扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

歴史コラム #36 星を追った第二の人生

2018年03月31日 | エッセイ:海の想い出

コラム北海道編の第二弾は伊能忠敬。

伊能図で有名な人の前半生は有能な庄屋さん。

千葉の片田舎で生まれた忠敬は佐原の豪農に養子に出て地域の名士となった。

50才で引退、悠々自適の生活に入り、長年の夢である星を追う生活に入った。

江戸に出て天文方の大家、高橋至時に師事した。

忠敬は地球の緯度を割り出し師匠に提出、「そんな短い距離の実測では誤差が大きいなあ」といちゃもんを付けられると奮起する。

「蝦夷地くらいまで測量すれば精度抜群だがなあ」と師がポロッといったのを見逃さず、本当に蝦夷地までいってしまった。

 

幕府には地図を作りますともっともなことを言って公務を請け負ったフリをして、営々と天文観測を続けて根室まで行った。

その結果、得られた地球の緯度、最新のオランダ由来のデータとほぼ一致、師弟は手を取り合って大喜び。

伊能図の裏にはそんな野望があったのである。

 

さて伊能図の性能に驚いた幕府は「全国でこれをやれ」と命じ、忠敬は死ぬまで地図仕事をやらされるはめになる。

そして伊能図は密かにシーボルトに渡って大事件となる。

その脇役が間宮林蔵。次回のテーマにしよう。

 


松浦武四郎生家

2018年03月02日 | 街道・史跡

松浦武四郎の本を出版することになり、松阪市と連携して編集をすすめるため資料を豊富に保管している記念館へ挨拶を兼ねて生家を見学することにした。

監修者となるサイネックス社の社長に同行するのである。

 

2018年は松浦武四郎生誕200年、北海道命名150年。

この機に合わせて松阪市は生家跡を補修復元することにした。

毎年、2月25日の誕生日に「武四郎まつり」が開催され生家がリニューアルオープンとなる。

武四郎の本を執筆中の身としてはぜひとも参加せねばならぬところではあるが、イベント期間中は主催者も忙しかろうということと、社長のスケジュール調整のため、まつりの翌週に出かけることになった。

 

取材時に教えていただきたい項目を企画主旨と共に先方に送ってあったのだが、訪問前に時間調整していた喫茶店にスマートフォンなど諸々一式置き忘れるという失態を演じてしまった。

おかげで時間がなくなってしまい、再度やってこねばならなくなった。

 

生家はさすがにリニューアル直後ということもあって綺麗になっていた。

武四郎が生まれたこの地は伊勢参宮街道に面しており、参詣者が雨宿り日除けをできるように軒に板が並んでいておもしろい。

敷地は江戸末期の郷士の家として風格相応といえ、質素ではあるが気の行き届いたしつらえが彷彿される。

武四郎は少年期に家を飛び出して帰省することも少なかったようだが、家族の方々は武四郎を温かく支援した。

この松阪松浦家の心掛けなくして武四郎の業績、特に書籍や手紙の類は今日に残らなかっただろう。