実家に久々に帰省、法事をすませて旧友と再会した。
彼は城跡好きなのでどこか行こうとあれこれ相談、沓掛城に寄った後、小牧山城ということにした。
沓掛城は2012年6月に訪れたことがある。
城跡よりも近隣住民が遊ぶ快適な空間という風情である。
小ぎれいであるという条件は中世の城の保存にとって重要といえる。
その点、沓掛城はなかなかいい。
沓掛城主に近藤氏という一族がいたらしい。
桶狭間の合戦の折は近藤景春が城主、今川義元を送り出し今川勢崩壊の後に攻められて戦死という。
後に入ったのが梁田政綱、信長に今川勢の動向を知らせたことで功一等と賞されて城主となった。
関ケ原の合戦時までは現役の城だったらしいが、沓掛城が歴史の舞台に名を残すのはそれだけである。
小牧城へ向かう。
濃尾平野のど真ん中の小高い丘。
「ここに城を築かずしてどうする」というべき要衝といえるが信長が注目するまでは単なる丘。
いかに尾張の武家が細やかに分割されていたかがわかる。
合戦はいつも平地での戦闘、籠城戦がなかったということであろう。
信長が畿内に進出して以後は、支配者の交代にともなう合戦もなく小牧長久手の合戦を迎える。
いち早く押さえたのが家康、豊臣勢はこの平山城の前面に壮大な野戦陣地を築いた。
この時、小牧山城は大規模に改造されていて土塁や堀の発掘整備が進んでいる。
2014年3月に訪れた折からさらに石垣などの研究が進み、城郭の歴史上重要な事例として第一人者千田嘉博先生も大注目。
麓に「れきしるこまき」なる資料館が開館していた。
城址公園ではコロナ騒動中にもかかわらずイベント実施中。
喧噪をよそに友人と大手道を上ってみた。
城山をのぼるのは久しぶり、標高86メートルの頂上にある模擬天守にたどり着くまでに息が上がった。
この先の山城探訪に体力がどれだけもつか案じられた。