていた、一番ポピュラーだと思う、パンタ
グラフのような形状のジャッキは、結構使い辛く、い
つもちょっとしたアクシデントを招き、なかなかスムー
ズな作業を保証してくれなかった。
それがあるが故、早めのタイヤ交換ができなかったの
である。
いや、それはないか。

で、今回は一番のネックとなっていた、そのジャッキ
の作業を改善して臨むということになったのだ。
実際やってみると、思ってた以上だ。
その楽なこと。
力もいらないし、本当にすいすいといった感じである。
何故今まで使わなかったか。
値段だって1780円と、安いし。
過去の、躓き続きの作業が走馬灯の如く思い出された。
というのは嘘だが、あの無駄な労力は一体なんだった
のかという思いは確かにあった。
油圧式バンザイである。

付け替えたスタッドレスで、早速雪の中を町に出た。
いくらスタッドレスと言っても、調子に乗ってスピード
を出すと、特にカーブでは間違いなくスリップする。
そういう経験は、何十回としている。
ちょっと大袈裟だった。
正確には十何回である。
他の車も40キロくらいのスピードで動いているので、
それに合わせ慎重に運転する。
T君のカフェに行き、年賀状のお返し、と言うのも変
だが寒中見舞いを直接手渡す。
カフェラテなどを飲みつつ、近況を聞く。
というほど久しぶりではない。
話題は豆についてだ。
お察しの通り、こちらがその話題に誘導したのだ。

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粋な時間

2008年01月22日 | Weblog


昨日も寒いと思ったら、最高気温マイナス0.8度の真
冬日であった。
ここ一週間ほどは、冬らしい天気である。
「日々是冬日」といったところか。
それにしても、寒い時には「寒い」と文句を言い、ちょっ
と暖冬だとピリッとしないと文句を言い、要するに、気
候に対しては常に文句を言いたくなるのが人間のよう
だ。
いくら文句を言っても言い返さないし、良い不満のは
け口になっているのかもしれない。
たまにそれが、代理の気象予報士に向けられることが
あるが、向こうにとってはいい迷惑である。
文句は自然に言え、ということが肝要である。

さて、昨日の続きになるが、映画少年Yは、ロダンを
見た後か前かは分からないが、昼食に蕎麦を食したと
いうことだった。
以前、東京の人気店が松本に移ったことを教えたのだ
が、そこへ行ってきたらしい。
Yは東京のその店にも何回か行ったらしく、教えられ
た時点で直ぐにも行くようなことを言っていた。
その時は、場所が判らなかったと暫くしてきた時に言っ
たので、もう一度具体的に教えた。
そして今回はちゃんと行けたようだった。
その店は、メニューはコースと決まっていて、すべて
お酒が付くというもので、たとえば「盛り二枚」とか
いった頼み方はできない。
車で行ったらどうするのかという配慮は、端からない
ようなのだ。
全ては店のスタイルの合わせてもらう。
いやなら来るな、ということである。
東京でもそういうスタイルであったということだ。

味のほうは、東京の時と変わらないとYは言っていた。
彼は、更に日本酒を注文して、しめて4000円ほど
の支払いをしたということであった。
蕎麦屋でまったり日本酒を飲みつつ過ごす、といった
「東京人の粋」を体現したいYにとっては、いい時を
過ごしたということになるのだろうが、「粋な時間」
とは無縁な私にとっては、一言「高い」であった。
蕎麦で4000円は、単純に高い。
これが素直な感想である。
更科の主人に報告することが、またできてしまった。
粋な大人は、蕎麦屋で玉子焼きなどを肴にし日本酒を
嗜む、お前は池波正太郎か。
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ロダン

