扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

米国旅行記 #17 帰国へ

2008年07月15日 | 海外出張記

米国旅行、ついに最終日になってしまった。

後1週間くらいいてもよかったのかもしれない。

まあそれは宿代がかかっていないからそう思うのだろう。

Hさん夫妻に感謝してもしきれない。

滞在中、ショッキングなことを聞いていた。

 

Hさんとは私がまだ駆け出しの小僧の頃、はじめてN.Y.に出張した時からのお付き合い。

仕事のやり方もよくわかっていない私にいろいろ教えていただき、助けていただいた。

特に奥様は私をかわいって下さりプライベートに関することまで助言いただいた。

Hさんの会社との仕事上のお付き合いは私がNTTを退職してしまうと途絶えた。

よって本来、私をもてなす義理はないともいえ、今回格別のお世話になったことは尚更感謝せねばならないのである。

奥様は「若い人を援助するのは年寄りの仕事のようなものだから気にしなくてもいい。あなたが年寄りになったらその分若い人に親切にしなさい。」と諭してくれた。

 

お茶をしている時、つい何の気なしに「だいぶおやせになりましたね」と言ってしまった。

すると実はガンに侵されていて今後手術するのだという。

大したことはないとおっしゃるが、おそらく大したことがあるのではないかと思った。

荷物をまとめてマンションを出てタクシーを拾うまで夫妻と少し歩いた。

「もう逢えないかもしれない」などと思えば別れがつらくなるので世間話で終わった。

淡々と手を振って空港に向かい、20分ほどで着いた。

 

粛々と手続きして搭乗、何のこともなく我が家に帰宅、ネコが退屈そうにしていた。

 

ベランダで空をみつつ休憩していた

お借りしていた部屋。実に快適だった。

 


米国旅行記 #16 スミソニアン・航空宇宙博物館-別館3 エノラ・ゲイ

2008年07月14日 | 海外出張記

ワシントンD.C.に来た理由、その最大の目的がエノラ・ゲイ。

日本人にとって特別な記憶をもつB29である。

私にとっても実に複雑な思いを想起する何ともやっかいな機体といえる。

B-29はいうまでもなく我が国を焦土と化した仇敵、私の親世代はこいつに家を焼かれ、護衛のP-51に機銃掃射を受けて逃げ回った。

太平洋戦争の記録フィルムに材をとった動画をみるとB29が大量の焼夷弾を落とす様が出てくる。

これを何度となく見せられて私は育った。

哀しいことに一軍用機マニアの目から見るとこれがどうしようもなく「美しい」のである。

ぴかぴかに輝くアルミの機体、長大な主翼、爬虫類のような機体先端、巨大な垂直尾翼、それらがひとつとなって実に禍々しくも調和のとれた芸術品のようにみえてしまう。

松本零士は少年の時、愛媛で空襲に向かうこのB29の大群をみてマンガ家になることを思い立ったらしい。

 

故郷を焼いたB29、そして広島に原爆を落としたエノラ・ゲイをどうしてもみたかった。

日本を完膚なまでに叩きのめした米軍機、地獄のような欧州戦場で破壊の限りを尽くしたドイツ・ソ連の戦車をみて喜んでいる不肖の子である私はその業への償いとしてここに来なければならないような気がしていたのである。

 

エノラ・ゲイは広大なハンガーの一番いいところに羽根休めしていた。

思っていたよりも大きい。

機体はところどころ補修の後があるものの、紛うことなきアタマの中のみにあったあのぴかぴかのB29である。

機体先端のガラスで中が丸見えの操縦席もリモコン機銃座も4発のレシプロエンジンも目の前にある。

「ようやくこいつに会えた」。

長年追い続けた仇敵を追い詰めた気がした。

 

機体の周辺には直援機にP47-サンダーボルト、P38-ライトニングを従え、迎撃に来た紫電改に月光、晴嵐、桜花を睥睨している。

紫電改は松山の航空隊でそこそこ活躍し、松本零士氏にとっても思い入れの多い機体。

桜花をここに展示されてしまうと涙なしにこれをみられない。

 

B29を隅から隅まで眺め、最後にもう一周してこの宝箱を後にした。

日本人全てのお墓参りをした気になった。

この気持ちと共に残りの人生を凄そうと思ったりした。

 

P38-ライトニング

 

P47-サンダーボルト

 

紫電改

 

月光

 

晴嵐

 

