一昨日は最高気温がマイナス3度、昨日は最低気温がマイナス14度、そして今日は雪降り。まるで北海道のような天気が続いております。
知り合いに(消極的関わりの)物事を兎に角単純化して理解したい人間がいる。勝手に自分だけ分かったつもりになっている分には良いが、それを他人に当てはめようとし、単純化した理屈に沿った質問などして分類しようとしたりするときは相当鬱陶しい存在となる。二元論的思考とでも言えばいいか、こちらとしては血液型信者と同じようにある種の思考停止であると思っている。
基本的には会いたくもないのだが、この前何故か姿を現し、またしょうもない質問を投げかけてきた。その内容は、本を読むときは音読派か速読派かというものだった。そんなものどっちでもいいのだが、彼にとっては重要らしいのだ。本当はそれ以前に、速読か音読かと意識して本を読む人間はあまりいないだろうという事実に思考が至らないという根本的な問題がある。が、彼にとっては人間はこのどっちかに分類されるものらしい。聞いてるとどうも速読に対する疑問があるようなのだ。彼としては、速読は胡散臭い、内容なんて理解できるはずはないということを特に言いたいようなのだ。
そこで、そもそも本を理解するということはどういうことなのかと聞いてみた。こういう抽象的な質問をすると答えられないのを知って質問する人間も(私です)いやらしいが、案の定答えに詰まった。筋書きを理解して内容に納得した状態が多分理解した状態であるということを言いたいのだろうが(とこちらで説明)、例えばカフカの小説などは筋書きを理解した所でその良さはまったく分からない。まして音読速読などというのは意味をなさない。しいて言えば、その小説世界を体験できるか出来ないかが重要なポイントである、などと煙に巻いて終了しようとした。全く何を言ってるのかという顔をしていたが、こういうものは理屈で説明しても分からない人には一生分からないものだ。
というこわけで、今回もどっと疲れてしまった。ゲロメッティYも色んな理屈を言ってくるが、Yの場合は相手してても面白いしいじくり甲斐があるが、今回の彼はそもそも愛嬌がないしあまりにも世界が極小で面白くないのである。