扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

歴史コラム #32 対馬という国の玄関

2017年07月31日 | エッセイ:海の想い出

コラムの32回目は対馬のこと。

昨年9月に博多から壱岐対馬に取材に行った。

 

対馬は魏志倭人伝にある通りの国だった。

すなわち「絶島で山険しく深林が多い。道路は獣の道のようで、良田がなく、海産物を主食としている。舟で南北へ行き、商いをして穀物を得ている」。

クルマで南北をちょろちょろと走っただけでこの島で農耕を主業とすることの困難さがわかる。

日本の伝統的風景である満々と水を張った水田があまり見当たらない。

道路は険しい山を縫うように引かれ幹線を少し離れれば海である。

おもしろかったのが陸を割る仕事。

南北に細長い対馬は西から東への移動は島をくるりと回らねばならない。

最も細いところは船を人力で引っ張り上げて反対側に渡していた。

江戸時代、対馬藩はついに陸を割って東西の海をつなげることに成功した。

日本のスエズ運河である。

 

対馬の玄関口、厳原港は韓国人観光客でいっぱいだった。

今も昔も対馬は日本の玄関のひとつである。


木曽義仲の墓と重森三玲の庭 −木曽福島興禅寺−

2017年07月24日 | 街道・史跡

実家からの帰り、今まで通ったことのない道を探し旧中山道を行くことにした。

豊田市を縦断して瑞浪市に入って国道19号。

木曽川沿いに走って行くと小雨が降ってきた。

ただ通るだけでも芸がないので目的地は興禅寺。

木曽義仲はじめ、木曽家の墓所があり、私が好きな重森三玲の庭がある。

 

旧中山道、19号は若い頃、スキーに行く道としてよく使った。

信号も少なく産業道路でもないので気持ちがいい。

興禅寺には11時頃到着、朝7時に出発したので概ね4時間の行程。

 

興禅寺とは臨済宗妙心寺派の禅寺。

境内にはいくつかの庭があり、重森の香雲庭もそのひとつ。

枯山水としては東洋一の広さであるといい、確かに写真一枚に収めるのが難しいほどに広い。

龍安寺の庭に趣など似ていると思うが奥行が遥かに深く、雄大といえる。

 

香雲庭 

 

昨晩なかなか眠れずにほぼ徹夜状態だったので、誰もいないのをいいことに少し昼寝した。

 

御朱印をもらい近くにある木曽家墓所を訪ねた。

木曽出身の武家では平家を京から追った木曽義仲以後、どうも全国区の武家という点では印象が薄いかもしれない。

武田信玄の侵攻を受けて降った木曽義昌は武田家崩壊の道筋をつけ、豊臣徳川と政権交代がある度に衰微してしまった。

墓所は福島城に続く山肌に張り付くように設けられている。

今手がけている武田信玄の本の関連でいえば武田の勢力範囲はここを落とした後、飛騨の一部まで及んだ。
 

 

このあたりは木曽福島宿として江戸時代に大いに賑わったものの今では観光地となっている。

木曽福島から旧中山道を北上していくと塩尻宿に至るが、今日はショートカットして権兵衛峠を越えて伊那に入る。

バイパスが通っているため、1時間ほどで高遠に出た。

信玄は諏訪の後、高遠を落とし南信攻略の要衝とし、「武田崩れ」の際は仁科信盛が一族の中で唯一交戦、激しい攻防戦が展開された。

高遠から諏訪湖方面に降りて行く道は私のお気に入りの街道で杖突峠で諏訪湖や八ヶ岳をながめるのが楽しい。