特攻機、桜花

ドイツ空軍の雄、Fw190。私の好きな機体。


米国旅行記 #15 航空宇宙博物館、別館-2 スペースシャトルとコンコルド

2008年07月14日 | 海外出張記

もうひとつのハンガーにはスペースシャトルの1号機、「エンタープライズ」を展示。

この機体は結局宇宙に行くことはなかった。

機体名は嘘のような話だが「スタートレック」に由来する。

Wikipediaによるとフォード大統領に届いた多数の誓願を採用したのだという。

「エンタープライズ」は艦名としても米国には特別な思い入れがあり、第二次大戦時に幾度も大破しながら沈没を免れて実戦に復帰した空母は「BigE」として名高く、最初の原子力空母にもその名が冠された。

機体下部をみると着陸装置など、航空機のそれと同等の作り、飛行機の延長で設計されている。

こんなものが大気のないところまで行って戻ってくるとは大した発想である。

 

 

ナチスドイツの開発したV-1ミサイルに着想を得た巡行ミサイル「JB-2」も展示されている。

日本本土攻撃を前にして開発が進められたが実戦投入はされなかった。

 

コンコルドも展示。

英仏共同開発の期待の星、マッハ2.2で旅客を乗せて飛んだ。

しかしあまりに輸送効率が悪く環境問題に敏感になった御時世を反映して2003年に退役した。

私は以前、米国に出張した時、空港で離陸を待つコンコルドをみたことがあった。

その時、傍にいた客室乗務員が「私らもコンコルドはなかなか見られないんですよ」と話していたことを思い出した。

もう二度と設計されないだろう機種であろう。

 


米国旅行記 #14 航空宇宙博物館、別館-1 ジェット戦闘機

2008年07月14日 | 海外出張記

D.C.三日目はスミソニアン・航空宇宙博物館の別館に。

ダレス空港の隣にある。

ホテルの前でタクシーを拾って「行ってくれ」。

運ちゃんはヒスパニック系の陽気な兄ちゃんで世間話をしつつ博物館へ。

途中「帰りは携帯に電話してくれたら迎えに行くで」と名刺をもらっておいた。

 

この別館、本館に収まりきらない機体を展示するために設けられた施設で飛行場のハンガーのような建物に所狭しと実物の機体が置いてある。

本館に比べればスペースに余裕をもたせて置いてあるため写真が撮りやすい。

寄付金を払ってエントランスから入場すると巨大な体軀の老人が寄ってきた。

「どこから来たんや?」

「東京だがね」

「おお日本人かい、ワシはお前の先祖と戦って何機か落としたで」

米国に来るとこんな自慢じいさんがいるという話はよく聞くが本当にいた。

ドイツで「今度はイタリア抜きでやろうぜ」と同じ都市伝説。

 

一歩、ハンガーに足を踏み入れるとそこは軍事マニアのワンダーランド。

全部が宝物のように輝いている。

 

正面にSR-71ブラックバード、私の好物の偵察機である。

 

F105-サンダーチーフ、エリア88に登場。

 

各国主要エンジンも実物を展示、目の前にあるのでつい見入ってしまう。

Me262のジェットエンジン「Jumo004B4」。

 

世界一有名な戦闘機「F14DTomcat」は単機で展示。

これはありがたい。

-

 

ちょっと嫌みなのは米国の機体はそのライバルと一緒に展示されており、概ね「勝ったヤツ」を暗に表現している。

その分、同時期の東側の戦闘機などみられるのだが・・・

ジェット戦闘機黎明期の機体は西も東も小さく細長い。

旋回性能がいかにも悪そう。

ベトナム戦争以後になるとぐっと現代風になってくる。

 

 

現代はステルス性能が重視され、ミサイル発射のプラットフォームとして使用されている。

格闘戦は湾岸戦争くらいまではまだあったかもしれないが過去の遺物となりつつある。

そのせいか、60〜80年代ほど機体のバリエーションが豊富ではない。

この博物館に展示される機体も少なくなっていくのだろう。

 


米国旅行記 #17 N.Y.へ戻る

2008年07月14日 | 海外出張記

万感の想いと共に帰途につく。

ヒスパニックの運ちゃんに携帯で電話。

「終わったで」「ほな行きまっさ、待っといとくんなはれ」

ほどなく登場、乗車。

ハイウェイをすっ飛ばしてポトマック川を渡る。

 