2008年01月21日 | 芸術


今年初めての映画少年Yの訪問。

「ロダン見てきましたよ」(Y)
「えっ、どこで?」(私)
「松本で」(Y)
「そんなのやってるの?」(私)
「国立西洋美術館所蔵の特別展です」(Y)
「ほう」(私)
「やはりロダンは最高です」(Y)
「ほう」(私)
「あの線はたまりません」(Y)
「ほう」(私)
「もともと好きなんですよ」(Y)
「ほう、それは知らなかった」(私)
「西洋美術館にも行きますし、特に地獄の門なんか最
高です」(Y)
「ああ、衣笠貞之助の」(私)
「それは映画<地獄門>」(Y)
「はいはいダンテどすね」(私)
「その神曲をモチーフにしたやつですよ」(Y)
「その地獄の門だけど、ダンテがその着想を得たのが
何を見たときというのは知ってる?」(私)
「何ですか」(Y)
「レ.ボー.ド.プロヴァンスの風景を見たときなん
だねこれが、あの石灰岩の荒涼とした風景が刺激した
んだねダンテを」(私)
「良く知ってますね」(Y)
「と、ガイドブックに出てた」(私)

「ところで、ロダンは見たことあります?」(Y)
「ああ、あるよ」(私)
「どこでです?」(Y)
「ロダン美術館で」(私)
「えっ、フランスの?」(Y)
「そう」(私)
35パーセントほどの自慢が入っている。

「どこにあるんですか?」(Y)
「説明したって分からないでしょ」(私)
本当は、詳しい場所は忘れた。
「兎に角、パリにあるよ」(私)
「確か、ロダン自身の邸宅を美術館にしてるんですよ
ね」(Y)
「確かに、コンパクトな美術館で、見るにはちょうど
良い感じの所だった、ような」(私)
「いいなあ」(Y)
「行けば良いんだよ」(私)

実際のところ、作品の印象より、近くのカフェで昼食
に食べたオムレツの方が強く印象に残っている。
どうも、彫刻に関しては今ひとつ心もとない。
ぐぐっと来たという体験がまだ無いような気がする。
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ヒヨコ豆2

2008年01月20日 | 食べ物


ヒヨコ豆のカレーは、無事に完成した。
カレーにすると、それぞれの豆の個性は分かり辛いが、
煮てるときの味は、それぞれがそれぞれの味を発揮し
ている。
ヒヨコ豆は、それ自体に微かな甘味があり、風味も、
小豆のような或いは他の何かの豆のようなものがあり、
美味さを予感させた。
感触は、他の豆とは一線を画す。
黒砂糖をかじったような感触だ。
柔らかいと言うより、崩れるといった感じの、ヒヨコ
豆独自の質感だ。
これはこれで良い。
豆カレーの中でも上位だ。
というより、最近の好きなカレー上位は、全て豆カレー
であった。

初期は「キーマカレー」が上位であったが、今は「野菜
カレー」にその地位は奪われ、その野菜カレーの中でも
上位は、全て「豆カレー」というのが今の状況である。
ここまで豆に魅了されるとは、誰が想像したか。
豆好きの終着点は、「豆カレー」。
単なる個人の嗜好、と言ってしまえばそうなのだが、
各国の食文化の中の豆料理の地位を考えると、その重
要性は否定できない。
豆に始まり豆に終わるというのは、普遍的な食文化の
謂わば法則なのである。
と、今考えた。
豆好きの詭弁みたいなものだ。

その「ヒヨコ豆のカレー」だが、一回目はそのまま食
べたが、残りに、今度は以前の「レンズ豆のカレー」に
使った残りのレンズ豆が50グラムほど残っていたの
で、それを足した。
上の文章「残り」が三回も使われているので、ちょっ
と読み辛い、というのは置いといて、レンズ豆を足した
「ヒヨコ豆のカレー」は、更に美味しくなったかとい
われると確信は無いが、充分美味しいものであった。
「豆のブレンドカレー」、一つの可能性を示唆するよ
うなカレーの誕生である。
「クールの誕生」ならぬ「ホットの誕生」だ。
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寒中見舞い

