小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

和田小学校リフレッシュ工事と米百俵

2006年12月17日 | 政策調査
来年度に予定されていた和田小学校校舎のリフレッシュ工事が、少なくとも来年度は財政事情から実施しないことが明らかになりました。先日の一般質問で判明したものです。
平成16年度に高浜小学校、平成17年度に内浦小中学校、平成18年度に青郷小学校の校舎を順次リフレッシュ工事を行い、最後に和田小学校を平成19年度に施工する予定で、今年度は実施設計を行ってきていたにもかかわらず来年度は実施しないことになったのです。
我家の娘達はこの話しを聞き落胆し、妻は怒り心頭でした。

和田小学校では、教師も子どもたちも来年度に校舎が綺麗になることを心待ちにしていたことは、和田小学校のスクールボランティアとして、また在校生の保護者として良く知っていますので、そのことを思うと今は憤りを感じます。
いったいどんな経緯でこのようなことになったのか、今後、議会で確認してまいります。

ところで、小泉前総理の所信表明演説で有名になった「米百俵の精神」について、ウィキペディアから以下に引用します。何が言いたいか分っていただけると思います。

戊辰戦争で敗れた長岡藩は7万4000石から2万4000石に減知され、実収にして6割を失って財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった。このため窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られることとなった。
藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだが、藩の大参事小林虎三郎は、贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用(学校設備の費用とも)とすることを決定する。藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議するが、それに対し虎三郎は、

「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」
と諭し、自らの政策を押しきった。

この米百俵の売却金によって開校したのが「国漢学校」であった。また、この学校は士族によって建てられた学校であるが、一定の学力に達した庶民の入学も許可された。洋学局と医学局が設置され、洋学局が現在の長岡市立阪之上小学校と新潟県立長岡高等学校、医学局が長岡市内にある長岡赤十字病院とその付属の看護学校が後進となっている。