せっかくなのでホワイトハウスの前を通ってもらいD.C.の名残を惜しむ。

ちょっと通りがかりに米国首都の建物をみているとアメリカ人にはギリシア建築への憧憬というかコンプレックスがあるように感じた。

200年ちょっとの歴史でしかない米国、物質文明に独自の痕跡を残すにはまだまだ時間が足らないようだ。

結局、博物館ふたつで終わってしまった旅ではあったが心に残るいい時間だった。

 

ホリデイインに戻って荷物をピックアップ。

TUMIで買ったキャリーをゴロゴロ転がしてユニオン駅へ。

Amtrakに乗ってN.Y.へ。

途中、屈辱のアバディーンを通過、また来ることはあるだろうか。

順調にペンステーションに到着。

パーカータワーに戻ってHさん夫妻と再会。

明日はいよいよ帰国の途である。

 

 

 


米国旅行記 #13 D.C.散策

2008年07月13日 | 海外出張記

博物館でちんちんになったアタマを冷やすためぶらぶら散歩。

スミソニアンの他の博物館を攻略する元気がない。

セグウェイで移動する観光客がいた。

 

リンカーンが暗殺され、息を引き取ったピーターセン・ハウスに入ってみる。

 

場所を変えてワシントン大聖堂に参詣。

世界有数の高さがあるという。

ジョージタウンで買い物。

TUMIのカバンなどが円高で日本価格で考えると激安、調子にのっていろいろ買い込む。

坂を降りていってジョージタウン公園。

目についたレストランで名物「ソフト・クラブ・シェル」の昼飯。

 

 

最後にアーリントン墓地に設けられている合衆国海兵隊記念碑を見に行く。

歩いていると突然のゲリラ豪雨。

傘を持っていなかったので雨粒で前も見えない中、何とか写真を撮って退散。

 

 


米国旅行記 #12 スミソニアン・国立航空宇宙博物館-2

2008年07月13日 | 海外出張記

さて、一番みたかった機体が2階の一室に。

グラマン社の試作戦闘機、X-29である。

頭上にぶら下げられていて想像以上に小さかった。

この戦闘機は常識的な航空機にはありえない「前進翼」を搭載している。

 

それも前進角度は30度を越え、主翼を逆に付け間違えたのではないかと思うほどの異形である。

浮力に欠ける点をカナード翼で補っている。

実験機は概ね空気抵抗をきらって流麗なデザインとなることが多いがX-29はひときわ美しい。

変な設計と言わざるをえないが私はこれが一番美しい航空機だと思っている。

 

この機種を知っている人のほとんどは新谷かおるのマンガ「エリア88」の主人公、風間真が最後に登場した機種として記憶しているのではないか。

私もそうでベトナム戦争があった70年代あたりの戦闘機の知識はこのマンガに負うことが大きい。

マンガでもさほど活躍することがなかったX-29、極端に運動性能がいい分操縦も難しく、姿勢制御をコンピュータに頼った。

何が起こるかわからない戦場では生存性もまた重要、X-29は採用されることなく実験機のみで終わった。

機体そばのモニターでX-29に飛行シーンが上映されていた。

 

憧れの機体、その実機をみる日が来ようとは。

半日、航空宇宙博物館で興奮状態、ヘロヘロになって退場。

メトロポリタン同様、アタマを使うと消耗する。

 

 


米国旅行記 #11 スミソニアン・国立航空宇宙博物館-1

2008年07月13日 | 海外出張記

スミソニアン博物館があるあたりは大きな公園になっていてリンカーン記念堂の反対側のどんつきが合衆国議会議事堂。

ちょうど真ん中の南面に航空宇宙博物館がある。

エントランスは大きなホールになっていて天井から機体が吊されている。

それら全部が貴重な名機。

 

 

世界初の超音速機ベルX-1、映画「ライトスタッフ」でおなじみ。

 

隣に「スピリット・オブ・セントルイス」、リンドバーグが大西洋単独横断飛行を達成したその機体。

 

ドイツのV2ロケットも立てて展示。V1も吊されている。

 

宇宙ものも充実していて宇宙開発を担った実機があちこちに置いてある。

仔細にみていると陽が暮れそうなので軍用機を重視して見物、他はがまんすることを覚悟。

 

別室にメッサーシュミットのジェット機、Me262。

状態がとてもいい。

展示室が狭いので全体を写真におさめきれないのが残念。

 