2008年01月19日 | Weblog


T君から直接手渡しで「年賀状」を貰った。
元々、出したり出されたりしているわけではないが、
たまたまT君は今年は作ったということで、店に行っ
た時に手渡されたというわけだ。
直接はがきに描いたものをスキャナーで取り込み、プ
リントしたものだが、ちゃんと「年賀はがき」を使っ
ていた。
と言っても、今年の年賀はがきは、大分あまり気味ら
しい。
だから、年が明けても売っているという状態で、年々
その価値も薄れてきているようだ。
と、年賀状がどうの言っている私だが、実は、出して
ない。

年々面倒臭くなり、ついに去年止めた。
返事を出さなければ、徐々になくなるものだからそう
したいのだが、放っとくのはちょっと気が引ける。
つい悪いと思ってしまうので、「寒中見舞い」という
形で出すことになる。
多分この形でも、徐々に少なくなるとは思うが、自然
消滅するには完全に出さないよりは時間がかかるだろ
う。
こんなことを考えるのが厭なので、完全になくなれば
と思っているのだが、これは飽くまでも個人的な話で、
決して、世の中からこういう習慣がなくなればいいと
思っているわけではない。
楽しみにしている人は続ければ良いのだ。
単なる形式となった場合、或いは、あまりに義務感が
強くなった場合は止めても良いのでは、という程度の
話で、人それぞれだ。

と言いつつ、寒中見舞いのはがきをプリントして、宛
名を書かなくてはならない。
宛名もプリントしてというのもあるが、ソフトに住所
を入力するのがこれまた手間でもあるし、せめて宛名
くらいは手書きにしろよという思いもあるので、そこ
は手書きだ。
素朴に、表裏プリントで、決まりきった文章の年賀状
を貰って嬉しい人はいるのか、と思う。
あと、子供の写真についても思うのだが、これは結構
嬉しい人もいるということで、世の中色々なんだとい
う思いを強くした。
ああ、宛名を書かなくては。

コメント

掘り炬燵

2008年01月18日 | Weblog


昨日は、期待通りの、最高気温マイナス0.6度の正真
正銘の真冬日であった。
どうせ寒いのなら、このくらいでないと。
中途半端な寒さの方が、油断して風邪っぽくなるのは、
経験上分かっている。
空気も凍るくらいのこのくらいの寒さが、身体も精神
もピリッとして良い(本当は、暖かい方が嬉しい)。

最近は、灯油も値上がりしているし、ガソリンも高い
ので、なるべく使わないようにしている。
ストーブは使わず、炬燵。
堀炬燵なので電気代はかからない。
しかも炭は自家製。
畑の使わない桑の木などが炭となる。
兄作なのだが、今時自家製の炭など使う家も少ない。
ここだけ見れば、かなりエコである。
炭と言っても、ウバメ樫の備長炭のような、一本すっ
としたものではなく、バラ炭といわれる、細かな炭だ
がそれで充分だ。
たまに、完全に炭化してないものがあり、煙を発生す
ることがあるが、足が燻され燻製のようなにおいが付
くだけで、それもご愛嬌である。
掘り炬燵の醍醐味のようなものだ。
熱量はかなりのもので、相当熱くなる。
遠赤外線効果もあり、関節の痛みなども改善される、
ということはありそうで無さそうで、本当どっちかわ
からない。
いずれにしろ、電気炬燵よりはじっくり温まる。
昔の家のいいところは、こんな掘り炬燵が今でも使え
るというところだろう。
何せ、築100年は経っているのだから。

但し、その分機密性は無いので、寒い。
部屋の中でも、水は凍る。
鼠も、どこからか定期的に発生する。
しかも、学習能力があり、毒餌を食べない。
これは、古い家には関係なかったか。
ただ、鼠の棲家は至るところにありそうだ。
あと、梁の太さは30センチはあるが、それがそのま
ま耐震構造には結びつかないところが、残念である。
柱の太さだけ見れば、相当立派ではあるが。

