扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

ワールドカップ2002 #7 スペイン vs 韓国

2002年06月22日 | Football

蔚山駅には同じような境遇の人々(概ね日本人)がたむろし野宿した。

バスで光州に出発。

光州駅あたりはさすがにホームチームのゲームのこと、真っ赤である。

韓国サポーターは赤いTシャツで応援するのが常である。

光州のスタジアムは陸上競技場であってトラックがあるのでピッチが遠い。

 

まあそんなことだろうと思っていたが、私の席は韓国サポーターに占拠された一角。

とてもではないが、日本人ひとりで座って観戦できるといえる環境ではない。

おかげで通路で立ったまま観戦と相成った。

それにしてもスペイン vs イタリアのはずだったのがいかにも残念。

 

スペインの先発、

GK カシージャス

DF イエロ、ナダル、ロメロ、プジョル

MF エルゲラ、バラハ、ホアキン、デ・ペドロ、バレロン

FW モリエンテス

監督 カマーチョ

バルサからは右サイドバックにブジョル、控えにチャビ、ルイス・エンリケ。

ベスト8の時点で彼等以外、日韓に残っているのはリヴァウドのみ。

まあこれはオランダがそもそも予選敗退しているのだから仕方がない。

誠に残念なことにラウールが負傷でベンチ。

ジダンといい私が来ると出られない。

 

前半からスペインがテクニックで攻め、韓国がフィジカルで抑え込むという展開。

中でもプジョルの上下動、ホアキンのドリブルが印象的、ホアキンはベティスの所属であるがリーガの方でも絶好調。

今大会、韓国のゲームにおける誤審問題が湧き起こり、この試合でも審判団が絶好調。

中でもホアキンがゴールラインから上げたクロスがラインを割ったシーンは私の視点からよく見えたが明らかな誤審。

まあ、サッカーとはそういうものである。

 

延長になると交代枠を使い切ったスペインは動けなくなる。

そして80分に入ったルイス・エンリケが中ではフレッシュなはずなのに消耗し歩くだけになってしまう。

延長がなんとなく終わりPK 戦へ。

韓国が全員決め、ホアキンがはずして終了。

 

スタジアムがえらいことになるのは必定。

安貞桓がゴールを決めるや脱兎の如く逃げだした。

何とも煮え切らぬ気分を鎮めるために商店街で靴を買い履き替えてバス停に。

釜山まで高速バスで移動。

明日朝の便を待つ必要があるが、何だか意気消沈してホテルを探すのも面倒なので駅で寝た。

一晩中、本日のゲームのハイライトが流れっぱなしである。

我が最悪の夜である。

 

 


ワールドカップ2002 #6 ドイツ VS U.S.A.

2002年06月21日 | Football

大分のイタリアvsメキシコのチケットを会社の後輩に譲ってしまいしばしテレビ観戦。

決勝トーナメント進出16国が決まった。

デンマーク-イングランド、ブラジル-ベルギー、スウェーデン-セネガル、日本-トルコ、スペイン-アイルランド、韓国-イタリア、ドイツ-パラグアイ、メキシコ-U.S.A.

がRound16となった。

 

グループリーグ落ちとなった強豪国としては、まずは前回優勝のフランス、アルゼンチン、歴代最強だったはずのポルトガル、ウルグアイ。

Round16でイタリアが脱落。

韓国での1/4Finalのチケットを持っている私には実に残念な結果である。

決勝以外のチケットは韓国の方では意外に残っていてネット購入できたのである。

ところが予想というか、実力からいえばスペインvsポルトガル、ドイツvsイタリアとなるはずが、ドイツvsU.S.A.、スペインvs韓国となってしまった。

 

とはいえ、行かぬ訳にも行くまい。

東京の家をほったらかしにして名古屋空港から釜山に飛び、専用バスで蔚山に向かう。

バスはほぼ日本人であり、同じような観戦形態になっているのであろう。

韓国の高速道路を行くと植生などはやはり西日本のそれと近く。右側通行であること、標識などの違いを除けばまるで日本である。

 

蔚山には夕方着き、スタジアムに入った。

海苔巻きの弁当を買い込み、席に行くと観客席は一向に埋まらない。その内、中学生の修学旅行よろしく制服軍団が大量に現れスタンドの一角を占めた。

 

ドイツの先発、

GK カーン

DF リンケ、メッツェツダ、ツイーゲ

MF ハマン、バラック、シュナイダ、フリングス、ケール

FW ノイビル、クローゼ

クローゼはすっかりドイツの顔になった。

今大会のドイツ代表はこれまでのイメージと違い、守備重視のチームの感がある。

90年代のドイツはサイドからの速攻が印象的なダイナミックさが売りだった。

一方のU.S.A.は94年の自国開催から常連化し今大会でも好調を維持している。

 

キックオフしてみれば、U.S.A.の方が攻勢でカーンのセーブがなければ勝っていたような内容である。

38分にようやくFKからバラックがヘッドで先制。

後半も互角のいい勝負で好ゲームではあった。

 

ゲームが終わって蔚山駅まで戻るものの明日のスペイン戦が行われる光州までの交通手段がないとのこと。

駅の周辺をうろうろしても宿が見つからず、居酒屋で遅い晩飯を取った後、駅で寝ることになった。

 


ワールドカップ2002 #5 日本 vs ロシア

2002年06月09日 | Football

今晩は日本の第二戦

第一戦のベルギー戦に引き分け、今日勝てばグループリーグ突破が見える。

連れ合いと早めに家を出て中華街で昼飯を食い、横浜スタジアムに向かう。

さすがに開催国のホームゲーム、ロシアサポーターはほとんど気配がない。

 

