扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

神隠しに逢うということ

2013年07月22日 | 来た道

今日、7月22日午後10:00、父を亡くした。

姉より電話があり「死んじゃったよ」と伝えられ深夜の東名高速道路で急ぎ実家に帰った。
朝の5時に着いたらもう父はいわゆる「仏」になって座敷に横たわっていた。

人が死ぬということは昨年2月に義母を亡くした時にも随分考えさせられた。

我が親父殿の場合、母がみている傍で急に具合が悪くなり救急車を呼んだ時にはすでに息がなかったらしい。
言い残したことなどなくまさに異次元へ瞬間移動してしまった。

親父殿は私の知る限りのあらゆる親子関係とは異なり(まあ、親子の関係が唯一無比ということは全ての人にいえることかもしれないが)、私は親父殿との間には実に不可解な「壁」があった。
親父殿は私に「こうしろ、ああした方がいい」的な教えを何も伝えず、私が何をしでかそうが怒りもせず、さほどにほめもせず、逆に私も親父殿に自ら進むべき道やら考えやらを相談したこともなかった。
「全ては事後報告、連絡事項、暗黙の了解」だったのである。

だからといって親父殿を疎ましく思ったこともなく故人に無礼を承知でいうならば「路傍のお地蔵さん」のような存在であった。
毎日、通りすがりにちらりとながむればいつもにこにこと何がうれしいんだかわからないような顔をしているのである。

葬儀の準備などでばたばたとしている合間合間に老親ふたりで暮らすには広すぎる屋敷のあちこちに親父殿のやりかけの雑事の痕跡がみうけられる。

「ちょっと何かに呼ばれたから行ってくる」
そんな感じなのであって二度と会えぬ事がにわかに信じがたい。

とはいえ、明後日には傍らに寝ている仏も灰になってしまう。
どういう気持ちの整理を付けていくか、不安でもあり少し楽しみでもある。

親父殿と最後に逢ったのは5月、いっしょに近所に味噌かつを食べにいったのが最後だった。
今日、この時はまだ、「あのときもっとこうすればよかった、どこどこへ連れて行ってやりたかった」などという感慨が湧かない。

昨日、もしも実家にいればたぶん、もう一度、黙って一緒に飯を喰う機会があっただけである。
親父殿がどこへ神隠しにあってしまったかは図りかねるが、私と親父殿の奇妙な関係はこれまでとちょっと距離感が変わっただけのような気がしている。

義母が亡くなったのも深夜で月がきれいだった。
仏になった親父殿に会いに行った今宵の満月も加えて忘れがたい。


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