改めて見ると、昔の家の特徴は、一応備えているとい
うわけだ。
よく、田舎の家に憧れて引っ越す人がいるが、見かけ
は良くても、今の生活スタイルからすると不便なとこ
ろは多々ある。
中を、完全リフォームするなら良いが、そうでもしな
ければ相当大変だ。
田舎ライフに対しての幻想は禁物である。
コメント

オオワシ

2008年01月17日 | 生き物 自然


今日は、いよいよ今年初の「真冬日」になろうかとい
う勢いの寒さである。
待てよ、寒さに勢いはおかしいか。
勢いのある寒さ、やはりあまり使わない。
勢いのある寒気団による寒さ、だったらokだ。
ということは、寒気団を省略して「勢いのある寒さ」は
決して間違いでも無さそうだ。
と、どっちでも良い話だった。
兎に角、外は本格的な寒さである。

今年は、白鳥の飛来(諏訪地方)が例年より少ないらし
い。
確かに、カモ類は沢山目撃するが、その中に混じってい
る白鳥の数は少ない、様な気がする。
越冬地の気温の変化がその原因だとすると、これも温暖
化が影響しているのかもしれない。
最近は、何でも温暖化のせいにしておけば話は通るので
便利ではあるが、ちょっと使いすぎの傾向もある。
今回のことに関しては、越冬地の気温がある温度以下で
あることがその地に来る常連の白鳥にとっての条件とす
ると、ここ最近はその基準温度を上回ってるから、より
寒い北の方に場所を変えたのではないか、という推論に
基づいている。
要するに、温暖化を基にした勝手な想像である。

他の鳥では、「クロツラヘラサギ」は残念ながら来ない
が、毎年「オオワシ」が一羽来るのが何とも嬉しい。
数年前弱ったオオワシを救って、その個体が毎年来る
ようになったらしいが、何となく「鶴の恩返し」的な
話である。
特別「オオワシ」が何かを持ってくるわけではないが、
毎年冬に戻って来ては元気な顔を見せる、という擬人的
な行為のように受け取れるのだ。
動物の方としては、多分、単なる習性の中でたまたま固
定化した行動様式なのだろうが、見るほうの人間とし
てはいるだけで嬉しいものである。
オホーツクの流氷に止まっている「オオワシ」は、映
像としては馴染みがあるが、諏訪湖の上空で「オオワシ」
というのは、是非一度は見たい。

漢字で書くと「大鷲」。
以前この名前の関取がいた。
長野県出身の数少ない関取で、はっきり言ってあまり
強くは無かった。
今は、確か佐久のほうで同じ名前の「ちゃんこや」をやっ
ている。
「オオワシ」とは全く関係ない話だが。


コメント

ヒヨコ豆

2008年01月15日 | 食べ物


この間、スーパーに行くと、「ヒヨコ豆」が売ってい
た。
この辺りのスーパーで売っているのは珍しい。
早速購入。
当然、今度カレーに使用というわけだ。
今のところ豆カレーとしては、インゲン豆とレンズ豆
を使ったが、どちらも美味しく出来上がった。
残るはヒヨコ豆(と自分の中ではなっていたのだ)。
個人的なイメージでは、本場の豆カレーイコールヒヨ
コ豆だ。
ダルカレーというのが、豆カレーの総称なのかある特
定の豆を指すのか知らないが、とりあえずダルカレー
はヒヨコ豆を使うと個人的には思っていた。