ジェット戦闘機の歴史については各国の実験機が模型展示、日本海軍の「橘花」も紹介。

スミソニアンはこうした客観的な教育コンテンツをとても重視していることは回るうちによくわかった。

 

第二次大戦の機体展示も凝っていて、ライバル機を並べて展示したり、ミッドウェーやバトル・オブ・ブリテンなど戦場でどう機能したかなどを詳細に解説している。

私の好物、Bf109やスピットファイア、P51など仲良く並べられている。

日本モノは零戦52型。

 

 

リリエンタールやライト兄弟も登場。

操縦シーンを再現するとどういうシロモノかよくわかる。

 

宇宙もののツボはアポロ11号。

 


米国旅行記 #10 D.C.見物 ワシントン・モニュメント

2008年07月13日 | 海外出張記

6日目はワシントンD.C.で起床。

良い天気で気分上々。

ホテルの朝食後、スターバックスでコーヒーとボトル水を購入。

今日のハイライトはスミソニアン博物館。

特に航空宇宙博物館が楽しみでしょうがない。

スミソニアンそのものがいくつかの博物館の総称、空系は中心部と郊外の別館に分かれている。

まずは地下鉄でオベリスク見物。

ランファン・プラザ駅から乗車、チケットは自動販売機で購入。

米国のチケットは料金を指定しておいてお金を入れていく方式、うっかり10ドル札を入れてしまいお釣りを没取された。

構内は薄暗くオレンジ色の照明、エスカレータで深々と下りていく。

スミソニアン駅で下車。

地上へ出るとオベリスクがそびえている。

近づいていくと蒼天に尖塔が突き刺さっているようにみえる。

展望台に上るには事前予約が必要。

近づいていくと想像以上にでかい。

はるかにリンカーン記念堂。

映画でよくみる光景である。

目をこらすと椅子に座ったリンカーン像が確認できる。

合衆国の成り立ちを表象する光景であろう。

 


米国旅行記 #9 ワシントンD.C.到着

2008年07月12日 | 海外出張記

1時間半ほどでAmtrackはユニオン駅に到着。

夕暮れ時になっている。

駅舎は新しくN.Y.の鉄道駅と比べると現代風。

宿のホリデイインまで歩きながら道々見物。

東京でいえば霞ヶ関を歩いているようなもので土曜日ということもあるのか閑散としている。

中華街などを発見、遠くにD.C.のシンボル、オベリスクが見えている。

 

ホテルに到着、時間を無駄にした一日ともいえるがいい経験にはなった。


米国旅行記 #8 ワシントンD.C.へ -アバディーンの屈辱事件-

2008年07月12日 | 海外出張記

米国5日目はN.Y.からワシントンD.C.へ移動。

D.C.へ行くのは長年の夢、気ままな旅なので高速列車Amtrackで行くことにした。

ワシントンD.C.方面へのAmtrackが出るのはペンシルベニア駅。

上がマジソン・スクエア・ガーデン。

座席は日本の新幹線と比べると余裕があってゆったり座れる。

乗客は1/3くらいで2席独占。

パソコンの電源もとれて快適な旅である。

さて、直行すればいいものをアホな私は寄り道を考える。

途中にアバディーンという小さな町があり、軍事マニアには有名な戦車博物館がある。

そもそもは米陸軍の試験場として設立され、兵器を集めて性能試験をする。

敵国から持ってきた戦車やらを研究するのである。

軍機に関する施設なので事前に申請が必要という話。

日本にいる時に入念に調べていけばいいものを「行けば何とかなる」と思うのが常。

今まで海外でも何とかなったのは事実。

アバディーン駅までの間に車掌が検札に来たが、降車すると駅には改札がない。

そのままぶらぶら外に出るとタクシーが数台。

運ちゃんが寄ってきて「どこまで行くんだい?」。

「アバディーンの戦車博物館に行きたいねん」。

「OK、Lets Go!」

でなもので出発。

つたない英語で世間話しつつ外をみているとWallMartがあった。

試験場へ曲がる交差点にシャーマンM4が無残な姿で放置されている。

そして検問へ。

運ちゃんが「許可証(PassPort)を出して」といっているらしいがそんなものは持っていない。

巨大な体軀の黒人歩哨が運ちゃんと何やら話した後、「許可証なければ入れへんで」という。

そこは「何とかなる」の信念を持つ小生、運ちゃんを帰して降車。

歩哨と交渉にかかる。

「日本からはるばるここに戦車をみるために来た」

「それがしは日本ではそこそこの軍事研究者である」

「みたとおり怪しいものではない」

などなどつたない英語で交渉するもとりつくしまもない。

巨人が「お前、博物館まで10マイルあるでどうすんねん」

「歩いて行くんや」

などと押し問答。

100ドル札を握らせてなどと考える局面かもしれませんが相手は米軍。

素直に撤収するのが身のためでしょう。

さてタクシーも帰っちゃったので帰る手段なし。

とぼとぼと歩き出す。

 