ゲートに上がる階段で珍事。

どこかでみたことがある人が仁王立ちしていると思ったら、中学の野球部のメンバー、Mであった。

我々の結婚式以来の再開である。

彼は通信社の記者でまあ仕事の一環なのであろう。

 

席はバックスタンド1階の6列でピッチレベルに近く、選手の目線がよくわかる一方で遠いサイドの状況はよくわからない。

日本の先発、

GK 楢崎正剛
DF 松田直樹
   宮本恒靖
   中田浩二
MF 戸田和幸
   稲本潤一
   小野伸二
   明神智和
   中田英寿
FW 柳沢 敦
   鈴木隆行

中田英寿はセリエAのパルマ、小野伸二はオランダのフェイエノルト、稲本潤一はプレミアのアーセナルに在籍、日本代表も国際色豊かになったものである。

ゲームの方は一方的にロシアに押し込まれることもなく、互角の戦いで進む。

目の前では右サイドバックの松田が最終ラインからひたすらロングボールを送る姿が印象的だった。

後半、サイドが変わった51分、柳澤が落としたボールを何故かそこにいた稲本が綺麗に流し込んで先制。

その後、危ない場面も乗り切りワールドカップ初勝利をクリーンシートで飾った。

私の方はというとうれしいというよりもほっとしたという感が強かったように思う。

 

ワールドカップの歴史で開催国がグループリーグで敗退した例はない。

次はアフリカのチュニジア、勝てばまず突破ということになろう。

 

いいものを見た横浜の夜であった。

 


ワールドカップ2002 #4 イタリア vs クロアチア

2002年06月08日 | Football

ワールドカップ観戦4試合目、鹿島スタジアムでイタリア対クロアチア。

 

スタジアムまでは自宅からJRで鹿島神宮駅、そこから臨時バスでスタジアム。

電車の中には両国サポーターも混じって大騒ぎ。

しかし鹿島は遠い。4時間の旅である。

鹿島スタジアムはサッカー専用で観客席の勾配もきつく非常に見やすいしピッチが近い。

席はバックスタンドのコーナー横である。

 

イタリアの先発

GK ブッフォン

DF マルディーニ、ネスタ、カンナバーロ、パヌッチ

MF ザンブロッタ、トンマージ、ザネッティ、トッティ

FW ヴィエリ、ドーニ

ディビアッジオがザネッティに変わった以外は初戦同様。

 

前半早々にネスタが負傷退場、スコアレスで後半へ。

 

ヴィエリがヘッドで先制するも立て続けに2失点して1-2のままロスタイム。

イタリアの負けかと思ったところ、マテラッツィが上げたクロスがそのままゴールに。

と思ったらインザーギのファウルを取って無効に。

この試合、微妙なオフサイド判定だったり、トッティのFKがポストに嫌われたりとイタリアの日ではなかった。

 

それにしてもイタリアの守備は美しい。

特に、カンナバーロの動きは見ているだけで感動モノである。

カテナチオの真髄といえよう。

結果は2失点で負けているのであるが、いずれも交代のマテラッツィの対応の拙さだった。

ネスタの交代がなければということであろう。

ともあれ、欧州競合同士の好ゲームではあった。

帰りはスタジアムから出ていた新宿行きの高速バスで帰った。


ワールドカップ2002 #3 イタリア vs エクアドル

2002年06月03日 | Football

ドイツ大勝に気をよくし、次の観戦は同じ札幌ドームのイタリア戦である。

中一日空いた6/3(月)20:30キックオフ。

イタリアの先発

GK ブッフォン

DF マルディーニ、ネスタ、カンナバーロ、パヌッチ

MF ザンブロッタ、トンマージ、ディビアッジオ、トッティ

FW ヴィエリ、ドーニ

監督 トラパットーニ

ほぼベストメンバーとなる。

私情としてはトッティよりもデルピエロに期待するのであるが仲のよくない同輩インザーギと共にベンチ。

 

ドイツ代表もそうであるが、生涯お目に掛かることもなかろうと思っていたアズーリが目前で練習していることが信じられず、ぼんやりしてしまう。

イタリアは国際大会ではいつもスロースターターで初戦など緩く過ごすのが常である。

そこは心配であったが7分、最終ラインからカウンター、トッティが中に戻してヴィエリがゴール。

私の席は前半イタリア側のゴール裏、FWが向こうに走って行く形になる。

27分にもカウンターでヴィエリが2点目。

こうなるともうイタリアはカテナチオである。

74分にデルピエロが入ってももはや無理して攻めない。

2-0でイタリアの勝ち。

 

翌日、気分をよくして札幌を後にした。

今晩はいよいよ日本の初戦、ベルギーである。

 

 

 

 


ワールドカップ2002 #2 ドイツVSサウジアラビア

2002年06月01日 | Football

前日のフランス戦の呆然感も醒めやらぬ中、札幌に着いた。

県庁隣のホテルに荷物を置きスタジアムに出陣。

札幌ドームは屋根付き故、天候の心配がないのがよい。

 

ワールドカップとはいえ、観客は日本人がほとんどでテレビで憧れた各国サポーターがゴール裏を埋め尽くして応援する雰囲気は薄い。

ドイツの先発は以下の通り。

GK カーン

DF リンケ、ラメロウ、メツェルダ、ツィーゲ

MF ハマン、フリングス、バラック、シュナイダ

FW ヤンカー、クローゼ

監督 フェラー

ゲームの方は予想通りドイツがサウジを圧倒。

19分にクローゼのヘディングで先制、その後も得点が続いて8-0、ワールドカップの得点記録となった。

憧れのドイツ代表が目の前で踊っている。

フランス戦の後味を甘くするのに十分な夜ではあった。