それにしても昔は(と言ってもほんの二三年前)、ま
さかカレーをこんなに食べるとは思ってもみなかった。
基本的に、一般的日本のカレー(カレールーの)はそ
れほど好きではなかったのでカレーそのものを食べる
機会もあまりなく、まして店で食べることは、年に一
度も無かった。
そんな中、たまに本場のカレー屋(現地の人がやって
いる)で、現地スタイルのカレーを食べるようになり、
好みとしては現地風のものだなと新たな認識を得、食
べるなら、「ナンと一緒に本場カレー」という図式が
出来上がった。
図式が出来上がったが、自分で作ろうという気はずっ
となかった。
そんな状態が七八年つづく。
その間には、通販で、本場のカレーといううたい文句の、
専門店のレトルトなどを購入したりしたが、どれもこ
れという味ではなかった。
そして次に、大手メーカーの本場味のレトルトを試す
ことになる。
それなりに美味いのだが、どうも余計な味付けが多く、
個人的には特に、旨味調味料の添加が気に入らなかっ
た。

カレー黎明期が、本場のカレー屋で食べ始めた頃で、
中期が様々なレトルトを試した頃、そして仕上げの後
期となるわけだ。
レトルトも徐々に飽き、暫く空白。
その間に、何か他のものと一緒に通販で今使っている
「カレー香辛料のセット」を購入した。
購入したのだが、それは暫く放置されていた。
その期間一年以上。
ついでに買ったはいいが、今ひとつ美味そうに感じな
かったのだ。
では、何故買ったのか。
ネパールのフェアトレード商品であることがその理由
だったのかもしれない。
つまり、始めから味を期待していたわけではないのだ。

それがある時、ちょっと試してみようかという気にな
り使ってみたわけだ。
出来上がりは、はっきり言って美味そうには見えなかっ
た。
とろみは当然無いから、ちょっとしゃぶしゃぶで、そ
れよりなにより味があるのかという一番基本的なとこ
ろが心配だった。
何せ、旨味調味料に代わるものは一切使ってなく、野
菜のみであったから。
で、食べてみたら、あらあら不思議、これが本格的な
味で美味かった、となるわけだ。
ここからカレー後期、いうなれば充実期が始まった。
以来、このカレー香辛料セットは、静かに私中心に広
まり、徐々に愛好者が増えている、ということになる
のである。
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冬のビール

2008年01月14日 | サッカー


雨の後は、最高気温が0度を超えるかという真冬日に
なりそうな本格的な寒さ。
これが平年並みといえばそういうことだが、それにし
ても寒い。
タイヤもスタッドレスにしないといけないが、今の腰
の状態では暫く先送り。
雪が降ってあわてて履き替えという、いつものパターン
に今年もなりそうだ。
或いは、降ったら乗らない、これかもしれない。

どんなに寒くても、飲むならビール。
何故唐突にビールかというと、昨日ビンビールを久し
ぶりに飲む機会があり、美味かったから。
鮮度が良く、酵母の香りが強いビールで、美味いと思っ
た。
基本的にビールは、銘柄はどこでも良い。
厳密に言えば、日本のビールはそれぞれ差があるのだろ
うが、それがこちらの基準の美味い不味いの要素には
ならない、というよりその差を感知は出来ない。
その銘柄の差より重要なのは鮮度、つまり酵母の香り
がこちらの美味さの基準なのだ。
はっきり言って、日本のビールはどれでも同じだ、と
思っている。
銘柄よりは、そのビールの状態が重要である、という
のが長年ビールを飲んできての結論だ。
と、断言すれば、それなりの説得力もありそうだが、
実は、確かに冬でもビール派ではあるが、そんなに沢
山飲んでるわけでもなく、積極的に探求して来たわけ
でもない。
本当は、どうでもいいと思っている。

兎に角鬱陶しいのは、どこそこの銘柄じゃないと、と
言う人間だ。
そういうことを言う人たちを見てると、多くが、そん
なに繊細な味覚を持っていたっけ?という人たちなの
だ。
考えるに、「ラーメンにうるさい」と「ビールにうる
さい」というのはかなりの部分共通しているのではな
いか。
どちらも何を言っても自由だし、言った者勝ちのよう
なところがある。
それに、誰もそのことを検証することが無いし、検証
できないし、しかも誰もまたそれを信用していない。
要するに、血液型と同じように、お決まりの話題程度
のツールであるということか。


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