さっきWallMartがあったのを思い出して立ち寄って休憩。

海外のスーパーを見物するのはおもしろい。いい気分転換になる。

駅で時刻表を確認済、D.C.行きは何と4時間後。

水やらアイスを買い込んで外に出るとさっき乗ったタクシーの運ちゃんが休憩中。

にやにやして近づいて来る。

「どないしたん?」

「案の定、通してくれんかってん、もう帰るわ」

「ほなら駅まで乗ってくか?」

「頼むわ」

てなもので来た道をかっ飛ばす。

 

途中、マクドがあるのも確認済だったので「ここで降ろしてや」。

名残を惜しみつつ運ちゃんとお別れ。

マクドでパソコン仕事で時間を潰して駅へ移動。

 

まだまだたっぷり時間がある。

そのうちぼつぼつ乗客が集まってきてにぎやかに。

制服姿の若い兵隊さんがはしゃいでいる。

マンハッタンの喧噪が別の世界のように田舎はのどかである。

定刻に列車がやって来て乗船、ビジネスマンに取り囲まれてD.C.へ。

 

結局、移動だけで終わった一日であったがいい勉強になった。

後で調べたら2008年現在、アバディーン戦車博物館への入場は日本国防衛省の推薦と保証をとるしかないらしい。

 

教訓、「施設に行く時はなめずに事前に調査徹底」「ならぬものはならぬのです」

 

 


米国旅行記 #6 メトロポリタン美術館続き

2008年07月11日 | 海外出張記

しかしまあよく集めたものである。

どういう経緯で来たものかいろいろルートがあるだろうが、200年ちょっとの合衆国のこと。

ほとんどはカネで買ってきたものだろう。

日本のものは戦利品であるものもあるのではないか。

 

展示室がインド、日本ものになるころにはヘロヘロになってきた。

伊藤若冲のにわとりもあった。

お不動さんや蔵王権現といった日本固有の神様が出張しているのをみると複雑な思いがする。

仏教に関する展示だけでも膨大、中国からチベット、もちろんインドやガンダーラものも逸品揃い。

自分の好きなモノがこれほどたくさんある場所はまあ今後も含めてないと思う。

世界中の同一ジャンルの逸品を比べてみるのにここほど適した場所もなかろう。

知恵熱を出して志半ばで撤収。

また来よう。

 

 

 


米国旅行記 #5 メトロポリタン美術館

2008年07月11日 | 海外出張記

Appleストアのイベント後、5thアベニューを北上してメトロポリタン美術館へ。

 

海外の美術館は写真撮影が可能、そして展示物が半端なく大量にあるので体力が必要。

できれば1週間くらい泊まり込みで見学したいくらいである。

とても時間が足りないので古代エジプトものを中心に。

仏像好きの視点でみているとおもしろい。

エジプトものは動物像が秀逸。

中国ものの仏教ものもおもしろい。

日本にはない品々をみられるのは海外ならでは。

 

 


米国旅行記 #4 Appleストア

2008年07月11日 | 海外出張記

4日目はマンハッタンのAppleストアを見に行く。

いよいよiPhone3G が発売、何の因果かマンハッタンまで見物に来てしまった。

マンハッタンは五番街のAppleストアは「キューブ」と呼ばれるガラス張りの建物。

店舗は階段を下りたフロアにある。

場所はプラザホテルの真向かい。

開店前から大勢並んでいて大盛り上がりでとても近寄れない。

反対側の歩道から見ていたらいよいよオープン。

入口にオレンジ色のシャツを着たスタッフが整列。

花道を作って入場者を迎え、買い物を終えた客を拍手で送る。

Appleの新製品の発売日には日本でも同じような光景がみられるが、アメリカのそれはだいぶ陽気である。

 

この話は今取組中のIT講座で使ってみようと思う。